それでも僕はテレビを見る

社会‐人間‐テレビ‐間主観的構造

あの日のアンディモリ

2014-11-07 14:17:49 | 日記
イギリスに住んでいた時に聴いていた音楽を聴くと、あの時感じた色や光や匂いをはっきりと思い出す。

アンディモリというロックバンドのアルバムは、特にそうだ。

「10年経ったら旅に出よう。南の国がいいな。

みんな、きっと驚くって。絶対ね。

Life is Party。胸の中、そっと燃えるランプについて、

友達も知らないよ。分かってないよ。」(“Life is Party”)



朝からずっと研究して、夕暮れになると、部屋に赤い日差しが入り込む。

狭い部屋には何もない。

本とパソコン。それに硬いベッドだけ。

この先、どうなるか分からない。不安だから、また研究する。



キッチンに誰かいると少し安心する。そして、少しだけイライラする。

料理を作る。

いつでもお腹が空いていて、いつでも何か美味しいもののことを考えている。

でも、お金が全然ないものだから、結局、ありあわせのショートパスタを作って、さっさと食べ終わる。

インターネットで日本のバラエティ番組を見て、ほんの少しだけ気を紛らわせて、また研究に戻る。



時間が経って、もう研究出来ないというところまで来たら、

少しお酒を飲む。

今自分のなかで流行っている曲をかけて、ため息をつくように、お酒をちびりちびりやる。

部屋の匂い。家の匂い。街の匂い。イギリスの匂い。

僕は音と匂いに溶け出して、夢を見る。



「10年経ったら旅に出よう。南の国がいいな。」

確か、あの歌詞のように、僕はそんなことを思っていたかもしれない。

ずっとイギリスにいるつもりはなかった。

それどころか、出来るだけ早く離れたかった。

でも、帰るところもなく。

だから、僕はとりあえず眠ることにした。



あれから随分時間が経った。

あの時、確かに生きていたなって。そう思える。

凄い情熱で研究してたはずで。

自分のすべてをかけて研究してた。

今の僕は、あの日からどれだけ変わっただろう。

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