思想家ハラミッタの面白ブログ

主客合一の音楽体験をもとに世界を語ってます。

2009-01-20 14:45:19 | Weblog
「真空の相転移」という場の量子論の概念を援用することにより、宇宙論の多くの謎は解明することができた
。だが、相転移前の宇宙がいかにして与えられたか--この言い回しの適否は問わないで頂きたい--
という最大の謎は、最後まで残される。
 この問題は、エントロピーという概念を軸に説明するとわかりやすい。
エントロピーについての説明は、『20世紀の物質像』を参照されたい。
宇宙全体のエントロピーは、ビッグバンの時点から一方向的に増大し続けている。真空の相転移、天体の形成
、恒星からの光の放出など、宇宙誌においてメルクマールとなる出来事は、いずれも膨大なエントロピー生成
をもたらすものであった。宇宙が死に絶えるまでの期間が100億年の100億倍の100億倍以上もあると予想される
宇宙誌のスケールで眺めると、ビッグバンから僅か100億年しか経っていない現在はまだ宇宙の生誕直後であり
、全エントロピーは、実現可能な最大値と較べてきわめて低い値にとどまっている。コーヒーにミルクを
1滴落とした場合、その直後のエントロピーが急増する段階では美しい模様が形成されるが、ミルクが
コーヒーに混ざり合った高エントロピー状態に達すると、さして興味深い現象は起きなくなる。これと同様に
、現在の宇宙も、出来たばかりで急激にエントロピーが増大するただ中にあるからこそ、生命が生まれ文明が
育まれるのだ。具体的には、核融合によって生み出された短波長の光が宇宙空間に四散するという
エントロピー増大過程に巻き込まれる形で、小天体表面の分子が光化学反応を行って高分子合成を実現し、
生命の発生を可能にした。こうしてみると、宇宙初期の低エントロピー状態が、あらゆる現象の根源とも
言える。
 「始まりの瞬間」におけるエントロピーの低さは、並大抵のものではない。ペンローズが行った大まかな
数値計算によると、こうした低エントロピー状態が全くの偶然で実現される確率は、10123分の1となる。
もちろん、これが偶然であるはずはないし、また、偶然に実現されるような物理的なプロセスを考える
こともできない。それでは、この宇宙の創造主が、10123もの可能性の中から、ただ1つの選択肢を選び
取ったとでも言うのだろうか。 この謎は、多くの人の目には解答不能なアポリアとして映った。しかし、何人かのチャレンジ精神に溢れた
科学者は、敢えてこの問題に取り組もうとした。その中で、最も有名なのが、ホーキング(S.W.Hawking)
の「宇宙の量子状態理論」(1982)である。
 ホーキングの理論は、もはや一般人の理解力を超越しているが、無理に言葉で表すと、次のようになる
だろう。通常の物理理論では、ある時刻における系の状態は、それ以前の時刻での状態をもとに求められる
。この計算には、以前の状態を境界条件とする「経路積分」と呼ばれる技法が用いられる。ところが、
「始まりの瞬間」に、それよりも前の時刻はない。そこで、ホーキングは、この経路積分を、通常の時間軸
に直交するもう1つの仮想的な次元(「虚時間」と呼ばれる)の方向で行い、その端には「何もない」
という境界条件を置いてみた。「虚時間」を使った経路積分は、「トンネル効果」なる量子論的な効果に
よって系の状態が変化する過程を計算するテクニックとして1970年代に盛んに用いられたものだが、
ホーキングが採用した境界条件は、「何もない」ところから変化した結果だけが忽然と姿を現すという
奇怪なプロセスに対応する。いわゆる「無からの創造」である。ところが、驚いたことに、この計算の
結果は、エントロピーがきわめて小さい「始まりの瞬間」と、よく似た状態を与えるたのである。
この理論を信じるならば、宇宙の最初の状態は、それ自体には「変化」が全くないが、宇宙進化のあらゆる
可能性を内包したものになるという。それでは、こうした境界条件が、宇宙の初期状態を定めるという
根拠は何なのかとなると、ホーキングは明確な回答を与えない。むしろ、この境界条件は、宇宙の時間的な
端を定める未知の法則の現れだと考えているようだ。水道の蛇口から垂れ下がっている水滴の形が重力や
表面張力などの物理法則によって決定されるのと同じように、宇宙という時間的・空間的に拡がった存在の
全体的な形状も、ある法則で定まっている。自分の理論は、その法則を表現するものだというのである。
 ホーキングの論法には、正当化しがたい論理の飛躍があり、学会で支持を集めているとは言い難い。
しかし、理論全体が壮大な妄想にすぎない可能性があるものの、人間に可能な究極の知的挑戦として、
高く評価したい。