一緒に牡蠣を食べた友達に聞いた話なんですが・・・
友達のお知り合いの息子さんの話です。
一年浪人して再チャレンジを控えた1月。もうすぐセンター試験という時。
自宅に叔母一家が遊びに来たそうです。
息子くんの従妹にあたる娘ちゃんが、インフルを発症し、息子君も感染。
センター試験を受けられず、後日受けることに。
けん太は受験していないので、センター試験のことよくわからない私ですが、
後日、受けられるんですね。
ただ、後日の内容は初回より難しいそうです。
結局、センターで結果を残せず、再度、浪人の道を選ぶことに。
経済的な理由もあり?2年目から塾には行かず、自宅学習で翌年、受験。
合格は出来たものの、志望大学への入学は叶わないどころか、初年より残念な結果に。
友達の話だと、浪人して前年より良い結果を残せるのは、2、3割しかいないそうです。
ほぼ同じ結果が約半分・・・なかなか厳しいのですね。
インフルで二浪になってしまった後は、しばらく勉強が手に付かず、一時期、メンタル的にもかなり病んでしまったそうです。
翌年の受験結果は受け入れ、入学したものの、その後、自ら命を絶ってしまったそうです。
インフルで人生が狂ってしまった・・と友達が言っていました。
友達にはけん太と同級の息子君がいます。
同じく、一浪中の1月に、友達がインフルになってしまいました。
友達は、ご主人に家事を任せ、自宅での隔離生活に入り、息子君は、無事、センターを受けることができました。
そして、志望校というわけではなかったですが、無事、合格を勝ち取りました。
友達が、息子君にインフルをうつさなくて本当によかったと。
「もしうつしてしまい、結果を残せなかったら、一生、恨まれる。私も一生、後悔し続けなければならない」と言っていました。
息子君はとても努力家で、コツコツと勉強するタイプ。公立のトップ高→国立大学→大学院へ進んでいます。
スポーツが好きで、小学生の頃から、野球、サッカーのチームに所属し、中学校ではテニス、駅伝、高校では陸上・・・
ずっとスポーツを続けていました。
しかし、どのスポーツをやっても結果がでない。試合ではスタメンに選べたことはなく、補欠という位置。
なんでもいいから、とにかく、試合に出て結果を残したい。やりきったという充実感を得たい・・・
その一心で、自分に向いたものはないのかと、もがいてきたのだそうです。
母からみても、体格的にも素質的にもスポーツは向いてないと思うそうです。
努力だけではなんともならない・・・と。
コーチにもそう言われたそうです。
でも、本人は諦めたくなくて、家でも自主トレしたり、涙ぐましい努力をずっとずっと重ねてきたのだそうです。
努力が報われない姿をみていると、かわいそうで、かわいそうで仕方がなかったそうです。
大学に入ってからはスポーツをやっていませんが、結局、スポーツで何も結果を残せなかったこと。
大学受験も第一志望の大学には入れなかったこと・・・
結局、自分は何も達成できていないとの思いをずっと抱えているのだそうです。
普通に過ごしてはいるけど、なんとなく元気がなくて楽しそうにはみえない。
母としても、何か達成できた!という思いをさせてあげたいのだそうです。
けん太君はいつも好きなことができていて楽しそうでいいね!
けん太君みたいに楽しく人生を送ってほしい・・・それだけでいいの・・・と。
しかし、息子くん、そんなに「やりきった」と思えるものが必要なのか・・・
それが満たされない限りは、自分を肯定できないのか・・・
そして、母もそれが必要と思わなければならないのか・・・
息子君、けん太が持っていないものをたくさん持っているのにね。
「努力し続けられること」「簡単に諦めないこと」「高学歴」「彼女さん」
人当たりもいいし、優しいし、どんな環境でもやっていけると思うし・・・
社会的にも、息子君の方が求められる場面は多いのでは?
元々、出来る子だから、周りにも出来る子が多かっただろうし「目標」は自然と高くなってしまっているのかな?
かえってそれで、自分のいいところが見えなくなっているような気がします。
自分のいいところに気づいてほしいな。。。
今、自分が出来ていることに気付けて「幸せ」を感じられることが、
「笑顔」になれる早道だと思うので。
それに、インフルで受験に失敗することがあっても、それで人生終わりじゃないと思う。
確かに不運だけど、その不運さがバネになる場合もある。そこから成長できることもある。
後で振り返って、「かえって、よかったのかも」と思えたりもすることもある。
そうできるようにすればいいと思う。
子どもの不運を、親が背負うことはないよね。
責任を感じることもないと思う。
子どもは成長しているのだから。