2スト2気筒エンジンからなる「レーサーレプリカ」と言うジャンルが登場したのって、多分1981年からのヤマハ「RZ250」の出現からですが、それを更に加速させた
のは間違いなく、その後の1983年に登場した、スズキ「RG250ガンマ」だったと考えられます。いわゆる日本のオートバイの登場からずっと続いてきた「スタンダード
ネイキッド」とされるデザインから、一気に「レーサースタイル」に変貌した最初の一般車両でしたし…(笑)。もちろん、この事は法律の改定(セパハン・カウルの
装着が認可された)と共に生まれたと言う経緯もありましたが、そうだったと考えても、とにかく「最初だった」事は間違いないです(笑)。ここから火がついた様に
「レーサーレプリカ」として2ストは250ccを中心に各メーカー共に、毎年モデルチェンジが行われていき、1980年代の後半ともなると、どのメーカーのモデルも「ある
一定の完成度を見せる」様になって行きます。ただ、初期モデルに関してはスズキとして完全に「先発だった」にも関わらず、進化していく段階においては若干の遅れを
取ってたのが「RG250ガンマ」だったとも言えてたんですよね(笑)。これに関しては4スト4気筒400ccエンジンからなる「GSX-R400」に関しても同じ事が言えてた
気がします。この事はボク個人としても当時、別にオーナーになりたいって事じゃなかったけど、非常に「もどかしい」気持ちにさせられてた事を思い出します。しか〜し、
1988年には、遂にユーザーが求める車両が発表されます(笑)。それが2ストV型2気筒エンジンを搭載した「RGV250ガンマ(VJ21A型)」だったんですよね。この頃
の時代背景ですが、ホンダに関しては1986年から登場してた「NSR250R」が大躍進中で、それこそ「NS250R」から既にV型2気筒エンジンを進化させたモデルを登場さ
せていましたし、ヤマハに関しても1986年より「RZ」シリーズから分離するカタチでよりレーシーな「TZR250」を登場させて、圧倒的な性能を発揮し誰もが好む先進的
なスタイルを確立させていました。要するに当時の状況を語ると、最初の飛び出しこそ良かったスズキだったのですが、モデルチェンジを行う度にファンをガッカリさせる
車両へとなってた感があった訳です(笑)。これは当時の売り上げを見ても明らかで、ほぼ同等の新車価格にも関わらず、スズキだけが販売低下に甘んじていた状況でした。
またこの「RGV250ガンマ」シリーズのポテンシャルの向上を目指す会社の方針から、同年(1988年〜)から長らく遠ざかってた、オートバイ最高峰レース「WGP」にも
スズキワースクとして、参戦を開始します。もちろんライダーはあの天才「ケビン・シュワンツ」選手です。なのでこの「RGV250ガンマ(VJ21A型)」には、スポンサー
カラーとなる「ペプシ」のカラーがラインナップで選べる様になっていました。またモデルチェンジされる、1990年式「RGV250ガンマ(VJ22A型)」まではフロント
ホイールが17インチ、リアが18インチとなってて、排気チャンバーは左右に分かれて配置されていました。なので「右側2本出し」となってる次のモデルが、多分皆さんが
イメージするV型「RGV250ガンマ」じゃないかと思われます。ただV型2気筒エンジン搭載車としては、初期型とも言える「RGV250ガンマ(VJ21A型)」が素晴らしか
ったのは「フォルムの変更」です。それまでの「RG250ガンマ」の最終モデルって非常に「不格好」でボッテリしてしまっており、おせいじにもカッコいいとは言い難い
ものだったのですが、この「RGV250ガンマ(VJ21A型)」から一気にそのイメージを払拭してくれていました。単純にカッコよくなったって感じです(笑)。またオール
アルミ製のフレームもより太く強固な物になりましたし、チャンバーの形状も廃棄効率を高めており、当時最高だった45psと言う出力を発揮していました。さらに言えば
「RG」シリーズ初のラジアルタイヤを標準で装備しており、フロントのブレーキディスクはより大軽なものに変更されています。また車重も乾燥重量で128kgと130kgを
切っており、非常に軽い車体を確保していました。個人的には一気に進化したって印象だったです。ただ残念だったのはそれでも売り上げ的には、ホンダやヤマハには追い
付かなかったって事でしたけどね!(笑)