(写真は、名古屋城本丸の襖絵。2017年5月撮影)
もし石に刻まれた文字(もんじ)による、
死の務(つと)めにも栄光があって、
But if the ministry of death, written and engraved on stones, was glorious,
モーセの顔の、やがて消え去る栄光のゆえにさえ、
イスラエルの人々がモーセの顔を見つめることが
できなかったほどだとすれば、
so that the children of Israel could not look steadily at the face of Moses
because of the glory of his countenance, which glory was passing away,
まして、御霊(みたま)の務(つと)めには、
どれほどの栄光があることでしょう。
how will the ministry of the Spirit not be more glorious?
(新約聖書・コリント人への手紙 第二 3:7―8)
死の務(つと)めにも栄光があって、
But if the ministry of death, written and engraved on stones, was glorious,
モーセの顔の、やがて消え去る栄光のゆえにさえ、
イスラエルの人々がモーセの顔を見つめることが
できなかったほどだとすれば、
so that the children of Israel could not look steadily at the face of Moses
because of the glory of his countenance, which glory was passing away,
まして、御霊(みたま)の務(つと)めには、
どれほどの栄光があることでしょう。
how will the ministry of the Spirit not be more glorious?
(新約聖書・コリント人への手紙 第二 3:7―8)
Glory of the New Covenant
十戒(じゅっかい)をはじめ石板にかかれた旧き契約のときでさえ、
主(神)のそばにいたモーセの顔は、太陽の光を反射する月のように、光輝いていた。
その輝きは、イスラエル人がこわがって近づけないほどだった。(出エジプト記34:29―34)
ならば、キリストによって与えられた、新しい契約に基づく務めによる栄光は
どんなに素晴らしいものなのでしょう?と。
…知らない人が多いならば、それはチャンスかもしれません。