えいちあーる亭日誌

日々の徒然、株などを語り ハッピーリタイアメントを目論むノーテンキなブログ

- 都へ つれづれなるままに-

40年 京都

2018-04-28 18:43:28 | 記憶の横顔
今年も家内の命日を見送って 引きこもりのまま過ごしてはバチが当たると心が騒いだ えいちあーる亭 亭主

湖西の周回道路から比叡山延暦寺 そしてて高台寺へ抜ける京都の脇をえぐるようないつものルートを今度は娘を連れて走る

新世紀を迎えるあの頃、病気の家内の気がまぎれるならと連れて走った嵐山の渡月橋あたりはもう、団体バス以外 止められる駐車場すらなくて 
せめて車窓からと渡月橋を渡ったわたくし。新婚当時 挨拶に出掛けた錦市場の親せきを訪ねた時に使った駐車場はすでになく 結局、京都の道の周辺を流して帰り道に 
夜半、湖岸道路を流して走る中 やけに尻にくっついてくる後続車にいらついていたわたくし 先行する地元ナンバーの車が右折したところで十分に減速して 食らえとばかりに
ハイエースのアクセルを全開にしたわたくし ディーゼル車のフル加速の排気を浴びせたことでようやく後ろへ離れていった後続車にようやく溜飲を下げたわたくしに

「何やっとんの?」といった家内

二年坂から産寧坂 40年ほど前、かの地は、石畳と板塀の薄暗い路地で、すれれ違う人もまれな結界にも似た風情であったわけで
いまや、街道を埋め尽くす土産物屋。その店のいくつかは老舗らしい作りの良さを伝える商品を商う風情に腐っても京都と思ってみたり
豆腐料理の「奥丹」もあの頃は板塀の続く町の角で玄関とも思えぬほど店を閉ざして敷居が高くて高くて 一見さんお断り の風情が間違いなくあったわけで
清水さんの周辺でさえこの程度、40年前の祇園を見ておけばよかったと お伊勢さんのおかげ横丁の風情すら漂わせる祇園甲部の都おどりの提灯を横目に
鴨川に向かう えいちあーる亭 亭主

夕方 高台寺から八坂さんの裏道を抜けて四条通に出れば 渋谷交差点もかくやと思わせる人の波
四条大橋を渡って聞こえてくるのは中国語とおぼしき会話 人波を避けてさらに裏通りへ

通り一つ隔てたら嘘のような閑散のなか 通りの窓際にベンチを置いたバルのような風情の小料理屋が 
通り沿いのベンチで大ぶりのワイングラスを傾ける タンクトップのフランス人のねーちやんたち ボンソワール  の声にボンソワーと日本語で右手を挙げて
精一杯 乾杯の意思表示をする えいちあーる亭 亭主 車じゃなければいっょに杯を傾けたかった

四条通に戻って 気の利いたがま口屋さんを見つけて冷やかしてみる 夏に向けて財布と携帯が入る程度の手持ちのポーチを探していたわたくしに
ポーチサイズのショルダータイプのがま口さん登場 ファスナーじゃなくてがま口ってのがちよっといいんじゃねぇ (安いしw)

レジでイントネーションが若干違うけれど愛想のいいねーちゃんにも驚いたが レジの後ろから叫んでくる中国語らしい声にこたえるそのねーちゃんにさらに驚いたわたくし
新婚旅行でハワイに行ったとき 免税店では日本語が普通に通じるというかそうしたスキルを持った人たちが雇われていて 経済というかモノを売るためのコミュニケーションの大切さは
驚きとともに感じたはずだったのにいまやその立場を変えて今起きている現実に今さらのように驚いた 今や経済に飲まれるこの国 何を捨てて何を守るべきか

その心根が問われる時代の風を浴びて立ちすくんだ えいちあーる亭 亭主







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夜空は街に落ち

2018-04-20 17:27:25 | きいてきいて
― シンシア ―


なつかしい人や 町をたずねて 汽車を降りてみても
目に映るものは時の流れだけ こころがくだけてゆく
帰ってゆく場所もないのなら
行きずりのふれあいで なぐさめあうのもいいさ

シンシンア そんな時 シンシア 君の声が
戻っておいでよと唄ってる 君の部屋のカーテンやカーペットは
色褪せてはいないかい



人込みに隠れて肩をすぼめて 自分を見つめた時
過ぎ去った夢が 崩れ落ちる 長い旅が終わる
夜空は町に落ち 人々が 笑いながら通り過ぎる
あの日とおんなじところを

シンシア そんな時 シンシア 君の声が
戻っておいでよと唄ってる 君の部屋に僕一人いてもいいかい
朝を待つのがこわいから

シンシア 帰る場所も シンシア ないのなら
シンシア 君の腕で シンシア 眠りたい



吉田拓郎 かまやつひろし 作     1974年

作業中のBGMがネットの垂れ流しの曲を聴くのも煩わしく手持ちのCDに落ち着いてきた今日この頃
CDはほとんどはっぴぃえんどとタクローとユーミンしか持っていないわたくし

♪ 夜空は町に落ち 人々が 笑いながら通り過ぎる あの日とおんなじところを

かまやつ氏のおじさん声で歌い上げるフレーズを 胸が締め付けられるような思いで聞く日が来るとは
たそがれ ちょっと恋心を抱いた女の子をバス停まで送ったあの坂道 あの頃の淡い恋の行方を振り返るような気持ちで 
聞き流していた 「あの日とおんなじところ」

あわただしく過ぎ去った 家内や子供と暮らした日々も含めていろんなあの日が胸をよぎる
今に不満があるわけじゃない 苦しいわけもないのに あの日とおんなじところを のフレーズだけで
懐かしさに胸が苦しくなる それだけ年を取ってそれだけ積み重なってきたもののことを歌は教えてくれる


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空に手をかざして舞う なにか      (一期一会)

2018-04-05 15:57:43 | 記憶の横顔
朝から エアコンもつけずに昨夜から800ドルもの右肩上がりのNYを受けて、
今日の相場にチャンスは有りや無しやと身構える えいちあーる亭 亭主。

値幅も方向も定まらず あぶなすぎてオーバーナイトは避けたいチキンなわたくしにはつけ入る隙もなく 
前場は部屋が寒くて寝室に行っていた猫が書斎へおりてきてひざに乗せろと甘えてくる花冷えの午後 
みなさまいかがお過ごしでしょうか

満艦飾の桜はゴージャスだけれど 空の色を羽織ってこそのさくらもあり

雨の似合う花、曇天を背負う花、抜けるような青空と一つになる花  花の風情はいくつもあって
その花との出会いを記憶できるわが心の風雅にもまずは一献


朝通り過ぎた時にはまだ5分咲きあたりに思えた山越えの峠道で
時ははやたそがれ間近 山から平地へと下る坂道の脇に枝を伸ばす桜の大木
山影の道の先は 春霞にくぐもったような厚みのある空気はまだ沈み切らない西日に指されてあるようで

それは わずかに濃いめのうすむらさきの花びらに身を染めて 空に手をかざして舞う なにか 
輪郭すらもはっきりしない 春の山に感じられるような生命の息吹をまとって一回り大きくなったような 妖艶と言ってもいい桜の姿が
その坂道のそこここに 

その時期の その時間 その日差しの具合  まさにその場その時の一期一会

また 花に出会えた   3月の終わりころ見た風景をようやく言葉に落として 
胸のしおりにはさみ込んだ えいちあーる亭 亭主でした
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坂崎幸之助商店