神楽坂にある矢来能楽堂で友人ご夫妻が出演するお能を観てきました。演目は平家物語に登場する平安後期の僧侶「俊寛」です。俊寛は藤原成親・成経親子や平康頼とともに平家打倒を企てますが(鹿の谷事件)裏切者によって密告され逮捕されます。1177年成経、康頼、俊寛ら3人は鬼界が島(薩摩半島南方の洋上にある硫黄島)に流されます。翌年中宮平徳子(後の建礼門院)の安産祈願により恩赦によって成経、康頼の2人は赦免されます。しかし俊寛だけは許されませんでした。理由は清盛の口添えで出世したにもかかわらず鹿の谷山荘(京都東山)を密議の場所として提供した俊寛を清盛が大変憎んだからだといわれています。
俊寛は絶望の淵に沈みます。赦免の使いが島にやってきて成経、康頼の2人を船にのせ、俊寛は島にとり残されます。出て行く船の纜(ともづな)にすがりつき、さらには船端にすがりつきますが振り払われ、船は無情にも波間に遠ざかり消えていきます。一人浜辺に取り残された俊寛は、子供がするように足摺(倒れこんで両足を交互に地面にこすりつける動作)をして大声で泣き叫びます。
鬼界が島にひとり取り残されることになった俊寛の絶望的な失意の嘆きを、哀愁こめて謡う声の音色と響きに涙が流れました。お仕舞い、独吟、連吟と感動的な場面が続き本当に良いときを過ごすことが出来て幸せでした。
14世紀後半、観阿弥、世阿弥親子によって大成された能楽が今日まで継承されてきたのは素晴らしいことです。今後も絶えることなく世界に誇れる日本古典文化が大事に継承されていくことを願わずにはいられません。
俊寛は絶望の淵に沈みます。赦免の使いが島にやってきて成経、康頼の2人を船にのせ、俊寛は島にとり残されます。出て行く船の纜(ともづな)にすがりつき、さらには船端にすがりつきますが振り払われ、船は無情にも波間に遠ざかり消えていきます。一人浜辺に取り残された俊寛は、子供がするように足摺(倒れこんで両足を交互に地面にこすりつける動作)をして大声で泣き叫びます。
鬼界が島にひとり取り残されることになった俊寛の絶望的な失意の嘆きを、哀愁こめて謡う声の音色と響きに涙が流れました。お仕舞い、独吟、連吟と感動的な場面が続き本当に良いときを過ごすことが出来て幸せでした。
14世紀後半、観阿弥、世阿弥親子によって大成された能楽が今日まで継承されてきたのは素晴らしいことです。今後も絶えることなく世界に誇れる日本古典文化が大事に継承されていくことを願わずにはいられません。
「源氏物」が十数曲であるのにたいして
「平家物」は八十曲ぐらいあるというこ
とですから、能の作者たちがいかに好ん
で「平家物語」に素材を求めたか驚かさ
れます。
平家物語は面白いですね。
「祇園精舎の鐘のこえ、諸行無常のひびき
あり・・・・・・」始まりが好きです。
コメントありがとうございます。
プロの能楽師の面と装束、お囃子など
本物のお能も素晴らしいけれど、私は
お友達が一所懸命お稽古した結果を舞台で
一心に舞い、謡うその姿に心がうたれます。
お能を一度ご覧になると良いと思います。
です。 能を見にいらしたのですね。千駄ヶ谷の
能楽堂で浅見泉州という方の能を何度かみたこと
がありますが、もうひとつ引き込まれなくて
出会えないでいます。 平家物語は日本語の韻
の美しさを堪能させてくれるすばらしい物語
ですね。 私は「小原御幸」のところが大好き
です。「嶺の嵐か松風か、尋ぬるひとの琴の音か・・」
小督の局を訪ねていく美しい韻で、意味はもう
ひとつわからないけれど、日本語の美しさを
感じます。モナリザさんは写真もすてきですが
文章がすんなり伝わる、読みやすいところが
なんともすばらしいです。楽しみにみていますよ。
テンプレートを褒めて頂いて有難うございました。
久しぶりにブログを開けたのでテンプレートを変え
ましたが写真のできばえはよくありません。
記事も変えなければ・・・・・・・・
コメント有難うございました。
お能にも興味をお持ちでうれしいです。
平家物語は何度読んでもいいですね。
「小督」(こごう)は昨年鑑賞しました。
物語のクライマックスは小督が嵯峨野で
高倉院の意向を受けた仲国に探し出された
場面でした。美貌でお琴の名手で、仲国は
名月に誘われて小督の弾く琴の音をたより
についに隠家を探しあてるのですね。
感動が甦ってきます。
平敦盛や巴なども鑑賞したことあります。
「大原御幸」は舞台化されている代表的な
お能ですね。
後白河院が名残を惜しみつつ岐路につき
見送った女院(建礼門院)が読んだ歌、
「いざさらば涙くらべんほととぎすわれも
憂き世に音をのぞみなく」は哀愁を誘います。
11月に国立能楽堂でプロの能楽師が演じる
お能を観にいく予定です。