さすらうキャベツの見聞記

Dear my friends, I'm fine. How are you today?

強クナルト 出来ナクナルコト、ダガシカシ Job 36:5

2018-06-30 15:04:56 | Sunday 聖書
(ガリレオ探査機による地球の写真。何年前かは忘れた)




 見よ。神は強い。

 だが、だれをもさげすまない。

 その理解の力は強い。


(旧約聖書・ヨブ記 36章5節)




 人でさえ、力 1)を持つと、『弱さ』を理解できなくなる。

 だが、人と比較するのが失礼な程 2)、力を持つ『神』は、

 人の脆(もろ)さを知っており、それをさげすむこともない。

 逆に、人の弱さを理解し、憐(あわれ)み、慈(いつく)しんでくださる。




 神と人とをつなぐ祭司(さいし)は、自身もまた人の『弱さ』を持つため、

 羊のようにさまよう人々を思いやることができる(cf.新約聖書・へブル5:2)




 神ご自身でありながら、人のために人となり、

 人と神とをつなぐ大祭司(へブル参照)ともなったイエス・キリストはまた、

 私たちの弱さに、同情できない方ではない。(cf.へブル4:15)



 故に、

 私(たち)は、大胆に(あつかましく)も、

 神に祈ることが、できる。




【注】
1)力を持つ:人においては、身体的能力の他、知性・権力等、「周囲との力関係で優位に立つ」ことを指す。

2)比較するのが失礼な程:これについて、ある友人から言われたことを思い出した。

       「そもそも、もし本当に、イエスが『神』であるならば、

        人と比較すること自体が愚かなことではないか?

        それなのに、『モーセよりもすぐれたイエス』などとクリスチャンが言うのは、

        クリスチャン自身が、『神』を自分たちの位置まで貶(おとし)めていないか?」⇒それに対するある答え

 その返答とは別に、確かに、人は自分の分かる範囲(枠)に物事を当てはめようとしがちなところはある。

 それは、クリスチャン・ノンクリスチャン関係ない。それもまた、『弱さ』なのかもしれない。



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