今回は十一年式軽機関銃を紹介します。フィギュア同様、これもフルスクラッチです。

十一年式は以前から立体にしてみたかった銃の一つです。十一年式は初の国産軽機関銃で、一般的な弾倉式ではなく、本体の装填架という箱にクリップ止めの小銃弾を直接重ねて入れるという、非常に珍しい方式を採っています。恐らく、世界唯一ではないかと思います。写真の中央、手元にある箱状のものがそれです。
この方式は、予備弾倉や装填具を携行する必要がなく、戦闘中でも随時弾丸を追加装填できるというメリットがあります。しかしこのため機構が複雑になった上に、構造上弾丸の一部が露出するため砂塵に弱いことなどから、故障が多かったといわれています。このように、フル装填すると、弾丸とそれを止めるクリップが見えてしまうんですね。
故障が多発した原因としては、薬室の寸法にあったとする説もあるようです。要するに、薬莢と薬室の寸法がぴったりだったため、排莢不良・薬莢破断がおこりやすかったとのこと。それに気付いた技術者が、薬室を広げたところ故障が減ったそうです(「幻の機関銃」(かや書房)に書かれてました。「幻の自動小銃」だったかも。内容もうろ覚えなので、参考程度にしておいてください、、)。
基本的に、自動銃の薬室は薬莢より広めに設計するのがキモなんだそうです。日本軍の機関銃には、滑らかに装填排莢できるよう、銃本体や弾倉装填具に薬莢に油を塗る装置「油槽」が付いているのですが、これは設計者の南部麒次郎氏がそのことに気付いていなかったからなのでは、と推測(「帝国陸海軍の銃器」(ホビージャパン))される方もあるようです。ちなみに、ヘッケラー&コッホ社の銃(「ダイハード」のサブマシンガンとか)は、その目的で薬室に切れ目を入れています。このため、空薬莢に切れ目の筋が縦方向に残るので、同社の銃で撃たれたものかどうか一目で分かるそうです。覚えておくといつか役に、、、、、立たないですね。
というわけで、実用性についてはいろいろといわれる十一年式ですが、初の国産軽機関銃という点を考慮にいれてほしい気がします。採用年は1922年です。軽機関銃の有用性が確認された第一次大戦の終結からわずか4年後です。日本は大戦において陸戦をほとんど行わなかったにもかかわらず、このタイミングで軽機関銃の重要性を認識して、国産していたこと自体凄いことではなかろうかと思います。他の国をみると、ドイツのMG08/15は重機の軽量型(要は何も新しく考えてない)、イギリスのオリジナルみたいに思われているルイスは、実は設計・開発は外国人(ルイス大佐はアメリカ軍人。イギリスはパッケを買っただけ。後のブレンだってそうですね)、フランスのショーシャは突っ込むこと自体気の毒(好きなんですけどね、、、)、アメリカのBARは、ありゃ軽機関銃じゃなくて自動小銃ざんす(オートマチックライフルって、自分で名乗ってるのは殊勝だなあ)、などなど、、目も当てられない状況です。
ハアハア、、、。いつもながら日本軍の弁護は大変だ、、、。
あっ、銃の話になるとつい長くなりますね。すいません。さっきはなんとなくごまかしましたが、改めて考えると、ルイス軽機はムチャクチャ優秀な機関銃ですね。長期間、多数の国々で使用された上に、その閉鎖機構はドイツのFG42やアメリカのM60に受け継がれています。まあ、ルイスは日本軍御用達なので、優秀なのは当然なんですが(なんか大西学園みたいだなあ、、、)。
閑話休題。十一年式のデザインはほんとうに個性的な素晴らしいもので、とても好きな機関銃なのです。なのでスクラッチはできるだけ頑張りました。素材はプラや板鉛、エポパテなどです。銃身の冷却用のヒダは、恐ろしいことにらせん状になっています。そして銃身にはテーパーがかかっています。これはもう嫌がらせ以外の何者でもありません。楽な作り方をいろいろ考えましたが、どう考えてもそのまま作るしかありませんでした。真鍮パイプにエポパテを盛ってテーパーをつけ、板鉛を巻いてプライヤーでつぶしてヒダ状にしました。
資料は前出の「帝国陸海軍の銃器」(ホビージャパン)が非常に役に立ちました。この本では十一年式がカラーで詳しく紹介されているのですが、書籍でここまで詳細に紹介されたのは史上初めてなのでは、、。実は九六式・九九式軽機も知名度のわりにしっかりと紹介された本はほとんどありません。今後に期待したいところです。
完成後、見えなくなるのですが、一応、装填架の中の弾丸も再現しています。薬莢は35のドイツの20ミリ機関砲弾が寸法的にほぼぴったり(20÷35×12=6・85!)なので市販品を流用しています。弾丸部分は銅線の先を削って再現。薬莢を購入する前にあてずっぽうで装填架を作ったのですが、後で作った弾丸を入れてみるとぴったりでした。

これは嬉しかったです。まあ、だからなんなんだ、といわれればそれまでですが。
塗装は、クレオスのメタルカラー「ダークアイアン」を塗り、麺棒で磨いています。
クレオスのメタルカラーは、下地仕上げをちゃんとすれば本当に金属のような風合いになるので気に入っています。「十一年式」の刻印もできるだけ頑張って入れてみました。リアサイトの目盛りも入れましたが、一体誰が褒めてくれるというのか、、、。
日章旗はエポパテです。できるだけ薄く延ばし、硬化の度合いを見計らいながら破れや皺をつけました。
フィギュアもそうでしたが、実際に作ってみると、銃も1/12はとてもいいスケールのような気がしました。手のひらに乗る感じがなんとも、、、
銃ありきで、また何か作りたいなあとも思ってます。百式短機を持った義烈空挺隊員とか、08/15を抱えたシュツルムトルッペンとか、EMP44もしくはMG13を構えるドイツ処女団員とか、考えるだけならアイデアはいくらでもでてきますね、、、。
というわけで、フィギュアよりも多弁になってしまい、なおかつ脇道も多かったですが何卒ご容赦下さい。この作品紹介はあと1回で終わりたいと思います。


十一年式は以前から立体にしてみたかった銃の一つです。十一年式は初の国産軽機関銃で、一般的な弾倉式ではなく、本体の装填架という箱にクリップ止めの小銃弾を直接重ねて入れるという、非常に珍しい方式を採っています。恐らく、世界唯一ではないかと思います。写真の中央、手元にある箱状のものがそれです。

この方式は、予備弾倉や装填具を携行する必要がなく、戦闘中でも随時弾丸を追加装填できるというメリットがあります。しかしこのため機構が複雑になった上に、構造上弾丸の一部が露出するため砂塵に弱いことなどから、故障が多かったといわれています。このように、フル装填すると、弾丸とそれを止めるクリップが見えてしまうんですね。

故障が多発した原因としては、薬室の寸法にあったとする説もあるようです。要するに、薬莢と薬室の寸法がぴったりだったため、排莢不良・薬莢破断がおこりやすかったとのこと。それに気付いた技術者が、薬室を広げたところ故障が減ったそうです(「幻の機関銃」(かや書房)に書かれてました。「幻の自動小銃」だったかも。内容もうろ覚えなので、参考程度にしておいてください、、)。
基本的に、自動銃の薬室は薬莢より広めに設計するのがキモなんだそうです。日本軍の機関銃には、滑らかに装填排莢できるよう、銃本体や弾倉装填具に薬莢に油を塗る装置「油槽」が付いているのですが、これは設計者の南部麒次郎氏がそのことに気付いていなかったからなのでは、と推測(「帝国陸海軍の銃器」(ホビージャパン))される方もあるようです。ちなみに、ヘッケラー&コッホ社の銃(「ダイハード」のサブマシンガンとか)は、その目的で薬室に切れ目を入れています。このため、空薬莢に切れ目の筋が縦方向に残るので、同社の銃で撃たれたものかどうか一目で分かるそうです。覚えておくといつか役に、、、、、立たないですね。
というわけで、実用性についてはいろいろといわれる十一年式ですが、初の国産軽機関銃という点を考慮にいれてほしい気がします。採用年は1922年です。軽機関銃の有用性が確認された第一次大戦の終結からわずか4年後です。日本は大戦において陸戦をほとんど行わなかったにもかかわらず、このタイミングで軽機関銃の重要性を認識して、国産していたこと自体凄いことではなかろうかと思います。他の国をみると、ドイツのMG08/15は重機の軽量型(要は何も新しく考えてない)、イギリスのオリジナルみたいに思われているルイスは、実は設計・開発は外国人(ルイス大佐はアメリカ軍人。イギリスはパッケを買っただけ。後のブレンだってそうですね)、フランスのショーシャは突っ込むこと自体気の毒(好きなんですけどね、、、)、アメリカのBARは、ありゃ軽機関銃じゃなくて自動小銃ざんす(オートマチックライフルって、自分で名乗ってるのは殊勝だなあ)、などなど、、目も当てられない状況です。
ハアハア、、、。いつもながら日本軍の弁護は大変だ、、、。
あっ、銃の話になるとつい長くなりますね。すいません。さっきはなんとなくごまかしましたが、改めて考えると、ルイス軽機はムチャクチャ優秀な機関銃ですね。長期間、多数の国々で使用された上に、その閉鎖機構はドイツのFG42やアメリカのM60に受け継がれています。まあ、ルイスは日本軍御用達なので、優秀なのは当然なんですが(なんか大西学園みたいだなあ、、、)。
閑話休題。十一年式のデザインはほんとうに個性的な素晴らしいもので、とても好きな機関銃なのです。なのでスクラッチはできるだけ頑張りました。素材はプラや板鉛、エポパテなどです。銃身の冷却用のヒダは、恐ろしいことにらせん状になっています。そして銃身にはテーパーがかかっています。これはもう嫌がらせ以外の何者でもありません。楽な作り方をいろいろ考えましたが、どう考えてもそのまま作るしかありませんでした。真鍮パイプにエポパテを盛ってテーパーをつけ、板鉛を巻いてプライヤーでつぶしてヒダ状にしました。

資料は前出の「帝国陸海軍の銃器」(ホビージャパン)が非常に役に立ちました。この本では十一年式がカラーで詳しく紹介されているのですが、書籍でここまで詳細に紹介されたのは史上初めてなのでは、、。実は九六式・九九式軽機も知名度のわりにしっかりと紹介された本はほとんどありません。今後に期待したいところです。
完成後、見えなくなるのですが、一応、装填架の中の弾丸も再現しています。薬莢は35のドイツの20ミリ機関砲弾が寸法的にほぼぴったり(20÷35×12=6・85!)なので市販品を流用しています。弾丸部分は銅線の先を削って再現。薬莢を購入する前にあてずっぽうで装填架を作ったのですが、後で作った弾丸を入れてみるとぴったりでした。


これは嬉しかったです。まあ、だからなんなんだ、といわれればそれまでですが。
塗装は、クレオスのメタルカラー「ダークアイアン」を塗り、麺棒で磨いています。

日章旗はエポパテです。できるだけ薄く延ばし、硬化の度合いを見計らいながら破れや皺をつけました。

フィギュアもそうでしたが、実際に作ってみると、銃も1/12はとてもいいスケールのような気がしました。手のひらに乗る感じがなんとも、、、

銃ありきで、また何か作りたいなあとも思ってます。百式短機を持った義烈空挺隊員とか、08/15を抱えたシュツルムトルッペンとか、EMP44もしくはMG13を構えるドイツ処女団員とか、考えるだけならアイデアはいくらでもでてきますね、、、。
というわけで、フィギュアよりも多弁になってしまい、なおかつ脇道も多かったですが何卒ご容赦下さい。この作品紹介はあと1回で終わりたいと思います。