Netflixで配信されているドキュメンタリ映画「BANKING ON BITCOIN」(2017年)が非常に面白かった。
要するに、ビットコインがどのように発明され、広まったのかを追跡するドキュメンタリなのだが、そこにはヒリヒリするものが色々見えて面白かった。
そもそもビットコインとは何か。
まず、その仕組みも概念も非常に難解である。
ただ、ど素人の私が間違いを恐れず、映画から学んだことを大ざっぱに説明する。
ビットコインとは、一種の通貨だ。
しかし、われわれが紙幣・貨幣というかたちで手にする通貨とは、大きく異なる。
たとえば、日本円について考えてみよう。
日本円はすごく乱暴に言えば、日本の国家がつくったもので、それを日本の銀行が買い取って市場に流通させている。
いわば、日本円の信用は日本の国家が支えている。
裏を返せば、国家が通貨の量などを一定程度管理することで、圧倒的な経済権力を維持している。
この構造では、国家と銀行は一体で、市民はその権力の末端に存在する。
ビットコインは、この構造と戦うために生み出された。
これがこの映画の肝である。
ビットコインは、国家や銀行の権力から自由に、市民が利用できるはずだった。
ビットコインは、誰でもコピーしたり、増やしたりすることはできない。
高度な技術を持った人々が一定の条件をクリアし、コストをかけることで、生み出すことができる(これを「マイニング(採掘)」という)。
では、それはどういう条件なのか。
その条件のひとつが、「ビットコインが過去誰によって、どのように取引されてきたのか、その歴史をすべて取引台帳に記録すること」である。
しかし、それにはコンピュータを長時間起動させ、作業させる必要がある。
普通にやれば、電力消費の方が大きくなってしまい、赤字になる。
ならなかったとしても、月にほんのわずかな額しか稼ぐことができない。
それはともかく、こうして一般人が大量にビットコインの「取引台帳」を作成していくことで、実はビットコインの信用が生み出されるのだ。
ここがビットコインの「価値」の核らしい。
そうなると、日本円に見られるような「国家と銀行の権力」から、通貨と使用者が自由になれることが分かるだろう。
国家が通貨の量を決めることもないし、銀行が流通の主要なアクターとなることもない。
ということは、つまり一体なんだ。
まず、銀行口座が必要なくなり、すべて携帯やパソコンに蓄積できる。
一般市民は自由に通貨をやりとりでき、国境すらも超える。
現在、お金が国境を越えるのは非常に手間だ。コストがかかる。
ところが、ビットコインにはそれがない。
開発者たちは当然、そのことを理解していた。というか、それが目的だった。
ビットコインの開発は、たった一人で行われたわけではない。
そもそも同様のアイディアで、様々な人々が開発の実験を行い、その蓄積のうえに実現したものだった。
こうした一群の開発者は、「サイファーパンク (cypherpunk)」と呼ばれるグループに属する。
サイファーパンクとは、「あらゆるデータのやり取りが、国家権力によって管理され、支配され、歪められていることに対抗すべく、特殊な暗号テクノロジーを開発しようとする立場の人々」を指す(と、私は理解した)。間違っていたら、ごめん。
ビットコインもそうした運動のひとつだった。
そして、それが動き出すきっかけになったのが、2008年のリーマンショックだった。
金融界が暴走して、一般市民につけが回され、中産階級が没落し、大パニックになった。
ところが、金融界の偉い人々は逮捕されることもなく、いつも通り、天文学的数字の報酬をもらって逃げていった。
市民たちは怒り、ウォール・ストリートを占拠した。
そして、米大統領選挙で、ウォール・ストリートの手先とみなされたクリントンを落とした。
(結果的に富裕層を優遇するトランプになったのは皮肉なことだが・・・。)
ビットコインは、通貨を市民の手に取り戻し、国家と金融界に打撃を与える可能性があった。
流通が始まると、ビットコインが実際に機能することが分かってきた。
しかし、問題はここからだった。
このサイファーパンクの理想を歪めた、3つの勢力が存在する。
1.アメリカの金融界、2.アメリカ政府、3.反社会勢力
金融界は当然、ビットコインを目の敵にした。
なぜなら、銀行などの金融アクターが排除され、一般市民に力が宿ってしまうシステムだからだ。
アメリカ政府も、そうなることをやはり恐れた。
しかし、彼らはバカではない。もし金が儲かるなら、それを利用したい。
そこで一定期間泳がせておくことにした。
ビットコインは急速に広まった。
最大の理由は、反社会勢力が利用したからだ。
ビットコインとともに重要だったのが、完全な匿名で取引できるインターネットの特殊なシステムだった。
それもサイファーパンクの運動の成果なわけだが、それが反社会勢力を喜ばせた。
とりわけ、麻薬の取引が横行した。それがテロと結び付けられ、激しいバッシングの対象になった。
確かにこれは当然と言えば、当然なのだ。
国家の管理がないということは、犯罪者もたくさん野放しになる。
犯罪者だらけになると、健全な商取引も困難になる。だから、国家が存在し、法が執行される。そのおかげで市場が維持されるのだ。
ビットコインと匿名サイトは、そのシステムからの逸脱を意味した。
アメリカ政府と金融界はこれをテコにして、ビットコインの関係者を次々に資金洗浄などの罪で処罰した。
そして、ビットコインを国家が管理できるようにライセンス制にしたのだった。
笑えるのは、次の展開だ。
ライセンス制が始まると、ビットコインの犯罪を摘発し、管理を進めたアメリカの高官たちが次々に退職して、ビットコイン関連のビジネスを開始したのだ。
こうしてビットコインもまた、国家と金融界の一部となった。
しかし、それでもビットコインは既存の権力構造から逸脱する可能性を内在している。
というのが、この映画の結論だ。
ビットコインの顛末は、少しだけMP3の普及の歴史と似ている。
技術者、リバタリアン、犯罪者。
これらの組み合わせがMP3の普及においても活躍した(これについては、本ブログで書評したS・ウィットの『誰が音楽をタダにした?』を参照)。
これらはまだ新しい潮流の一部にすぎない。
同じような現象が、他にも生じているに違いない。
要するに、ビットコインがどのように発明され、広まったのかを追跡するドキュメンタリなのだが、そこにはヒリヒリするものが色々見えて面白かった。
そもそもビットコインとは何か。
まず、その仕組みも概念も非常に難解である。
ただ、ど素人の私が間違いを恐れず、映画から学んだことを大ざっぱに説明する。
ビットコインとは、一種の通貨だ。
しかし、われわれが紙幣・貨幣というかたちで手にする通貨とは、大きく異なる。
たとえば、日本円について考えてみよう。
日本円はすごく乱暴に言えば、日本の国家がつくったもので、それを日本の銀行が買い取って市場に流通させている。
いわば、日本円の信用は日本の国家が支えている。
裏を返せば、国家が通貨の量などを一定程度管理することで、圧倒的な経済権力を維持している。
この構造では、国家と銀行は一体で、市民はその権力の末端に存在する。
ビットコインは、この構造と戦うために生み出された。
これがこの映画の肝である。
ビットコインは、国家や銀行の権力から自由に、市民が利用できるはずだった。
ビットコインは、誰でもコピーしたり、増やしたりすることはできない。
高度な技術を持った人々が一定の条件をクリアし、コストをかけることで、生み出すことができる(これを「マイニング(採掘)」という)。
では、それはどういう条件なのか。
その条件のひとつが、「ビットコインが過去誰によって、どのように取引されてきたのか、その歴史をすべて取引台帳に記録すること」である。
しかし、それにはコンピュータを長時間起動させ、作業させる必要がある。
普通にやれば、電力消費の方が大きくなってしまい、赤字になる。
ならなかったとしても、月にほんのわずかな額しか稼ぐことができない。
それはともかく、こうして一般人が大量にビットコインの「取引台帳」を作成していくことで、実はビットコインの信用が生み出されるのだ。
ここがビットコインの「価値」の核らしい。
そうなると、日本円に見られるような「国家と銀行の権力」から、通貨と使用者が自由になれることが分かるだろう。
国家が通貨の量を決めることもないし、銀行が流通の主要なアクターとなることもない。
ということは、つまり一体なんだ。
まず、銀行口座が必要なくなり、すべて携帯やパソコンに蓄積できる。
一般市民は自由に通貨をやりとりでき、国境すらも超える。
現在、お金が国境を越えるのは非常に手間だ。コストがかかる。
ところが、ビットコインにはそれがない。
開発者たちは当然、そのことを理解していた。というか、それが目的だった。
ビットコインの開発は、たった一人で行われたわけではない。
そもそも同様のアイディアで、様々な人々が開発の実験を行い、その蓄積のうえに実現したものだった。
こうした一群の開発者は、「サイファーパンク (cypherpunk)」と呼ばれるグループに属する。
サイファーパンクとは、「あらゆるデータのやり取りが、国家権力によって管理され、支配され、歪められていることに対抗すべく、特殊な暗号テクノロジーを開発しようとする立場の人々」を指す(と、私は理解した)。間違っていたら、ごめん。
ビットコインもそうした運動のひとつだった。
そして、それが動き出すきっかけになったのが、2008年のリーマンショックだった。
金融界が暴走して、一般市民につけが回され、中産階級が没落し、大パニックになった。
ところが、金融界の偉い人々は逮捕されることもなく、いつも通り、天文学的数字の報酬をもらって逃げていった。
市民たちは怒り、ウォール・ストリートを占拠した。
そして、米大統領選挙で、ウォール・ストリートの手先とみなされたクリントンを落とした。
(結果的に富裕層を優遇するトランプになったのは皮肉なことだが・・・。)
ビットコインは、通貨を市民の手に取り戻し、国家と金融界に打撃を与える可能性があった。
流通が始まると、ビットコインが実際に機能することが分かってきた。
しかし、問題はここからだった。
このサイファーパンクの理想を歪めた、3つの勢力が存在する。
1.アメリカの金融界、2.アメリカ政府、3.反社会勢力
金融界は当然、ビットコインを目の敵にした。
なぜなら、銀行などの金融アクターが排除され、一般市民に力が宿ってしまうシステムだからだ。
アメリカ政府も、そうなることをやはり恐れた。
しかし、彼らはバカではない。もし金が儲かるなら、それを利用したい。
そこで一定期間泳がせておくことにした。
ビットコインは急速に広まった。
最大の理由は、反社会勢力が利用したからだ。
ビットコインとともに重要だったのが、完全な匿名で取引できるインターネットの特殊なシステムだった。
それもサイファーパンクの運動の成果なわけだが、それが反社会勢力を喜ばせた。
とりわけ、麻薬の取引が横行した。それがテロと結び付けられ、激しいバッシングの対象になった。
確かにこれは当然と言えば、当然なのだ。
国家の管理がないということは、犯罪者もたくさん野放しになる。
犯罪者だらけになると、健全な商取引も困難になる。だから、国家が存在し、法が執行される。そのおかげで市場が維持されるのだ。
ビットコインと匿名サイトは、そのシステムからの逸脱を意味した。
アメリカ政府と金融界はこれをテコにして、ビットコインの関係者を次々に資金洗浄などの罪で処罰した。
そして、ビットコインを国家が管理できるようにライセンス制にしたのだった。
笑えるのは、次の展開だ。
ライセンス制が始まると、ビットコインの犯罪を摘発し、管理を進めたアメリカの高官たちが次々に退職して、ビットコイン関連のビジネスを開始したのだ。
こうしてビットコインもまた、国家と金融界の一部となった。
しかし、それでもビットコインは既存の権力構造から逸脱する可能性を内在している。
というのが、この映画の結論だ。
ビットコインの顛末は、少しだけMP3の普及の歴史と似ている。
技術者、リバタリアン、犯罪者。
これらの組み合わせがMP3の普及においても活躍した(これについては、本ブログで書評したS・ウィットの『誰が音楽をタダにした?』を参照)。
これらはまだ新しい潮流の一部にすぎない。
同じような現象が、他にも生じているに違いない。
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