消された伝統の復権

京都大学 名誉教授 本山美彦のブログ

野崎日記(79) 新しい金融秩序への期待(79) 平成恐慌の序幕(1)

2009-02-10 00:12:35 | 野崎日記(新しい金融秩序への期待)


 はじめに


 世界経済の急減速を受け、日本企業が相次いで雇用削減を進めている。その筆頭が自動車業界である。江村英哲によれば、二〇〇九年一月五日に自動車工業団体が開催した新年賀詞交歓会で、日本自動車工業会会長を務めるホンダの青木哲会長は、「今までに経験したことのない危機の中、企業は存続を懸けた大胆な取り組みが必要になっている」と挨拶したという(江村[2009]、一二ページ)。同じく、日産自動車の志賀俊之COO(最高執行責任者、Chief Operating Officer)は「二〇〇九年の後半くらいには、状況がもっと悪化することも考えられる」と厳しい見方を示した。そして、企業は人員削減を伴う経費圧縮に傾斜し続けている。

 全国コミュニティ・ユニオン連合会の安部誠事務局長は、『日経ビジネス』のインタビューに応えて、「非正規も正規も同じ従業員だし、人間だ。企業は株主への配当ばかりを気にせず、最大限に雇用を守る努力を続けるべき」と話した。

 安部事務局長は、二〇〇八年一二月三一日から〇九年一月五日まで東京・日比谷公園で開設された「年越し派遣村」の運営にも携わった。失職して住まいを失った人たちへの炊き出しでは、一度の食事に一〇〇人程度を想定していたが、五〇〇人以上が列をなしたという。その中には自動車関連の企業で働いていた非正規従業員が少なくなかったという。「年末年始に住む場所を追われた非正規従業員がこれほど多くては、凍死者が出ていたかもしれない」(安部事務局長)。

 〇八年、いすず自動車は、契約途中での期間従業員の解雇方針を打ち出した。しかし、社会からは冷たい印象を持たれてしまった。それでも人員削減を進めれば、従業員の士気やブランド・イメージにマイナスの影響が出る恐れもある。結局、いすゞ自動車は解雇方針を撤回し、期間従業員を契約満了まで雇用することを決めた。だが、派遣従業員は撤回の対象になっておらず、不満の声は完全には静まっていない。

 そのような中で、トヨタ自動車は〇九年一月六日、国内の全一二工場を対象に、二月と三月に、計一一日間の操業休止日(うち四日間は半休)を設けることを明らかにした。生産台数の急減と高まる雇用維持圧力。自動車業界は、同時に二つの難題を抱え込んだのである(江村[2009]、同上)。

 米誌『ビジネス・ウィーク』も日本の労働環境の悪化を指摘している(Rowley & Tashiro[2009])。

 トヨタでディーゼル・エンジンの技術開発を担当していた四四歳の男性は、一日一四~一五時間の長時間労働を強いられ、デンソーに戻ると過労から六か月間の休職を余儀なくされ、職場に復帰すると降格された。そしてうつ病を発症した。名古屋地裁は〇八年一〇月三〇日、過重労働が原因で男性がうつ病を発症したとして、デンソーと出向先のトヨタ自動車に約一五〇万円の支払いを命じた。両社は判決に従った。

 こうした、前向きの動きがあったにもかかわらず、日本の労働環境が改善に向かっているとは言い難い。景気後退で日本の輸出需要は低下しているが、一人当たりの仕事量が大きく減少することはない。非正規労働者の解雇が進み、職への不安は増大している。長年にわたる人員削減の結果、現場では人手が不足しているのに、雇用が失われ続けている。


 一 世界同時株安


 二〇〇八年、世界の株式時価総額は一年間で半減した。三〇兆ドルが吹き飛んだとされている( http://www.bloomberg.com/apps/news?pid=90003015&refer=jp_europe&sid=a_MWiGBNlQUQ)。株式、不動産、商品市場から資金が一気に逃げだした。それは、まさに、ホット・マネー(hot money)(1)である。

 一九九五年から〇八年に至る一〇年間、世界の名目GDPは二倍に増え、〇八年のGDPはほぼ六〇兆ドルであった。同じ期間、金融資産は二・六倍とGDPよりもはるかに速いスピードで膨張した。〇八年の世界の金融資産は約一六七兆ドルにもなっていた。金融資産は、実体経済(GDP)の二・七倍もある(三菱UFJ証券調べ)。

 〇八年の世界的な株安は三つの段階を経て進行した。

 第一段階は、返済に無理のある貸付、つまり、サブプライム・ローン(Subprime Loans)などを組み込んだ証券化商品保有によって、巨額の損失を抱え込んでしまった金融機関の経営不安から生じた株安。〇八年の年初から九月中旬までの期間である。〇八年三月一六日、商業銀行のJ・P・モルガン・チェース(JP Morgan Chase)が、投資銀行のベアー・スターンズ(The Bear Stearns Companies Inc.)を買収すると発表。同年七月一一日には、ニューヨーク原油先物(WTI=West Texas Intermediate)(2)が一バレル一四七・二七ドルと史上最高値をつけた。

 第二段階は、米国の大手投資銀行(証券会社)であったリーマン・ブラザーズ(Lehman Brothers、同社の歴史については後述))の破綻(〇八年九月一五日)が引き起こした株安。金融機関が互いに疑心暗鬼になって、金融機関相互で短期資金を融通し合う慣行が停止し、金融市場で流動性(資金流通)が干上がってしまった。第二段階は、〇八年九月中旬から一〇月末までの期間である。九月二二日、三菱UFJがモルガン・スタンレー(Morgan Stanley)に出資すると発表した。この月の二九日、米下院で金融安定化法案(Emergency Economic Stabilization Act of 2008)がいったん否決され、そのショックで、ニューヨークのダウ工業株三〇種平均株価(3)が、史上最大幅の七七七ドルの下落をした。

 第三段階は、こうした金融不安が実体経済を萎縮させることによる企業収益の圧迫からくる株安。第三段階は、〇八年一〇月末以降のことである。一〇月二七日、日経平均が二六年ぶりの安値となった。つまり、バブル崩壊前の水準に戻ったのである。そして、一一月二〇日、米国の株式市場は、パニックに陥った。ゼネラル・モーターズ(GM=general Motors)株は、一時、一ドル台、シティグループ(Citigroup)株は、四ドル台にまで売り込まれた。

 ヘッジファンド(Hedge Fund)が融資回収を迫られ、資産の投げ売りに出た。空前の株高に沸いていた、ロシア、中国、パキスタン、アイスランドの株価下落幅は先進各国を上回っていた。アイスランドなどは、ピークの一〇分の一にまで下落したのである。

 資金は、まず弱い金融市場から逃げるものであることをこの事実は思い起こさせた。