写メールで、私の書いた『悲』を送ったところ、
「悲しみというより、祈りのような優しさに溢れて
います」というお返事を頂きました。
私が「最初は自分が通ってきた慟哭の様な『悲』を
書こうと格闘していたのですが、書いて行くうちに
この悲しみに支えられて今の自分があると
気づいた時に、悲しみに感謝する気持ちが湧いて
きたのです」と伝えると、「やはりそうでしたか…
悲しみを超えると感謝にかわるのですよね。
ささやかな私の体験から。」という返信が
届きました。
Kさんもまた、お子さんを亡くされ今は初女先生を
サポートされている、なくてはならない方です。
「悲しみを超えると感謝にかわる…」
私は今の今まで気がつきませんでした。
私たちは、どんなことがあっても前向きに
生きていける力をもらって生れてきているん
ですね。
感謝なしには一歩も進めないと、確か初女先生も
言われていました。
息子の亡くなった秋という季節がきても
涙がでないのは、そこには悲しみを乗り越えた
自分がいるからでしょうか…
息子の死がどうしても受け入れられず
初めて森のイスキアを訪ねた帰り、
私は、いつの日か感謝を持って息子の死を
受け入れられる日が来ると、確信を持って
思えたのは、このことだったんですね。
11年の歳月がかかりました…