54歳からの欧州一人旅と日々をつれづれに

思いつくまま時、場所を選ばず綴ります。

日記(モーツアルト)続き1

2011-01-27 15:47:26 | 欧州旅 思い出…
1/26の続き 「切手が伝えるモーツアルトその生涯と旅」
3年半の大旅行から帰って3年後、1年3ヶ月のイタリア旅行へ
その間にウィーン2回目の旅が1年3ヶ月ある
*1769.12月父子はインスブルックに4泊しブレンナー峠を越えイタリアへ
ブリクセン、ボーツェン、トレント、ロヴェレートを経てヴェローナ1770.1.5着
私が一人旅の最初と最後に選んだコースだ 写真も思い出もいっぱい!
書きたいことが湧き出てくるが、まずは本に沿って整理しておこう


ベローナで天才振りを発揮、熱烈な歓迎を受ける 有名な「14歳の肖像画」が
ある 2週間滞在後、マントヴァ、クレモナ2泊経由ミラノへ*1770.1.23着
(帰路にも寄る その後2度ミラノを短期で訪問しフェルデナント大公へ就職活動
をするがマリアテレジアの差し金で叶わずイタリア行きは3回で終わる)
ミラノを出てパルマ(期待したコンサートなし)、ボローニァ *1770.3(マルティーニ神父から
アカデミア入会を認められた話は有名)、フィレンツェへ フィレンツェではレオポルト大公に
謁見し、離宮でのモーツアルト歓迎コンサートは大好評であった
*1770.4.11 ローマ着、早速システィナ礼拝堂で「ミゼレーレ」を聴き、暗譜
して驚かされた話も有名、ナポリからの帰路、クレメンス14世の命により
枢機卿から「黄金拍車勲章」を拝受したうえ、サンタ・マリア・マジョレ大聖堂で
教皇自身に拝謁する 多忙な1ヶ月だったが気ままなローマ見物もした
*1770.5.8ナポリに向う5/14着 ベネチアに並ぶオペラの中心であり
父子は作曲はせずオペラを観たり知人に会ったりしてのんびり過ごした
ポンペイの遺跡見物もし、何でも知ろうと精力的に駆け回ったようだ
ローマからアドリア海に面するロレート、リミニ、ペサロ経由、ボローニャ、ミラノ、ベローナに寄り
*1771.2月ベネチアに着く 謝肉祭が始まったばかりでオペラや仮面舞踏会
を楽しみ、招かれた貴族の邸をゴンドラで次々訪問している
*1771.3月末(15歳) 栄光の旅を終えてザルツブルクに戻った

ここまで書いたらやはり私の旅の写真をもっと載せたくなった
1万枚の写真から選ぶのは大変だがアルバムに整理されているので
適当なのをスキャンした いつか旅の写真をブログに!と思っていたのだから
この機会に少しでも投稿しておけば懐かしいし、全体などいつやる気に
なるか分からない 日記なので自分の写ったのも入れて… 
    
ツァーに参加(1989.11月)左からローマ、ポンペイ、ナポリ、ベネチア
ローマ→ナポリ→ポンペイ→フィレンツェ→ベニス→ミラノ ベニスでゴンドラに乗った
以後一人旅2回目にチューリヒから夜行でベニスに行き4時間過ごしフィラハに向かった
ミラノには17回目と18回目、2回とも駅前のホテルに2泊した

   
インスブルック(1990.5月)
初めての一人旅はヘルシンキに入りヘルシンキから帰国 18日間
→インスブルック→ブレンナー峠・ボーツエン・メラノ→ミュンヘン夜行でハノーバ-→ツェレ2泊→ 続く



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