思想家ハラミッタの面白ブログ

主客合一の音楽体験をもとに世界を語ってます。

2009-01-22 13:41:40 | Weblog
ディープブルー誕生■
 ワトソン リサーチは、2度の敗北を喫しながらも、やがて驚くべき怪物を造りあげる。チェス専用マシン
『ディープブルー』である。ディープブルーの本体は、IBMのワークステーション(※2)RS/6000 SP
だったが、チェスの盤面を計算するための専用プロセッサが512個も追加された。いわば、チェス専用の
スーパーコンピュータだ。
 基本ソフトであるOSは、IBMのUNIXである『AIX』が採用され、チェスを思考するソフト本体(プログラム)
はC言語で記述された。C言語は、込み入った機能を簡単に記述するには適さないが、とにかく高速なソフト
(プログラム)を生成できる。そのため、リアルタイム性や高速性が要求されるゲームソフトや制御用
ソフト、デスクトップ用のアプリケーションソフトで使用される。

 ディープブルーのチェス思考プログラムは、6名のスタッフで開発されたが、その中には元全米チェス
チャンピオン ジョエル ベンジャミンも含まれていた。まず、過去100年間のチェスの主な試合の序盤戦
すべてが、定石としてディープブルーにインプットされた。この膨大な知識データベースにより、
序盤の展開が既知のものであれば、ディープブルーは次の手を瞬時に決定できる。
  また、序盤戦がデータベースにない展開となれば、独自の方法で次の手が決められた。コンピュータは、
記号処理や論理的思考は苦手だが、単純な数値計算だけは並はずれている。そのため、チェスの世界を
丸ごと数値化し、値の大小で、次の手を決定するのである。

 チェスは16個の駒を使うが、まずその駒の価値をすべて点数化する。ほとんど前進あるのみのポーンは
点数が低いが、全8方向にいくらでも移動できるクイーンは高い点数が与えられる。この点数をもとに、
1つの盤面に存在する自分の駒の点数を合計し、敵の駒の合計を引き算する。その点数が大きいほど、
自分にとって有利な盤面となるわけだ。もちろん、得点の高い駒がたくさんあっても、置かれた位置が不利なら、その分差し引かねばならない。逆もまた真なり。そのため、駒の配置が優位か、駒は動きやすい
か、キングは安全か、などの要素も計算に組み込まれた。こうして、最も高い得点をもつ盤面を求めて、
次の手を捜すのである。

■数値を喰らう機械 ディープブルー■
 ところが、この方法は原理的にはシンプルだが、計算量が半端ではない。話を単純化するために、
1つの局面にたいして、次の1手が平均30あるとする。すると、2手先は30×30=900、さらに3手先は、
900×30=27000と膨れあがる。深読みするほど、手の数が爆発的に増大することがわかる。
 そのため、名人でも7手先まで読むのが限界とされる。しかし、ディープブルーは10手先を楽々読むことが
できた。もちろん、何手先を読むかのみならず、読む精度も重要だ。2手先を読むといっても、素人と名人
とでは、たぶん天地の開きがある。

 ところが、ディープブルーは、『読む質』よりも『読む量』を優先したと思われる。ディープブルーの
思考プログラムがC言語で書かれているからだ。人工知能の世界で有名な言語として、Lisp や Prolog が
ある。これらの言語は、C言語にくらべ、記号処理や思考処理を記述しやすい。にもかかわらず、C言語が
使われたということは、『読む質』より『読む量』を優先したことを暗示している。つまり、考え得る手を
、しらみつぶしに計算するのである。

 人工知能に適した言語で思考アルゴリズム(処理手順)を工夫してみたところで、カスパロフのそれを
超えることなどできなかっただろう。おまけに、生成されるソフトの実行速度は、C言語で記述した場合に
比べ、桁違いに遅い。こうしてディープブルーは、人間の神秘的な思考を真似るのではなく、力まかせの
計算で押し切るナンバー クランチャー(数値を喰らうマシン)に徹したのである。
■歴史上最大のチェスゲーム■
 1997年5月3日、マンハッタンのホテルの一室で、人類の歴史年表に刻まれるチェスゲームがはじまった。
『スーパーコンピュータ ディープブルー』 対 『世界チャンピオン ガルリ カスパロフ』の一戦である。
ホテルには、観戦のための大きなスペースも設けられ、報道陣をはじめ多くのチェスファンも詰めかけた。
さらに、ゲームの進行状況は、メディアを通じ世界100カ国以上に報じられたのである。

 一部の愛好家の趣味が、これほどの大イベントとなった理由は、これが単なる『人間 対 機械』のチェス
ゲームを超えていたからである。つまり、「機械が人間の知性を超えるか」という壮大なテーマがかかって
いたのだ。ために、この対戦の内容は、今までのどのチェスゲームよりよく知られている。TV、書籍、
インターネットで、詳細な解説つきで紹介され、最近では、ドキュメンタリー映画まで制作されている。
まさに、歴史に残るチェスゲームであった。

 第1局は、カスパロフの圧勝に終わる。中盤において、カスパロフは自分の駒を敵陣に侵入させず、
ディープブルーとの駒の取り合いを避けた。そのため、ディープブルーにとって差し迫った危険がないため
、どの手を選択しても点数に差が出にくい。結果、点数の誤差の範囲で手を決めることになり、ミスを犯す
可能性も増す。案の定、ディープブルーはミスを犯した。カスパロフはそれを見逃さず、攻勢に出て、
勝利したのである。

 盤面を単純計算する方法では差の出にくい局面を保ちつつ、敵のミスを誘い、勝利する。胸の空く、
まるで絵に描いたような展開だった。この戦いの後、カスパロフは「私は自分の庭でプレイしていた
すぎない」とウィットに富んだセリフでしめくくった。とっさに出たセリフにしては出来すぎだし、
勝利を確信し、あらかじめ用意していたのかもしれない。勝負はまだ5局残っていたが、すでに勝敗は
決まったかのように見えた。カスパロフの知力、やはり恐るべし、である。
ディープブルーの反撃■
  第2局。ディープブルーの先手ではじまり、古典的な序盤戦となった。先に述べたように、序盤戦データの
すべてを記憶するディープブルーが優位に立つ。これに対し、カスパロフはデータベースにない奇策を
用いて、ディープブルーを混乱させようとする。だが、チェスの序盤戦はすでに研究し尽くされ、定石は
確立されている。あまりの奇策は、カスパロフにとって命取りになる可能性もある。それでも、さすがは
カスパロフ、一進一退でゲームはすすんだ。そして、いよいよチェスの歴史に刻まれる神の一手がうたれる。ディープブルーの手によって…

 観戦していたグランドマスターたちは、ディープブルーの次の一手に、必勝の手を予測した。それは、
最強の駒クイーンをカスパロフの陣深く打ち込むディープブルー会心の一撃で、カスパロフを完全に打ち
のめすはずであった。しかし、ディープブルーがうった第36手は、誰も予想しないものだった。
クイーンではなく、ポーン(歩)をつつましく前進させたのである。

 それは、ディープブルーの機械としての限界を露呈する悪手に見えたが、1人カスパロフだけが顔を引きつら
せていた。実は、カスパロフも、ディープブルーの次の一手が先の『クイーンの突撃』と確信していたのだ
。そして、誰もが信じた『とどめの一手』がうたれた直後、カスパロフは目の覚めるような大反撃をもくろん
でいたのである。そして、この大反撃こそがチェスの歴史年表に刻まれ、カスパロフに不滅の栄光を約束
するはずだった。ところが、ディープブルーはたった3分間の計算で、その歴史を変えた。
歴史に刻まれる神の一手は、カスパロフではなく、ディープブルーが打ち込んだのである。

■ディープブルー 神の一手■
  ディープブルーは、8手先までほぼ瞬時に読むことができたが、その時点では、先の『クイーンの突撃』を
決めていた。この手が最高得点だったからである。そして、9手、10手と先を読んでも、やはり最高得点は
『クイーンの突撃』だった。ところがここで、ディープブルーはある不気味な事実に気づく。
先を読めば読むほど、『クイーンの突撃』の点数が微妙に下がっていくのである。

 とすれば、もっと深読みすれば、この手が最高得点でなくなるかもしれない。つまり、眼前の盤面は、
前人未踏の20手先を読み切ったカスパロフの恐るべきワナかもしれないのだ。そんな神業を成せるのは、
この地球上でカスパロフ一人かもしれないが、ディープブルーは並のチェス名人を想定して造られていない。怪物カスパロフを打ち倒すための専用マシーンなのだ。ディープブルーは、この危惧を現実と受け止め、他の手を捜すことを決意する。歴史的瞬間であった。 カスパロフは、後にこの瞬間、ディープブルーに『知性』を感じたと語っている。だが、冷静に考えて
みれば、これは人間が書いたソフトウェアの一つの機能である。『最高得点の手を採用するが、もし深読み
するほど得点が確実に下がるなら採用しない』というアルゴリズム(処理手順)に過ぎないのだ。
ディープブルーの驚異的な計算力をもってしても、時間内に20手先を読み切ることはできない。
それをおぎなうための一種の推論といえるだろう。とはいえ、これが深淵なる思考とは言えない。
 ところが、カスパロフにはこれが神秘的で奥深い知性に見えた。極めて高度な技術は魔法と区別がつかない
のだ。結局、カスパロフは、このときの衝撃から立ち上がることができなかった。こうして、
ディープブルーは歴史的第2局を制したのである。

 第3、4、5局とドロー、そして第6局でついにカスパロフは敗北する。2勝1敗3引分、ディープブルーの
歴史的勝利であった。マスコミもこぞって、人間の知性が機械に負けたことを、歴史的な事件として世界
に伝えた。カスパロフの敗因は、世評どおり、第2局で受けた精神的ダメージによるのだろう。
また、人間には疲労があるが、ディープブルーにはそれがない。これは勝負を決する中盤から序盤にかけて
、決定的な優位点となる。チェスに限らず、囲碁、将棋の世界でも、名人が信じがたいミスをおかすのは、
この疲労によると言われる。