博論を直しながら、知識人intellectualsについてほんの少し思いを巡らせていた。
私は知識人にはなれないだろう。
私は闘争に耐えるような精神や肉体、そして何より強烈な使命感や正義感を持っていない。
私が今まで出会ったなかで知識人になりえる人物はTさん以外にはいなかった。
おそらく友人Kもそうなろうとしていた。
ふたりの性質は全く異なる。が、彼らが目指しているであろう最終的なイメージは少しだけ似ている。
知識人というもののイメージについては。
大学の教員は知識人ではない。
研究者も知識人ではない。
もちろん知識人が大学の教員であったり、研究者であったりすることはあるが。
私はイギリスに来るまで、知識人というものについて考えたことはなかった。いや、考えないようにしてきたのかもしれない。
私は友人Kを観察しながら、自分と彼が研究について全くことなるイメージを描いていることに気がついた。
そして、私はその差異を追求していくことにした。
そうせざるを得なかった。
私にとって友人Kは決して追いつくことのできない存在だったからだ。
私はその差異が何なのか、しかしその時点では全く分からなかった。
私はこれまでも、そして今もまさに、純粋にナイーブに「研究」を生き方にしている。
Kとの差異は知識人と研究者の差異だった。今にして思えば。
周囲の人はKがなぜ研究者にならなかったのか、と私に尋ねてくる。
彼は研究に向いていなかった。それは事実だ。
だが、そもそも質問者はKが何になりたかったのか知らない。
それは簡単には説明できない。
けれども、それを一言で言えば知識人だった。
私は知識人にはなれないだろう。
私は闘争に耐えるような精神や肉体、そして何より強烈な使命感や正義感を持っていない。
私が今まで出会ったなかで知識人になりえる人物はTさん以外にはいなかった。
おそらく友人Kもそうなろうとしていた。
ふたりの性質は全く異なる。が、彼らが目指しているであろう最終的なイメージは少しだけ似ている。
知識人というもののイメージについては。
大学の教員は知識人ではない。
研究者も知識人ではない。
もちろん知識人が大学の教員であったり、研究者であったりすることはあるが。
私はイギリスに来るまで、知識人というものについて考えたことはなかった。いや、考えないようにしてきたのかもしれない。
私は友人Kを観察しながら、自分と彼が研究について全くことなるイメージを描いていることに気がついた。
そして、私はその差異を追求していくことにした。
そうせざるを得なかった。
私にとって友人Kは決して追いつくことのできない存在だったからだ。
私はその差異が何なのか、しかしその時点では全く分からなかった。
私はこれまでも、そして今もまさに、純粋にナイーブに「研究」を生き方にしている。
Kとの差異は知識人と研究者の差異だった。今にして思えば。
周囲の人はKがなぜ研究者にならなかったのか、と私に尋ねてくる。
彼は研究に向いていなかった。それは事実だ。
だが、そもそも質問者はKが何になりたかったのか知らない。
それは簡単には説明できない。
けれども、それを一言で言えば知識人だった。
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