あなたは徒歩の人たちと走っても疲れるのに、
どうして騎馬の人と競争できよう。
あなたは平穏な地で安心して過ごしているのに、
どうしてヨルダンの密林で過ごせよう。
あなたの兄弟や、父の家の者さえ、
彼らさえ、あなたを裏切り、
彼らさえ、
あなたのあとから大声で呼ばわるのだから、
彼らがあなたに親切そうに語りかけても、
彼らを信じてはならない。
(旧約聖書・エレミヤ書 12章5-6節)
エレミヤという、代々祭司の家系の者がいた。彼の住んでいた地アナトテは、その昔、ソロモン王により追放(罷免)された祭司エブヤタルが追放された地であった。ヨシヤ王のそばで、エレミヤは働いていたこともあるだろうが、それは同郷の人々や家族たちからは歓迎されていなかったかもしれない。
彼は、若かりし頃から、神からの預言を預かっていた。それは、辛い務めだった。
そして、彼は、あざけられ、殺されそうになる。故郷アナトテの人々からさえもそのような目に合う。
そんな中、彼は、ついに神に対して、嘆きを訴える、「主よ、私があなたと論じても、あなたのほうが正しいのです。それでも、さばきについて、一つのことを私はあなたにお聞きしたいのです」(同上12:1)と。
それに対する神様の答えが、上のみことばだった。「あなたは徒歩の人と走って疲れている」と。そんなことで、疲れているのか、もっと大変な仕事がまだまだあるのだ、と。
私は、それを聞いたとき、心の底から泣き笑うしかなかった。神様の視点、、、ああ確かに、遥かに高い(cf.イザヤ書55:8-9)。 ティッシュひと箱では足りません。
エレミヤは、どう感じ、どう考え、どう決意しただろう。彼は、こう決意した。
「私は、私の家を捨て、
私の相続地を見放し、
私の心の愛するものを、敵の手中に渡した。」(エレミヤ書 12:7)
彼は、嘆いた。
「多くの牧者が、私のぶどう畑を荒らし、
私の地所を踏みつけ、
私の慕う地所を、
恐怖の荒野(あらの)にした。
それは恐怖と化し、
荒れ果てて、私に向かって嘆いている。
全地は荒らされてしまった。
だれも心に留める者がいないのだ。」(同上12:10-11)
彼は、知っていた。
だが、彼はそうする道を選んだ。だが、愛していた。 だから、嘆いた。