人(ひと)ァ その働(かせ)ぎィ見で頂(いだだ)いで、
ああ、此奴(こいづ)ァいい奴(やづ)だ、
可愛(めんこ)い奴(やづ)だど思って頂(いだだ)ぐのであって、
ただ 神さまァどごォ 力(ちから)頼(たよ)りにしていますづゥだげでァ駄目なのだ。
……魂(たましい)のねァ体(かばね)ァ死んだものだが、それど同(おな)して、
何(なん)にもしねァで、ただお任(まガ)せしてます、頼りにしてますでァ、
死んでるものど同(おな)した。
ああ、此奴(こいづ)ァいい奴(やづ)だ、
可愛(めんこ)い奴(やづ)だど思って頂(いだだ)ぐのであって、
ただ 神さまァどごォ 力(ちから)頼(たよ)りにしていますづゥだげでァ駄目なのだ。
……魂(たましい)のねァ体(かばね)ァ死んだものだが、それど同(おな)して、
何(なん)にもしねァで、ただお任(まガ)せしてます、頼りにしてますでァ、
死んでるものど同(おな)した。
(ヤコブの手紙2:24-26,ケセン語訳)
人は行(おこな)いによって義(ぎ)とされるのであって、
信仰だけによるのではありません。
……魂のない肉体が死んだものであるように、
行いを伴わない信仰は死んだものです。(上記、新共同訳)
信仰だけによるのではありません。
……魂のない肉体が死んだものであるように、
行いを伴わない信仰は死んだものです。(上記、新共同訳)