さすらうキャベツの見聞記

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マーラー『巨人』

2013-03-22 06:04:43 | Wednesday 芸術・スポーツ
 先日、東京アマデウス管弦楽団の創立40周年記念 演奏会に行ってきた。
 久しぶりに、マーラーの『巨人』を聴きたかったからだった。


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 そうしたところ、先ず、そこの管弦楽団の「曲目紹介」で、くすっと笑わせられた。そこから、少々抜粋。


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 グスタフ・マーラー Gsutav Mahler (1860-1911)

交響曲第1番 ニ長調≪巨人≫ Sinfonie Nr.1 D-Dur


 近年まで、個性的な(あるいは支離滅裂な)曲想、長大な演奏時間、巨大な編成などのために敬遠されることもあったマーラーであるが、本日お送りする交響曲第1番≪巨人≫は、編成が(マーラーにしては)小規模で、演奏時間も(50~60分とマーラーにしては)短くてなじみやすい、マーラー青年期の熱意溢れる名曲である。

 元気になれることうけあい。どうぞお楽しみあれ。


【マーラーの生い立ち】

 グスタフ・マーラーは、ボヘミアの辺鄙な村カリシュトに生まれ、緑なすゆるやかな丘陵地帯の街イーグラウ(現在のチェコ。当時はオーストリア=ハンガリー帝国)に育った。

近くに兵舎があったので、マーラーは、合図のトランペット、号令の太鼓、兵士が歌う軍歌や民謡、軍隊の行進といったものに幼いころから慣れ親しんでいた。

12人の弟妹がいたが、半数以上が生まれてすぐ、あるいは幼くして死んでしまい、特に仲の良かった一歳下の弟エルンストが13歳で病死したことに大きな衝撃を受けた。

マーラーにとって、死はいつでも身近だった。


        
        (1913年 オーストリア=ハンガリー帝国)


 4歳頃からピアノを弾いたり作曲をしたりと才能を見せていたマーラーは、15歳の時(1875年)、オーストリア=ハンガリー帝国の首都、そして音楽の中心地、ウィーンにやってきた。

マーラーは、ウィーン音楽院やウィーン大学で、音楽や文学、哲学などを学んだ。

ブルックナーの和声学の講義にも顔を出し、このときからのブルックナーとの親しい交流は後年まで続いた。


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 さて、21歳の若きマーラーは、1シーズンの契約でライバッハ州立劇場の常任指揮者に就任した。

楽員はたった18人、合唱は素人同然だったが、マーラーはここで50の公演をこなし、指揮者として輝かしいキャリアの一歩を踏み出す。

ライバッハは現在のスロベニアの首都リュブリャナである。


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 当時のウィーン音楽界は、ワーグナー派と反ワーグナー派(あるいはブラームス派)の対立が激しかったが、マーラーはワーグナーに心酔しており、23歳の時にはバイルイトで、その年に没したワーグナーの追悼公演≪パルジファル≫を見ている。

そして、マーラーは文学青年でもあったので、バイルイトからの帰り道には、愛読するジャン・パウルの生地を訪ねた。


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 ところで、なかなかのイケメンでありながら身長約160センチと小柄で、ちょっと面倒くさい文学かぶれの青年だったと思われるマーラーは、若い頃はソプラノ歌手に思いを寄せて振られたり、大尉夫人と不倫をして駆け落ちを画策したりと色恋沙汰もこなし、音楽家として成功した後は、41歳で19歳年下の美女アルマと結婚した。

アルマに対しては、「君の仕事は、僕を幸せにするということだけ」などと言って作曲の才能があった彼女の作曲活動を禁止するなど、自己中心的な関白亭主であったが、一方でアルマの浮気に悩まされてもしている(極めて多忙な仕事人間の夫と、寂しい若妻という構図で見てもよい)。


          


 そして、ボヘミアで、ユダヤ教の家に生まれたユダヤ人であったマーラーは、

「オーストリアではボヘミア人、ドイツではオーストリア人、世界ではユダヤ人」

として扱われ、どこにいても異邦人であった。



【マーラーの曲】

 マーラーの交響曲は、それまでの交響曲とは比べられないほど大きな編成のオーケストラ、舞台裏での演奏や独唱・合唱などを大胆に採用していて、オペラの舞台のように立体的でドラマチックである。

マーラーはオペラ作品こそ残していないが、好きな詩や自作の詩に曲を付け、歌曲の傑作を生み出している。

歌曲の旋律をそのまま交響曲に転用したりもしていて、マーラーにとっては歌曲と交響曲の区別はあまり厳密ではなかったようだ。

歌のない交響曲でも、まるで歌曲のように歌を感じることができる。


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 マーラーは、青年期には、文学青年らしい青臭い哲学的な手紙を書いたりもしていて、その内容があまりに妄想的なので精神病を疑う者すらいる程であるが、まじめに言っているのかパロディなのかが判然としないところが、マーラーの特徴かもしれない。

マーラーの曲には、奔放な空想、グロテスクなユーモアがあふれ、まじめなのかパロディなのか判然としない混沌さがある。

そして、マーラーにつきまとった死の影、幼いころから慣れ親しんだ軍隊ラッパの音やボヘミアの民謡・舞曲、かっこうの声などのモチーフは、頻繁にマーラーの曲に表れる。


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 ブルックナーが神を知っていた作曲家であるとすれば、マーラーは神を探していた作曲家であり、マーラーの曲には人生に悩める若者は登場しても、崇高で不可侵なキリスト的な神を見ることはできない。

マーラーは、ユダヤ教の家に生まれたが、36歳の時、反ユダヤ主義を唱えていたワーグナーの影響の大きかったウィーンで仕事を得るためにか、ユダヤ教からローマ・カトリックに改宗した。



【交響曲第1番】

 マーラーは、24歳から28歳にかけて、指揮者として、カッセル王立歌劇場、ライプツィヒ市立歌劇場を歴任し、その傍ら交響曲第1番の作曲に没頭して1888年に完成した(奇しくも本日のマエストロと同年代である。若い)


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 そして、29歳の時、主席音楽監督を務めていたハンガリー王立歌劇場で、自らの指揮で交響曲第1番を発表した(この時は「2部からなる交響詩」と呼んでいた)。

ベートーヴェンが交響曲第9番を発表してから65年が過ぎ、ロマン派の作曲家たちがこれを超えようとして越えられずにいたところに、マーラーが、新しい予感に満ち溢れたピアニッシモの「ラ」(A)の音で始まるこの曲を世に送り出したのである。

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 もっとも、曲が斬新過ぎたのか、初演の評判はさんざんだった。


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 そこで、マーラーは、次の発表の機会(33歳。ハンブルク)ではジャン・パウルの小説の題名をとって「交響曲様式の音詩(交響詩)≪巨人≫」というタイトルを付け、しかも、各楽章を解説する自作のパンフレットを配布して、聴衆の理解を得ようとした。

この涙ぐましい努力にもかかわらず、良い評判は得られなかった(ジャン・パウルの小説は、主人公の王子が波乱万丈の人生を送り、王座につくという単純なストーリーであるが、多くの人物が登場して、哲学論争や美学論争を繰り広げるという複雑で難解な教養小説らしい)。


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 マーラーは、1896年、その少し前に交響曲第2番を発表して大成功していたことで自信を取り戻したのか、≪巨人≫というタイトルについて「一般の人々にわかりやすくするために付けただけのもので、誤解を生むおそれがあり不適切」として削除し、現在の第1楽章と第2楽章の間に入れていた「花の章」も削除して、4楽章形式の交響曲として発表した(35歳。ベルリン)。


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 なお、マーラーが捨てた≪巨人≫という題名が、我が国では現在に至るまで使われているのは、題名があった方が集客しやすいという商業主義のたまもの、らしい。


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 マーラーが聴衆の理解を得るために付けた解説を参考にすれば、交響曲第1番は、

「巨人」と呼ばれる若者が、美しい自然の中で育ち(第1楽章)

力強く帆をいっぱいに張って順風満帆の人生を歩み出したところ(第2楽章)

座礁して死に、一度は地獄に堕ちてしまうが(第3楽章)

地獄から天国への道を歩む(第4楽章)という物語
である。

若者はマーラーそのものであるという説もある。


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 マーラーは交響曲第1番とほぼ同時期に歌曲≪さすらう若人の歌≫を作曲しており、この2曲目と4曲目の旋律をそのまま交響曲第1番に用いている。


(以下、略。)            (文:勝又 来未子)



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 曲目紹介にもあったように、今回の指揮者は、1985年生まれの石川星太郎という人だった(芸大音楽部指揮科を首席で卒業し、現在デュッセルドルフ在住)。指揮のことはなおさら、わからないが、・・・良かった。

 ところどころ、管がもったいない・・・(>_<)という部分もありつつも、来て良かった。


 ちなみに、東京アマデウス管弦楽団、というという東大オケ卒中心のアマオケの演奏も 初めて聴いた。
 最初、「アマデウス」ということばを見た時、「モーツァルトばっかりやっているのかな?」とも思ったが、実は「アマデウス」(神に愛される者)の意のほうなのかな、とも思ったり。

 アマデウス・・・モーツァルト。
 アマデウス・・・神に愛される者。エディ・デヤ。須賀しのぶ(゜_゜

 エディデヤ・・・「主に愛される者」(サムエル第2 12:25)・・・ソロモン。

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