~空からの贈りもの~

「森のこもれび」の山崎直のブログです。

林竹二先生を思う

2014-04-18 20:58:12 | 日記
昨日、テレビで佐賀県の武雄市が、学習塾の指導法を組み込んだ

官民一体型学校を開設すると、市長のインタービューや塾の様子を

放映していました。

観ていて、何だかとても嫌な気持ちになりました。

これが学ぶということだろうかと…

確かに勉強は出来るようになるかもしれませんが、子ども達の

学ぶ姿に、何とも言えない怖さを感じてしまいました。

武雄市の市長は、民間の力を活用すると、意気揚々と話して

いましたが、塾ならこのやり方に合わない子は辞めるという

手だてがありますが、学校ではそうはいきません。

このやり方に合わない子は、学校に行けなくなってしまうの

ではないかと、心配になりました。

故・林竹二先生は、学んだことの唯一の証は変わることだと

言っておられました。

林先生の授業を受けている子供たちの映像や写真を、何度も

観ましたが、思考する子供たちの表情に、その思考の

深さを感じ、感動したことを今でも覚えています。

林先生の授業は、活発に意見が飛び合うというものでは

ありません。

授業を通し、子供たちが自分を深く見つめていくという

ものです。

表面的な答えには、林先生がどこまでも追い詰めて行きます。

そして、小学生といえども自分自身と対峙させるのです。

宮城教育大学の学長だった林先生が、定時制高校や沖縄の

小学校…などへ出向いて授業をされていたのです。

先生の授業を受けた後の子供たちの表情が、授業を受ける

前と全く違うのです。

それは、その後の人生をも変えていました。

「学んだことの唯一の証は、かわること」を、林先生は

実践されていました。

今、林先生が生きていらしたら、官民一体校の目指す授業を

見たら、何と言うでしょうか…

人間は考える葦であると、フランスの哲学者パスカルは

言いましたが、私達は思考し判断し行動する生き物なの

です。

林先生の授業を受けている子供たちの、あの静かな深い

表情を忘れることができません。

頭は良いけれど、思考しない薄っぺッたい人間が増えて

いくような、何とも言えない怖さを感じています。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 存在 | トップ | 息子の置き土産 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

日記」カテゴリの最新記事