消された伝統の復権

京都大学 名誉教授 本山美彦のブログ

野崎日記(87) 新しい金融秩序への期待(87) 平成恐慌の序幕(9)

2009-02-18 01:31:54 | 野崎日記(新しい金融秩序への期待)
(8) 「非連動」、「切り離し」を意味する「デカップリング」(decoupling)という用語が、世界経済に使われれると、「世界経済の米国からの切り離し(デカップリング)」ということになる。米国経済が減速しても、中国などの新興諸国や欧州が世界の経済成長を引っ張り、世界経済の拡大が継続するという説である。世界経済が米国依存から脱却し、多極化するというパラダイム・シフトを表現する言葉として使われた。

 デカップリングという言葉が経済に適用された初期には、経済成長が環境への圧迫に結びつかないようにすることの意味で使われてきた。農業政策では、自然環境を守るという考え方に基づいて、農業生産と切り離し、農家に直接所得補償する政策を意味する言葉として使われてきた。

 「世界経済の米国からの切り離し」という意味で「デカップリング」という言葉が使われ出したのは米国経済が減速の兆しを見せ始めた二〇〇六年あたりからである。IMFが二〇〇七年四月に発表したWorld Outlook(世界経済見通し」は”Decoupling the Train? Spillovers and Cycles in Global Economy”(列車は切り離せるか?世界経済における波及効果と景気循環)と題する章を設け、デカップリング論を支持するニュアンスの内容になっている(IMF[2007])。 

 「デカップリング」論を支持しないことを明言している米投資銀行のモルガン・スタンレー・アジアの会長、スティーブン・ローチはIMFの経済見通しについて同社のGlobal Economic Forum(二〇〇八年四月九日)で"Spillovers versus Linkages"(波及と連関)と題し次のように述べている。 

 「統合とグローバリゼーションの長所を称えながら、他方でデカップルした世界の活気を称賛する経済予測の内在した矛盾に、私は、かねて驚いていた。現実を甘く見てはいけない。世界の成長を引っ張っている列車の先頭機関車が脱線したら、残りの世界は直ちに後に続いて脱線するであろう。これまでのところ、それは起きていない。そのことは、世界的デカップリング論は大きな試練をまだ受けていないという私の基本的な結論をはっきり示している。試練があるかどうかは米国の消費者にかかっている」。

 サブプライム・ローン問題が二〇〇七年夏以降、拡大していくと、デカップリング論の形勢が悪くなってきた。ロイター通信(二〇〇八年八月三〇日)は"Subprime saga strains economic decoupling theory"(サブプライム問題、デカップリング論に打撃)という見出しのEmily KaiserとKevin Plumbergによる分析記事を流した。 

 「サブプライム問題は、米国が世界経済のエンジンとしての地位を明渡しているというよく知られた説に不利な影響を与え、世界の成長が米国の景気後退に耐えることができるかどうか疑問が投げかけられている」(http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=200712192336293)。

(9) WTO(世界貿易機関=World Trade Organization)は、一九八六~九五年のウルグァイ・ラウンド(Uruguay Round)交渉の結果、一九九五年一月一日に設立された国際機関。一九三〇年代の不況後、世界経済のブロック化が進み各国が保護主義的貿易政策を設けたことが、第二次世界大戦の一因となったという反省から、一九四七年にガット(関税及び貿易に関する一般協定、GATT=General Agreement on Tariffs and Trade)(ガットとは文書のこと)が作成され、ガット体制が一九四八年に発足した。日本は一九五五年に加入した。ガットは、貿易における無差別原則(最恵国待遇、内国民待遇)等の基本的ルールを規定した。ガットは国際機関ではなく、暫定的な組織として運営されてきた。しかし、一九八六年に開始されたウルグァイ・ラウンド交渉において、より強固な基盤をもつ国際機関を設立する必要性が強く認識されるようになり、一九九四年のウルグァイ・ラウンド交渉の妥結のさいにWTOの設立が合意された。

 内容的には、新しい分野のルール策定として、物品の貿易に加え、サービスの貿易に関する協定を作成、貿易に関連する知的所有権や投資措置に関する協定を作成。紛争解決手続の強化として、貿易紛争に対してWTO紛争解決手続によらない一方的措置の発動を禁止、パネル(小委員会、Panel)報告の法解釈につき再審査をおこなう常設の上級委員会を設置など、加盟国の権利義務関係を明確化した。本部は、ジュネーヴに置かれている(http://www.mofa.go.jp/Mofaj/Gaiko/wto/2.html)。

(10) 「ラウンド」とは、「多角的貿易交渉」と訳されることが多く、貿易についての世界ルールを各国が一堂に会して話し合い決定していくことをいう。二〇世紀まではGATTを舞台におこなわれてきた。一九六〇年代のケネディ・ラウンド(Kennedy Round)では関税一括引き下げに成功、七〇年代の東京ラウンドでは非関税障壁撤廃のルールができ、ウルグアイ・ラウンドでは農業の例外なき関税化、つまり農産物の輸入受入原則をルール化した。一九九五年のWTO設立後、ラウンドの舞台はWTOに移る。農業分野のさらなる自由化や、ウルグアイ・ラウンドで扱われたサービス貿易・知的所有権などの分野のルール整備を求めて、二〇〇一年ドーハ(Doha、カタール)で開催された第四回WTO閣僚会議でドーハ・ラウンドの開始が決定された。正式名称は「ドーハ開発アジェンダ」(Doha Development Agenda)。貿易を通じて途上国の経済開発を目指そうとしている。

 しかし、ドーハ・ラウンドは難航している。〇三年のWTO第五回閣僚会議(カンクン、
Cancún、メキシコ)は、先進国と途上国との対立から交渉は決裂した。その後、〇四年二月の一般理事会で各分野交渉会合の議長を決定、三月から交渉会合が順次再開された。〇五年一二月のWTO第六回閣僚会議(香港会議)では、〇六年中に最終合意に到達することで合意、香港閣僚宣言として採択されていた。しかし、その後、農業分野の交渉は中断、そして、全分野の交渉が一時中断されるなどして、結局、〇七年中の合意は断念せざるを得なくなった。

 ドーハ・ラウンドを難しくしている大きな原因が、農業分野での対立である。日本を含めたG10とよばれる「食糧輸入国グループ」とEUは、「市場アクセス」つまり農産物輸入のさらなる自由化に反対している。一方、大農業輸出国である米国や、オーストラリアなど先進農産物輸出国からなる「ケアンズ・グループ」(Cairns Group)は、「市場アクセス」の拡大に賛成している。ケアンズ・グループ内にも対立がある。米国は、国内農業分野への補助金削減には反対しているが、補助金制度をとっていない諸国は、補助金削減には賛成している。

 インドや中国、ブラジルなどG20と呼ばれる有力途上国グループは、「市場アクセス」の拡大に賛成し、補助金については撤廃を要求しているものの、先進国から非農産物の輸入拡大を迫られていて、強く抵抗している。

 そして、ドーハ・ラウンドが難航している背景として、機能しないWTOはもはや重視せず、個別のFTA(自由貿易交渉、Free Trade Agreement)を重視する、という各国の姿勢がある。世界各国は、EU(欧州連合、The Euopean Union)やNAFTA(北米自由貿易協定、North American Free Trade Agreement)のような集団的なFTA、あるいは日本がアジアやラテンアメリカ各国と個別に締結・または締結を目指しているFTAのようなもので貿易を促進しようとしている状況である(辻雅之「よくわかる政治」;http://allabout.co.jp/career/politicsabc/closeup/CU20071124A/ )。

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