敬称、の使い方というのは難しい。
そもそも、キリスト者として「神の前に、みな平等」という意識があるが、社会生活を営む上で、
敬称を使わないことはない。
手紙でも、会社宛ならば、「~~御中」
人宛ならば、「~様」
クリスチャンの兄弟姉妹相手ならば、「~~兄様」「~~姉(ないし姉妹)様」
(欧米の兄弟姉妹との間では、first nameのみ。)
学校ならば、「~~先生」、「~~教授」と言い、
仕事でも「~~主任」、「~~師長」等々。
・・・かと思えば、歴史的に有名な人の言葉に言及するときは、逆に氏名のみとなったりする。
例.「福沢諭吉氏は・・・」、というのはあまり聞かない。
「福沢諭吉は、こう言った」となる。
「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」と言えり。
されば天より人を生ずるには、万人は万人みな同じ位にして、
生まれながら貴賤上下の差別なく、
万物の霊たる身と心との働きをもって天地の間にあるよろずの物を資り、
もって衣食住の用を達し、自由自在、互いに人の妨げをなさずして
おのおの安楽にこの世を渡らしめ給うの趣意なり。
されども今、広くこの人間世界を見渡すに、
かしこき人あり、おろかなる人あり、
貧しきもあり、富めるもあり、
貴人もあり、下人もありて、
その有様雲と泥との相違あるに似たるはなんぞや。
その次第はなはだ明らかなり。
『実語教』に、「人学ばざれば智なし、智なき者は愚人なり」とあり。
されば賢人と愚人との別は学ぶと学ばざるとによりてできるものなり。・・・」
(「学問のすすめ」)