それでも僕はテレビを見る

社会‐人間‐テレビ‐間主観的構造

三宅隆太 著『スクリプトドクターの脚本教室・初級篇』:社会で生きるすべて人間に贈られた本

2015-07-23 09:11:45 | テレビとラジオ
 三宅隆太による『スクリプトドクターの脚本教室・初級篇』が非常に面白かった。

 著者は脚本家で映画監督、そしてスクリプトドクター。では、スクリプトドクターとは一体どういう仕事なのか?

 一言で言えば、迷走し行き詰ってしまった映画やドラマの脚本作りを第三者の視点から分析し、脚本完成を妨げている問題の打開を促す仕事である。

 映画でもドラマでも多くの人がプロジェクトに関わっている。それゆえ、脚本は脚本家だけによって作られるものではない。多くの人の利害を考慮し、様々な制約を前提にした上で作られるものなのである。制約とは具体的には、予算の制約、芸能事務所の利害で決まっているキャスト、スポンサーの要請などである。

 制約のためだけではないが、脚本の修正を繰り返すと、徐々に訳が分からなくなることがある(まるで『ラヂオの時間』)。その時、当事者同士の人間関係が危機に瀕するとともに、脚本ももはやどう直せば良いのか分からなくなってしまう。

 そこでその困った状態を抜け出す手助けをするのがスクリプトドクターなのである。三宅氏によれば、あくまで手助けというところが重要だそうだ。強権的にプロジェクトに介入して書きなおす、というのはスクリプトドクターの仕事ではないと彼は考える。

 *スクリプトドクターの詳しい説明は以下のラジオ番組も参照。
 https://www.youtube.com/watch?v=fCh1EHkN8fI



 本書は、そんなスクリプトドクターの仕事を解説するものなのだが、もっと深い内容になっていることをまず指摘したい。

 第一に、三宅氏は「人間が物語を書くとはどういうことなのか」を非常に平易な言葉でもって論じていく。

 人間は無意識のうちに自分の過去とともにある。自分が話を作り出す際には、必ず自分の記憶と歴史がそこに現れる。

 自分の物語はしばしば克服できない感情を隠そうとする。しかし、本当にその人が語るべき面白い物語は、自分が最も感情を揺さぶられる状況や情景を描くことなのだという。

 それは自分が体験した具体的な話ではない。そうではなくて、もっと「抽象的な構造」が実は自分の感情のスイッチとつながっている。

 物語には大なり小なり様々な抽象的構造が隠れていて(それはまるで動物の骨格のようなものだが)、それをよくよく認識する必要があることを三宅氏は解説する。

 プラクティカルな意味で、「抽象的な構造」は物語を書くうえでの手がかりになる。

 同時に「抽象的な構造」は自分の心のなかの葛藤を探る手掛かりにもなる。そして、その葛藤こそが自分が描く物語を魅力的にする源になるだという。

 本書には出てこないが、私の理解では例えば「エディプス・コンプレックス」などがそうした抽象的構造にあたる。言うまでもなく、エディプス・コンプレックスは単に親子関係や恋愛関係にのみ当てはまるものではない。これは人間の承認をめぐる葛藤の構造なのである。



 第二に、三宅氏は「脚本を書くということがどういう営為なのか」を適切に説明する。

 先に述べたように、ドラマや映画は多くの人が関わることで初めて完成する。だから、脚本を書くことはきわめて社会的な営みなのである。

 社会的な営みには当然紛争がつきものだ。様々な利害が絡み合い、ちょっと善意や悪意の無い言動が関係を掘り崩してしまう。

 脚本づくりは、その紛争の影響を大きく受けてしまう。

 それというのも脚本を書くということは、書き手の深いところにある感情を司る行為であるため、人間関係の悪化はプロジェクトのパフォーマンスに悪影響を及ぼすのである。

 つまり、脚本づくりはきわめて個人的で感情的であるにもかかわらず、同時に、非常に社会的で理性的な営為でもある。だから私から見ると、脚本づくりとははっきり言って、相性の悪い真逆の要素が結合した行為である。

 

 スクリプトドクターという仕事は、絶対に上記のことを前提にしなければならないのだと、三宅氏は指摘する。

 問題となる脚本が一体どういう構造のものなのか。

 さらに、脚本家の心の中に存在する構造はいかなるもなのか(彼/彼女がこだわっていることは何か=魅力は何か)。

 脚本家と他の関係者の人間関係はどういうものなのか。

 脚本をめぐる様々な関係を理解したうえで、脚本づくりの問題は解決されるのだと三宅氏は述べる。

 三宅氏は仕事の合間をぬって心理カウンセラーの資格を取るだけあって、クライアントを深いところまで理解しようと努める。



 読者諸氏はもうお気づきかもしれないが、この本の内容は人間が人間と関わり生きていく以上、何が問題になり、何がその解決の糸口になるのかを克明に記している。

 私の仕事が大学および研究関係ということもあって、この本の示唆は非常に深いものであった。

 だがおそらく、この本の示唆は多くの人に意味があるはずだ。なぜなら、仕事とは社会的な活動だから。

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