さすらうキャベツの見聞記

Dear my friends, I'm fine. How are you today?

5つのマカロンと 5つのパン

2013-04-14 21:28:34 | Sunday 集会・生活
 弟子のひとりシモン・ペテロの兄弟アンデレがイエスに言った。

「ここに少年が大麦のパンを五つと小さい魚(うお)を二匹持っています。

 しかし、こんなに大ぜいの人々では、それが何になりましょう。」


                           (新約聖書・ヨハネ6章8-9節)




 先日、キャベツはマカロンを頂いた。
 職場の方から、「お誕生日だから」と、5つのマカロンを頂いた。

 せっかくだからと、誰かと分けようと思った。
 ただ、集会(教会)の人々は、人数が多く、
 姉妹方(=女性のクリスチャン)だけにでも、と思っても、
 マカロンを最低でも6等分しなければならなかった。

 マカロンは、ナイフをいれるには難しかった。
 結局、マカロンは4等分となり、
 ほんのひとにぎりの人としか、この甘いモノを分け合えなかった。


    ****************

 5つのマカロンに、ナイフを入れながら、思った。
 イエス様なら、5つのマカロンを1万個にでも、できるのに、と。

 その昔、イエス・キリストは、5つのパンで、男性5千人の腹を満たした。
 昔々(のイスラエルでは)、カウントするのは、軍務につくことのできる成人男性のみ。
 男5千人ならば、女子どもを含めて1万人いたっておかしくない。


 どうやって、分けたのだろう。
 イメージがわかない。
 少なくとも、分け与えるために、高速でシュパパパパ…とちぎっていったのでは、と思うが、
 不思議だからこそ、ありえないからこそ、「奇跡」なんだろう。

 50人ずつに座らせて、そこに分け与えて、
 皆が満腹して、なおもあまったパン屑が、大かご12かご分だった。

 イエス様なら、この5つのマカロンを5千個にでも、1万個にでもできるだろうが、
 私は、4等分するのが、関の山だった。

 食べたことのない、年配の方もいるだろうに。


   ****************

 帰ってから、また、思い出した。
 4福音書すべてに、描かれているその「奇跡」を。

 あのとき、イエスのそばにいるお弟子さん達でさえ、
「それが何になる」と見下した、
少年の、たった5つのパンと2匹の魚。

 だが、どんなにわずかであっても、焼け石に水のようであっても、
 それが主の手にかかれば、
 5千人でも、1万人でも満たす大きなものになったことを。



 今、私が持つもの/できることはわずかだが、
 どうか、それが祝用されますように、と。

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