それでも僕はテレビを見る

社会‐人間‐テレビ‐間主観的構造

さよなら、平成(7):東京五輪。優雅で感傷的で、どこか暴力的な。

2018-01-01 12:47:55 | テレビとラジオ
 紅白で印象に残ったのは、椎名林檎とトータス松本のデュエット「目抜き通り」だった。

 この曲は「日本の夏」を歌っている。

 なぜ?



 見えているのは、東京五輪。

 ふたつの意味での東京五輪。

 過去と未来をつなごうとしている。

 もちろん、椎名林檎自身の戦略がある。

 でも、そんなことだけじゃない。

 政治が彼女の歌を求めている。

 社会は求めていないかもしれないけど、それでも、時代の感覚と確かに一致している。

 政治家や官僚の話を聞くと、面白いくらいみんな一致しているのが、東京五輪をひとつの目途にしていること。

 そこがひとつのピークになることが前提で、それ以降にどこまでその成果を定着させるのか、という話ばかりする。




 もうひとつ重要なのが、敗戦だ。

 1945と2011。

 この曲は、明らかにそれも意識している。

占領下でジャズがポップスになったあの時代の曲調であり、ミュージカルが再ブームとなった今の時代でもある。

 「不幸だった訳が分かっている今は」という歌詞にあるように、

 この曲は人生がうまくいかなったところから、今それを変えよう、という内容だ。

 こんなに景気が良いというデータばかり流される昨今だが、なぜ日本社会はこんなにどんよりしているのだろう。

 本当に興味深い。

 その答えもみんな分かっている。企業の内部留保ばかり大きくなって、給与は増えないし、若年層の労働環境最悪だし。

 人口減るし、国際環境やばいし、大企業つぶれるし。

 企業はもちろん、公務員も政治家も人材不足で笑えるくらい薄い人材の層。

 守りに徹しようとしているけど、ジリ貧だけど、攻めに転じるのも怖いし。

 社会全体が怖がっている、鬱になっている。

 だから、「目抜き通り」は歌う。「最後の日から数えてみて」と。もういい加減、腹を決めろと。

 そして、「飛び出しておいで目抜き通りへ!」と宣言して終わる。



 過去を修正しながら、忘却しながら、でもノスタルジーに浸りながら、未来を見つめながら、

 何かをしなくちゃいけないから、僕たちは五輪をやる。

 前向きになる方法も忘れてしまって、希望は90年代からずっと失ったままだけど、

 でも、僕たちは五輪をやる。



 欧米のメディアでは、ここ数日、日本の女性に対する暴力が全力で報じられている。

 恒例のコメディ・プログラムでは、顔を黒塗りにして黒人に扮装した芸人さんが出て、

 それがまたツイッター経由で海外に流れ、人種差別として報じられている。

 欧米の欲望、つまり日本が野蛮であれ、という欲望と、

 実際、ある面で衝撃的に暴力的な日本社会が、

 仲良く手を取り合って、前に進む。

 でも、五輪は行われる。何事もなかったように。

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