昨日の「ザ・ノンフィクション」(フジ、午後1:45-)で、登山家の栗城史多さんを紹介していました。
栗城(くりき)さんは、26歳、世界6大陸の最高峰を、単独・無酸素で登頂しています。
世界最高峰のエベレストを、単独・無酸素で登頂する前段階として、同じエベレスト山脈のマナスル(8163m)を登る様子が伝えられていました。
栗城さんは、北海道の出身で、高校卒業後、東京で様々な職業にトライするものの挫折、北海道へ帰ります。
大学へ入り、彼女ができますが、1年でふられてしまいます。
大好きだった彼女にふられてしまい、彼女が好きだった登山やスキーに挑戦してみる気持ちになります。
大学の登山部に入り、登山の面白さに気づきます。
2004年6月(22歳)のときに、初の海外旅行で、北米大陸最高峰の「マッキンリー」を単独登頂に成功します。
2004年12月 南米最高峰「アコンカグア」(ポーランド氷河)
2005年 6月 ヨーロッパ最高峰「エルブルース」
2005年10月 アフリカ最高峰「キリマンジャロ」
2006年10月 オセアニア最高峰「カルステンツ・ピラミッド」
2007年12月 南極大陸最高峰「ビンソンマシフ」
6大陸すべての最高峰を、単独・無酸素で登頂しました。
世界最高峰のエベレストに挑戦するにあたり、8000m級の山は、デスゾーンと呼ばれる人が生きるのが難しい高山部が含まれます。
それに体を慣らすため、マナスル(8163m)登山を計画しました。
資金は1000万円単位で必要なため、資金を募り、自分の講演会も大切な収入となります。
大きな山に登る前には、栗城さんは北海道の実家へ行きます。
お母さんは、栗城さんを厳しく育てた方でしたが、55歳のときにがんで亡くなりました。
体が大変なときも言わず、最後に「ありがとう」と言って亡くなりました。
マナスルで凍傷になったり、真っ暗で低酸素の中を進むとき、「ありがとう」と言いながら進むと話していらっしゃいました。
天候支援(パソコン等でエベレスト山脈の天気を分析)の藤川健さん等と、交信しながら登ります。
C1~C4まで4つのキャンプを作って、進みます。
途中、クレパスの映像がありました。
ものすごく深い氷の崖と崖の間に、金属製のはしごがかけられているだけです。
栗城さんの映像で、登る人の視点で見ることができました。
----------
マナスルを無酸素・単独登頂は日本人で始めてだそうです。
帰りは山頂からスキーという点も珍しい記録ということです。
エベレスト登頂にまで成功すると、「7サミッター」と呼ばれるのだそうです。
こういう生き方をしている青年もいらっしゃるのだと、番組で初めて知りました。

栗城(くりき)さんは、26歳、世界6大陸の最高峰を、単独・無酸素で登頂しています。
世界最高峰のエベレストを、単独・無酸素で登頂する前段階として、同じエベレスト山脈のマナスル(8163m)を登る様子が伝えられていました。
栗城さんは、北海道の出身で、高校卒業後、東京で様々な職業にトライするものの挫折、北海道へ帰ります。
大学へ入り、彼女ができますが、1年でふられてしまいます。
大好きだった彼女にふられてしまい、彼女が好きだった登山やスキーに挑戦してみる気持ちになります。
大学の登山部に入り、登山の面白さに気づきます。
2004年6月(22歳)のときに、初の海外旅行で、北米大陸最高峰の「マッキンリー」を単独登頂に成功します。
2004年12月 南米最高峰「アコンカグア」(ポーランド氷河)
2005年 6月 ヨーロッパ最高峰「エルブルース」
2005年10月 アフリカ最高峰「キリマンジャロ」
2006年10月 オセアニア最高峰「カルステンツ・ピラミッド」
2007年12月 南極大陸最高峰「ビンソンマシフ」
6大陸すべての最高峰を、単独・無酸素で登頂しました。
世界最高峰のエベレストに挑戦するにあたり、8000m級の山は、デスゾーンと呼ばれる人が生きるのが難しい高山部が含まれます。
それに体を慣らすため、マナスル(8163m)登山を計画しました。
資金は1000万円単位で必要なため、資金を募り、自分の講演会も大切な収入となります。
大きな山に登る前には、栗城さんは北海道の実家へ行きます。
お母さんは、栗城さんを厳しく育てた方でしたが、55歳のときにがんで亡くなりました。
体が大変なときも言わず、最後に「ありがとう」と言って亡くなりました。
マナスルで凍傷になったり、真っ暗で低酸素の中を進むとき、「ありがとう」と言いながら進むと話していらっしゃいました。
天候支援(パソコン等でエベレスト山脈の天気を分析)の藤川健さん等と、交信しながら登ります。
C1~C4まで4つのキャンプを作って、進みます。
途中、クレパスの映像がありました。
ものすごく深い氷の崖と崖の間に、金属製のはしごがかけられているだけです。
栗城さんの映像で、登る人の視点で見ることができました。
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マナスルを無酸素・単独登頂は日本人で始めてだそうです。
帰りは山頂からスキーという点も珍しい記録ということです。
エベレスト登頂にまで成功すると、「7サミッター」と呼ばれるのだそうです。
こういう生き方をしている青年もいらっしゃるのだと、番組で初めて知りました。

