消された伝統の復権

京都大学 名誉教授 本山美彦のブログ

野崎日記(84) 新しい金融秩序への期待(84) 平成恐慌の序幕(6)

2009-02-15 18:57:13 | 野崎日記(新しい金融秩序への期待)


 


(1) ホットマネーとは、短期的に国際金融市場を駆け回る資金のこと。ある国が経済危機に陥った場合、ホットマネーは短期間のうちにいっせいにその国から退避する。情報化社会においては情報の伝達速度、資金の移動手段どれもが非常に速くなっており、ホットマネーの金融市場へ与える影響は大きいものがある(    http://www.1keizai.net/fx/kaigai/000262.html)。

(2) WTIは、米国テキサス州西部とニューメキシコ州南東部で産出する低硫黄の軽質原油のことをいう。WTIは、硫黄分が少ないため、ガソリンを多く取り出せるのが特徴。WTIの原油先物は、ニューヨーク・マーカンタイル取引所(NYMEX)で取引され、その取引価格は原油価格の国際的指標となっている。なお、北米のWTI、欧州のブレント(Brent Crude)、アジアのドバイ(Dubai Crudeが世界の三大原油指標。

 WTIは、世界的な原油価格の指標にとどまらず、世界経済の動きを占う重要な経済指標となっている。WTIの原油先物は、大手石油会社・精製会社・卸売会社だけでなく、投資ファンドなど石油業界と関係ない投資家も幅広く取引に参加している。参加者が多様で売買が成立しやすい点で人気を集め、世界で圧倒的な取引規模の原油先物となっている。

 ちなみに、原油の単位であるバレル(barrel)は、英語で「樽」を意味する。石油をシェリー酒の空樽に入れて運んだことから、原油や石油製品の国際単位となった。一バレルは約一五九リットル(http://www.ifinance.ne.jp/glossary/market/mar037.html)。

 ブレント原油は、主に北海にあるブレント油田から採鉱される硫黄分の少ない軽質油である。 ブレント油田の他にノルウェーのオセバーグ油田やイギリスのフォーティーズ油田から採れる原油も含まれるが、こういった原油を混合(ブレンド、blend)しているからではなく北海のブレント(Brent)油田から主に採れるためブレント原油という。ブレントという名前の由来は岩層区分のBroom, Rannoch, Etieve, Ness and Tarbatから取られた(Wikipediaより)。

 ドバイ原油は、アラブ首長国連邦(UAE)のドバイで産出される原油のこと。産出量自体はそれほど多くないが、ほぼ全量がスポット取引(長期契約ではなく、短期での取引)であり、その時々の需給関係や国際的な思惑などで、価格が大きく変動する。そのためオマーン原油と共に、中東産の原油価格の基準となっており、さらにはアジアにおける原油相場の指標銘柄にもなっている。

 日本の場合、原油のほぼ全てを輸入に頼っているうえに、その大半を中東産の原油に依存している。また、ドバイ原油とオーマン原油のスポット価格を基準にした市場連動価格方式で価格を決定している。そのため、オマーン(Oman)原油にも影響を与えるドバイ原油の価格に大きな影響を受ける。ちなみに、ドバイ原油価格の発表はプラッツ (Platts)社がおこなっている。

 プラッツは、エネルギー関連情報の主要な配信社。一世紀以上に渡ってビジネス情報を配信しており、現在はマグロウヒル社の一部門となっている。主な配信は産業ニュースと各商品市場の価格指標であり、原油、天然ガス、電気、原子力、石炭、石油化学、金属などの価格を発表している。アジアの原油市場ではこのプラッツ社発表のドバイ原油およびオマーン原油の価格が基準になっている。東京工業品取引所の中東産原油の先物価格はプラッツ社の指標に大きな影響を与えている(Wikipediaより)。

(3) ダウ平均株価(Dow Jones Industrial Average)は、米国の経済ニュース通信社であるダウ・ジョーンズ社が算出している米国の代表的な株価指数。日本では、「ダウ工業株三〇種平均(ダウ平均)」、「NYダウ」、「ニューヨーク平均株価」などと呼ばれている。工業以外の産業も含まれているのに、慣例的に「工業株三〇種平均株価」という。その構成銘柄は時代に合わせて入れ替えがおこなわれている。算出が始まって以来、現在まで継続して構成銘柄に残っている会社はゼネラル・エレクトリック(GE=General Electric)社のみである。〇八年九月二二日現在の三〇社は以下の通り(シンボルのアルファベット順、(No)シンボル、企業名、業種、採用日)。
 (01)AA、Alcoa Inc.、アルコア、アルミニウム、一九五九年六月一日。(02)AXP、American Express Co.、アメリカン・エキスプレス、金融、一九八二年八月三〇日。(03)BA、Boeing Co.、ボーイング、航空機、一九八七年三月一二日。(04)BAC、Bank of America Corp.、バンク・オブ・アメリカ、金融、二〇〇八年二月一九日 。(05)C、Citigroup Inc.、シティグループ、金融、一九九七年三月一七日。(06)CAT、Caterpillar Inc.、キャタピラー、重機、一九九一年五月六日。(07)CVX、Chevron Corp.、シェブロン、石油、二〇〇八年二月一九日。(08)DDE.I、du Pont de Nemours and Company、デュポン、化学、一九三五年一一月二〇日。(09)DIS、The Walt Disney Co.、ウォルト・ディズニー・カンパニー、娯楽・メディア、一九九一年五月六日。(10)GE、General Electric Co.、ゼネラル・エレクトリック、総合電機・金融、一九八六年五月二六日(最初に指定された)。(11)、GM、General Motors Corp.、ゼネラルモーターズ、自動車、一九二五年八月三一日。(12)HD、The Home Depot Inc.、ホームデポ、小売業、一九九九年一一月一日。(13)HPQ、Hewlett-Packard Co.、ヒューレット・パッカード、精密電機 一九九七年三月一七日。(14)IBM、International Business Machines Corp.、アイ・ビー・エム コンピューター、一九七九年六月二九日。(15)INTC、Intel Corp.、インテル、半導体、一九九九年一一月一日。(16)JNJ、Johnson & Johnson Inc.、ジョンソン・エンド・ジョンソン、医薬品、一九九七年三月一七日。(17)JPM、JP Morgan Chase and Co.、JPモルガン・チェース、金融、一九九一年五月六日。(18)KFT、Kraft Foods Inc.、クラフト・フーヅ、食品、二〇〇八年九月二二日。(19)KO、The Coca-Cola Co.、コカ・コーラ、飲料、一九八七年三月一二日。(20)MCD、McDonald's Corp.、マクドナルド、外食、一九八五年一〇月三〇日。(21)MMM、3M Company、スリーエム、化学、一九七六年八月九日。(22)MRK、Merck & Co.、メルク、医薬品、一九七九年六月二九日。(23)MSFT、Microsoft Corp.、マイクロソフト、ソフトウェア、一九九九年一一月一日。(24)PFE、Pfizer Inc.、ファイザー、医薬品、二〇〇四年四月八日。(25)PG、Procter & Gamble Co.、プロクター・アンド・ギャンブル (P&G)、医薬品、一九三二年五月二六日。(26)T、AT&T Inc.、エーティーアンドティー、通信、一九九九年一一月一日。(27)UTX、United Technologies Corp.、ユナイテッド・テクノロジーズ、航空宇宙・防衛、一九三九年三月一四日。(28)VZ、Verizon Communications Inc.、ベライゾン・コミュニケーションズ、通信、二〇〇四年四月八日。(29)WMT、Wal-Mart Stores Inc.、ウォルマート・ストアーズ、小売業、一九九七年三月一七日。(30)XOM、Exxon Mobil Corp.、エクソンモービル、石油、一九二八年一〇月一日。(Wikipediaより)。


野崎日記(83) 新しい金融秩序への期待(83) 平成恐慌の序幕(5)

2009-02-14 23:46:41 | 野崎日記(新しい金融秩序への期待)


 五 EUの苦境


 〇九年、ユーロも一〇歳の試練に喘いだ。欧州単一通貨のユーロが導入されたのは、一九九九年一月のことであった。〇九年一月一日には、新たにスロバキア(15)がユーロを通貨として採用し、ユーロ圏は一六か国になった(16)。 

 ユーロ圏の人口は約三億二〇〇〇万人で、人口規模では米国を抜き、GDPでは世界の一六%のシェアを持ち、米国の二一%に次ぐ。しかし、ユーロ圏に英国など一一か国を含めたEU二七か国(17)のGDPでは、米国を上回り、世界一である。

 世界の外貨準備に占めるユーロの比率も、発足当時の一八%から二五%超にまで高まった。ユーロの存在感は確実に高まっている。

 ユーロの取引開始時の為替レートは、一ユーロ=一三二円であった。当初の二年間は欧州経済の減速を受けて円高・ユーロ安が進み、一ユーロ=八九円台とユーロは大幅に下落した。しかし、その後は対円、対ドルでユーロ高が進み、〇八年七月には、一ユーロ=一六九円にまで上昇した。ところが、金融危機の影響をモロに受け、〇八年末には、ユーロは一二七円台にまで下落してしまったのである。

 欧州の金融機関が米国のサブプライムローン関連投資で損失を被っただけでなく、スペインでは住宅バブルが弾け、国外からの資金流入で高い成長率を実現していたロシアや中東欧経済は、資金の流出によって大きく下降した。こうした地域への輸出で潤っていたドイツ経済も大きく減速した。

 要するに、EUは、経済圏として課題評価されていたと評価が下がってしまい、〇八年七月に入って、ユーロの対円、対ドル価値が急低下したのである。

 ただし、そうした状況下でも、デンマーク、スウェーデン、ハンガリー、ポーランドなどがユーロ採用の意向を示している。

 ユーロに関する判断としては、ユーロが、一国の通貨ではなく、一六五か国(〇九年一月一日現在)の経済力を裏付けとするので、これまでは、信頼感が上がっていたのであるが、金融危機が新規加入国を直撃するに及んで、これら諸国の経済力の弱さから信頼感が下がってしまった。また、ユーロ圏の金融政策は統一されているが、財政政策がばらばらなので、そのことが、ユーロ評価を下げているという側面もある(『讀賣新聞』二〇〇八年一二月二九日付)。

 EUの一員ではあるが、ユーロを導入していない英国も、ポンドの大幅な安値で苦しんでいる。GDPの三割超を占める金融業界が経済を支えてきた金融立国の英国は、製造業の強いドイツなどよりも、経済の落ち込みが激しく、これがポンド安に拍車をかけた。ロイヤルバンク・オブ・スコットランド(The Royal Bank of Scotland)やHBOSなどの有力金融機関が経営不振に陥り(18)、経済視聴率はマイナス〇・六%に落ち込んだ。

 国内経済の悪化で、老舗の小売りチェーンが破綻する(19)など、〇七年、〇八年前半の好況を謳歌していたのが嘘のように様変わりした。約八〇〇〇店を持つ老舗小売りチェーンのウールワース(Woolworths)が、〇八年一一月に破綻、身売り先も一部店舗を除いて、決まらず、〇九年一月、ほぼ全店舗が閉鎖された。英国の失業者数は一六八万人と一一ぶりとなる水準にまで悪化した。

 〇七年夏には、一ポンド=二五〇円と対円でポンド高であった。ところが、〇八年十二月には、一三一円台と、一九九五年四月以来の水準まで下落した。対ドルでも三割下落した。

 対ユーロでも、一九九九年のユーロ導入以来、初めてとなる一ユーロ=一ポンドに迫る〇・九五ポンド台までポンド安が進んだ(『讀賣新聞』二〇〇八年十二月二八日付)。

  おわりに


 日本の鉱工業生産指数が急激な落ち込みを続けている。〇八年一一月は前月比八・一%と過去最大の落ち込みを示した。一二月も同水準であった。これは、一九七三年の第一次石油危機を上回る落ち込み額であた。産業別では、自動車を含む輸送機械がもっとも大きく、一四・九%減であった。薄型テレビや携帯電話などの使う電子部品も一一・六減であった。


 〇九年一~三月の国内粗鋼生産量は、自動車向けの需要減などから前年同期比三一・六%減の二一一〇万トンと、一九七〇年一~三月以来、三九年ぶりの低水準に落ち込んだ。新日鐵とJFEスチールなどは、〇九年一~二月に航路の一時休止に踏み切った。両社は、〇八年一〇月以降、鉄鋼石などの原材料の投入量を減らしたり、高炉への送風を一時止めるなどの減産を進めてきたが、JEFはこれまでの一五〇万トンの減産量を四〇〇万トンに増やさざるを得なくなった。

 それにしても、〇八年一〇月~一二月の生産の落ち込みは急激であった。いわゆる「トヨタ不況」のために、愛知県は〇九年度には、普通交付税の交付団体に転落した。〇七年度で不交付団体であったのは、東京都と愛知県だけであった。愛知県は、〇八年半ばまで日本でもっとも景気の良い県としてもてはやされていたのに、〇九年度はその面影も亡くなった。トヨタの〇九年三月期には、前年同期比七割もの減益であった。

 トヨタを含む自動車関連産業の就業者は五〇〇万人で、全就労人口の八%にも当たる(原[2009]、二〇〇ページ)。

 人員整理も急速に拡大している。トヨタは〇八年三月末に八八〇〇人いた期間従業員を、〇九年三月末までに三〇〇〇人にまで削減した(20)。ホンダも〇九年二月末までに期間従業員一二一〇減らした。日産は、〇九年三月末までに二〇〇〇人の派遣社員を削減した(21)。マツダは、〇九年一月末までに派遣社員一六〇〇人を減らした。富士重工も同時期に非正規従業員(22)一一〇〇人を削減した。いすずは、〇九年四月末までに一四〇〇人いる非正規従業員のすべてを削減した。日産ディーゼルは、〇九年六月末までに派遣社員八四三人をすべて削減した。ルノーは、二〇一〇年三月末までに世界でエレクトロニクス事業部分の一万六〇〇〇人以上を削減する予定である。その中には正社員八〇〇〇人も含まれている。ルネサステクノロジは、〇九年三月末までに派遣社員一〇〇〇人を削減した。同期間、TDKも派遣社員一〇〇〇人減らした(『讀賣新聞』二〇〇八年一二月二七日付)。

 日本の非正規従業員の削減数は、〇九年三月末までには八万五〇〇〇人になった。 

 米国労働省が発表する雇用統計によると、米国の〇八年の非農業部門の雇用者数は、二五八万九〇〇〇人減で、第二次大戦が終わった一九四五年の二七五万人減に次ぐ大幅な減少であった。つまり、〇八年の雇用減の大きさは戦後最大のものになったのである。そして、雇用者数減の四分の三(約一九〇万人)が九月以降の四か月間に集中した。リーマン・ブラザーズの破綻を機にした金融危機が、貸し渋りなどの形で企業や家計の経済活動に波及し、レイオフに踏み切る企業が急増したからである(『日本経済新聞』二〇〇九年一月一〇日付)。

 米国の主要企業も、各社ともに数千人から一万人規模の人員整理に動き出した。米アルミ最大手のアルコア(Alcoa Inc)は、〇九年内に世界で、全従業員の一三%に当たる一万三五〇〇人の削減方針を〇九年一月六日に発表した。〇八年一二月には、米通信際最大手のAT&Tが一万二〇〇〇人の削減を発表sた。米調査会社のチャレンジャー・グレイ・アンド・クリスマス(Challenger, Gray and Christmas)によると、〇八年一二月に米国で発表された人員削減の総数は一六万六〇〇〇人と前年同月の四倍近くに膨らんだ。

 〇八年の米国の雇用減は二五〇万人を超えたが、企業が〇八年中に削減すると発表した人数は一二二万四〇〇〇人であった。これは、〇三年以来の高水準であった。業種別では金融が二六万人で最多。二位は自動車の一二万七〇〇〇人。上位一〇業種にはコンピュータや通信、医療などこれまで比較的に堅調だった産業が入っていて、金融危機の余波が幅実体経済に及んでいることが示されている。

 雇用サービス会社、オートマチック・データ・プロセッシング(Automatic Data Processing=ADP)によると、〇八年一二月の非農業部門の雇用者数の前月比減少幅は、従業員五〇〇人未満の中小企業で六〇万二〇〇〇人であった。これは、金融危機前の八月の減少幅に比べて二・九倍に拡大した。従業員五〇〇人以上の大企業は、同期間に一・八倍の減少幅だったので、中小企業の雇用環境の悪化が顕著であったことが分かる(『日本経済新聞』二〇〇九年一月一〇日付)。

 いよいよ恐慌にまで、事態は突き進んでいるのである。


野崎日記(82) 新しい金融秩序への期待(82) 平成恐慌の序幕(4)

2009-02-13 09:39:51 | 野崎日記(新しい金融秩序への期待)


  四 日本の苦境


 日銀は、〇八年一〇月末に七年七か月ぶりの利下げに踏み切っていた(13)。〇八年九月のリーマン・ショック時、当時の与謝野・経済財政相が国内経済への影響は「ハチが刺した程度」と表現していたほど、日本政府の危機感は薄かった。したがって、日銀はそれ以上の利下げはないと判断していた。しかし、〇八年一〇月下旬に日経平均株価が一時、七〇〇〇円を割り込み、バブル後の最安値を記録した。

 日経平均株価の歴代の下落率を大きい純に並べると以下の通りである。

 ①二〇〇八年(四二・一%)、②一九九〇年(三八・七%)、③二〇〇〇年(二七・二%)、④一九九二年(二六・四%)、⑤二〇〇一年(二三・五%)、⑥一九九七年(二一・二%)、⑦二〇〇二年(一八・六%)、⑧一九七三年(一七・三%)、⑨一九七〇年(一五・八%)、⑩一九六三年(一三・八%)(『日本経済新聞』二〇〇八年一二月三一日付)

 円相場も一二月中旬に一ドル=八七円台まで急騰し、輸出産業を直撃した。
 しかも、FRBが、〇八年一二月一六日、米国史上初の事実上のゼロ金利と量的緩和に踏み切った。しかも、FRBはCP(コマーシャル・ペーパー)の買い取りという禁じ手まで打ち出した。民間企業が短期資金を調達するために発行するCPを買い取り、一定期間後引き取らせないという「買い切り」にFRBは踏み出したのである。これは、非常に危険な選択である。FRBが買い切ったCPの発行企業が倒産してしまえば、FRBにも損失が及ぶからである。しかし、米国では、CPの買取でFRBが損失を被れば、米政府が信用補完措置を講じる態勢ができている。

 こうした、背景の圧力を受けて、〇八年一二月一九日、日銀は、政策金利を年〇・一%にまで下げに加え、長期国債買切の増額、CPの買切などの量的緩和政策を採用した。日本もまた禁じ手を採用したのである。

 しかし、米国とは異なり、日本には、CPに関する信用補完態勢はない。よしんば、日銀がCP買切で損失を出しても、日本政府は日銀に損失補填をおこなわないのである。未曾有の危機を日本では日銀一人が背負い込んでいる。もはや伝統的な利下げ政策を採用できない日銀は、これまでの伝統的な政策展開をできなくなってしまっているのである(「〇八金融危機5」、『讀賣新聞』二〇〇八年一二月三〇日付)。

 「我々は一〇〇年に一度の『信用危機の津波』(クレジット・ツナミ)のまっただ中にいる」と〇八年一〇月の米下院公聴会で、グリーンスパン・前FRB議長は発言した。この言葉がいまではもっとも頻繁に引用されているものである。この言葉は、〇八年九月上旬に出版したペーパーバック版の『波乱の時代』(グリーンスパンン[2008])に出ていた。そこでは、〇八年の金融危機を「一〇〇年に一度か、五〇年に一度の事態」と表現されていた。

 日経平均株価が過去最大の下落に見舞われた〇八年は、世界の主要株式市場も同時に大幅安となった年であった。

 
世界主要市場の〇八年の株価年間下落率を下落幅の大きい純に並べると以下の通りになる。数値は、アジア・オーストラリア各国で〇八年一二月三〇日、他は二九日と〇七年末の終値を比較したものである。

 ロシア(七一・九%)、中国・上海(六五・二%)、インド(五二・一%)、イタリア(五〇・三%)、アルゼンチン(五〇・〇%)、シンガポール(四八・九%)、香港(四八・八%)、台湾(四六・一%)、フランス(四四・二%)、オーストラリア(四四・一%)、日本(四二・一%)、ブラジル(四二・〇%)、ドイツ(四一・七%)、韓国(四〇・七%)、スペイン(四〇・六%)、カナダ(三七・六%)、米国(三六・〇%)、スシス(三五・六%)、英国(三三・一%)、南アフリカ(二七・〇%)(『日本経済新聞』二〇〇八年一二月三一日付)。

 もっとも下落率の大きかったロシアは七割超もの大幅なものであった。一年で世界の株式時価総額の下落額は二九兆ドル強(二六〇〇兆円)であり、〇八年末の時価総額は三一兆ドル強(二八〇〇兆円)とほぼ半減した。

 国際取引所連合(World Federation of Exchanges=WFE)(14)によると、世界の株式時価総額のピークは〇七年一〇月末の六三兆〇五〇〇億ドル(五七〇〇兆円)であった。消えた二九兆ドルは、〇七年の世界のGDPの五割強に相当する。一五〇〇兆円弱とされる日本の故人金融資産の二倍近くの大きさである。

  株価下落が金融機関を直撃した。日本でも、金融機関の含み益をなくし、含み損をもたらした。〇八年末現在で日本の大手銀行グループは六つである。三菱UFJフィナンシャル・グループ(FG)、みずほFG、三井住友、りそな、住友信託、中央三井の六グループである。これら六グループの含み益は〇八年六月末には五兆二〇〇〇億円あった。それが、九月末には二兆八〇〇〇億円に下がり、一二月末には八〇〇億円を切ってしまった。つまり、含み益が半年で九八%も下がり、財務体力が急激に落ちた。

 大幅な株安によって、保有株は減損処理しなければならなくなった。日本の金融六グループは、九月中間決算で三〇〇〇億円の減損額を計上していたが、一〇~一二月期には大幅な追加計上をすることは避けられない。顧客企業の業況悪化で不良債権処理損失も膨らんだ。そのために、最終赤字に転落する大手銀行も出た。
 事実、三菱UFJフィナンシャル・グループとみずほFGの〇八年一〇~一二月期連結決算が最終赤字に転落した。赤字額はそれぞれ数百億円規模と〇九年初では予想されていた(〇九年一月末発表予定)。四半期ベースの最終赤字は、三菱UFGにとって、〇五年一〇月の発足以来初めてである。みずほFGは二期連続である(『毎日新聞』二〇〇九年一月三日)。

 民間からの資本調達が難しい地方銀行の苦境が深刻なものになった。政府は総額一二兆円の公的資金の注入枠を用意しているが、この実施が早晩焦点になる。

 大手生命保険の株式含み益も急減し、含み損に転落した生保も出た。九月末には、大手生保九社で計五兆七〇〇〇億円の含み益があったが、一二月末のは三分の一以下になった。

 生保各社は、株式含み益がゼロになる日経平均株価の水準を開示している。朝日生命保険の基準は一万三〇〇〇円である。同社の九月末の含み損は三〇〇億円であった。〇八年一二月三〇日の終値が八八五九円だったのだから、同社の含み損はさらに大きく拡大したことになる。

 住友生命は一万〇七〇〇円が損益の分岐点であった。同社は九月末には一七〇〇億円の含み益があったが、年末には含み損に転落した。三井生命の基準は一万〇五〇〇円である。したがって、五〇〇億円の含み益から二〇〇億円の含み損になった。

 基準が九三〇〇円の富国生命、九一〇〇円の第一生命、八九〇〇円の太陽生命の含み益もほぼなくなったと見なせる。七六〇〇円の日本生命、七五〇〇円の明治安田生命、七三〇〇円の大同生命はまだ含み益を確保できていた。大手損害保険も全社が含み益を確保したが、その額は大幅に減った(『日本経済新聞』二〇〇八年十二月三一日付)。

 〇八年十二月三〇日の大納会で日経平均株価は〇七年末比六四四八円(四二%)も安い八八五九円で引けたが、時価総額の減少が大きかったのは、自動車や電機などの輸出企業であった。

 首位のトヨタ自動車の時価総額は一〇兆〇一〇〇億円と首位を維持したものの、五四%も低下した。ソニーは、一兆九三〇〇億円で六九%も下げた。順位も前年の一〇位から二四位に下げた。前年一四位の日産自動車は七四%減で三五位に下がった。

 トヨタ、ソニー、以外で五〇%以上減少した企業を時価総額順に列挙すると次のようになる。

 一〇位、三井住友FG(二兆九七〇〇億円、五四%減)、一一位、JT(二兆九五〇〇億円)、一二位、みずほFG(二兆八八〇〇億円、五三%減)、一六位、パナソニック(二兆七三〇〇億円、五二%減)、二〇位、三菱商事(二兆七三〇〇億円、五九%減)、二三位、新日鐵(一兆九七〇〇億円、五八%減)、三〇位、三井物産(一兆六四〇〇億円、六二%減)(『日本経済新聞』二〇〇八年十二月三一日付)。

 輸出企業の時価総額の減少額が大きかったのは、外需低迷、円高、外国人の換金売りという要素が大きく響いたからである。

 世界の自動車メーカーが空前の減産に入ったのが〇九年初であった。世界の主要メーカーは一二社あるが、三月末までの世界生産は〇八年四月初の年初計画からすれば、二五〇万台減であった。これは、スズキ一社の年間販売台数に匹敵する。

 輸出も急減している。日本の輸出は、貿易統計から見れば、〇八年一一月は、前年同月比でマイナス二六・七%。一二月は同三五%のマイナス、以後、三〇%台の減少が続いた。

 輸出減の直撃を受けて、製造業は一斉に減産に踏み切った。〇八年一一月の鉱工業生産指数は前月比マイナス八・五%で、過去最大の下げ幅になった。〇九年一月は〇八年ピークに比べて二四%のマイナスであった。

 もっとも裾野の広い自動車の影響を産業連関表で分析すると、国内で一兆円の減産があると、関連産業で二・一兆円の生産減を引き起こしてしまう。日本の自動車会社合計では、〇九年一~三月期に前年比三~四割の減産を計画しており、これだけでGDPの年率勘算で一〇兆円で前年比マイナス二・一%になり、企業全体の営業利益は同マイナス一九%となる。六つの民間調査機関の予測を平均すると、〇八年度の実質経済成長率はマイナス二・一%、〇九年度は同マイナス二・四%になる。この通りになれば、二年間で約二五兆円のGDPが失われる。これは、〇九年度の日本の社会保障予算に匹敵する額である(「経済収縮、迫られる構造調整1」『日本経済新聞』二〇〇九年一月二五日付)。


野崎日記(81) 新しい金融秩序への期待(81) 平成恐慌の序幕(3)

2009-02-12 07:09:18 | 野崎日記(新しい金融秩序への期待)


三 展望なき救済措置


 金融安定化法案は、金融恐慌がくるとのポールソン財務長官とバーナンキ(Ben Shalom Bernanke)FRB議長の説得によって、当時のブッシュ(George Walker Bush)大統領がしぶしぶ提出を認めたものであった。

  
しかし、〇八年九月二九日、米下院で反対二二八、賛成二〇五という大差で同法案は否決された。この日、ニューヨーク市場のダウ平均株価の終値は、史上最大の下げ幅(七七七ドル安)を記録した。

 議会は、預金保護を強化するという修正を施して、同年一〇月三日に法案を通過させた。しかし、その後、法案の適用方針が二転三転した。元々は、国が金融機関から不良資産を買い取ることが目的であった。公的資金を投入することによって、銀行経営に介入しないという姿勢からであった。金融機関から、重荷である不良資産を切り離し、資本の傷みを修繕するという目的がこの金融安定化法案であった。銀行への資本注入に比べると不良資産の買取はまだ経済的な取引の建前を持っていたからである。

 しかし、いち早く欧州が公的資金による資本注入を銀行に対しておこなったことと、株価の大暴落によって、米国も資本注入に踏み切ることになった。法律を拡大解釈することによって、公的資金による資本注入を可能にしたのである。そして、〇八年一〇月下旬から資本注入が開始された。それとともに、不良資産買取は「もっとも効果的な活用方法ではない」とのポールソン財務長官の談話が一一月早々発表され、ここでも、政府は不良資産の買取をもうしないのか、それとも政策手段の一つとして活用するのか否かということが不明なために、市場はさらに混乱した。

 そして、用意された七〇〇〇億ドルの公的資金による資本注入も、金融機関に限定されるのではなく、ノンバンクや大手自動車メーカーなどにも拡大されることになった。もはや、金融機関の救済に限定された金融安定化法案は、本来の趣旨から大きく逸れたのである。資本注入対象が拡大するにつれて、七〇〇〇億ドルの公的資金枠だけでは、大幅に不足するようになったのである(「〇八金融危機の軌跡2」、『讀賣新聞』二〇〇八年一二月二七日付)。

 〇八年の米国発金融危機に対処するに当たって、これまでは、先進七か国の財務省・中央銀行総裁会議(G7)、これにロシアを加えたG8が緊急に招集されて対策を協議してきた(7)。ところが、〇八年一一月一四・一五日、ワシントンでの「金融サミット」に招集されたのは、既述のように、先進国以外に中国、インド、ブラジルなどの新興国も含む、二〇か国・地域であった。

 これは、いわゆる「デカップリング」論が幻想であったことを示したものである。「デカップリング」論とは、先進国の経済が減速しても、新興国の高成長が世界経済を支えるという意味である(8)。

 米経済が失速しても、それとは連動しないといわれてきた新興国が、米国以上の落ち込みを示したのである。未曾有の金融危機が瞬時に世界中に波及した。人々は、世界経済が一体化してしまっていることを思い知らされた。株価の下落率は、ロシアなどの新興国の方が米国よりも大きかった。中国などは対米輸出で巨額の貿易黒字を稼いできた。その中国も大きく失速してしまった。

 サルコジ(Nicolas Paul Stéphane Sarközy de Nagy-Bocsa)・フランス大統領の働きかけで急遽開催された〇八年一一月一四・一五日の金融サミット(G20)は、各国が財政出動・金融緩和・保護主義の排除で協調行動をとることの合意を得たが、現実には掛け声倒れに終わった。

 たとえば、通商における地域主義が世界を支配するようになった。ドーハ・ラウンド(Doha Development Round)いうWTO(世界貿易機関)(9)における新多角的貿易交渉がある(10)。このラウンドが〇六年内の合意を「誓約」していた。しかし、その後は、〇六年内合意どころか、閣僚会合すら開催できなかった(「G8金融危機の軌跡3」、『讀賣新聞』二〇〇八年一二月二八日付)。

 〇八年の危機は、金融立国ほど深刻である。欧州でいえば、製造業の強いドイツに比べて、英国などの危機ははるかに深い。〇七年には好況を謳歌していた英国は、〇八年秋には、急転直下、深刻な経済危機に見舞われた。たとえば、対円でポンドは、〇七年夏には二五〇円台であった。しかし、〇八年一二月には、一時、一三一円台まで四割安になった。対ドルでも三割安であった。対ユーロでも、一九九九年のユーロ導入以来、初めてとなる一ユーロ=一ポンドに迫る〇・九五ポンド台までポンド安が進んだ。

 英国は、金融業が、国内のGDPの三割を超えていた「金融立国」であった。ところが、ロイヤル・バンク・オブ・スコットランドやHBOSなどの有力金融機関が経営不振に陥り、GDP成長率もマイナス〇・六%に落ち込んだのである。〇八年末の英国の失業者数は一八六万人と十一年ぶりの水準である(『讀賣新聞』〇八年一二月二八日付)。

 米政府は、〇八年一二月一九日、GMとクライスラーに総額一七四億ドル(約一兆五〇〇〇億円)の緊急融資を決定した。その四日後、GMは大型スポーツ用多目的車(SUV)(11)を生産していた米国ウィンスコンシン洲のジェーンズビル(Janesville, WI)工場を閉鎖した。GMにとって、大型SUVを生産するジェーンズビル工場は、一九九〇年代前半からの主力工場であった。政府支援があった後でも主力工場を閉鎖しなければならなかったところに、GMの氷河期が示されている。

 米国の新車販売は〇八年一〇月から二か月連続で前年同月を三割以上も下回った。GMとクライスラーは、〇八年一一月に四割以上も減産せざるを得なかった。
 金融危機の進行とともに、金融機関は融資条件を一斉に厳しくした。その結果、すべての人々が自動車ローンを組みにくくなった。しかし、〇八年一二月一一日、ビッグスリーを救うべくく提出された三社支援法案は廃案になった。米議会の公聴会でのビッグスリー経営者たちへの批判が強かったからである。しかし、廃案の可能性が強くなった一二月一〇日、チェイニー(Richard Bruce "Dick" Cheney )副大統領は、GMを倒産させて恐慌の引き金を引きたくない、恐慌を招いたと非難されるフーバー(Herbert Clark Hoover, 1874~1964)(12)大統領の不名誉を得たくないと複数の上院議員に語り、支援法案が廃案になっても、金融安定化法で救済する方針であるとした。つまり、金融安定化法は、もはや金融機関救済だけではなかったのである。

 GMとクライスラー救済には、人件費や債務の大幅な削減が条件となった。この条件を履行できなければ、両社は、連邦破産法第一一条による破産処理に移ることになる。両社からは激しい資金流出が続いているので、破綻の可能性は遠のいていない(「〇八年金融危機の軌跡4」、『讀賣新聞』二〇〇八年十二月二九日付)。

 米政府は、ブッシュ政権末期、不良資産損失補償制度を導入した。資本注入と併用することによって、米金融システムを下支えしようというのである。ただ、金融機関による申請が前提になる。そのために、金融機関が公的介入を忌避して申請しなければ制度は動かない。

 シティグループの救済では、保有資産を優良資産からなる新勘定と、不良資産からなる旧勘定に分離した。そして、不良資産から生じる損失の大半に政府保証がつけられたのである。シティグループに適用した「新旧勘定分離」方式を金融システム全体に導入したのが、損失保証制度である。

 金融機関が計上する損失には、証券化商品の値下がりに伴う評価損と、貸出資産の劣化に伴う引当金計上の二種類がある。保証制度で効果があるのは、前者である。後者は、実体経済悪化からもたらされるもので、そこから生じる不良債権増は防ぐことが難しいものである。

 それでも、金融機関の売却には、この制度は有効なものになった。たとえば、〇八年夏に破綻したインディマック・バンコープ(IndyMac Bancorp)の銀行部門を、ソロス(George Soros)などを含む投資ファンドで構成される投資家連合に、米連邦預金保険公社(Federal Deposit of Insurance Corporation=FDIC)が、〇九年一月二日、一三九億ドル(約一兆二八〇〇億円)で売却した。そのさい、インディマックの保有資産に生じる損失の一部をFDICが負担する仕組みを導入したのである(『日本経済新聞』〇九年一月四日付)

 米財務省は、金融機関の保有する不良資産が将来に損失を発生させたとき、その損失を政府が肩代わりすることを保証するという制度を、〇九年一月二日に導入した。

 導入した新制度は、金融安定化法に基づくもので、米政府の審査を経て実行されるが、大手行に限定される見通しである。制度の適用を受けた金融機関は、政府にワラント(株式購入権)などを提供し、経営者の報酬も制限しなければならない。財源は、金融安定化法の総枠七〇〇〇億ドルを使う(『日本経済新聞』二〇〇九年一月四日付)。


 野崎日記(80) 新しい金融秩序への期待(80) 平成恐慌の序幕(2)

2009-02-11 06:48:05 | 野崎日記(新しい金融秩序への期待)


 日経平均は、一二月末で、年初来から四四%もの下落率であった。これは、戦後最大の下落率であった。米国のダウ工業株三〇種平均と英国のFTSE一〇〇種総合指数(4)は、ともに、三三%の下落率であった。つまり、金融危機の震源地である米国や英国よりも、日本の株価下落率は大きかったのである。

 株価の水準の適性さを判断するのには、いくつかの指標がある。この指標のことごとくが、何十年ぶりの異常な数値を示したのが、〇八年秋の日本株暴落であった。たとえば、株価平均収益率(PER)というものがある(5)。企業の収益を発行株数で割ったものが一株当たり収益である。実際の株価が一株当たり収益の何倍になっているかの数値が株価収益率である。〇八年一〇月二七日に計算された日経平均採用二二五銘柄の予想株価収益率は九・五三倍であった。月末値比較では、この数値は一九七〇年末以来の低水準であった。三八年ぶりにこの数値が一〇を割ったのである(「〇八金融危機の軌跡1」、『讀賣新聞』二〇〇八年一二月二六日付)。

 日本は、震源地の米国や、その余波で銀行倒産が相次いだヨーロッパよりも、金融被害は軽微であったとされていた。少なくとも、〇八年八月末時点では、そう信じられていた。ところが、上述のように、日本の株価下落率は米欧よりも大きかった

 その理由を『日本経済新聞』(〇八年一二月一八日付)を外需依存と株式の外資依存という日本の体質を挙げている。

 第一の理由は、
日本の主力企業が、グローバル展開をし、世界の需要(外需)を取り込んで成長してきたことである。外需とは米国の住宅バブルであり、急成長する新興国需要であった。そこが急転直下暗転したのである。

 第二の理由は、外国人中心の日本の株式市場の構造である。外国人は日本株の三割を保有し、六割の売買シェアを持つ。こうした巨大なシェアを持つ外国人がひとたび日本株売りに転じると、買いで対抗する日本人株主は希薄である。外国人の売り越しは〇八年を通じて三・三兆円弱であった。〇七年には五兆円の買い越しだったのだから、株式環境の激変がいかに大きかったかが理解できるだろう。

 日本株の売りを主導したのは、ヘッジファンドである。ヘッジファンドは、金融機関や投資家から資金回収を迫られて日本株の換金売りを加速せざるをえなかった。

 株価が下がれば、それを好機として、年金基金などの機関投資家が出動するものである。この種の機関投資家は、資産に占める株式の価値が低下すると株式を買い増す傾向がある。しかし、〇八年末の株価下落の激しさが彼らを躊躇させた。底値が見えないからである。

 金融機関も株式買い増しに動けない事情がある。株安で体力が奪われたからである。株価が下がれば、保有株の含み損が生じて資本不足になる。そのために増資に踏み切らざるを得ず、株式の買い増しなどできないのである。大手生命保険会社も同様である。


 二 投資銀行の消滅


 既述のように、〇八年三月末、ベア・スターンズが、米金融当局の指示によって、J・P・モルガンン・チェースによって救済合併された。そうした事情もあって、リーマンが〇八年九月一五日、米連邦破産法十一条の適用を申請したとき、金融界はリーマンも当然救済されるものと思い込んでいた。

  しかし、ポールソン(Henry 'Hank' Merritt Paulson)米財務長官(United States Secretary of the Treasury)は、救済の意思はないと突っぱねた。これで、金融機関はパニックに陥った。次に救済されない銀行はどこか、という疑心暗鬼に駆られたのである。金融機関の相互間で財務状況への相互不信が高まった。銀行間取引での資金のやり取りが急速に縮小した。九月一五日、ポールソン長官の発言が伝えられるや否や、ドルの調達金利は四倍以上に急騰した。

 慌てた金融当局は、翌日の一六日、AIG(American International Group, Inc.)を救済するという決定をした。金融機関の見殺しという政策を中止したのである。しかし、金融機関の混乱は収まらず、欧州の金融機関にも飛び火した。先進国から流れ込んでいた途上国の投資マネーの逆流が生じた。アイスランド、ハンガリー、アルゼンチンなどがそのために通貨危機に追い込まれた。リーマン・ショックこそが、金融不安を本格的な金融危機に現実化させたのである。

 信用は途絶した。企業買収資金、自動車ローン供与、クレジット・カード・ローン、等々、あらゆるローンがしぼんでしまった

 自己資金だけでなく、その数十倍の借入金で投資することを「レバレッジ(leverage)の投資」というが、投資銀行の投資行動とはこのレバリッジを過信するものであった。レバレッジとは梃子の意味である。投資銀行は、リーマンと同じ軌跡をたどって破綻の危機に瀕した。投資銀行第三位のメリルリンチ(Merrill Lynch & Co., Inc.)は、米大手商業銀行のバンク・オブ・アメリカ(Bank of America)によって買収された。一位のゴールドマンサックス(Goldman Sachs)と、二位のモルガン・スタンレー(Morgan Stanley)は、銀行持株会社に模様替えし、米国において、投資銀行は消滅した。

 リーマン破綻から〇八年末までの軌跡を整理しておこう。

 〇八年九月一五日、リーマン破綻。
    九月一六日、FRB(米連邦準備理事会、Federal Reserve Board)がAIGに最
          大八五〇億ドルの特別融資を発表。AIGは事実上国有化された。
        九月一八日、FRB、ECB(欧州中央銀行、European Central Bank)、日銀が市
          場へのドル供給を発表。
    九月二九日、米下院が金融安定化法案を否決。株価暴落。
   一〇月 三日、米金融安定化法案が成立。
   一〇月一三日、欧州各国が金融機関への公的資金注入を発表。
   一〇月一四日、米、大手九金融機関への公的資金注入を発表。
   一〇月二九日、FRBが政策金利を〇・五%下げ、年一・〇%に。
   一〇月三一日、日銀が政策金利を〇・二%下げ年〇・三%に。
   一一月 六日、ECBなども利下げを決定。
   一一月一四・一五日、G二〇(5)、ワシントンで金融サミット。
   一一月二三日、米財務省など、米金融大手シティグループ(Citigroup)の追加支援
          策を発表。
   一二月一二日、麻生首相、追加景気対策を発表。改正金融危機強化法が成立。
   一二月一六日、FRBが、政策金利を年〇~〇・二五%に引き下げ。事実上のゼロ
          金利政策と量的緩和を開始。
     一二月一九日、日銀が政策金利を〇・二%引き下げ、年〇・一%に。CP(6)の
          買い切り方針なども表明し、事実上の量的緩和に踏み込む。
               同日、米政府、一七四億ドルの大手自動車会社救済策を発表。
               (「〇八金融危機の軌跡1」、『讀賣新聞』二〇〇八年一二月二六日付)。


野崎日記(79) 新しい金融秩序への期待(79) 平成恐慌の序幕(1)

2009-02-10 00:12:35 | 野崎日記(新しい金融秩序への期待)


 はじめに


 世界経済の急減速を受け、日本企業が相次いで雇用削減を進めている。その筆頭が自動車業界である。江村英哲によれば、二〇〇九年一月五日に自動車工業団体が開催した新年賀詞交歓会で、日本自動車工業会会長を務めるホンダの青木哲会長は、「今までに経験したことのない危機の中、企業は存続を懸けた大胆な取り組みが必要になっている」と挨拶したという(江村[2009]、一二ページ)。同じく、日産自動車の志賀俊之COO(最高執行責任者、Chief Operating Officer)は「二〇〇九年の後半くらいには、状況がもっと悪化することも考えられる」と厳しい見方を示した。そして、企業は人員削減を伴う経費圧縮に傾斜し続けている。

 全国コミュニティ・ユニオン連合会の安部誠事務局長は、『日経ビジネス』のインタビューに応えて、「非正規も正規も同じ従業員だし、人間だ。企業は株主への配当ばかりを気にせず、最大限に雇用を守る努力を続けるべき」と話した。

 安部事務局長は、二〇〇八年一二月三一日から〇九年一月五日まで東京・日比谷公園で開設された「年越し派遣村」の運営にも携わった。失職して住まいを失った人たちへの炊き出しでは、一度の食事に一〇〇人程度を想定していたが、五〇〇人以上が列をなしたという。その中には自動車関連の企業で働いていた非正規従業員が少なくなかったという。「年末年始に住む場所を追われた非正規従業員がこれほど多くては、凍死者が出ていたかもしれない」(安部事務局長)。

 〇八年、いすず自動車は、契約途中での期間従業員の解雇方針を打ち出した。しかし、社会からは冷たい印象を持たれてしまった。それでも人員削減を進めれば、従業員の士気やブランド・イメージにマイナスの影響が出る恐れもある。結局、いすゞ自動車は解雇方針を撤回し、期間従業員を契約満了まで雇用することを決めた。だが、派遣従業員は撤回の対象になっておらず、不満の声は完全には静まっていない。

 そのような中で、トヨタ自動車は〇九年一月六日、国内の全一二工場を対象に、二月と三月に、計一一日間の操業休止日(うち四日間は半休)を設けることを明らかにした。生産台数の急減と高まる雇用維持圧力。自動車業界は、同時に二つの難題を抱え込んだのである(江村[2009]、同上)。

 米誌『ビジネス・ウィーク』も日本の労働環境の悪化を指摘している(Rowley & Tashiro[2009])。

 トヨタでディーゼル・エンジンの技術開発を担当していた四四歳の男性は、一日一四~一五時間の長時間労働を強いられ、デンソーに戻ると過労から六か月間の休職を余儀なくされ、職場に復帰すると降格された。そしてうつ病を発症した。名古屋地裁は〇八年一〇月三〇日、過重労働が原因で男性がうつ病を発症したとして、デンソーと出向先のトヨタ自動車に約一五〇万円の支払いを命じた。両社は判決に従った。

 こうした、前向きの動きがあったにもかかわらず、日本の労働環境が改善に向かっているとは言い難い。景気後退で日本の輸出需要は低下しているが、一人当たりの仕事量が大きく減少することはない。非正規労働者の解雇が進み、職への不安は増大している。長年にわたる人員削減の結果、現場では人手が不足しているのに、雇用が失われ続けている。


 一 世界同時株安


 二〇〇八年、世界の株式時価総額は一年間で半減した。三〇兆ドルが吹き飛んだとされている( http://www.bloomberg.com/apps/news?pid=90003015&refer=jp_europe&sid=a_MWiGBNlQUQ)。株式、不動産、商品市場から資金が一気に逃げだした。それは、まさに、ホット・マネー(hot money)(1)である。

 一九九五年から〇八年に至る一〇年間、世界の名目GDPは二倍に増え、〇八年のGDPはほぼ六〇兆ドルであった。同じ期間、金融資産は二・六倍とGDPよりもはるかに速いスピードで膨張した。〇八年の世界の金融資産は約一六七兆ドルにもなっていた。金融資産は、実体経済(GDP)の二・七倍もある(三菱UFJ証券調べ)。

 〇八年の世界的な株安は三つの段階を経て進行した。

 第一段階は、返済に無理のある貸付、つまり、サブプライム・ローン(Subprime Loans)などを組み込んだ証券化商品保有によって、巨額の損失を抱え込んでしまった金融機関の経営不安から生じた株安。〇八年の年初から九月中旬までの期間である。〇八年三月一六日、商業銀行のJ・P・モルガン・チェース(JP Morgan Chase)が、投資銀行のベアー・スターンズ(The Bear Stearns Companies Inc.)を買収すると発表。同年七月一一日には、ニューヨーク原油先物(WTI=West Texas Intermediate)(2)が一バレル一四七・二七ドルと史上最高値をつけた。

 第二段階は、米国の大手投資銀行(証券会社)であったリーマン・ブラザーズ(Lehman Brothers、同社の歴史については後述))の破綻(〇八年九月一五日)が引き起こした株安。金融機関が互いに疑心暗鬼になって、金融機関相互で短期資金を融通し合う慣行が停止し、金融市場で流動性(資金流通)が干上がってしまった。第二段階は、〇八年九月中旬から一〇月末までの期間である。九月二二日、三菱UFJがモルガン・スタンレー(Morgan Stanley)に出資すると発表した。この月の二九日、米下院で金融安定化法案(Emergency Economic Stabilization Act of 2008)がいったん否決され、そのショックで、ニューヨークのダウ工業株三〇種平均株価(3)が、史上最大幅の七七七ドルの下落をした。

 第三段階は、こうした金融不安が実体経済を萎縮させることによる企業収益の圧迫からくる株安。第三段階は、〇八年一〇月末以降のことである。一〇月二七日、日経平均が二六年ぶりの安値となった。つまり、バブル崩壊前の水準に戻ったのである。そして、一一月二〇日、米国の株式市場は、パニックに陥った。ゼネラル・モーターズ(GM=general Motors)株は、一時、一ドル台、シティグループ(Citigroup)株は、四ドル台にまで売り込まれた。

 ヘッジファンド(Hedge Fund)が融資回収を迫られ、資産の投げ売りに出た。空前の株高に沸いていた、ロシア、中国、パキスタン、アイスランドの株価下落幅は先進各国を上回っていた。アイスランドなどは、ピークの一〇分の一にまで下落したのである。

 資金は、まず弱い金融市場から逃げるものであることをこの事実は思い起こさせた。


野崎日記(78) 新しい金融秩序への期待(78) オバマ政権の人脈

2009-02-09 08:15:40 | 野崎日記(新しい金融秩序への期待)

――今月二〇日に、米国ではオバマ新政権がスタートします。しかし金融破綻に象徴される経済問題では、当面解決策は見あたりそうにありません。そもそもこうした事態を招いたのは、何が原因なのでしょうか。

 一番大きいのは、収入面で米国の上位から四〇〇人の総資産が、下から数えて一億五〇〇〇万人の全資産を上回るという極端な掲載格差の構造にあると思います。その結果、圧倒的に資産を握るごく一握りのエリートたちが強力なネットワークを形成し、国家のみならず市場(マーケット)を動かしていく。つまり彼らの意思に、大多数の人々が従わざるをえないような構造が、現在の危機を生み出したといってよいでしょう。

――以前、「小さな政府」を唱える新自由主義者たちは、「市場に任せろ」などと主張していましたが。

 ですから話は逆で、彼らが市場を支配したのです。そうなったのは一九九〇年代
のクリントン政権の時代からで、現在の金融危機をブッシュ前政権だけの責任にするのは酷な面があります。この時代に、金融の持つ意味が大きく変わっていった。

――具体的には。

 同政権の国家経済会議(NEC)議長や財務長官を歴任したロバート・ルービンが進めた「ルービノミックス」と呼ばれる一連の金融緩和措置により、それまで「モノ作りの下僕」とされていた金融が性格を変え、儲かるところだけに特化していきました。
 その象徴が一九九九年に制定された金融近代化法で、銀行と証券、保険の兼業を禁止したグラス=スティーガル法を廃止しました。これによって利益率の薄いモノ作りを中心に融資してきた商業銀行よりも、金持ちの金を運用するファンドを顧客とする投資銀行に資金がシフトしていく。この投資銀行は「シャドーバンキング」と呼ばれ、言わば闇の金融機関です。行動は自由、投資手口も公開しなくともよく、政府の規制も受けない。その代わり、いざという場合には政府の救済を当てにしない「自己責任」が建前で、年二~三〇%というハイリスク・ハイリターンの配当を実現する。そのため、全世界の金融機関から投資銀行に投機資金が集まってきました。

――問題の「サブプライムローン」(焦げ付きリスクの高い低所得者向け高金利型住宅ローン)の証券化も、こうした投資銀行が主導しましたね。

 この金融緩和によって、何が生じたか。デリバティブ(金融派生商品)の全面開花であり、指摘された債務の証券化であり、そして貸し手責任の倫理の希薄化、経済格差の急激な増大でした。この投資銀行=「シャドーバンキング」は素人相手の商売で、顧客はコストや適正価格など想像もつかず、当然ノウハウもないからゴールドマン・サックスやリーマン・ブラザーズという「ブランド」を信用するしかない。それでも、ごく一握りのファンドマネージャーに巨万の富が集中したのです。

――ルービンと言えば、閣僚にはなりませんでしたがオバマの「経済チーム」の有力メンバーですね。

 そこなんです。危機の原因を作った張本人が、それへの対処にあたるというのはある意味で怖さを感じます。民主党内でヒラリーからオバマ支持への流れを作ったのもルービンでしたが、今回の人事で国家経済会議議長の新議長になったローレンス・サマーズも、財務長官となったティモシー・ガイトナーも、全部ルービンの言わば「子飼い」です。もともと財務長官はルービンが本命視されていましたが、自身が破産の危機に瀕して政府からの二五〇億ドルの公的資金注入を受けたシティ・グループの経営執行委員会会長ですから、救済を仰いだ当事者が長官になれば批判が出るので断念したのでしょう。オバマも「チェンジ」を唱えながら、実際は旧クリントン政権と同じということなのでしょう。

――しかもルービン本人の口から、自分が危機を作り出したという反省の弁も聞かれません。

 彼らマネタリストは、ことあるごとに「大きな政府」を批判して「小さな政府」を唱えてきました。ところが、現実はどうでしょう。米国は史上最大の「大きな政府」になった。しかもクリントン政権に入るまでゴールドマン・サックスの共同会長だったルービンは「自己責任」とか「市場に任せろ」などと唱えながら、そのゴールドマン・サックスも含めて全投資銀行は政府の資金援助を当てにしている。しかも、何一つ具体的な経済政策や金融のルールについての議論も聞かれないのが実態です。

 ただ彼らのみならず、「金融工学」や「金融立国」を賛美した経済学者の責任も大きい。その中心である米国のシカゴ学派の学者たちもノーベル経済学賞を独占してきたわけですが、日本のそうした学者の代表格である中谷巌氏も「市場信仰は間違っていた」と述べる程度で、理論的にどう間違っていたかの踏み込んだ検討については、手つかずの状態です。です。

――まったく矛盾だらけですね。そんな連中が、巨大危機を作り出した。

 何よりも把握せねばならないのは、現在の恐慌がまだせいぜい一合目か二合目程度で、これから保険や実体経済にもどんどん波及していくという点です。しかも、デリバティブなど投資銀行の活動は政府に何も報告しなくともいいので、不良債権の総額が未だに不明です。どこに病理があるのか分からないから、切開のしようがない。実際、すでに米国はGDPの半数以上の資金を注入していますが、いまだに底が見えません。これではブラックホールのようにいくら資金を注入しても、どこかに消えていく。経済には回ってきません。

――新政権はどうするのでしょうか。

 今後も根本的な解決策を見出せないまま、その場しのぎ的にズルズルと資金を注入していくだけでしょう。その一方で、「チェンジ」という抽象的なフレーズを繰り返してマスコミ操作をしているだけではないか。もう、最悪ですね。かつての小泉政権の「改革」と同じで、ワンフレーズというのは本当に恐い。単なるイメージだけで中身がないのに言葉だけが一人歩きして、何か実際にやっているかのような幻想を与えますから。

――でも、無限に資金注入を続けるのは不可能です。すでに〇七年五月段階で米国連邦政府と地方政府の累積赤字は約五九一〇兆円に達したとされ、今後の金融危機を乗り切るための追加資金も限りがあるのでは。

 そう。政府が、どう、お金を手当てするかというのが根本問題になりますが、米国債を発行して買ってもらうしかありません。ところが、中国や日本、それにアラブの石油産出国を合わせても必要な額を買ってもらうためには限度がある。そこで、禁じ手を使ったのです。つまり、米連邦準備制度理事会(FRB)が印刷した紙幣で、財務省が発行する米国債を買っている。

 でも、結局これは史上最大規模のドルの垂れ流しに過ぎません。このツケを、いったいどうするつもりなのでしょうか。恐らく、このままだと五~六年後には巨大なハイパーインフレが来るでしょうね。そこで、それを避けるために再び禁じ手を使う。以前の世界恐慌のように、今度もドルの価値を切り下げての新紙幣に踏み切るのではないか。もう、それしか考えられませんから。

 ――そこまでやると、ドルの基軸通貨としての地位は揺らぐのでは。

 当然、英国のブラウン首相など一部の国から出ているように、野放図なドルの一極体制を是正する「第二のブレトン・ウッズ体制」が求められるはずです。これこそが、本当の意味での「チェンジ」です。しかし米国は、どんな手段を使っても基軸通貨としてのドルを手放さないでしょう。これこそ、米国の最後の生命線ですから。一九四四年のブレトン・ウッズ協定でポンドの基軸通貨としての地位が終わり、同時に大英帝国も没落した。その二の舞を、絶対に米国は繰り返さないでしょう。

 しかも今回の金融危機で、ドル以上に傷ついたのはユーロです。欧州各国は、競って米投資銀行の金融商品に飛びつきましたから。さらに、円も完全に没落した。現在の円高は一時的な資金の流れでそうなっているだけで、もはや対外的な信用はゼロに近い。そうなると寂しすぎる光景ではありますが、結局はドルしかないという話に落ち着く。

――九〇年代にITバブルがはじけ、今度は金融バブルがはじけました。当面、オバマ政権は何で食いつないでいくつもりなのでしょう。

 よく言われているのが、広い意味での「環境ビジネス」ですね。温室効果ガスを排出する権利「排出権」をグローバルに売買する排出権の取り引きなどがあげられますが、これもそのうちメッキが剥げるのではないか。世界中からカネを集めるためだけの「環境バブル」で終わる可能性が高い。

――これでは、結局いつになっても「チェンジ」は不在だと。

 前回の世界恐慌では、ケインズというスーパースターがいた。これが「希望の星」だとみんな必死でケインズの理論を勉強しました。しかし今回の恐慌で恐いのは、「次の理論」が出てこない点なのです。ですから、どう現在の市場を「チェンジ」すべきなのか、何も見えてこない。ここで新たな経済学を作っていかなければ、大変なことになりますよ。

――日本も、正念場ですね。

 結局、米国のバブルによって私たちもいい目にあっていた。国内で四五〇万台しか売れない主力産業の自動車をなぜ一〇〇〇万台も生産していたかといえば、結局は米国市場があったから。実需だと思っていたのが結局はバブルだったのに、それによってこの国の製造業が維持されていた。こんな危ういシステムの上に、日本経済は成り立っていたのです。

 これからは、もっと足腰の強い内需に依拠したマーケットを作っていかねばならないでしょう。自動車なども、生産調整して別の方向に切り替えていかなければなりません。さらにドル一極体制を是正するため、少なくともアジア共通通貨の創設に向かうべきでしょうね。当然、欧州連合(EU)の教訓も学ばなければいけません。「市場原理主義」にしろ「新自由主義」にせよ、もうこの辺でいい加減に米国流が最善であるかのような愚かな信仰を捨て、この国なりの経済の在り方を自分の頭で考え出していくべきです。

野崎日記(77) 新しい金融秩序への期待(77) 第二段階に突入した世界金融危機

2009-02-08 08:08:54 | 野崎日記(新しい金融秩序への期待)

 銀行には、規制を厳しく受ける商業銀行と規制を受けることのない「闇の金融機関」である投資銀行がある。

  二〇〇八年の世界の金融の激震は後者の投資銀行を震源地とするものであった。米国では、〇八年中に、ゴールドマンサックス、モルガンスタンレー、メリルリンチ、リーマンブラザーズ、ベアスターンズといった一世を風靡していた闇の金融機関が消滅した。彼らは、商業銀行に吸収されるか、自らを模様替えするか、破綻するかして消滅したのである。しかし、これで一件落着したわけではない。吸収した投資銀行があまりにも傷ついていた。投資銀行を引き受けたことによって、商業銀行自体の経営がおかしくなったのである。

 商業銀行業務と投資銀行業務、さらには、保険業務を兼営する総合金融機関のシティグループには、〇八年一〇月に二五〇億ドル、一一月に二〇〇億ドル、計四五〇億ドルの公的資金投入が投入されていた。しかし、八年一〇~一二月期決算の同グループの純損失は八二億九四〇〇万ドル(約七五〇〇億円)と五・四半期連続赤字となってしまった。〇九年一月一六日の同グループの株価終値は、前日比九%安の三・五ドルと下がり、二〇〇九年に入ってまだ二週間なのに、株価は五〇%も安くなった。

 結局、シティグループは、商業銀行(シティコープ)と証券業務(シティ・ホールディング)を分離することになった。〇八年一一月、シティは三〇六〇億ドルの不良資産を分離しただけでなく、〇九年一月、スミス・バーニーや日興グループ売却方針発表した。つまり、銀行、証券、保険を兼営する総合金融業務を自ら放棄せざるを得なかったのである。

 バンカメ(バンク・オブ・アメリカ)も〇八年九月にメリルリンチを買収したことの負の効果に苦しめられている。買収価格は五〇〇億ドル(約五兆二〇〇〇億円)であったが、メリルリンチの不良資産が重くバンカメの上にのしかかっている。

 バンカメも〇八年一〇月に二五〇億ドルの公的資金を供与され、〇九年一月にも、二〇〇億ドルの公的資金の追加投入を受けたが、同期決算で一七億八九〇〇万ドル(約一六〇〇億円)の大幅赤字に陥り、九年一月一六日の株価終値は、前日比一四%安の七・一八ドル、二〇〇九年に入ってバンカメもシティと同じく株価が五〇%安となってしまった。そして、バンカメもまた、〇九年一月、一一八〇億ドルの不良資産を分離したのである。

 AIGも、膨大な公的資金の支援にもかかわらず、同じ苦しみに浸っている。同社は、〇八年九月に八五〇億ドルの公的資金の融資を受けた。その見返りに同社は、公的管理下に入った。〇八年一〇月に二五〇億ドルを追加投入され、〇八年一一月にはさらに四〇〇億ドルの公的資金追加投入を受けた。まさに立て続けに公的資金を投入されて、同社は、生き長らえている。結局、日本の生保事業など多くの子会社の売却方針を発表せざるを得なくなった。同社もまた、一九九九年の金融近代化法による銀行、証券、保険の兼営が裏目に出たのである。

 『ワシントン・ポスト』(〇九年一月一五日付)は、〇九年には〇八年以上に金融機関が苦境に陥ると指摘した。シティグループやバンカメもAIGのように政府管理下に入る恐れがあると分析した。

 今後、金融機関は好むと好まざるとを問わず、公的な管理に入ることになるだろう。

野崎日記(76) 新しい金融秩序への期待(76) オバマ大統領就任演説について

2009-02-07 22:13:41 | 野崎日記(新しい金融秩序への期待)
 金融、経済に関する限り、オバマ氏の演説内容はあまりに具体性に乏しく、がっくりきたというのが本音だ。政策を論じる前に、まず現状認識として反省が足りない。

 
世界的な金融危機の根本を作ったのは、ブッシュ政権ではなく、民主党のクリントン政権の時代だ。
同政権で、(国家経済会議(NEC)や、矢印削除)財務長官を務めたロバート・ルービン氏が中心になり、金融規制緩和を進めたためだ。演説では、そうした経緯には一切触れず、「一部の人々の貪欲さと無責任さにある」などという表現でごまかしてしまった。

 オバマ政権が既に指名した閣僚には多様な面々がいるが、経済関係閣僚には「ルービン派」が多く、「規制反対」の声に押し切られている印象だ。

 
最大の問題は金融市場をどうするか。金融危機を受け、投資銀行は消滅させたが、今も商業銀行は大変な状況だ。今後、新しい金融監督機関を作り、どうコントロールしていくのかも全く示されていない。不良債権の確定も進まない中、気前よく国家が救済しているだけだ。

 オバマ氏はレトリックは確かにうまいが、経済政策はそんな甘いものではない。100年に1度の危機に立ち向かうためには、大胆な取り組みが必要で、きちんとした方針を示すべきだ。就任式直後、ニューヨーク株式市場でダウ平均が急落したのも、投資家たちが危惧を持ったためだろう。この政府は何もできないと判断したのではないか。

 グリーンニューディールで雇用を生み出していくなど、オバマ氏の政策で期待する部分もある。演説でも、クリーンエネルギーの重要性に触れ、就任式前に鉄道で移動したのもいいメッセージになった。また、対外投資より国内投資を重視し、「イノベーションの必要性」などに触れいている点も好感が持てる。経済政策の転換という意味では、新古典派、新自由主義を反省し、財政出動を重視するケインズ主義の復権に触れた意味も大きい。演説では「大きい政府」という表現を避け、「国家の大小ではなく、機能しているかどうかだ」という巧みな表現を使った。

  現在の試練を打開するために「労働と誠実さ」などを挙げた点も国民へのメッセージにはなるだろう。

 一方で、イラクやアフガニスタンへの戦争の反省がないのも不満だ。莫大な軍事支出は米国経済の悪化にもつながった。批判的な視点を持たず、あれだけ多くの人が集まることにも怖さも感じ、間違った全体主義につながらないことを願いたい。

 野崎日記(75) 新しい金融秩序への期待(75) 

2009-02-07 04:56:15 | 野崎日記(新しい金融秩序への期待)

 野崎日記(75) 新しい金融秩序への期待(75) 構築が急がれる金融犯罪防止の新しい金融システム(5)

  

(1)  英国リバプールに「インバーロ」(Invaro)という訴訟費用を融資する会社があった。テリー・リンドン(Terry Lindon)という人の経営であった。この会社は、いかがわしい闇の組織であった。2004年6月に解散したが、多額の債務を背負ったままであった。この会社に多額の資金を供給していたのが、カナダで組織されていたチャンセリー&リーデンホールであった。ゴッドレーのほかに英国の元政治家、ガーレー・リオンズ(Garey Ryons)も共同経営者であった。2005年4月、ゴッッドレーは、英国重要詐欺局(SFO)によって逮捕された。警察の調べで分かったことだが、ゴッドレーは、リンカーンシャーで組織されていたインペリアル・コンソリデーティッドに200万ポンドの損失を負わしていた。ゴッドレーは、この会社の元重役であった(Lashmar, Paul,"Liverpool firm's failure brings police raids in Japan," The Independent (Sunday), Jan15,2006)。 

(2)   信託契約とは、託者が自己の財産権(信託財産)を受託者に移転して、自己または. 第三者(受益者)のために管理、運用または処分させる契約のことをいう。投資信託などはほとんどこの方式である(http://www.kabugraph.jp/s/)。複数の投資家から集められた資金を1つのファンドとしてまとめ、資産運用の専門家である投信会社が国内外の金融・証券市場で運用し、その成果を投資家に還元するという仕組みが信託契約である。投資家(受益者)は銀行・証券会社・保険会社等の販売金融機関を通じて(または投信会社から直接)ファンドを購入する。その資金は、信託銀行(受託者)が管理・保管し、投信会社(委託者)が運用に当たる。専門別の役割分担が効率的な運営を実現するだけでなく、資産が分別 管理されることにより、販売会社、受託者、委託者いずれの金融機関が破綻した場合においても、投資家の信託財産は保全されるよう図られていると、業界用語では説明されている。しかし、信用が逆手にとられていたことは、米国発の金融危機が証明している(http://jp.credit-suisse.com/AM/investment/basics.htm)。

(3) 2005年12月23日付の『讀賣新聞』は次のように伝えている。
 「144億円投資、酒販中央会の元会長ら追認。全国小売酒販組合中央会の外債投資による年金破綻問題で、投資した当時の中央会会長らが、元専務理事や元事務局長(業務上横領罪で起訴)から事後報告を受け、追認していたことが分かった。理事会に諮らなかった巨額投資に対し、元会長らは追及しないまま、あいまいな説明を受け入れていた。同会は2005年12月22日、元専務理事と元事務局長に計20億円の賠償を求めて東京地裁に提訴したが、執行部首脳の安易な姿勢も浮かんだ。問題の外債は、元事務局長が2003年1~5月、スイスの大手金融機関に預けた資金で計約144億円分を購入。年利6.75%をうたっていたが、04年6月、資金投資先の英企業が破綻(解散)、ほぼ全額が回収不能になった。この投資は契約から8か月後の03年8月末、同会の会長、副会長らによる年金委員会で、ようやく報告された。元事務局長は同年7月末に退職しており、元専務理事と総務部長が説明した。議事録などによると、元専務理事は<スイスの銀行の運用で10億円くらい入ってくる。損することは絶対ない>と説明。当時の会長らは<スイスの銀行は大丈夫か>、<契約書を見せてほしい>と質問したが、総務部長が実際は契約書があるのに<ファンドなので契約書はない>と答えると、それ以上説明を求めなかった。投資前に理事会の承認を得なかった点は、誰も追及しなかった」。このケースと同じパターンで多くの企業が餌食になっている。

(4) 全国小売酒販組合中央会の政治団体「全国小売酒販政治連盟(酒政連)」は、酒小売業の規制緩和を阻止するために、政界に対してすさまじい攻勢をかけていた。政治献金は、04年までの5年間で、寄付やパーティー券など2億1000万円であったといわれている(http://cnb.chuohjournal.jp/entry/200809100773.php)。

 中央会の事件が発覚される前の02年には、この「全国小売酒販政治連盟」が昨年、酒類の小売り自由化を1部地域で凍結する緊急措置法案の提出議員ら与野党36人に対し、パーティー券購入などで約700万円を提供していたことが、03年9月12日付で公表された02年分の政治資金収支報告書で明らかになった。当初は03年9月から自由化の予定だったが、03年4月に法案が成立し、全国約1000か所で新規出店ができない「逆特区」ができた。緊急措置法は、02年7月に議員立法で提案されていたものである。政府は98年、段階的な規制廃止を決定。03年に自由化を目指してコンビニや薬局などが出店の準備を進めてきたが、その矢先に同法が成立。経営が厳しい酒店が多い地域では1年間、新規出店ができなくなった。

 政治連盟の収支報告書によると、法案提出者8人のうち自民党の3人から多額のパーティー券を購入した。政治連盟はまた、自民党の有志議員でつくる「日本経済を活性化し中小企業を育てる会」など、酒店の保護を主張する同党議員26人に対してもパーティー券購入などで総額約570万円を提供していた。自民党以外にも、民主党、自由党の幹部にも政治献金が支出されていた。しかし、業界は深刻な状態にあった。全国小売酒販組合中央会によると、02年9月からの半年間で、酒店経営者36人が自殺し、2380人が行方不明になった。転廃業は2万5000店を超えた。中央会幹部は「りそな銀行やダイエーが守られている。我々も守られる資格はある」と主張した(Asahi.com, 09/12,2003)。

(5) 金商法の「第24条の5」(半期報告書及び臨時報告書の提出)。「第24条第1項の規定による有価証券報告書を提出しなければならない会社(第23条の3第4項の規定により有価証券報告書を提出した会社を含む。第4項において同じ)のうち、第24条の4の7第1項の規定により4半期報告書を提出しなければならない会社(同条第2項の規定により4半期報告書を提出した会社を含む。第3項において同じ)以外の会社は、その事業年度が6月を超える場合には、内閣府令で定めるところにより、事業年度ごとに、当該事業年度が開始した日以後6月間の当該会社の属する企業集団及び当該会社の経理の状況その他事業の内容に関する重要な事項その他の公益又は投資者保護のため必要かつ適当なものとして内閣府令で定める事項を記載した報告書(以下「半期報告書」という)を、当該期間経過後3月以内に、内閣総理大臣に提出しなければならない」。

 「第24条第1項(同条第5項において準用する場合を含む)の規定による有価証券報告書を提出しなければならない会社は、その会社が発行者である有価証券の募集又は売出しが外国において行われるとき、その他公益又は投資者保護のため必要かつ適当なものとして内閣府令で定める場合に該当することとなつたときは、内閣府令で定めるところにより、その内容を記載した報告書(以下「臨時報告書」という)を、遅滞なく、内閣総理大臣に提出しなければならない」。

 「第7条、第9条第1項及び第10条第1項の規定は半期報告書及び臨時報告書について、第22条の規定は半期報告書及び臨時報告書並びにこれらの訂正報告書のうちに重要な事項について虚偽の記載があり、又は記載すべき重要な事項若しくは誤解を生じさせないために必要な重要な事実の記載が欠けている場合について、それぞれ準用する」。

 半期報告書、臨時報告書、有価証券届出書の虚偽記載の場合の役員等に対する損害賠償責任の規定、提出会社の役員に対して賠償請求、等々が問題になる。

 アーバンコーポの場合、正確にはすべてを開示していなかったということなので、「重要な事実の記載がかけている場合」の方に該当すると思われる。
 ライブドア事件判決でも適用された損害賠償額の推定規定が第21条第2項である。市場価格の下落分(前後1か月の平均)が賠償額と推定される。しかし、賠償額の立証まで必要となるところに難点がある(http://japanlaw.blog.ocn.ne.jp/japan_law_express/2008/09/bnp_b9bf.html)。