消された伝統の復権

京都大学 名誉教授 本山美彦のブログ

野崎日記(94) 新しい金融秩序への期待(94) 世界金融危機の構造(3)

2009-02-26 23:48:26 | 野崎日記(新しい金融秩序への期待)

規制の行方

 金融危機が発生する都度、これまでいろんな国際的な会議がもたれました。そして、つねに、「規制」と「監督強化」というキーワードが焦点になっていました。

  「規制」というのは、文字どおり、権力によって金融市場を規制することです。それに対して、金融界の自主的な管理に任せてくれ、というのが「監督体制の強化」という言葉です。


  これまで、アメリカ側は、「監督体制の強化」を強調してきました。一九九九年まではヨーロッパと、不思議なことに我が日本が、「規制」という言葉を出していたのです。日本は、二〇〇〇年に入りまして、アメリカ流の「監督強化」というスタンスに変わりましたが、それまでは、つまり、少なくともロングターム・キャピタル・マネジメント(LTCM)の破綻時とか、それからアジア通貨危機の暴風雨にさらされていたときには、我が日本当局は「規制」論でありました。

 アメリカは一貫してそれに対して反対して、「監督強化──情報の開示とリスク管理の強化──」論でした。国際会議においては、両者の対立点が明確にならないような形で共同声明が作成されてきました。そこのところを、私たちはおさえておかなければいけないと思います。

 一九九九年の四月、LTCMの破綻を契機に、クリントン大統領のもとで作業部会が作られ、ヘッジファンド、レバレッジの問題がLTCMとの関係で議論されました。アメリカの金融当局は、そこで初めて問題のあり方というか、金融の混乱の一つの要因として、秘密組織であるファンドとレバレッジが大変な問題を起こしそうだという認識を出してきました。このときには、アメリカの金融業界も「規制」に一時的ではあるが、傾いたのです。

 その後の、九九年六月のG8ケルンサミットでは、アメリカは防戦一方でした。その六月に、CDMPG(Counterparty Risk Management  Policy Group)報告が出されました。これは、金融業界のメンバーからなる作業部会です。後、三回の作業部会が開かれましたので、第一回のものをCRMPGⅠ報告と名付けましょう。第一回では、CDSを取り組むカウンター・パーティ(Counterparty)に不安があるという認識があめりか金融界から初めて出されました。ヘッジファンドとかタックスヘイブン、そして、短期資本移動などを規制すべきであるという、かなり厳しい見解が、業界内部で出されたのです。特にレバレッジに関しては、LTCMは二八倍もあるという危惧が、商業銀行の一四倍という対比の上で、表明されました。投資銀行についても、二七倍もあるという危惧が出されました。OTC(店頭取引)デリバティブというような金融資産取引は、圧倒的に投資銀行の独壇場になってしまっていたのです。

 最近のアメリカのメディアでは、投資銀行「シャドー・バンキング・システム」(shadow banking
system)という非難めいた言葉が飛び交っております。クルーグマンも使いました。「シャドー」という場合、影というよりも、何をやっているかわからない闇の中でうごめいている、という非難が込められています。

 
サブプライムローンも英語で 'NINJA Loan' と言われています。日本の忍者であります。何をやっているのかわからない、闇の中でうごめく組織によって交わされた契約であるという意味です。そういうものに対する警戒感が今回の金融危機で広まったのですが、以前にも、つまり、LTCM破綻直後のアメリカの金融界にはありました。

 ところが、歴史的な超金融緩和を迎えた二〇〇五年にはアメリカ金融界の雰囲気は一変してしまいました。そのときに、CRMPG報告Ⅱが出ました。パートⅡではパートⅠよりも規制という雰囲気が大きく後退してしまいました。

 
ただし、このときには、初めてシンセティックCDOの存在への危惧が表明されました。シンセティックCDOは、かなり危ない金融商品であり、クレジット・イベント(デフォルトの可能性を賭けにすること)が大きな問題になるだろうという不安感が表明されたのです。さらに先ほど申しました、さらに危ないCDO2──CDOスケアード(squared)と言うのですけれども──も蔓延しだしたことへの危惧も表明されました。そして、実際にCDSを組み込んだCDOをどういう組織が取引しているのかの説明もなされました。それによると、取引主体で見ると、銀行が圧倒的で、証券会社がその次でした。BIS規制から免れる手段としてCDS、それを組み込んだシンセティックCDOなどの金融商品が次々と開発され続けているが、これは、かなり危ない状況を生み出しかねないとの危惧が率直に表明されました。しかし、「規制」への傾斜は、このパートⅡでは影を潜めてしまいました。

 そして、二〇〇五年の九月一五日に、ニューヨーク連銀が一四の金融機関の代表を招集しました。そこで、ニューヨーク連銀は、OTCデリバティブの危険性を訴えて、何とか対策を練ってくれという注文を業界に出しました。しかし、CRMPG報告パートⅡでも、一四行の返答書簡でも、透明性を高めながら、OTCデリバティブは簡素化していきますという約束が出されただけで、立ち入った具体的内容は提出sれませんでした。問題は、あいまいなままに放置されてしまったのです。

 そして、二〇〇八年に金融が炎上してしまったのです。lSDA(International Swaps and Derivatives Association)が、〇八年七月三一日に、ニューヨーク連銀に宛て、システマテック・リスク軽減方策の提案を出しました。そして、八月六日には、CRMPG報告パートⅢが出されました。オフバランスを抑制し、なるべく、オンバランス化に努める。複雑な金融商品のリスク情報をなるべく詳しく開示するという従来からの「監督の強化」論に並んで、「規制」の雰囲気が強く滲み出た報告です。規制へのアレルギーが小さくなり、規制はやむを得ないという流れになったのです。そして、最終的なカウンター・パーティを設立する方向性が打ち出されました。少なくとも、情報を一カ所に集めて、透明性の確保を図るという方向で金融改革が進むことになるでしょう。

 会計手法も問題にされています。今後、オンバランスかオフバランスか、あるいは時価会計がどうか、そうした会計手続に照準が絞られていうようになるでしょう。私は規制に、賛成か反対かといえば、反対です。規制はいけない。規制する当局が信用できない。大事なことは、当事者が責任を持って自主管理をしていくことです。こういうことを決めました、こういう違反を我々の仲間がしましたから除名しました、と、権力の介入なしに、自分たちの機構の中で、自主規制といううシステムをつくっていくべきだろうと思います。アメリカはそういう方向に動いていくのではないかと思います。

 時間はかかるかもしれないけれども、一つの方向性は見えつつあるのではないか。楽観論だと言われそうですが、その方向にしか脱出口はないだろうと思います。だからシンセティックCDOのような、余りにも危ない金融商品は、今後、影を潜めていくのではないかと思います。 

 最後に金融資産に触れますです。

  ニワトリが先か卵が先かの類のものですが、確実に言えることは、預金銀行の資産が比率的に少なくなっていることです。我々は銀行といったらまだ預金銀行を考えますし、貸付というのは銀行が企業に貸すと思っていますが、少なくともアメリカにおいては、もうそうではない。これは仕方のないことです。資産が、年金とかミューチュアル・ファンドに移ってきていることは、数値によって歴然と示されています。こういう大きな流れ方が出てきますと、私たちは好むと好まざるとにかかわらず、証券化ということを前提で物を考えなくてはしようがないだろうなというように思います。

地方の再生を

 冒頭で、一番考えなければならないのは、若者の雇用を守ることだとお話しました。グローバルな形で展開してくる企業とか、グローバルな形で展開している金融機関はもういい。どうぞ御自由にやってください。それよりも、若者の雇用を守るための地域の預金銀行──昔の頼母子講のような、無尽の装置みたいなもの──をつくり出して、地元のお金を地元で還流させていく。学生たちも巨大企業ばかり考えないで、地元の地場産業の中小企業を担ってほしい。地場産業に夢を持ってほしい。

 例えば、東京や大阪の地下には、メタンガスなどの非炭素ガスがあります。高い石油なんか利用しなくても、これを使えばよい。あるいは日本には豊富な石炭があります。石炭の液化技術を開発すればよい。あるいは私が前に住んでいた福井には、芸術品のような豊富な農業用水があります。それで水車を回し発電すればよい。そうしたいろんな工夫をする余地がたくさんあります。そうした夢を持って、地元で、ローカルなところで仕事ができる。そこにお金が回っていく構造をつくるべきだと思うのです。

 国際舞台で活躍してくれる人はそれはそれでどうぞ。地元でシコシコと生きたい人間は、これだという形を生み出すことによって、私たちの社会は希望を持てるようになるのではないかと思います。

 大企業がひっくり返ったら、孫会社までがひっくり返るという構造を、今回の金融危機を奇貨として変えていく。念頭にありますのはヨーロッパであります。

 
ヨーロッパの地域主義というものを我が日本にも根づかそうではないかというのが私の具体的な提案です。首切りはやめてください、夢を持たせてください。夢を持つだけのプロジェクトをつくろうではないか、ということが大事です。そのキーワードは地元の再生にある。かなり情緒的な抽象的な話で終わりますけれども、私の報告とさせていただきます。