Dr不足、特に産科医離れを加速させた事件とも言える、2006年2月18日、一人の産婦人科医が逮捕された事件。
癒着胎盤という予測困難な状態だった妊婦が、帝王切開中に死亡した。
この産科医は限られた状況下で持てる技術を駆使して必死で妊婦を助けようとするが、力及ばなかった。そして、この医師は、業務上過失致死と医師法違反で逮捕される。
現在、あちらこちらの病院で産科が閉鎖され、『出産難民』という現象まである状況だが、・・・・・・・・・・・・・・・できうる最善を尽くして、裁判にかけられるって、モチベーション下がるだろうなぁ(いや、そもそも医療行為それ自体行うことが難しくなる)・・・やるせないだろうなぁ・・・激務の中にいる方々にとって。
**********
ニュースをいくつか見比べればわかることだが、医療者と患者の家族との間の認識が違うような。
とはいっても、医療者と、患者や患者の家族で、お互いの認識(その患者さんがどういう状態なのかという把握や、医療の妥当性についての考え)があまりに違うことは、どこでも見られる。
たとえば、高齢で誤嚥性肺炎で入院した方の家族が、「どうして食わせない。早く食べさせて、リハビリさせて帰させろ。このままじゃ、寝たきりだ」
とおっしゃっても・・・その方の状況を考えると、それはムリです。要望書を持ってこられても、誤嚥する確率が高い状況で・・・ゼリーでもむせこむ人に食事だなんて、・・・・「殺せ」と言っているようなものなんですってとか。
交通事故のあと、どこまで回復が望められるのかという点についての双方の認識の違い、とか。「こんなハズじゃなかった!!」と。
こんな誤認や理解を得られないことが、訴訟などに発展することも・・・・・・ある。
きちんと、医療者が説明をする必要はある。
ただ、インフォームド・コンセントをきちんと行ったとしても、受け手の家族の理解力が、もしくは聞く耳がなければ、難しい。
理解を得る、というのは、難しい。
知識の上では理解していても、心は受け入れられないこともある。
だが、こんなことが続けば、別の意味で医療崩壊になるかも...。
(知りうる情報の中では、結局、今回は、
・医療行為の妥当性の是非
というよりも、
・医療者と患者(家族)との間の信頼関係の有無、納得できるか否か
・非専門職者が、専門性の高い現場に介入(乱入?)することの妥当性
・情報が一方的。もしくは、適正を欠く、あおりっぷりは見事なニュースの垂れ流し。
・もともと過酷なのに、風評により、さらに現場を支えるマンパワーのdown
という問題とも言えるのだろうか。)
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帝王切開で29歳失血死、医師に無罪判決…福島地裁(読売新聞)
2008年8月20日(水)13:59
福島県大熊町の県立大野病院で2004年、帝王切開手術を受けた女性(当時29歳)が死亡した事件で、業務上過失致死と医師法(異状死の届け出義務)違反の罪に問われた産婦人科医、加藤克彦被告(40)の判決が20日、福島地裁であった。
鈴木信行裁判長は、「標準的な医療措置で、過失は認められない」として無罪(求刑・禁固1年、罰金10万円)を言い渡した。
医療界からは、医師の逮捕に対して反発の声が上がり、元々勤務が過酷とされる産科医離れが進むなど波紋を広げたとして注目された。
判決によると、加藤被告は04年12月17日に女性の帝王切開手術を執刀。子宮に癒着した胎盤をはがした際に大量出血が起き、女性は失血死した。子どもは無事だった。
鈴木裁判長は、胎盤をはがしたことと死亡との因果関係を認め、「手でこれ以上胎盤をはがせないと判断した時点で、はく離を続ければ大量出血の恐れがあると予見できた」と、検察側の主張を認めた。
だが、はく離を途中でやめて子宮摘出手術に移り、大量出血を回避すべきだったとする検察側の主張については、「最後まではがすのが標準的な医療措置」として、結果を回避する注意義務はなかったと判断。さらに、「女性は(難症例の)癒着胎盤という疾病で、過失のない診療行為でも死亡という結果は避けられなかった」として、医師法違反についても「異状死ではなく、届け出義務はない」とした。
検察側は「胎盤の癒着は広範囲で相当深く、はがし続ければ大量出血し、生命に危険が及ぶ」と指摘。弁護側は「胎盤をはがしている最中の出血量は最大555ミリ・リットルで、大量出血の予見可能性はなかった。はがし始めたら最後まで行うのが臨床の実践。標準的な医療行為だった」と主張した。
産科医は、04年ごろから減少が顕著となり、加藤被告の逮捕・起訴後は、医師の産科離れにさらに拍車がかかったとされる。日本産科婦人科学会は「故意や悪意のない医療行為に個人の刑事責任を問うのは疑問」とする見解を表明。国は「医療安全調査委員会(仮称)」の設置を検討している。
****************
ちなみに、この事件や裁判に対して、こんなものもありました。
『ボールペン作戦』(つよぽんの避難所)
『ボールペン作戦メインサイト』
『医賠責…』(某・総合医療センターコミュ経由。)
『ある産婦人科医のひとりごと』
(最後のブログから、一部引用-)
癒着胎盤は非常にまれで、事前の予測は不可能なことがほとんどです。正常の妊娠経過で正常の経膣分娩後であっても、児の娩出後に胎盤が剥がれず大量出血が始まれば、そこで初めて癒着胎盤を疑い、緊急で子宮摘出手術を実施しなければなりません。その際には、大量の輸血も必要ですし、手術中に大量の出血により母体死亡となる可能性も当然あり得ます。
どの癒着胎盤の症例でも、児が娩出する前には癒着胎盤を疑うことすら不可能の場合が多いです。今回報道されている事例は、帝王切開ですから、当然、手術前には癒着胎盤の診断がついてなかったと思われます。手術中に、児を娩出した後、胎盤がどうしても剥離しないで大量の出血が始まり、初めて癒着胎盤とわかったと考えられます。大量の輸血の準備をして帝王切開に臨むことは通常ありえません。また、帝王切開は腰椎麻酔で実施されることが多いですが、大量の輸血の準備もなく、腰椎麻酔のままでは、帝王切開から子宮摘出手術に移行すること自体が非常に危険です。麻酔科医がその場にいなければ、手術中に腰椎麻酔から全身麻酔に移行することも不可能です。
ですから、今回の事例では、誰が執刀していても、母体死亡となっていた可能性が非常に高かったと思われます。帝王切開をしてみたら、たまたま癒着胎盤であったケースで、母体を救命できる可能性があるのは、いつでも大量の輸血が可能で、複数の産婦人科専門医が常勤し、麻酔科医も常駐している病院だけだと思います。そういう人員・設備が整った病院であっても、帝王切開中に突然大量の出血が始まれば、全例で母体を救命できるという保障は全くありません。
今回の事例は、術前診断が非常に困難かつ非常にまれな癒着胎盤という疾患で、誰が執刀しても同じく母体死亡となった可能性が高かったのに、結果として母体死亡となった責任により執刀医が逮捕されたということであれば、今後、同じような条件の病院では、帝王切開を執刀すること自体が一切禁止されたと考えざるを得ません。
産科診療に従事していれば、母体や胎児の生命に関わる症例に遭遇することは日常茶飯事です。我々は、この生命の危機に直面した母児の命を助けるために帝王切開などの危険な緊急手術を日常的に実施していますが、手術の結果が常に患者側の期待通りにいくとは全く考えていません。産科では、予測不能の母体死亡、胎児死亡、死産は、一定頻度でいつでも誰にでも起こり得るという事実を全く無視して、結果責任だけで担当医師が逮捕される世の中になってしまえば、今後は危なくて誰も産科診療には従事できません。今後の産科診療に非常に大きな影響を与える重大事件だと思います。
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癒着胎盤という予測困難な状態だった妊婦が、帝王切開中に死亡した。
この産科医は限られた状況下で持てる技術を駆使して必死で妊婦を助けようとするが、力及ばなかった。そして、この医師は、業務上過失致死と医師法違反で逮捕される。
現在、あちらこちらの病院で産科が閉鎖され、『出産難民』という現象まである状況だが、・・・・・・・・・・・・・・・できうる最善を尽くして、裁判にかけられるって、モチベーション下がるだろうなぁ(いや、そもそも医療行為それ自体行うことが難しくなる)・・・やるせないだろうなぁ・・・激務の中にいる方々にとって。
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ニュースをいくつか見比べればわかることだが、医療者と患者の家族との間の認識が違うような。
とはいっても、医療者と、患者や患者の家族で、お互いの認識(その患者さんがどういう状態なのかという把握や、医療の妥当性についての考え)があまりに違うことは、どこでも見られる。
たとえば、高齢で誤嚥性肺炎で入院した方の家族が、「どうして食わせない。早く食べさせて、リハビリさせて帰させろ。このままじゃ、寝たきりだ」
とおっしゃっても・・・その方の状況を考えると、それはムリです。要望書を持ってこられても、誤嚥する確率が高い状況で・・・ゼリーでもむせこむ人に食事だなんて、・・・・「殺せ」と言っているようなものなんですってとか。
交通事故のあと、どこまで回復が望められるのかという点についての双方の認識の違い、とか。「こんなハズじゃなかった!!」と。
こんな誤認や理解を得られないことが、訴訟などに発展することも・・・・・・ある。
きちんと、医療者が説明をする必要はある。
ただ、インフォームド・コンセントをきちんと行ったとしても、受け手の家族の理解力が、もしくは聞く耳がなければ、難しい。
理解を得る、というのは、難しい。
知識の上では理解していても、心は受け入れられないこともある。
だが、こんなことが続けば、別の意味で医療崩壊になるかも...。
(知りうる情報の中では、結局、今回は、
・医療行為の妥当性の是非
というよりも、
・医療者と患者(家族)との間の信頼関係の有無、納得できるか否か
・非専門職者が、専門性の高い現場に介入(乱入?)することの妥当性
・情報が一方的。もしくは、適正を欠く、あおりっぷりは見事なニュースの垂れ流し。
・もともと過酷なのに、風評により、さらに現場を支えるマンパワーのdown
という問題とも言えるのだろうか。)
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帝王切開で29歳失血死、医師に無罪判決…福島地裁(読売新聞)
2008年8月20日(水)13:59
福島県大熊町の県立大野病院で2004年、帝王切開手術を受けた女性(当時29歳)が死亡した事件で、業務上過失致死と医師法(異状死の届け出義務)違反の罪に問われた産婦人科医、加藤克彦被告(40)の判決が20日、福島地裁であった。
鈴木信行裁判長は、「標準的な医療措置で、過失は認められない」として無罪(求刑・禁固1年、罰金10万円)を言い渡した。
医療界からは、医師の逮捕に対して反発の声が上がり、元々勤務が過酷とされる産科医離れが進むなど波紋を広げたとして注目された。
判決によると、加藤被告は04年12月17日に女性の帝王切開手術を執刀。子宮に癒着した胎盤をはがした際に大量出血が起き、女性は失血死した。子どもは無事だった。
鈴木裁判長は、胎盤をはがしたことと死亡との因果関係を認め、「手でこれ以上胎盤をはがせないと判断した時点で、はく離を続ければ大量出血の恐れがあると予見できた」と、検察側の主張を認めた。
だが、はく離を途中でやめて子宮摘出手術に移り、大量出血を回避すべきだったとする検察側の主張については、「最後まではがすのが標準的な医療措置」として、結果を回避する注意義務はなかったと判断。さらに、「女性は(難症例の)癒着胎盤という疾病で、過失のない診療行為でも死亡という結果は避けられなかった」として、医師法違反についても「異状死ではなく、届け出義務はない」とした。
検察側は「胎盤の癒着は広範囲で相当深く、はがし続ければ大量出血し、生命に危険が及ぶ」と指摘。弁護側は「胎盤をはがしている最中の出血量は最大555ミリ・リットルで、大量出血の予見可能性はなかった。はがし始めたら最後まで行うのが臨床の実践。標準的な医療行為だった」と主張した。
産科医は、04年ごろから減少が顕著となり、加藤被告の逮捕・起訴後は、医師の産科離れにさらに拍車がかかったとされる。日本産科婦人科学会は「故意や悪意のない医療行為に個人の刑事責任を問うのは疑問」とする見解を表明。国は「医療安全調査委員会(仮称)」の設置を検討している。
****************
ちなみに、この事件や裁判に対して、こんなものもありました。
『ボールペン作戦』(つよぽんの避難所)
『ボールペン作戦メインサイト』
『医賠責…』(某・総合医療センターコミュ経由。)
『ある産婦人科医のひとりごと』
(最後のブログから、一部引用-)
癒着胎盤は非常にまれで、事前の予測は不可能なことがほとんどです。正常の妊娠経過で正常の経膣分娩後であっても、児の娩出後に胎盤が剥がれず大量出血が始まれば、そこで初めて癒着胎盤を疑い、緊急で子宮摘出手術を実施しなければなりません。その際には、大量の輸血も必要ですし、手術中に大量の出血により母体死亡となる可能性も当然あり得ます。
どの癒着胎盤の症例でも、児が娩出する前には癒着胎盤を疑うことすら不可能の場合が多いです。今回報道されている事例は、帝王切開ですから、当然、手術前には癒着胎盤の診断がついてなかったと思われます。手術中に、児を娩出した後、胎盤がどうしても剥離しないで大量の出血が始まり、初めて癒着胎盤とわかったと考えられます。大量の輸血の準備をして帝王切開に臨むことは通常ありえません。また、帝王切開は腰椎麻酔で実施されることが多いですが、大量の輸血の準備もなく、腰椎麻酔のままでは、帝王切開から子宮摘出手術に移行すること自体が非常に危険です。麻酔科医がその場にいなければ、手術中に腰椎麻酔から全身麻酔に移行することも不可能です。
ですから、今回の事例では、誰が執刀していても、母体死亡となっていた可能性が非常に高かったと思われます。帝王切開をしてみたら、たまたま癒着胎盤であったケースで、母体を救命できる可能性があるのは、いつでも大量の輸血が可能で、複数の産婦人科専門医が常勤し、麻酔科医も常駐している病院だけだと思います。そういう人員・設備が整った病院であっても、帝王切開中に突然大量の出血が始まれば、全例で母体を救命できるという保障は全くありません。
今回の事例は、術前診断が非常に困難かつ非常にまれな癒着胎盤という疾患で、誰が執刀しても同じく母体死亡となった可能性が高かったのに、結果として母体死亡となった責任により執刀医が逮捕されたということであれば、今後、同じような条件の病院では、帝王切開を執刀すること自体が一切禁止されたと考えざるを得ません。
産科診療に従事していれば、母体や胎児の生命に関わる症例に遭遇することは日常茶飯事です。我々は、この生命の危機に直面した母児の命を助けるために帝王切開などの危険な緊急手術を日常的に実施していますが、手術の結果が常に患者側の期待通りにいくとは全く考えていません。産科では、予測不能の母体死亡、胎児死亡、死産は、一定頻度でいつでも誰にでも起こり得るという事実を全く無視して、結果責任だけで担当医師が逮捕される世の中になってしまえば、今後は危なくて誰も産科診療には従事できません。今後の産科診療に非常に大きな影響を与える重大事件だと思います。
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つまり、どの事例も、いんふぉーむど・こんせんと、が、なされていなかったのです(たぶん、この説明だと、現場で頑張ってる人ほど「?」と思うかもですね)。
いんふぉーむど・こんせんと、は「ど」と「・」が大切です(ってかキモです)。
説明を受けたうえで・了承(でも「同意」でもいーや、まぁその辺りの語の定義は、専門書&最新の原著論文に任せます!)する主語は、あくまで、患者さんです。場合によっては代理意思決定者、さらに場合によっては重要他者となることもあります(家族も含みますが、ここであえて限定しない所、ヨロシク♪)。
つまり…「ちょっと、I.C.とって来てよ」はモロに間違いだし(考え方から、既に…)、「きちんと行なった」のは「医療者側の説明」でしかありません。その説明を「きちんと理解できたか」「正しい認識が得られたか」がなかったら、「説明」が行なわれただけで、「I.C.」は行なわれていないのです、まだ。
患者さん(場合によっ…以下略w)の同意が得られるために、重要な働きをするのが、看護職ですね♪説明する原則(下記参照)を考えれば、生活の場にいる看護職の役割は見えてくるでしょう。「説明」(くどいようですが「I.C.」…になるかどうかはワカラナイ)の場に同席するのも、そのためです
ちなみに「承諾書」と「同意書」では大きな違いがあります。お手元にある書類を確認してみると、イマドキの法的アドバイス受けながら作成した書類であれば「○○書」なはずです。うふ。
蛇足ながら、3つの原則(順不同)。
1.事実のみ(虚偽はナシ)
2.理解にあわせて(望む分)
3.確かなソーシャルサポートの上で
です。つまり、コドモだろうと・(年齢・疾患などにより→)認知に問題あろうと、患者さんがI.C.できるように、が、医療者の当然の責務です。
この3つ(もともと、予期悲嘆の研究からなんだけど)の、背景となる研究は、なんと、イスラエルの病院でのなんですねぇ…ってこの辺は、おまけトリビア(^^;
>どの事例も、I.C.がなされていなかった
は、
→どの事例も、I.C.なさっていなかった
のほうが誤解を与えないです。訂正。m(__)m
I see!
I don't see why not.(もちろんですとも)
ICの正確な意味は貴女の言うとおりなんだとわかっているのですが、現場では、まだまだ、そういう感じです・・・。難しいですね。