それでも僕はテレビを見る

社会‐人間‐テレビ‐間主観的構造

理解の外側

2013-09-30 21:53:01 | 日記
小さい頃から世界とうまくつながらない。

まるでいつも0.5次元ズレているような感覚。

誰かとつながるとか、理解し合うとか、途中でようやく諦めがついた。

それがいつの頃だったかは分からない。

でも多分、小学生だったと思う。

孤独っていうのは腹を据えて「受け入れる」という覚悟が必要になる。

期待とか希望みたいなものとかをちゃんと捨てて、自分を保つために丹田あたりに力を入れる。

留学したとき、そういうことを一度忘れた。

そういう力の入れ方を忘れて、力を抜いても十分研究できるのだと知った。

そして、日本に戻ってきて、力を抜いたまま生活したのだが、やっぱりうまくいかず、

僕はまた腹に力を入れた。

それが今月のこと。

研究を始めた時のことを思い出した。

孤独で、ひどく孤独で、そのずれた次元の隙間から、

僕はモノを書くことで、どうにかやっていた。

それで今、もう一度そういう気持ちに戻って、

でも、僕はイギリスで出会ったことをもう知っているので、

やっぱりもう昔の僕ではないのである。

だから、というわけではないのだが、

ここを出るべきだと思っている。

どうにかして、今お世話になっている大学から出るべきだと。

それはつまり、僕が留学する直前の気持ち。きっとそれに近い。

そしてきっと、少しだけ違う。

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