54歳からの欧州一人旅と日々をつれづれに

思いつくまま時、場所を選ばず綴ります。

日記(モーツアルトとハイドン)

2011-01-24 16:06:18 | 欧州旅 思い出…
1/18投稿続き1(図書館の本を読んで)
「ハイドン106の交響曲を聴く」 井上太郎著
ハイドン(1732~1809)77歳没  モーツアルト(1756~91)35歳没
ハイドンが35歳で死んでいたら彼の名は残らなかったかもしれない 
晩年の1791年ロンドンで12曲のシンフォニーを演奏しイギリス人から
「世界最高の作曲家」と絶賛され名声と収益を得た
エステルハージー候からの年金もあり安定した生活が出来た
106曲に及ぶ交響曲は単純そうで大変緻密で指揮者を悩ますのだと
「交響曲の父」と呼ばれたのはユーモアがあり楽しめる曲だから
ベートーヴェン以後交響曲は哲学的で威義を正して聴くものになっていき
ブルックナー、マーラーと続きハイドンの大部分が無縁とされてきた
現在演奏会で聴けるのは晩年の作品が殆んどでベーム、ヨッフムなど巨匠の
指揮も晩年のものだけ 現在一番使われている1番から104番のものは
1908年に発表されたマンディチェフスキーの「ハイドン全集」とのこと
(私はさら~っと心地よくクラシックを聴くだけなので図書館で探して
後期以外のものがあったら借り、またこの本を参考に聴きたいと思う)
*ハイドンとモーツアルトの交響曲の違いはハイドンは楽団員との連携プレー
モーツアルトは特定の楽団がなくどこでも演奏できる平均的なもの
*モーツアルトもイギリス行きを計画し1788年「三大交響曲」39.40.41を
書き上げたのだが旅費の工面がつかず1791年に世を去った

ちなみにモーツアルトは尊敬するハイドンを自宅(現在のフィガロハウス)に
招き「ハイドンセット」と呼ばれる6曲の弦楽四重奏を1785年に贈呈している
この力作に24才年上のハイドンは感銘し、披露の場にいたレオポルトに
「あなたの息子は偉大な作曲家だ」と最大限の賛辞を述べたと、色々な本にある
ショパンが愛用したピアノの製作者プレイエル(1757~1831)は、5年間
ハイドンの下に寄宿して教えを受けた弟子でハイドンに並ぶ作曲者となり
パリに1795年移住し出版業、ピアノ製作者として広く認められた

   
私が撮ったアイゼンシュタット 左から:駅 街 宮殿からの眺め2枚
3回目の一人旅は22日間、ヘルシンキのカリオンキルヘでバッハを聴き2日目ウィーンへ
ウィーン3日目フィガロハウス、4日目クラーゲンフルトに発つ前アイゼンシュタット往復
アイゼンシュタットの滞在時間は1時間ちょっと 駅は畑の中、町は全く見えず心細かった
宮殿の中からの写真よりハイドンの住んだ家が思い出されるのだが写真はない
    
左:急ぎ駅に戻りホームの私 ウィーンへの車中の短い時間 「さようなら~」
右:ウィーン「フィガロハウス」2階窓からの道と天井 ”写真どうぞ!”と言われうれしかった
この道をたくさんの音楽家が通ったのだ! そしてモーツアルトが幸せな日々を
3年過ごし「フィガロの結婚」私の好きな「すみれ」などたくさん作曲した家
1/26訂正三大交響曲を書いた年1778を1788に

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする