今年も残り少なくなりました。
喪中の葉書が届く度に、あ~この人も大切な人を
見送ったのかと思い、そんなお知らせが17枚も
来たら、何だか年賀状を書く気持ちがしぼんで
しまいました。
刻々と変化していく状況に、自分は何をして
いるんだと思うことがあります。
先日、パリにいる友達から電話があり、
「日本に法事で帰ってよかったよ。
上手く言えないけれど、自分を取り戻した。
行動していても、自分がなければダメだね」
という彼女の言葉を聴いて、本当にそうだと
思いました。
動いている時って、やっている感に包まれちゃって
気がつけば、自分を見失っていることが
あるから…
先日、30年もヨーロッパで仏教を伝えている
法玄老師が、私は一つのことしか伝えてない
今この発見!ということを言われてました。
「今」を私は刻々と変わって行く、この瞬間
だと思っていましたが、どうもそんな時間的な
ことではなさそうです。
初女さんも「今を生きる」と、何度も言われて
いました。
この「今」とは何か…
このことが私の心から離れなくなりました。
老師のお嬢さんのご葬儀のご挨拶で、
この「今」について話されたのです。
老師が真に伝えたいことなのだということが
ひしひしと伝わってきました。
「今の探求」という石が私の心に投げ込まれ、
その波紋が広がっています。
初女さんは、この「今」が分かっていた方
なんだろうなと思いました。
私は、分かった気になり何度も初女さんに
「先生、今を生きるですよね」なんて言って
ました。
「今…」
今とは何か…