大分単身赴任日誌

前期高齢者の考えたことを、単身赴任状況だからこそ言えるものとして言ってみます。

読んだ本―「国家と官僚―こうして国民は『無視』される」(原英史著:祥伝社新書)

2015-05-29 08:33:10 | 本と雑誌
冒頭で、「本書のテーマは『官僚』です。官僚の実態やしくみ、抱えている問題点、これまでの公務員制度改革の歴史などを扱っています。」といわれています。私にとっての仕事上の最大の関心事に関するものとして読んでみました。


まず「公務員制度改革」について。
「年功序列、キャリアとノンキャリア、天下り」という、わが国の公務員制度について指摘される問題点について、概括的な説明がなされたうえで、「『制度』ではなく『運用』の問題であること」が指摘されています。「法令の条文には根拠なく、慣行・運用として積み重ねられてき」たものだ、というのです。
ここに、わが国の官僚制度の大きな矛盾がある、といえるのでしょう。「官僚制」というのは、古典的にはその権力の源泉を「法律を厳格に解釈して形式的な手続きに完全に従う」という「合法的支配」にあるとされるものなのであり、その制度自体が法律に立脚しない、というのは、そもそもの矛盾ですね。「現実」の難しさを感じます。
その上で、著者は、最近の「官僚制改革」について、「制度的な手当てはほぼなされつつある」としています。この制度改革は「運用次第では、絶大な効果をもたらす可能性を秘めている」とするのです。もっとも「運用次第では、何も変えられない危険性をはらんで」もいるのだ、とされていて、ここでも「運用」の問題になります。・・・だとすると、もう少し「制度的な手当て」が必要だ、ということになるように思えるのですが・・・。
「制度と運用」ということについては、私たちの世界にも関係することです。そのようなものとして興味深く読みました。


次に、わが国における「官僚制」の持つ大きな問題(官僚制をその一角とする「鉄のトライアングル」による支配の問題)点として「規制」の問題について。
最近「岩盤規制」ということが言われています。「薬のインターネット販売」だとか「農協」だとかについてもこの物々しい言葉が言われていて、この程度のことが「岩盤」なのだとしたら、全体はどうなってるんだろう?と思わされてしまうのですが、私たちにとっても無縁のものではありません。
「規制」が、多くの場合「大企業はしばしば規制改革を阻む側」になるということ、それは「規制は多くの場合利権を生む」からだ、ということが言われていますが、これは「大企業」に限ったことではありません。

「規制は、はじめは『めったやたらに新規事業者が出てくると、悪質な業者が現れて、消費者に被害を及ぼす可能性がある』などの理由があり、導入されます。ところが、いったん導入されると、すでに参入した事業者にとっては、『潜在的な競争相手を規制が排除してくれる』とても好ましい状態が生まれます。これが『規制利権』です。こうなると、規制利権を持つ人たち=『既得権業者』は、役人に対して、必要以上に規制の厳格化を求めることがあります。また、新たな技術や情勢変化によって、既成の必要性が低下した後も、無用に規制の維持を求めることがあります。」「岩盤規制の多くは、・・・かつては合理性があったが、その後状況が変わり、それにもかかわらず無用に維持されているというタイプのものです。」

といった指摘は、私たちに無縁ではないものとして受け止めることが必要でしょう。私たちにかかる「規制」が、もはや「無用」になっている部分がないのか、社会的な必要性をどこで明らかに示せるのか、ということを不断に考える必要があるわけです。
そして、このことと「官僚制」とのつながりを考える必要がある、ということにもなります。単に自分自身の問題としてだけではなく、自分がどのような所に立っているのか、ということを含めて考える必要がある、と考えさせられました。

今週の予定

2015-05-27 11:58:02 | 日記
遅くなりましたが、今週の予定

5.27(水) 新潟会総会に出席。

5.29(金) 広島会総会に出席。

今週まで、全国各会の総会が開催されます。私は、新潟会、広島会に出席させていただきます。各会総会が終わって6月に入ると、日調連総会への準備が本格化します。

そんな総会シーズンの中、国会では「安保法制論議」が始まりました。とても大切なことなので、注目していかなければならない、と思います。

内容については今日はさておくとして、私自身が「総会シーズン」にあるからか「論議のあり方」に関心が向きます。

昨日の質疑の中で、安倍首相が「「戦争法案」という批判は、まったく根拠のない無責任かつ典型的なレッテル貼りであり、恥ずかしいと思う」と言っていたのが、面白く思いました。国会論戦が始まったばかりのところで、この法案を「戦争法案」だとする人たちは、これからその根拠などを明らかにしていくのだろうに、いきなり「レッテル貼りだ」と言うのは、それこそ「レッテル貼り」であるように思います。

そもそも、いろいろな内容を含むものを「一言で表現すれば」ということで言い表す、というのはよくあることで、この「一言」のセンスが問われたりもすることです。どんな「レッテル」にするのか、ということで、その後に言うことをどれくらい理解してもらえるのか、ということが決まったりするので、結構大事なことなのですね。(私は苦手ですが・・・。)
そういうネーミングを「レッテル貼り」だと言うのなら、今回の法案も、10の法律の改正案を一本に束ねたことにも明らかなようにいろいろな内容を含んでいるわけで、そのいろいろなものを含むパッケージに「平和安全法制」というラベル(レッテル?)をつけて出しているのですから、それも一種の「レッテル貼り」じゃないか、と思ってしまいます。

いずれにしろ、国会での中味のある論議を通じて、わかりにくいものが、わかるようになれば、と期待するところです。

ブログ名称暫定変更

2015-05-24 09:58:42 | 日記
一昨日、大分県土地家屋調査士会の総会があり、城戸崎新会長の新執行体制がスタートしました。

私は会長を退任しましたので、このブログの名称も変更します。いい名称を思いつかないので、当面「4字削除1字加入」の変更にとどめたものを暫定名称にします。いい名称がありましたらご提案ください。

総会では、提案のすべての議案を承認いただき、ありがとうございました。審議においても、会の運営のあり方について会員から見て疑問に思うようなことについての質問とか積極的な提案をいただき、ありがたく思っています。これらのことは、今期の大分会の運営に活かされていくものと思います。

ただ、総会の審議において、非常に質の低い「独自の見解」が何度も繰り返して多くの時間がそれに割かれてしまう、ということがあったのは残念なところです。
民主主義的な議論における一つの前提というのは、対象とする事柄についての検討を積み上げて、論議の場に応じた質を持った意見を相互にぶつけることによって、よりよい方向を探っていけるようにする、ということがあると思うのですが、その前提が成立しない人がいる、というのは残念なことです。普通、一定の質にまで達しない場合、みんなの前で意見を開陳するということに躊躇を覚えるものなのですが、あまりにも浅く薄い場合には、そのようなことも起きない、ということがあるようです。組織としての成熟度の問題として、反省とともに考えなければならないことだと思います。

そのようなことを含めて、「情報を収集・分析してじっくりと考える」ということを継続していくことが大切なのだと思います。名称変更後のブログでは、今まで以上にそういうことを意識していきたいと思います。

今日は、大分県土地家屋調査士会総会です

2015-05-22 08:24:18 | 日記
今日は、大分県土地家屋調査士会の第61回定時総会です。充実した議論の上で、今年の調査士会のしっかりとした体制がつくられるよう期待しています。

個人的には、私は今日の総会をもって大分会の会長を退任します。最後くらいはしっかりした挨拶をしなければ、ということで表彰式での挨拶について原稿を用意しました。さて、どれくらいきちんと原稿を読めるでしょうか?


本日は、大分県土地家屋調査士会第61回定時総会とそれに先立つ表彰式の開催にあたり、大分地方法務局馬場潤次長をはじめとした御来賓の方々の列席と多くの会員のみなさまの出席をいただきましたことに、まず御礼を申し上げます。ありがとうございます。

今年は「戦後70年」の節目の年にあたります。この「節目」は、単にきりのいい数字の年である、ということだけでなく、さまざまな変化をもたらす節目としての意味をも持つものとなっています。
戦後、私達が前提としていた社会・経済・政治の体制が大きく変化しようとしています。
私たち土地家屋調査士もその変化を見据え、社会がそして国民生活がより良い方向に動いて行くよう、私たちの業務分野からの貢献のための努力をしていかなければなりません。
わが国は今、人口減少社会の道を急速に進んでいると言われています。全国の人口が2010年の1億2800万人から減少をはじめ、2044年には1億人を割り込むまで減少していくとも言われており、高齢化と都市一極集中が進む中、「地方消滅」の危機さえもがささやかれています。
このような社会の趨勢は、私たちの業務にも大きな影響を与えます。人口減少・過疎化の進展の中で、「人と土地との結びつき」に変化が起きています。土地の管理を行おうにも、地元に本人はおろか親戚もいないようなケースが増えています。土地の境界については、すでに土地所有者自身、自分の土地の境界がどこであるのかわからないというケースが増えており、隣接土地を含めて今後の土地利用に大きな支障をきたす恐れが高くなっていると言えます。全国に1000万戸あるともいわれる「空き家」の問題は、人口減少、少子化・高齢化が具体的な社会問題として顕在化して、生活と地域社会の状況に様々な影響を及ぼすに至っていることを示しています
このような状況に対して、私たち土地家屋調査士は、不動産(土地・建物)に関する専門家として、特に土地境界に関する専門家として、問題の解決に貢献していかなければなりません。まさに専門家としての、専門家であるからこそできる貢献が求められていることを、あらためて肝に銘じる必要があります。

3.11東日本大震災から4年が経過しましたが、被災者が元通りの生活を取り戻すには至っていません。被害は、直接には、自然災害によるもの、福島第一原発事故によるものとしてありますが、復興が思うように進まない要因として、既存の制度の様々な欠陥による部分もあることが指摘されています。復興計画を進めるための障害として、境界が確認できずにいたり、土地所有者が不明であったり、多数の相続人がいて所在不明の人がいたりすることが計画の推進に対する阻害要因になっている、ということが指摘されています。3.11の経験と教訓を活かして今後の全国的な防災体制の構築と復興計画を進めるための制度的な改善、特に私たちの業務領域に係る改善を私たちの課題にしていかなければなりません。

日調連においては、それらの課題を「境界紛争ゼロ宣言!」ということに集約して発信しています。土地境界が安定的なものであることは、国民の社会経済生活の基礎として大変重要な意味を持ちます。私たち土地家屋調査士が分筆登記等の日常的な業務を通じて正しい筆界の確認を通じて安定的な土地境界関係を形成し、それを「地図」として公的に共有しうる情報にしていくこと、そして不幸にして境界紛争に至った場合にも適切で迅速な解決が図られるようにすること、それらの総体を有機的に連携させて進めて行くことが土地家屋調査士に求められています。
この課題の実現のために必要な制度改革を実現していかなければなりませんし、制度改革の実現のためにも私たち土地家屋調査士の日常的な業務が国民の信頼を得るに足るものであり続けることが必要です。

私たち土地家屋調査士には、分筆登記等の日常的な土地の筆界に関わる業務を、筆界特定制度や「土地境界の不明を原因とする民事紛争」の解決のための民間紛争解決手続(ADR)の質を持ったものとして、まさに土地家屋調査士でなければできない質を持つものとして行って行くことが求められています。
土地家屋調査士会は、「会員の品位保持とその業務の改善進歩を図るため」の「指導及び連絡」を行うことを目的として設立・運営されているものです。この基本にあらためて立ち戻り、適正な業務の遂行のための指導・連絡をさらに強化して行くことが求められています。それは、とりもなおさず、たとえ土地家屋調査士が行う業務であったとしても、その業務内容が「土地家屋調査士の業務」と言える水準に達していないものであるのなら、会則上に定められている「注意勧告」や「指導調査」を含めて調査士会の本来の役割である「業務の改善進歩のための指導」の対象にする必要がある、ということでもあります。この点への、あらためての認識と理解をお願いいたします。
また、このような土地家屋調査士の適正業務実施への不断の努力こそが、非調査士による業務を許さない最大の根拠である、ということを確認しておきたいと思います。非調査士が申請人の都合に合わせた誤った筆界位置を、いい加減な調査に基づいて「確認」して登記申請を行い、そのまま登記されてしまうようなことがあるのなら、登記制度による筆界の公示とそれによる安定的な境界関係という国民生活の基盤が破壊されていってしまいます。そのようなことのないよう、筆界に関する唯一の専門家としての土地家屋調査士の役割をしっかりと果していかなければならない、ということをあわせて確認しておきたいと思います。

本日の総会は、このような多くの課題を担うべきものとして開催されます。総会での議論を通じて、私たち土地家屋調査士が、そして大分県土地家屋調査士会が、今申し上げた諸課題の実現に向けて進んで行く体制を作っていきたいと思います。本日の総会が実り多いものになるよう、皆様の協力をお願いして、私からの挨拶とさせていただきます。

読んだ本ー「超したたか勉強術」佐藤優著、朝日新書)

2015-05-20 06:06:36 | 日記


また佐藤優の本です。よく出しますね。私もよく追っかけていると思うのですが、追いつきません。とても全部は読めないので、面白くなさそうなものは読みません。たとえば「創価学会と平和主義」とか「ズルさのすすめ」といったようなものです。前にも書いたように、佐藤優の著書について、「読書論」「段階論」「現状分析」「政策論」というようにジャンルを分けると、後ろの方に行くにつれて面白くなくなっていってしまうような気がするので、その観点から選別をしているわけです。
本書は、「読書論」の系譜の中にあるものと思えて読んでみました。


本書では、「ある物事に対して自分なりの視座をもつために最低限必要な要素を整理してみよう。」として、次のことが挙げられています。

①基礎的教養を身につける
②情報収集
③基礎教養と収集した情報の運用
④内在論理を探る

①については、一朝一夕で身につくものではありません。これのために学校教育の体系があるわけなので、急にジタバタしても仕方ないことになります。もちろん、学校教育だけがすべてではないので、成人後の「継続学習」が大事であるわけですが、それにしても一朝一夕で身に着くものではありません。やや立ち遅れたところから、必要な「基礎的教養」を前提にしうるようにするのに何をするべきか?ということが問題になります。

その上で、②の「情報収集」を行うわけですが、①の「基礎的教養」がないと、いくら新しい情報を集めて得ても、その「運用」がうまい具合にできないのですね。よくある「陰謀論」的な「情報分析」というのは、全体を見渡すことができずに、自分の知っている範囲だけで情報をつなぎ合わせようとするのでヘンテコリンなことになってしまうのですね。

本書では、「ある物事に対して自分なりの視座をもつために」するべきことを、イギリスの中学の歴史教科書を引きながら述べています。たしかに紹介されているイギリスの歴史教科書には「老舗帝国」としての深みが感じられ、勉強になりました。

そこから「思考のポイント」が挙げられているので、列記します。

①アナロジーで考える ②敷衍して論を発展させる ③正反対の人物をイメージする ④共通点と相違点を探す ⑤歴史的事実を使って規定する ⑥情念面からもアプローチする ⑦アイデンティティに注目する ⑧第三者の立場から考える ⑨別の概念に当てはめる ⑩さらなる謎に迫る ⑪他人事ととらえない ⑫他の選択肢を探る ⑬価値を相対化する ⑭立ち位置に目を配る ⑮感情的な要素を排除する ⑯ルールの数は絞る ⑰効果的に敷衍を使う ⑱双方の立場から立論する ⑲裏返して考える習慣をつける

特に目新しいことが言われているわけではありませんし、重複したり、逆に相互に矛盾してるんじゃないかと思えるようなこともありますが、これが具体的にイギリスの歴史教科書における思考法から述べられているので、実際の問題に即して具体的に考えさせられて勉強になります。私たちの行う「研修」の方法論としても参考になるようにも思いました。