54歳からの欧州一人旅と日々をつれづれに

思いつくまま時、場所を選ばず綴ります。

講座:近現代文学を中心に武蔵野の歴史

2010-07-07 15:49:53 | ブログ開始07.1~2010.12
     4/12~7/5(15回)武蔵野大学2時限 社会人50名、学生数人
1回目:4/12 「国木田独歩と武蔵野」 講師:立教大文学部教授 藤井先生
《国木田独歩》
20歳(明治24年)麹町教会で受洗 その頃徳富蘇峰を知る 
   5月山口の両親のもとへ帰郷 松下村塾にならい小学校分教場に「波野英学塾」を
  開くが5ヶ月足らずで転居のため閉鎖
21歳「ワーズワース詩集」を入手、以後愛読する
22歳「欺かざるの記」起筆 職探しに奔走 大分の教師に赴任
24歳上京 6月日本橋の医師佐々木夫妻の招きで夕食会に出席 長女信子と出会う
  信子との交情が急激に深まり、8月小金井近くの武蔵野を散歩
  両親に結婚を反対され、佐々木家と絶縁し東京を立ち退く条件が出され逗子に住む
25歳3月逗子を引き上げ麹町の両親宅に同居 教会の帰途信子疾走、独歩の思い空しく離婚
26歳離婚した信子は独歩との子浦子を生んだが、数年独歩はそれを知らなかった
  5~6月(1897年)田山花袋と日光に滞在  6月麹町に下宿、隣家の榎本治子を知る
27歳「今の武蔵野」(後に「武藏野」と改題)を「国民の友」に連載 8月榎本治子と結婚
30歳 第一小説集「武蔵野」を民友社から刊行 与謝野鉄幹・昌子夫妻を知る

貰った資料から復習しながら書き出したのだが…
先生の話は、独歩の一途な性格など面白くもっと聞きたかった
家の近くの独歩橋、独歩碑 三鷹駅前の独歩碑 色々知った 
「武蔵野」という最初のイメージを作った国木田独歩 
小説「武蔵野」を図書館で借りて読んでみようかな
この後18回までを書くのは自信がない 簡単に…
2回目:「太宰治と武蔵野」書ききれない  講師は元文学部客員教授 野口先生
3回目:「金子光晴と武蔵野」 講師は文学部准教授 土屋先生
   金子光晴は野口雨情の紹介で成蹊大学近くに家を建て3人の家族と一生を送った
   父の遺産で海外旅行が出来シンガポール経由オランダ、フランスにも行き語学堪能
   (同じ頃太宰も近くに住んでいた)
4回目:「三木露風と武蔵野」 講師は近代文学研究家 福嶋先生
   露風は明治22年兵庫県生まれ 明治39年駒込に住み、尾上柴舟主宰の短歌結社
   「事前草社」の同人になる 相馬御風らと「早稲田詩社」を結成 明星派と対立
   大正3年栗山なかと結婚 池袋郊外に住む 昭和3年三鷹村牟礼に定住
   昭和38年紫綬褒章受賞 (童謡「赤とんぼ」の印税が日記に書いてあったと…)
   昭和39年12月輪禍に遭い、一週間後死去 
5回目:「山本有三と武蔵野」 講師は文学部教授 宮川先生 
   これも書ききれないので三鷹に立派な「山本有三記念館」があるということだけで
6・7回目:2班に分かれて実地踏査 私は「太宰治の武蔵野を歩く」に参加
8回目:「実地踏査の後に」 講師は宮川、土屋先生
9回目:「松本清張と武蔵野」 講師は立教大学文学部教授 石川先生
   清張は昭和28年家族を小倉に置いたまま、朝日新聞東京本社に転勤
   荻窪の叔母宅に寄宿
   翌年家族を呼び寄せ練馬区関町に転居 2部屋にに8人が起居していた
   昭和31年依願退職、文筆専業に 昭和32年石神井に家を新築し移住 
   昭和36年高井戸に家を新築晩年まで住む(浜田山)
   石炭の町小倉の落ちゆく姿と栄える武蔵野を描いている
10・12・13回目:「武蔵野の碑と拓本」 講師は文学部教授 広瀬先生
11回目:大岡昇平の「武蔵野夫人」を読む 講師は本学名誉教授 竹田先生 
   小説の舞台 武蔵小金井、貫井神社、野川、はけの小道 村山貯水池など
14回目:「武蔵野と文献検索」 講師文学部教授 小西先生
15回目:「たまらん坂」を書くまで 講師元文学部客員教授 黒井先生
16回目: 6班に分かれて感想まとめ発表 武蔵野大学長から終了証授与

6/19 三鷹駅前の独歩詩碑を拓本 “山林に 自由 存す” 武者小路実篤之書
どれも内容濃く、知識がない分新鮮で「そうなんだ~」の連続 勉強させてもらった
(忘備録のつもりで書き入れました)

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