徒然草 featuring Mr.松山

松山の松山によるすべての人々のためのブログ

田園の憂鬱

2008-01-24 15:37:46 | 地元ネタ
みなさんは佐藤春夫の田園の憂鬱という本をご存知だろうか?おそらく知らない人が多いと思うし、そもそも僕もその本は読んだことがない。

ただ知っているのはものすごい田舎が舞台となっていて、その話は佐藤春夫の実体験が元になっているということである。ネットで探してみたところ田園の憂鬱の一節にこんな描写があった。

・・・一筋の平坦な街道が東から西へ、また別の街道が北から南へ通じているあたりに、その道に沿うて一つの草深い農村があり、いくつかの卑下(へりくだ)った草屋根があった。それはTとYとHとの大きな都市をすぐ六七里の隣にして、たとえば三つの劇(はげ)しい旋風(つむじかぜ)の境目にできた真空のように、世紀からは置きっ放しにされ、世界からは忘れられ、文明からは押流されて、しょんぼりと置かれているのであった。

これを読む限り舞台となった場所は相当田舎であることがわかる。それにしても、ものすごいいわれようである。

で、ではその舞台となった場所はどこかというと・・・なんと、小生の住む街が舞台である。ちなみに文中にあるTYHの3つの都市はそれぞれ東京、横浜、八王子のことであり、東から西へ向かう街道は今の国道246号、北から南へ通じる街道は県道横浜上麻生線のことのようだ。

もちろん、この本が書かれたのは90年位前のことだから、今のわが町が上記の描写のような有様であることはない。今の我が家は多摩田園都市の一角にある家しかないようなところである。佐藤春夫も作品の中で皮肉たっぷり描いた田舎の象徴的な場所が、いまや日本を代表する住宅地になるとは思いもしなかったろう。佐藤春夫がこの街を見たとしたらどういう感想を述べるか気になるところである。

ところで、家しかなかない現在からしてみれば、自然が多かった当時のことをうらやましいと感じ、利益主義的な開発はよくないと感じる住民も多いのではないだろうか?しかし、聞くところによると50年前のわが町は交通の便は最悪で非常に貧しい上冬の寒さは異常というまさに僻地であったようだ。それゆえ、当時住んでいた住民は大規模開発を非常に歓迎したそうである。

コンパクトシティという言葉が叫ばれる昨今では開発は悪であるという声を聞くが、僕は必ずしもそうは思わない。開発により貧しかった地域の生活水準が上がり同時に開発利益も得られればこれほどすばらしいことはない。大切なのは開発が度を越えないようにすることと、開発した街を放置しないようにすることであると思う。特に後者は忘れられがちである。里山はもとからあった自然に人が手を入れ続けることで維持されている。街も里山も同じではないだろうか?一度作った街は手を入れ続けなければならない。

わが街は50年後100年後果たして手を入れられ続けているのだろうか?100年たってこの街が衰退していたら、少なくとも天国の佐藤春夫にさらにひどい表現でこの街が描写されるにちがいない。

田園の憂鬱 (新潮文庫)
佐藤 春夫
新潮社

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