夕方、家路に急いでいると、後ろからお母さんと
子どもの声が聞こえて来ました。
母親が「お父さんが遅かったらおいて行くから」と
言うと、小さな子供が「ダメ、ダメ」と
「置いていちゃダメなの」と母親が聞くと
一生懸命「ダメ、ダメ」を繰り返すのです。
このやりとりを聞いて、目頭が熱くなってしまう
自分がいました。
こういう真っ直ぐな気持ちって、少なくなったな…
先日から、「信じる」ということを考えています。
初女先生は、どうしてあんなに信じて待つことが
できたのかな~
信仰の原点は信じることだから、先生の信仰の
強さからかな…
先生は、「神さまを信じるのは、お母さんを
信じるのと同じことです。」と言われてました。
『女学校でシスターと、交わした会話を覚えて
いますと…
「あなたはお母さんがいますか?」「はい、います」
「本当のお母さんですか?」「はい、もちろん」
「本当ですか?」「はい…」
「信じる」とはそういうことなんですよ」
子どもは、自分が生まれたときのことなど
覚えていません。それなのに、いつもそばにいて
養い、世話をし、守ってくれている母親を
全面的に「信じて」、「お母さん」と呼びます。
神さまを「信じる」とはそういうことだと、
そのシスターは教えて下さったのだと思います。』
この言葉の中に、初女先生の「信じる」の原点が
あるように思います。
初女先生の「信じる」は、その人の言っている事を
信じるということに留まらず、その人の中の
生きる力、良くなりたいという心を信じて待って
下さるのです。
他者をそこまで信じるとは、本当に難しいことです。
それは家族であってもです…
初女先生の信じる心の強さを、今まで以上に
感じている私です…