さすらうキャベツの見聞記

Dear my friends, I'm fine. How are you today?

3.11の朝

2013-09-03 07:07:10 | Sunday 集会・生活
(一応、責任者に許可取得済み)


 3.11の朝、仙台の地で、ひとりの人が亡くなった。


    *************

 彼は、盲目だったが、しっかりとした方だった。

 一度だけ、彼のお宅に遊びに行ったことがある。
 自転車で、坂を上り下りしてたどり着いたとき、ちりひとつないすっきりとしたお家に招かれた。
 目は見えないけれど、何歩歩けば何がある、と身体に覚えさせたそうで、
 転ぶことなく、室内を歩かれていた。

 包丁を手にして、りんごをむいてくださった。
 しゅるしゅるしゅる。
 目が見えないなんて、うそではないかと思う程、手慣れた手つきだった。

 彼は、「いつ召されてもいいように」と、極端な程、荷物を減らしていた。
 そのとき、70代後半だったろうか、80代だったろうか。
 落ち着いた物腰の方だった。

 もうかれこれ10数年前のことだ。


    *************

 そして、3.11といえば、2011年3月11日のあの日のことだが、仙台の集会(教会)では、
あの大地震と大津波で亡くなる方はいなかった。

 彼は、それが起こる前に、それに直面することなく、静かに天に召されたのだった。

    *************

 私は、いつから彼が目が見えないのか、わからない。聞いたかもしれないが、忘れてしまった。
 だが、今でも、彼の力強い祈りは覚えている。

 聖餐式(パン裂き)のとき、彼は、みことば(聖書のことば)とことばと思いとが一致したような、とても力強い、朗々とした祈りをする人だった。

 何度も何度も何度も、何十回もご一緒したあるとき、私は思い切って、彼に尋ねた。

「どうしたら、そんなふうに、力強い祈りができるんですか?」

 すると、彼は、非常に驚いた顔と、驚きの声をあげて、私に言った。

どうして、あなたが知らないんです??
 あなたのおじいさんに、教えてもらったことなのに!」

 そのことに、私も驚いた。

(正直なところ、私と祖父は違うし、祖父が知っていることを私がすべて知っていたり、彼の知恵や知識がそのまま私にあるわけではない。まだまだ未熟である。
 それにしても、ここで、じさまが出て来るとは思わなんだ。)


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 彼は、やさしく教えてくれた。

『1か月に2節』、です」

「みことばを『1か月に2節』ずつ、覚えただけです。それを続けなさい、と教えてもらったんですよ」


 それは、積み重ねてきた証し、だった。

「『1か月に2節』だけって、少ないように感じるでしょう?

 ですが、どんなに調子が良い時でも、どんなに悪い時でも、とにかく2節は覚えるよう、努力しただけなんです。」



 「調子の良いときは2節だけというのは楽なんです。

  悪い時は、たった2節だけと言っても、厳しいものです。ですが、それをとにかく続けました。

  教えてもらってから、それを何十年と続けてきただけです。それだけですよ。」




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