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森男の活動報告綴

身辺雑記です。ご意見ご感想はmorinomorio1945(アットマーク)gmail.comまで。

バンタム BRC-40 ミニアート 1/35

2015年10月18日 | AFVの模型
今日はミニアートのバンタム BRC-40を紹介します。月刊ホビージャパン2011年2月号に作例として掲載されたものです。

キットをストレートに製作し、簡単なベースに乗せました。全景はこんな感じです。

タイトルは、編集部が付けてくださった誌面の見出しがとても面白かったので、作品が帰ってきたあとで拝借して付けました。

要するに、道に迷ってるわけですね(笑)


キットは繊細・精密で組み立てもそんなに難しくなくて、とてもよくできてます。ミニアートのキットを組むのはこれが初めてだったのですが、出来のよさにびっくりした記憶が。グリルのスリットもびしっと決まってます。

モールドもメリハリの効いたシャープな感じで、塗装のやりがいがあります。ピンクと水色が混じった変な迷彩ですが、これは塗装図のまんまです。目を引く模型栄えする色調ですね。



裏の足回りもばっちりです。


エンジンもきちんと入ってます。コードとか追加するととてもいい感じになるのでは。


道標は薄い木の板で自作。地名は、グーグルマップで北アフリカの辺りをうろうろしてそれっぽいものを適当に書いてます。便利な時代になったものです。イメージは明らかに「気分はもう戦争」の扉絵からですね。今見て気づきました(笑)


このキット、車両もいいのですが、フィギュアも素晴らしいです。
3体で、しかも車両の上だけでドラマが生まれてます。しかもシリアスじゃなくてちょっと面白い(笑)
こういうのはミニアートの面目躍如といったところですね。塗装図には、カラーで徽章の類も細かく描かれているのもほんとありがたいです。なので、出来るだけきちんと塗りました。

ただ、車体とのフィッティングが悪いので、結構な微調整が必要です。とはいえミニアートのプラはとてもやわらかいので、ちょこちょこ根気よく調整すれば収まってくれます。

ほんと、このフィギュアたちはおもろいです。ミニコント入ってますよね。
「チミチミ、ウチらはどこに向かっとるんだね」


「え、、、?知らないっすよ」


「マジで?」


「腹減ったなあ、、、」
てな感じですかね。

こちらが誌面です。1Pです。名前が間違ってますが、まあ、そういうこともあります。

バンタムはウイリスMBなどのいわゆるジープの原型となった車両です。ちょっとマイナーなので、キットが出たこと自体喜ばしいことですし、さらに高品質な内容なのはとても嬉しいことですね。この流れで丸っこくてかわいいバンタム一号車とか出してほしいところですが、さすがに無理ですね(笑)

で、ジープ系の車両でぜひキットがほしいのがトヨタAK-10です。1944年に作られた和製ジープです。「四式小型貨物車」として制式採用されたものの、5台だけ作られて量産前に終戦になりました(こんなのばっか)。イラストにしてみました。

陸軍から「ジープみたいな車両がほしいから作りなはれ。でも、ジープに似たらあきまへんで」という禅問答みたいな指示を受けてトヨタが製作(気の毒だ、、)。結果、今製造したとしてもジープ社からギリギリ訴えられなさそうな実に素敵な車両となりました。この車両での経験が、後のトヨタのジープやランクルの開発に生かされたそうです。そう考えると、陸軍のムチャ振りは意味のないことではなかったわけですね。多分。

特徴的な一つ目のライトは、ジープに似せないための配慮のようで、もちろん資材の節約という目的もあったと思います。陸王軽四軌で使われたリーディングアーム式のサスペンション(えらそうに書いてますが、どんな仕組みなのかよく知りません(笑))を採用したため、前輪が前方に突き出し、ちょっとアンバランスな感じになってます。それやこれやで、なんとも日本軍らしいスタイルで、ほんとキットがほしいです。が、まあでも、さすがにキット化は無理でしょうねえ、、。

ただ、小さい車両なので作ろうと思えば作れそうではあります。本土決戦ジオラマにぴったりの車両なので、ずっと製作を検討してるのですが、残念ながら公になってる写真は二枚しかないのです。図面とかはトヨタに残ってそうな気もするんですけどね、、、。写真から無理やり作っちゃおうかな、、、。ちなみに、ジープに似すぎて没にされたプロトタイプもめちゃくちゃ素敵なので、興味のある人は検索してみてください。

というわけでまた。AK-10の概要については「図説 四輪駆動車」(山海堂)を参考にしました。

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三式中戦車長砲身型 ファインモールド 1/35 (その3 完)

2015年07月18日 | AFVの模型
というわけで3回めです。今回は銃器について解説します。あれもこれも、と書いていたら長くなってしまいました。あらかじめご了承下さい。

九六式軽機関銃はドラゴンの硫黄島セットから。前にも書きましたが、このキットの九六式は最高の出来です。もうほとんど手に入らないのが残念ですね。工作はスリングとダストカバーを追加したくらいです。
九六式は、世界的に見てもかなり高性能な軽機関銃です。ひょっとすると、世界一かも(いや、マジで)。機関銃の弾丸は普通は散らばって着弾するものなのですが(MG42など、わざとそうしている銃もありますが)、この銃はほぼ同じところに着弾する「同弾」が普通にあるほどの精度です。100メートルで4発が重なって着弾することもあるとか(須川薫雄「日本の機関銃」より)。ライフルならともかく、自動銃でこれはかなりのもんでしょうね。十一年式で問題になった作動不良も、解決されています。6.5ミリ弾なので反動も軽く、また銃自体の重さもほどほど(約10キロ)で、射撃中の動画を見る限りとても扱いやすいように見えます。世界一かどうかはおいといて(笑)、少なくとも日本軍で使われた銃器の中では、ほぼ完璧な銃だったのではないでしょうか。

というわけで(?)イラストにしてみました。恐ろしいことに、軽機関銃なのにスコープが標準装備となっています(作例ではオミットしてます)。スコープの着いた高精度の軽機関銃なんて、九六式と九九式くらいです。
九六・九九式は銃剣が着けられることで、よくバカにされることがあります。「軽機関銃に銃剣をつけた間抜けな日本軍」といった感じです。日本軍をバカにするときのお約束といって良いほどです。
しかし、先の本の著者・須川氏の指摘では、銃剣は発砲時の反動を抑えるアタッチメントだったという可能性があるそうです。専門誌「月刊Gun」で、実銃での検証記事があり、一割は集弾性が良くなったとのこと。確かに、最初から銃を重くして集弾性を上げるよりも、どの兵士でも必ず持っている「重り」を必要に応じて装着するほうが効率が良いですね。更に、軽機関銃にも銃剣の刺突機能を求めていたのならば、十一年式の代から着けられるようにしているはずです。

ただ、実際にそういう意図(射撃精度の向上)のために着剣できるようにしたのかどうかは、はっきりとわかる資料を見たことがありません。マニュアル「九六式軽機関銃取扱上ノ参考」を見ても、そういう記述は見られませんでした。「軽機関銃射撃法」のようなマニュアルがあれば、載っているのかもしれませんが、、、。

しかし、現物をみると、そうだっただろうと思わざるを得ないです。上の写真をみてもらえればわかるのですが、銃剣として使用するには、装着位置が後ろすぎて、剣先が短くなってしまっています。もし銃剣の刺突を唯一の目的にしているのであれば、もう少し先に装着するようにするはずです。そもそも、10キロもある重さの銃で(しかも突起物が多い)、普通の銃剣術のような動きはできないでしょう。最後の最後、バンザイ突撃の場合も弾がある限り後方で支援射撃をするはずです。それでも弾が無くなった場合は、最終的に銃を持って突撃することになるのでしょうが、その局面での状況を「バカ」とは言えませんよね、とても、、、(合掌)。

日本軍では、軽機関銃は1人で運用するものではなく、射手(第一銃手)・弾薬手(第二・第三銃手)・指揮官(班長)の3-4人の「軽機班」で行動していました(()内は日本軍の呼称)。ジオラマでは、オミットして射手と弾薬手のみとしています。

射手はとにかく射撃に専念し、横に弾倉を持った弾薬手が控えており、随時弾倉を交換します。本来は後ろにいるはずの指揮官が射撃目標を指示するわけです。意外に感じる人もおられるかもですが、軽機関銃を構えると、視野がかなり狭まり周囲の状況が把握しずらくなります。なので、効果的な射撃をする場合は指揮官は必要なのです。
弾薬手は予備弾倉嚢を前に置いて、弾倉を持って待機しています。前の十四年式拳銃もドラゴンから。今ではファインモールドの傑作がありますが、当時はこれが唯一かつ最高でした。トリガーガードの大きな後期型に改造しています。というわけで、ファインモールド様、九六式出してください!!次の日本軍キットのおまけに混ぜてやって下さい!!それ何個でも買いますから!!(心の叫び)

背中に背負ってるのは、予備銃身嚢です。数百発(規定があるのでしょうが、ちょっとわかりませんでした)ごとに銃身を交換します。マメに交換しないと、真っ赤になって、最悪溶けて曲がってしまいます。真っ赤になると夜中でも視認できるほどだそうです。複数の戦記で、そういう状態になった記述を読んだことがあります。機関銃は無限に弾を撃てるようなイメージがありますが、それは大嘘です。機関銃手は「おらの銃がいつ壊れるのか」ドキドキしながら射撃してたんじゃないかなー、というのが私の推測です。消耗部品一個折れるだけで大騒ぎだったんじゃないでしょうか。なので、作戦とは関係のない余計なものを撃つことは絶対なかったと思いますよ、ほんと、、、。

手に持った弾倉には、真鍮線で実包(弾丸)を入れてあります。われながらゲーコマです(笑)。ちなみに、実包というのは日本軍の造語だそうです。

射手は、銃の残弾が少なくなると、弾薬手に弾倉の交換を指示します。どうやって残弾を知るのかといいますと、弾倉の後ろに窓があり、残り4発からわかるようになっているのです。以下図示します。

いやほんと、ゲーコマですねえ。先ほど、射手の視野が狭くなると書きましたが、この窓は照準器のすぐそばにあるのでチラッと目線を少し動かすだけで確認できるわけです。この機能がある軽機関銃は、これまた恐らく九六・九九式が世界唯一じゃないでしょうか。何かの本で、この機能を揶揄するニュアンスで「戦闘中にこんな小さな窓をいちいち見てられるわけがない(なので余計な無駄な機能だ)」という指摘をしている人がいましたが、戦闘中に自分の銃の残弾数を把握できないような奴は、そもそも銃手失格なわけです。そんな、お前のような腰抜けは日本軍にはいないのです。

閑話休題。で、これは案外大事な機能なのです。構造上、軽機関銃は残弾ゼロまで撃ってしまうと、ボルトが落ちたままとなるため、ボルトハンドルを一度引いてボルトを射撃位置にしなければなりません。この動作をするために、射手は体を少し動かさなければならず、目標から目をそらすことになり、射撃が最低でも数秒は中断してしまいます。

しかし、残弾ゼロになる前に弾倉を交換すれば、ボルトハンドルを引く動作をする必要がないので、ほぼ目標を補足したまま射撃を継続できるのです。(ボルトの動きについてはちゃんと説明しようとするとまた長くなるので割愛します。また機会があれば解説します)。この差は、状況によっては致命的なものになるはずです。映画「シン・レッド・ライン」でも、突撃してくる米兵に応戦する日本軍の軽機の射手が、隣の弾薬手に「弾!」と弾倉交換を求めるカットがあり、私は「おおっ!」と感心してしまいました。ちなみに、この映画には三年式重機もでてましたねー(ほんま、どこ観とんねん)。

以前、日本海軍の航空機搭乗員の方に話を聞いた人から伺ったことがあるのですが、爆撃機などの旋回機銃の射手も、弾丸を撃ち切る前に弾倉を交換するよう指示されていたそうです。これも、同じ理由からですね。ただ、空戦中は必死なので、どうしても撃ち切ってしまうことが多かったとのことでした。ル式はじめ、どの旋回機銃も残弾表示窓がなく、装填数も多い(例えばル式で97発、九八式で75発)ので、無理もないですね、、。

弾薬手は装弾器を持ってまして、空になった弾倉に実包を装填していきます。装填後、順次銃のほうに渡していきます。戦闘が長引けば戦闘中装填作業が続けられるわけです。装弾器もこれまたほんとよく考えられていて、感心してしまいます。

一回で15発入るので、2回繰り返せばいいわけです。装填後、クリップが下に落ちるのはほんとゲーコマですねえ、、。一斑に予備を含めた2個が支給されていたとのことなので、それだけ損耗の激しい機材だったのでしょう。なので、戦闘中もジャカジャカ装填していたんだろうと思います。

こちらは四式自動小銃です。
この銃については先日、別件のエントリーhttp://blog.goo.ne.jp/morio1945/e/ead244d545d18eb66dba901a3426e00eで書きましたね。どーでもいいのですが、この銃を出した雑誌作例は模型史上これが初めてじゃないのかな、と思います。まあでも、だからどうしたという感じですね(笑)

製作中がこちら。ドラゴンのガーランドがベースです。ほぼそのままですね。
三十年式銃剣はタミヤ三八式のものを着けてます。つばがストレートな後期型にしてます。銃の改造はちまちまして楽しいので、おすすめです。製作法などはまた改めて紹介したいと思います。

こちらはベ式自動拳銃(ベルグマン)です。
こちらもドラゴンのMP28を改造しました。これも模型史上(略)
銃剣はつばの曲がった前期型にして、持ち主のベテランぶりを演出(したつもり)。銃剣の刀身部は、黒染めと銀の二種類があります。後期型はほぼ黒染めです。前期型は混在しています。


この兵士は九九式破甲爆雷(対戦車爆弾)のポーチをつけ、刺突爆雷を持っている「対戦車野郎」という設定。マスターボックスの日本兵を小改造しました。なんとなく顔が似てるのでキムキム兄やん、と呼んでます(笑)。陸戦隊なので、ハチマキは旭日旗です。破甲爆雷はともかく、刺突爆雷は手で戦車を突っつくので、ほぼ戦死確実のヒドイ兵器です。パンツァーファウストの弾頭を手でぶつけるようなものですからね、、、。手でぶつけるのではなく思いっきり投げて、伏せればなんとか生き残れるかもしれませんけど、、、。

陸戦隊のベルグマンは、正確にはドイツ製ではなく、スイスのSIGがライセンス生産した「SIG M1920」という銃です。タミヤの親衛隊歩兵セットに入ってるので有名なMP28と似てるのですが、結構相違点があります。その辺は昔漫画に書いたことがあるので、あげときます。
このときは、使用弾薬は「7・63ミリモーゼル弾」と書きましたが、どうも違う可能性もあるようです。さまざまな書籍(床井雅美「最新 サブ・マシンガン図鑑」(徳間文庫)など)ではそうなっているのですが、前述の「日本の機関銃」では薬莢がボトルネックになっていないストレートな「ベルグマン用7・63ミリ弾」が紹介されています。確かに、モーゼル弾で50連も詰めれば、このようなストレートマガジンでは収まらないように思います。35連でもPPSH41やPPS43のようにカーブさせないとダメですもんね、、、。ただ、この「ベルグマン用の実包」は他の資料で見たことがないので、ほんとかな?という気もします。今後の調査課題ですね。

フィギュアの製作途中はこんな感じです。タミヤの日本兵をベースに、ドラゴンのものを付け足してエポパテで味付け、といった感じですね。
ゲートルをはいた足は、タミヤの擲弾筒手のものしか独立してるものがないので、使い倒してます。当時はこのゲートルをなんとかするのがほんと大変でした。とてもじゃないですが、自作するのは大変ですから、、。今は、ファインモールドの四一式山砲の山砲兵があるので、この問題は解決されてます。

さて、先ほどベルグマンの箇所で「漫画を描いた」と書きました。それは私の所属する徳島モデラーズ倶楽部の会報に描いたものです。2011年に発行しました。
印刷屋さんで製本してもらったちゃんとしたもので、私も編集スタッフとしていろいろお手伝いさせていただきました。こう言うのもなんですが、模型クラブの会報以上の、普通に売り物になるレベルを目指し、かなりきちんと作ったつもりです。

で、なんといいますか、ありていにいうと大絶賛在庫中なので、興味のある方はぜひどうぞ。

当会の公式サイトから通販できますので、ぜひご覧になってみてください。
http://tmcofficial.web.fc2.com/tmcmagazine201102.html
内容についての説明もありますので、よろしければどうぞ。

で、私の漫画はこんな感じです。4ページで、模型(1/35)での銃器の楽しみ方、制作上の注意点・ポイントなどをちまちまくどくどと描いています。
35で銃のことをきちんと抑えておきたい、という方にぜひ読んで欲しいなあと思いながら描きました。

というわけで、やっとお終いです。最後は宣伝になって申し訳ないです。でも、ほんと流れ上こうなっただけの話なので、信じていただければ幸いです(笑)。
いやー、いま読み返すと、うんざりするくらい長いですね。ほんとすいません。ここまで読んで下さった方々に感謝です。ありがとうございました!

それでは。

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三式中戦車長砲身型 ファインモールド 1/35 (その2)

2015年07月12日 | AFVの模型
三式中戦車長砲身型のジオラマ紹介の2回目です。今回は建物などストラクチャーについて紹介します。

対戦車バリケードのレールは、都電のレールをはがして地面に差したという設定です。まあ、米軍相手では全然役に立たないような感じですが、、、


散らばったり有刺鉄線に引っかかっている紙片は、投降勧告ビラです。こういうゴミゴミした感じは、なんといいますか、居心地の悪い、ヒリヒリしたような印象になるんじゃないかなーと思いますが、どうでしょうか。

レールはエバーグリーンのI-BEAMを利用しました。都電のレールはもっと細いと思いますし、断面形も違うと思います(調べましたが、わからなかった、、、)。なので、とりあえずの雰囲気優先の表現ということで、、、。有刺鉄線はボイジャーのエッチングから。これは先にブルーイング液などで黒染めをしたほうがいいですね。後で少し触れるだけで塗装が落ちて、キラキラ金色に輝くのでタッチアップが大変でした。

建物の廃墟は五ミリ厚のスチレンボードで製作。窓枠などはエバーグリーンのプラ材で。昭和期の建物は、明治時代の建物のように西洋そのまま、という感じではなく、なんとなく日本独特の雰囲気があります。どこがどう、という具体的なポイントはわからないのですが、資料を見ながらそれっぽくなるようにしました。

当時は官公庁などでこういう石造り風(コスト的に完全な石造りは難しいかと)の建物がよく見られるのですが、どういう工法で建てられているのか、よくわかりませんでした。なので、中身はレンガで、外壁はモルタルないしコンクリートで固めてるのかな?と想像で作りました。

後日、「原爆ドーム」(朝日文庫)という本を読むと、原爆ドーム(広島県産業奨励館)がまさにそういう建て方(レンガ→モルタル)をしていたということを知りました。ドームの内部の写真を見ると、確かにレンガ積みの壁面がむき出しなっています。恐らく当時の普遍的な工法だったのかもしれません。推測が当たっていて(多分ですけど)、嬉しかったですね。
建築は当然ながらほんと奥が深いので、ジオラマで何かを製作する際はいつも右往左往するのですが、取り組んでいるととても面白く、やりがいのある題材です。

外側には「神州不滅」のスローガンを書き、バランスをとるために(笑)、内側には「国破れて山河あり」の杜甫の漢詩を書きました。いい言葉だと思います。

建物は百均のスチレンボードで作りました。

スチレンボードは手軽で、加工しやすく、細かいディテールもつけやすいです。

しかし、残念ながらスチレンボードはエナメルシンナーに弱く、染み込むとデロデロに溶けてしまいます(ナゼなんでしょうね?)。私はエナメルの汚しが好きなので、エナメルが使えないのは痛いです。なので、今はもうスチレンボードの工作はやってないです。このときは、ラッカーを下地にアクリルで汚し、パステルで仕上げました。

次に兵士の方に移ります。メガネは、モーターのリード線で作りました。


リード線をばらして、ピンバイスの軸に巻いて輪を作って、つるとブリッジを付けます。なかなか難しいのですが、結構面白くて、いつも楽しんでやってます。レンズは、木工ボンドを表面張力の要領で延ばして表現。メガネ単独のみの時は、リング、ブリッジ、つるをゼリー瞬着で接着します。顔に付ける場合はリングを先に顔に付けて、つるとブリッジは後から付けます。銀色のリード線は最近あまりないみたいですね。銅のばかりです。なので、手持ちのを大事に使ってます。

写真ではわかりにくいのですが、実物を見たときにレンズがちょっとキラキラしていいアクセントになってくれます。そして、なによりフィギュアの精密感を出すのに効果的な小道具です。ヘルメットのネットは、細かい網状の生地があり、それを貼り付けています。こちらも、精密感がぐっと増すので重宝しています。



このジオラマを作るのに、参考にした資料群です(一部無関係なものも混じってますね(笑))。「GHQカメラマンが撮った戦後ニッポン」(アーカイブス出版)は、終戦直後、米軍のカメラマンがカラーで日本国内を撮影した写真集で、メチャクチャお勧めです。基本的に、戦中の色彩もほぼ同じような感じだったと思いますので、ほんと参考になります。このジオラマでは敷石や建物の色調を決めるのに、迷わなくて済みました。その他、町の風景、人々の顔、服、自然の様子などなどがものすごい実感で迫ってきて、タイムスリップしたような気分になります(大げさな表現ですが、ほんとそんな感じです)。このときは図書館で借りて驚愕し、後で買いました。本土決戦モデラー(いるのか?)必携といえるでしょう。マスターモデラーズVol.25-27の、土浦の三式のディテール写真集は三式製作時の必携資料ですね。

5年前に比べると、今ではネットの画像検索でかなりの資料が出てきますので、調べ物はとても楽になっていますね。でも、かといって書籍の重要性は薄らいでいるか、というと全然そんなことはないと思います。「この本でないと見られない写真」って、いくらでもありますしね、、、。また、どんな本でもいつでも手に入るような印象がありますが、それは幻想ですね。アホみたいなプレミアが付く事もあるし、全然出てこないこともありますので「見たら買っとけ」の原則は変わりませんね。

というわけで、あと一回続きます。次は、お待ちかね!銃器の解説でえす!(笑)


※このジオラマは「月刊ホビージャパン2010年6月号」に、作例として掲載されたものです。写真は全て私が撮影したもので、誌面には掲載されておりません。興味のある方は、ぜひ誌面をご覧になってみてください。

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三式中戦車長砲身型 ファインモールド 1/35 (その1)

2015年06月21日 | AFVの模型
今日は本土決戦ジオラマを紹介します。ファインモールドの1/35三式中戦車長砲身型の作例として、月刊ホビージャパン2010年6月号に掲載されたものです。

キットの箱絵は、国会議事堂を背景に都心を進撃する三式を描いた迫力のあるもので、それにヒントを得て、東京中心部の市街戦を描いたジオラマにしました。
官公庁街付近のイメージで、路面電車のレールを引き抜いて対戦車バリケードにしているという設定です。

敷石をはがし、地面を少し掘りこんで車両をダックインさせた状態にしました。

「ここが最後の踏ん張りどころ。もう後がないぞ!」というイメージですね。タイトルは「最後の守護神」です。三式長砲身型は、日本陸軍としては十分な性能の戦車だとは思うのですが、それでもドイツやアメリカ、ソビエトに比べると「守護神」とするにはつらい車両です。その辺の皮肉も込めています。

こちらが誌面です。掲載は3ページで、結構な密度で紹介していただいてますので、興味のある方はご覧下さい。5年前なので、さすがにもう古本でしか入手できないようですが、、、。

先にネガティブなことを書きましたが、三式長砲身型はアンバランスになる寸前のギリギリのところで納まっているカッコいい戦車だと思います。チハからスタートして、ここまで行き着いたのは凄いなあと。Ⅲ号戦車よりも小さいのに、、、。
車体下部前面の増加装甲は架空です。インパール戦で新砲塔チハがM3の装甲板を使った増加装甲を付けた例があり、その戦訓が伝わっていたら、という設定です。日本軍では現地部隊で兵器を勝手に改造するのはご法度で、復元可能にするのが原則だったということなので(根拠は不明ですが、どうもそんな感じだったとのこと)、前部上面のマイナスネジを使って装着して、取り外し可ということにしてます。キャタピラの増加装甲は日本軍でもやってたようで、写真でも散見できますね。Ⅲ・Ⅳ号戦車同様、変速機上面のハッチ周辺の被弾を恐れていたように見受けられます。キャタピラともども心もとない増加装甲ですが、角度がよければ初弾くらいならなんとかしのげるんじゃないかと思います。

砲塔には被弾痕を付けました。被弾痕は日本軍戦車の夢なので、嬉々として付けました(笑)正面は50ミリ厚ですが、角度がよければ(こればっか)75ミリ砲弾でもはじくでしょう。被弾痕は磨いたようにつるつるになるそうです。モーターツールの丸ビットで削って、表面をならしてます。めくれたところはエポパテで表現しました。
お経は手描き。私が真言なので、お大師様に登場願いました。お経を唱えながら突撃する部隊があったと何かで読み、そういう「神頼みの現場の必死感」を出したいなあと思って書きました。宗教と戦争は「死」というキーワードで密接に結び付いていますので、もっと考えを深めた上で模型に盛り込んでいってもいいのかな、とは思ってます。(もちろん慎重にしないとダメですけど。でも、大事な要素だとは思います。ペイン氏のハチハチのジオラマとかは見方によっては意味深ですよねえ、、、)。

ワイヤーは、DIY店で買ってきたものを焼きなまして接着しました。金具はプラパーツから切り出して着けてます。ワイヤーの類は、実物を使うとほんとリアルになるのでお勧めです。サビはパステルをアクリルシンナーで溶いたものを染み込ませてます。マフラーも同様です。ワイヤーは、日本軍では「牽引鋼索」といいます。なるほど。バケツはモデルビクトリアのエッチングです。

というわけで、やっぱり一回では紹介し切れませんでした(笑)。次回は建物とか兵士のディテールを紹介したいと思います。

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お釈迦様の手の上でダンスを踊る件

2015年05月24日 | AFVの模型
このところ更新が滞っていて失礼しています。この銃のイラストのところからでしたね。着剣装置の付いたベルグマンは、第一次上海事変では使われてなかったようです。なので、セーラー服に合わせるのはおかしいのですが、まあいいじゃないですか。

というわけで本題です。先週の静岡ホビーショーから帰ってきて、やっと疲れが取れてきました(遅い!)

会場ではいろいろな方とお会いし、お話できてほんとよかったです。逆に、お世話になっているのに挨拶すら出来なかった方もあり、本当に失礼いたしました。またお会いした際には何卒よろしくお願いいたします。

今週は後始末もあってちょっとバタバタしていたのですが、公私ともどもなんとか一段落(でもないけど)して、次のステップに移れそうな感じです。今後も自分なりに頑張っていきたいと思ってます。

で、そのイラストですが、全体はこんな感じだったのですね。白いレギンスがアレですねー(笑)。海軍陸戦隊はやっぱいいなあ素敵だなあ、、、。
中身はこんな感じ。フォトショップでひとりでぐりぐり作りました。フォトショップは、やっと使い方がわかってきて、いろいろいじるのが楽しいです。


この「中四国AFVの会ニュース」は、その年のAFVの会の様子を広報するために去年から製作がスタートしました。A4二つ折りの簡単なものですが、できるだけ丁寧に作ることを心がけています。おかげさまで会場でそれなりにはけたようで、ほっとしました。余った分は、今後協賛クラブさんの展示会などで頒布するとのことなので、目にされることがあれば、ぜひ手にとってみて下さい。

さて、今回の静岡行きには、ホビーショーのほかに大きな目的がありました。それは会場近くの静岡ホビースクエアで開かれている「金子辰也ジオラマ展」(5月31日まで開催)に行くことでした。ご存じない方のために紹介させていただくと、金子氏はこの世界の第一人者として、もう30年以上も第一線で活躍されているプロモデラーです。グラフィックデザイナーでもあり、有名なお仕事としては山下達郎氏のレコードのジャケットデザイン(「クリスマス・イブ」など)をされています(会場入り口に山下氏からのお花がありました)。

会場には、金子氏の作品がこれでもか!というくらい並んでおり(ほぼ全て?)、圧倒されました。いくつかの作品は静岡で拝見したことがあるのですが、時系列に展示された作品をまとめて見ると、個別に見るだけではわかりにくいであろう、金子氏の創作姿勢のようなものがうかがえた気がします。これはこの作品展の独自の醍醐味といえるでしょう。本当に勉強になりました。

ありがたいことに会場は写真撮影可でした。ここでは個人的に思い入れのある作品をいくつか紹介します。

まずは「DRAWBRIDGE」
この作品は、7歳くらいの時に本で見て、大衝撃を受けたジオラマでして、これが生で見られると知り「ホビーショーなんて行かなくてもいいから(コラコラ)、こっちにはぜひとも行かねば!!」と思っていたのです。で、恥ずかしながら現物を見て泣きそうになってしまいました、、、。作品の凄さ、というのはもちろんあるのですが、数十年もずうーっと「いつか見たいなあ!」と思ってたものを目の当たりにするというのは感激しますよね、やっぱり。

次は「PARADISE」
これは、10歳くらいの頃、初めて買ったタミヤカタログ(1980年版)で見て、これまた衝撃を受けた作品です。このサビサビのチハを見て「なんじゃこりゃー!!めっちゃいい感じやん!!」とびっくりした記憶があります。
このチハはACの軍艦島のCMと並んで、自分の廃墟・残骸好きを決定した重要な作品だったんだな、と再確認した次第です。で、偶然ながらこの2作品が並んで展示されているのは私にとっては感無量でした。今見ても、このチハはほんと素晴らしい出来栄え&佇まいです!!

そして「BERLIN 1945 APR.30」

この作品は中学生の頃「タミヤ情景ガイドブック」で見て、ためつすがめつした作品です。この本にも載っているシェパード・ペイン氏の88ミリ砲の情景(これもジオラマ史に残る傑作ですね!!)とあわせて、壊れた建物の内部を正面に持ってくるという構図・技術の凄さに感嘆したものです。よくよく考えると、先日アーマーモデリングに掲載してもらった拙作「Sweet Home」もこれらの作品の延長線上にあるわけです。製作時、真似をしようとかは考えていなかったのですが、あとで「あ!」と思ったという、、、、(ほんとですよー)。瓦礫で足の踏み場がなかったり、2、3階に家具が残ってたりするのは完全に影響を受けてますね。今改めてみると、よくわかります。ペイン氏の情景ではガラスが割れてる印象とか、梁が折れて割れ目がむき出しになってたり、砲が建物の中から外を向いてたりとか、ほんとよく似てるなあと、、。結局、強烈な印象を受けたものは頭にそれが刷り込まれていて、製作時にそれらが出てくるということなんだと思います。なので「ものを作るということは先達あってこそ」「基本的にオリジナルというものはない」んだなあと、、。

「SHEPERD」も、この本で知った作品です。
羊と軍用車がからむというシチュエーションのインパクトだけでなく、脇でひとりのアメリカ軍兵士がドイツ軍兵士の墓をしんみりと見ているという様子が、「戦争」の一面をさりげなくかつ的確に表現しているような気がして、感嘆したものです。ここですね。

こちらは、これらが掲載されていた本です。もちろん、他の雑誌などでも紹介されているはずですが、私が始めて拝見したのがこれらの本でした。
タミヤカタログと「プラモデル入門大百科」はボロボロになるまで読み込んだので一度捨ててしまい、あとで買いなおしました。タミヤ情景ガイドブックは、金子氏の作品だけでなく、カンプグルッペジーベンや無限軌道の会、ペイン氏、バーリンデン氏の作品がこれでもかという感じで紹介されていて、今でもほんとにためになる本です。「大百科」もほんと素晴らしい本なので、また改めて紹介したいと思います。

そしてこれが「大百科」の「DRAWBRIDGE」のページ。
これを近所の今はなき書店で見て「うわ!プラモデルってこんなことが出来るんだ!!凄いなあ!!」という衝撃を受けたときの感じは、昨日のことのように覚えています。ほんとに昨日のことだったらいいのになあ(笑)。まあそれが実際には何十年前だったのかはおいといて(笑)、とにかく私はここから「始まった」わけです、、、。

というわけで、これからも頑張らなければ!と気持ちを新たにした次第です。こういう機会を提供してくださった金子氏には感謝の言葉もありません。31日まで開催されていますので、興味のある方はぜひ!


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三式中戦車 ファインモールド 1/35 (その2)

2015年04月05日 | AFVの模型
本体が大体できてきたので、小物の製作に入ります。

砲塔に置く機銃は鹵獲したブローニングM1919A6にします。この機銃はほんと無骨で好きなのです。タミヤのアメリカ小火器セットのをディテールアップしました。鹵獲して、砲塔の上に置いているという設定。とてもいいプロポーションなので、フロント・リアサイトを追加、2脚を作り直すなど、手を入れれば入れるだけ良くなるので作業が楽しいです。で、ドイツ小火器セットの傑作ぶりからすると、アメリカ小火器セットはちょっと分が悪いですね。同じ時期の製品なのに、なぜこんなに仕上がりが違うのか、、。MP40、98K、P08、P38などなど、どれも今でも最高レベルなのに、ガーランドやトンプソン、グリースガンは、「、、、、、」(ノーコメント)。気合の問題なのでしょうか。

機関銃の次は、荷物の製作。こういうところは「和」を出せるので楽しいですね。でも、こうして見ると「三式中戦車」というよりは「三畳半戦車」つー感じでありますね。樽は木の丸棒に杉の薄板の細切を張って、麻紐を木工ボンドで寄り合わせたものを巻いてます。七輪は紙粘土と板鉛。カマスはエポパテ。塗装後、麻紐で車体にくくりつけます。


これは以前に紹介した四式試作型のもので、三式のも多分こんな風になります。V・S・O・Pです(笑)。

七輪を作ってて、最後に七輪を使ったのっていつだったろう、と考えたら、自分で使ったことはなかったです(笑)。祖母が何かを焼いているのを横で見ていたような記憶が。炭といえば、母方の祖母の実家に行くと、豆炭のアンカを布団に入れてくれてました。掘りごたつもあったなあ、、、。そういや、ボットン便所で恐かったよなあ、、、、。あ、便所にはトイレットペーパーじゃなくて、堅くて痛い(笑)四角いちり紙が置いてあったよな、、。

などなど思い出してみると、私はギリギリ「懐かしの昭和」を体験している世代なんだなあと、模型を作りながらしみじみしてしまいました(笑)。駄菓子屋でプラモを買ってたのも、私の世代くらいが最後でしょうね。駄菓子屋のプラモは、同じものでもその後訪れることになる模型店のプラモとは違って見えたような、、、。

そんなこんながあったからこそ、今でもこんなのばっか作ってるのかなあという気もします。でもまあそれはそれで別にいいし、最後の最後まで付き合えばいいか、と思ってます。こういうのって、なんとなく決まってるもんですし、それでいいんだと思います、多分。恐らく。きっと。

というわけでまた。

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三式中戦車 ファインモールド 1/35 (その1)

2015年03月22日 | AFVの模型
今メインで作ってるのは、ファインの三式中戦車です。

例によって、本土決戦仕様です。先日少し書きましたが、このキットはリリース直後(15年くらい前)に購入し、完成していたのですが今回塗装を全て落として再塗装・再仕上げすることにしました。これがラッカーシンナーで塗装を落とした段階。完成しても出来栄えがあまり気に入らなかった上、引越しや移動のために徐々に壊れていき、最後には標的戦車ならぬ試験塗装戦車(試し塗りとかの実験台)となって長いこと作業机の上に陣取っていたのですが、ずっとそれを見ていたら不憫になってきたのでした、、、。また、三式中戦車はその後の四-五式に比べてちょっと弱っちいイメージがあるので、何とか強そうにできないかなあと、だんだんやる気になってきたわけです。とはいえ、何をするといえば、例によってキャタピラの増加装甲しかないわけです(笑)以前タミヤのマーダーⅡを作ったとき、増加装甲でアウトラインがちょっと変わって、違う形に見えて新鮮だったのでもう一度やってみたかったというのもあります。

足回りのキャタピラはヴィジョンモデル、増加装甲はモデルカステンです。ヴィジョン製品はとても安くてよくできてる優れもののですが、ピンやセンターガイドの穴が開いていないので、増加装甲にする際の針金を通すことができないし、増加装甲にするとかなり間近で見られるので、ここはやはり精密なカステン製に軍配が上がります。チハ用だけでは単調ですので、シャーマン用の予備キャタピラセット(T49)を使いました。もちろん、トロフィーという意味もあります。ちょっとやりすぎたかもしれません。これじゃ、動けないかも(笑) しかしまあ誰に迷惑をかけるでなし、強そうだし、ま、いいかな、と(笑)

キャタピラの増加装甲で、一番悩むのが固定方法です。専用フックがない三式は針金などで固定するしかないのですが、それを最終的にどこに結ぶのかが難しいです。あれこれ考えながら、それっぽくなるように固定していきます。砲塔は、キューポラくらいしか取っ掛かりがないので、そこに回してぶら下げ、針金だけでなく極細のワイヤーとチェーンで固定したような感じにしています全体的に小うるさく、ガチャガチャした感じになりましたが、必死な感じが出てるっぽいのでこれでいいかな、と思います。チェーンを使ったらイカツクなってよかったなあと、ひとり悦に入ってます(笑)最初は車体前部上面が全て埋まるまでキャタピラを載せていたのですが、さすがに重すぎだろうということで、ムシロ製の土嚢を積んだことにしました。エポパテを載せて車体に馴染ませ、硬化し始めくらいのときにデザインナイフで目をつけます。弾がかすったか砲弾の破片かで破けたようにしました。塗装後、中の土がデローっと出たような表現をするつもりです。

これはおまけ。ベースに乗せる防火用水です。紙粘土で作りました。バリエーションは無限にありますので、雰囲気重視で。そういえば、これも気がつくと街からいつの間にかなくなってたアイテムですね。うちの近所にもあって、通学の時毎日目に入ってたのですが、あれは一体いつどこにいったんだろう、、、。

おまけその2 先日模型屋さんに行ったら、買い逃していたサイバーの「日本陸軍歩兵(ペリリュー1944)」があって、喜んで買いました。九九式軽機が入ってるので、欲しかったのです。が、中を見て「あっ」と声をあげてしまいました。ちょ、ちょっとつらいっす、、。94式拳銃も「、、、、」といった感じ、、、。

以前出てた、日本兵セット(硫黄島)の九六式軽機がとてもよくできてたので、期待していたので悲しかったのであります、、、。こちらが以前の96式。「ぴしーっ」としてるでしょ?なんで昔のほうがいいんだろ? ちなみに、96式と99式の区別の仕方は、マガジンのカーブがゆるいのが99、きついのが96です(弾丸の形状が違うので。上の写真でもわかります。そこは評価したいです)あと、銃床に単脚があるのが99、ないのが96です。でも96の外観で口径は7・7ミリという引っ掛け問題みたいな個体(過度期の試作品?)もあるそうなので注意したいところです。どーでもいいですかそうですか。

というわけで、また。







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シャール2C モンモデル 1/35 CHAR2C MENG MODEL (その2 完)

2014年11月01日 | AFVの模型
シャール2Cの2回目です。

前回書きましたが、シャール2Cはちょっと気の毒な戦車です。なので、模型の世界くらいでは活躍してもらおうと思い、迫力のある強そうな印象の構図にしました。「ドイツ戦車を圧倒するシャール2C」といった感じ。

まあでも、ほんとならこういう状況にはまずなりませんね。シャールのスピードはかなり遅い(時速15キロ)ので、こうなるまでに普通相手が気付きますね(笑)下部の転輪は、サスがあるのかどうか、こういう状況の時可動するのかどうかよくわかりませんでした。なのでそのままにしています。

気の毒な戦車のために可哀想な目にあうⅠ号戦車はドラゴンのA型。

このキットは各ハッチやクラッペが別パーツで、戦闘室や機関部も恐らく実車どおりの分割。なので、申し訳ない気もしますがこういうクラッシュモデルには最適です。フェンダーも薄いので、手やプライヤーで曲げれば簡単にダメージが表現できます。塗装は、クレオスのジャーマングレーに白や青を混ぜて明るくしています。ジャーマングレーはちょっと明るくて青っぽいほうが好みです。

しかし、ほんとのところ「戦車に踏まれた戦車はどう壊れるのか」はよくわかりません。物は基本的に弱いところから壊れていきますから、戦車の場合なら装甲板で構成された車体より先に、まず車軸類が折れ曲がるのではないかと思い、そうしました。これ以上圧力がかかると、次に装甲板の溶接が割れ、車体が潰れるのではないかと。でも、Ⅰ号戦車クラスの車両でも、何トンの圧力がかかるとぺったんこに潰れるのか、ちょっとわからないですね。まあ、わかっても仕方がないんですが。

超大型のプレス機があるとして、ティーガーとかヤークトティーガーとかをつぶしてみたら、どういう風に潰れていくんでしょうね。ちょっと想像できません。そういえば、モリナガ・ヨウ氏によるWTMのヤークトティーガーの解説漫画で、街中で破壊されたこの車両が、戦後じゃまなのでどかそうとしたけど無理で、仕方なく溶接でバラバラにしたとありました。砂漠に放置されている戦車の写真とかでも、パーツを全て外されたドンガラのものが多いのもそういうことなんでしょう。

ま、要するに戦車というのはつぶしがきかないということなんでしょうな。(座布団持ってって!)

フィギュアは、タミヤやドラゴン各社の寄せ集め。
ベレー帽はエポパテで。お気づきの方もいらっしゃるかと思いますが、ほんとなら、逃げる時はこういうポーズはしませんね(笑)。漫画的表現です。ヘッドホンも外れかけてる風にして付けたかったのですが、時間切れでした。

このジオラマ(というかヴィネット)は元ネタがあります。モデルグラフィックス(※記事を切り抜いているので、掲載号はわかりませんでした。すいません)の土居雅博氏のタンケッテと35(t)の作例です。強い(とされている)ドイツ軍の戦車が、弱い(とされている)ポーランド軍の戦車に負けているという構図はとても新鮮でした。逃げる情けないドイツ戦車兵もインパクトがありました。ドイツ兵って、カッコよくするのが前提みたいな感じでしたから、目からウロコでした。こうやってみると、元ネタにさせていただいたことがわかっていただけるのではないかと思います。土居氏にはこの場をお借りして、無断拝借をお詫びするとともに、心よりお礼申し上げます(事後報告で申し訳ないのですが、、、)。

で、35(t)はフェアリーの製品ですが、これまたインジェクションキットになってますね。タンケッテもキットになってますね(出来はアレみたいですけど)。ほんと、いい時代です。でも、高価なガレージキットをヒイヒイいいながら買ってたころは、あのときはあのときでよい時代だったように思います。あ、次はその辺を書こうかな、、。自爆ネタだよな、、、。

あと、ホビージャパンの作例なのに、モデグラの話ばかりでほんと恐縮です。ほんとすいません。まあでも、当ブログは私個人の趣味遍歴を書く場所でもありますので何卒ご了承下さい。で、このシャール2CとルノーFTの作例が掲載された「ホビージャパンムック 戦車模型製作の教科書 MENG編」は絶賛発売中です!!!よろしくお願いします!!!

というわけでまた。






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シャール2C モンモデル 1/35 CHAR2C MENG MODEL (その1)

2014年10月26日 | AFVの模型
久しぶりに戦車の模型を紹介します。

モンモデルのシャール2C重戦車です。雑誌作例としてホビージャパン誌2014年5月号に掲載され、「ホビージャパンムック 戦車模型製作の教科書 MENG編」に再掲載されたものです。もしよろしければぜひご覧下さい。

実車の履歴を簡単に紹介します。これは第一次大戦時にフランスが計画した重戦車です。しかし結局戦争に間に合わず、終戦後に完成。10両生産され、大戦間に就役していましたが、戦車の性能・用法の進化とともにあっさり時代遅れになってしまいました。第二次大戦でドイツがフランスに侵攻した際に、老骨に鞭打って引っ張り出されますが、鉄道で戦場への移送中、空襲を受け行く手を阻まれ、自軍の手によって爆破・遺棄されました。

なんといいますか、非常に気の毒な戦車です。まあ、戦争に参加しなかったという意味ではピースフルなわけですが、やっぱりせっかく戦車として世に生を受けた以上、なにがしか活躍してもらいたかったところ。しかし、模型を見れば分かりますが、とにかくまっすぐ進んで塹壕を越えるための戦車であり、ドイツ戦車相手の機動戦は無理だっただろうと思います。そもそも、左右に曲がれるのかなあ、、、。

実車はどうあれ、いかにも昔の多砲塔戦車といった、実に愛嬌のあるスタイルで、とても好きな戦車です。同種の戦車の中ではデザインセンスもいいんじゃないかなと思います。昔からキットがほしい戦車のひとつでしたが、さすがにマイナーすぎて無理だろうと思ってました。なのでモンモデルがリリースを発表した時はびっくりしました。

前作のルノーFTは、車内を精密に再現するなどかなり細かいパーツ割りのキットでしたので、新作として発表された時は「この大きさでアレだと大変だなあ」と思ってたのですが、箱を開けるとかなりあっさりした構成で拍子抜けしました。組み立ての時間はルノーの半分以下くらいの印象です。とはいえ、細部の表現はキッチリと抑えており、決して手抜きをしているわけではありません。モンモデルはほんと「わかってる」メーカーですね。この辺の緩急のつけ方はなかなかのものです。じゃあどこが「わかってない」かといえ(略)

組み立てはさくさく進んだので「楽勝じゃーん」と思ってたのですが、塗装が大変でした。難しいとかじゃなくて、車体が大きいのでやってもやっても終わらない!(笑) チッピングとかは死ぬかと思いました。基本塗装はクレオスのラッカー。マスキングゾルで迷彩にします。マスキングゾルは剥がしにくくて難儀ですが、ぬるま湯にジャボ漬けして、不要な筆でこすってやると剥がしやすいです。ただ、水が密閉空間に入ると全く乾かなくなるので注意が必要です。今回、雑具箱の中に入った水がいつまでも染み出してきて困りました。こういうところだけは仮止めにして、後で接着したいところです。タミヤエナメルでウオッシングし、チッピング。それから下地の近似色で明度を変えた塗料を塗り広げ、色の深みを出します。ここはほんとは油彩の仕事なのですが、乾く時間が遅いのでエナメルで同じようにできないかやってみたところ、まあまあそれっぽくなりました。「なんちゃって油彩」ですね。

大きいからといって、チッピングやウェザリングの手を抜くわけにはいかないので、大変でした。でも、まあ修行だと思えば、、、。とはいえ、そろそろこういう塗装法は古くなりつつあるようです。でも、こういうヤレ具合、好きなんですよね、、。緑の場所のチッピングは、ダークイエローと錆色の二種でやるとそれっぽくなりますね。ダークイエローのチッピングはハンブロールの154番を使用。ハンブロールはほぼ初めて使ったのですが(何種類かは以前買って在庫していたのですが、ほとんど使ってなかったのです)、この種の色調の割には伸びと発色がとても良くて使いやすかったです。さすが、、。マフラーもガビガビにします。でも凹みとかはつけてません。錆は、パステルで。泥はいつもの百均の木粉粘土を水で溶いて塗りつけたものに、エナメルを染み込ませています。キャタピラがメチャ長いので、大変です。

シャール2Cは、前述のように塹壕を越えるためとても細長い形をしています。完成品を見ていて「もうちょっと全長が短かったらもっとカッコいいのになあ」と思いました。試しにフォトショップでショートバージョンを作ってみました。「シャル2C」(笑)上と同じ写真をいじったのですが、違い、わかります?これくらいがバランスが良くて、しかもちょっと強そう(笑) 昔なら、キットを改造するしかなかったのですが、今はこうやってお手軽にシミュレーションできるわけで、いい時代になったものです。でも、実際にちょっとやってみたかったりして(笑)

ところで、シャール2Cを初めて知ったのは松本州平氏の作例でした。モデルグラフィックス1985年9月号です。うわあ、、、29年前かあ、、。当時はお小遣いが月1000円とかで、模型雑誌を買うのは死ぬ思いでした。この号は、特に気になる記事があったわけではないのですが、何故か買ったわけです。誕生日とかで祖父母からお金をもらって余裕があったのかな?(どーでもいい)

記事はフェアリー企画の72のレジンキットのレビューで、「なんてイイ感じの多砲塔戦車なんだっ!」と私は衝撃を受けたわけです。「このキットほすぃー!!」と体をクネクネしてしまいました。しかし、580円の模型雑誌の前で「買うたやめた音頭」を踊る最低辺の身分の私が、3000円のレジンキット(でも今考えるとフェアリーのキットって、物価上昇率を考慮しても割と安いですね、、)を通販という複雑怪奇な手続きを経て買えるわけはなく、そしてもし入手できたとしても完成させるスキルがあるはずもなく、文字通り指をくわえてみているだけだったのでした。

それを考えると、今このように35のキットが普通に出てるというのは、なんといいますか、感無量ですね。松本氏はその後もフェアリーのキットの作例を作られてますが、そのラインナップのL6やズリーニィ、BT7などなど、ことごとくインジェクションキットになってますね。うーん、、ほんと凄いよなあ、、、。松本氏の製作ではなかったと思いますが、BT42なんかはタミヤが出してるんだもんなあ、、、。当時「将来BT7とBT42がMMのラインナップに入る!」とかいったら気●い扱いですよ。いやマジで。なので当時のことを考えると、出たキットの「ここは間違ってる!」「このパーツ割りは不親切だ!」「この内容でこれは高い!」とかは口が裂けてもいえないなあ、と思います。言ってますけどね

というわけでまた。次回は、Ⅰ号戦車とかをご紹介します。

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1/12  スクラッチフィギュア 「Machinegun Girl and Beautiful Flag -Tokyo 1946-」(その3) 

2014年08月30日 | AFVの模型
気分はもう本土決戦!

というわけで続きです。今日は装備とか服とかについてです。

1回目で「35ではやれないことをやりたかった」と書きました。その一つが布地の質感の表現です。ご存知の通り、布地といってもいろいろで、例えば帆布と絹は全然違いますが、35ではそれを表現するのはかなり難しいです。ある程度はできるかもしれませんが、誰も気付いてくれない可能性大です(笑)

今回は、帆布の表現をできるだけやってみました。
左のポーチ(弾丸入れ)がそれです。水筒の紐も同様です。ポーチは、エポパテが半乾きのときにガーゼを当てました。紐は、デザインナイフでスジを入れてます。

ちょっと荒いですが、まあ「違いを表現しようとした」ということだけでも分かっていただけるかなと、、。あと、ポーチの金具は真鍮線です。こういうのも、35では難しいですね。のらくろはマスコットです。少尉殿です(笑)。

苗字の有坂は、三八式歩兵銃や九九式短小銃の設計者・有坂成章氏から。十一年式は南部氏の設計なので、「南部の銃を持つ有坂さん」というヒネリを入れたつもり、、って一部のアレな人以外分からんですね。市子は、昔実家で祖父母がかわいがってた猫の名前です。ふふ。市子って、いい名前ですね。

で、有坂さんはA型です(笑)OやBじゃないかなーと。AB?うーん、、、(どーでもいい)
 腰のナイフは、米軍のトレンチナイフ。まあ、見ての通りケンカ用のナイフです。懐剣のつもり。九四式拳銃とかにしようかな、とも思いましたが、重武装過ぎてやりすぎかなあと思ってやめました。

髪の毛のほつれの部分は、エポパテを練るときにタミヤアクリルのフラットブラックを練り込んでます。そうすると、硬化後塗装しなくてもいいので、かなり細く造形してもそのままOKになるので楽ちんなのです。右腕の袖印は、架空のものです。
「女子学徒挺身隊」は松本次郎氏の漫画「地獄のアリス」から。まあ、これも誰も気付かないですね。ははは。麻布区は、ほんとにあった区です。32年から47年まで、東京は35区あったそうです。その後統廃合され、23区になったとのこと。麻布区は港区の一部でした。これは、覚えておくといつか役に、、、立たないですね。

ところで、戦時国際法上、民間人が戦闘に参加する場合、こういう袖印とか腕章は必須です。それも、政府が「この人はわが国の戦闘員です」と認定したうえでなければいけません。でないと、ただのテロリスト・ゲリラとなります。もし捕虜になった場合、その場で処刑されても文句はいえないのですね。

例えば、ドイツの国民突撃隊は、私服の上にちゃんと腕章をしています。伊達や酔狂でやってるわけではないんですね。でもまあ、ソビエト軍の捕虜になった場合、どっちにしたって結果は同じだったとは思いますが。フランスのレジスタンスは、この意味においてはゲリラ扱いとなります。なので、ドイツ占領下でレジスタンス活動をすることは、1回捕まったらアウトという「小マリオ」状態だったわけです。戦後、彼らは国内で敬意を持って遇されたと何かで読んだことがありますが、それはこういう事情もあったからでしょう。

日本の場合、本土決戦に当たって腕章などを準備をしていたのかはよくわかりません。ジュネーブ条約を批准しておらず(Wikiによると「準用」していたとのこと)、一般兵士にそういう条約があること自体教えていなかったことなどを考えると、そこまでは準備していなかったのではないかと思います。まあ、本土決戦が現実となった場合、国際法云々とかは宇宙の彼方に消し飛んでしまう、人類史上最悪の戦闘になったでしょうから、準備する必要はなかったかもしれません、、、。

ちなみに、民間人で戦闘の意思がなくても、ミリタリールックだと誤射されても仕方がないとされる可能性があるので注意しましょう。要するに、紛らわしいということです。例えば日本が外国軍に占領されたとして、使い込んだ緑のアーミージャケットなどを着て外出した場合、射殺されても文句はいえないわけです。被占領地では、市民の中の市民のような格好をするのがベストです。これは、覚えておいて、、、役立つときが来ないよう頑張りましょう

※以上の戦時国際法の話は、うろ覚えのあやふやな知識によるものです。大枠では合っていると思いますが、あくまで参考程度にとどめておいて下さい。

衣装に話を戻します。モンペの柄は久留米絣のものです。
いわゆるモンペらしい柄ということで、これにしました。塗装の楽な方法を考えましたが、やっぱり思いつかないのでクレオスのつや消しホワイトで一つ一つ描いていきました。私は、ダウンタウンの松本のラジオ「放送室」が大好きで、よく聴きながら作業しています。このときも聴いていました。柄が歪んだり太くなったりしているのは笑ってしまったところです。破けた箇所は、エポパテの乾燥時期を見計らって、ピンセットでつまみ切るようにして表現しています。

機関銃に日章旗をつけることを思いついたのは、実は完成の4日くらい前でした。そもそもは、機関銃を持ってるだけの想定でした。ふと思いついて日章旗を付けてみると、一番手前の空間がぴったりと埋まり、「決まった!」と思いました(バカみたいですけど)。で、「ああ、自分はこれを作りたかったんだ」と頭がスカーッと抜けたような気がしました。

で、ほぼ完成した状態をみていたら、なんかどっかで似たようなものを見たような。考えてると「ああ、これは、会田誠の絵画『美しい旗』だな」と思い当たりました。

もともと無意識にやったことなので、パクッたとかそういうのではないんですが、、、。まあ、でもパクったということでもいいんですけどね。その辺は、ほんとどうでもいいことだと思ってるので、、。会田氏へのリスペクトもしくはオマージュという意味を込め、知っている人がみたら分かるように、タイトルに織り込ませてもらいました。

なにはともあれ、これは初めて「自分の作品だなあ」という手応えを感じることができた作品でした。なので、ここ何年かの間では一番気に入っている作品です。

この作品は、2013年の「第13回 中四国AFVの会」で「アーマーモデリング賞」をいただきました。吉岡和哉氏の選考です。アーマーモデリング2013年6月号で、なんともったいないことに1P丸々を使って紹介されてますので、興味のある方はご覧下さい。会場や誌面で、吉岡氏に過分な選評をいただき、感無量でした。で、翌月の静岡HSで、吉岡氏にお願いして台の裏にサインをいただきました。家宝です。吉岡氏には、この場をお借りして心よりお礼申し上げます。

この年のAFVの会は、Ⅲ号戦車で土居雅博賞・単品金賞もいただき、ほんと嬉しかったです。ここで運を使い果たしたせいか、今年は賞にかすりもしなかったですが。来年、頑張りまーす(軽いな)

というわけで、長々とすいませんでした。

モノクロ版も作ってみました。背景のジオラマは、また機会を見て紹介させてもらいます。





















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