大分単身赴任日誌

前期高齢者の考えたことを、単身赴任状況だからこそ言えるものとして言ってみます。

2012年御用納め

2012-12-29 13:37:16 | インポート

2012年も終わり。「御用納め」となりました。

私は、例年「大掃除」をしないのですが、今年はいよいよ限界に来ました。とにかく、不要な書類の整理だけはしなければ、と昨日からシュレッダーをかけ続けています。今は、オーバーヒート気味のシュレッダーの休憩時間。

基本的に「捨てられないタイプ」です。「要るかもしれない、要らないかもしれない」と思ったものは、すべて残してあります。最近は、スキャナーで読み込んだものでもすぐには捨てません。だから、ものすごい勢いで本来は不要な書類がたまっていきます。

こういう自分自身の行動を見ていて、基本的な性向としては「保守的」なのだな、とあらためて思います(ただの「だらしないだけ」と「保守的性向」を同じにされては迷惑、と思われるかもしれませんですが・・・)。何か物事に対した時の、本能的な反応としては、情けないくらいに「保守的」なのです。今年のいくつかの物事を思い起こしながらの反省、です。

その「保守的」な感覚はそれとして持ちながら、しかし、じっくりと考えた上で変えなければならないことには、しっかりと取り組んでいかなければなりません。

年末年始、ゆっくりとできる時間を利用して、「変えなければいけないこと、そのためにしなければならないこと」を、じっくりと考えていきたいと思っています。


「調査士法改正」の検討

2012-12-24 15:09:14 | 調査士会

今年も今週でおしまい。今週の予定・・・・は、特にありません。

先日、日調連の「調査士法改正検討PT」の中間報告について書きました。

この問題に関する「国民(全会員)的議論」が行われておらず、行うつもりもないように思えることが問題、と思って書いたのですが、もう少し内容に関することについても言っておいた方がいいように思えるので付け足します。

「調査士法改正」が取り上げられているのがどういう理由でなのか、内容からはよくわかりません。「調査士法人の使用人」問題など、現実に「脱法」的「利用」がなされていることへの対処、など、緊急性の高い問題もあるのだと思いますが、それが主な問題になっているわけでもなく、「第一条」の「目的」か「使命」か、という問題と同レベルの問題にされてしまっているので、のんべんだらりとした感じになってしまっていて、要するにやる気が感じられません。

司法書士会(日司連)では、「司法書士法改正大綱」というものが、総会決議されています。実際に法改正へ向けた動きがどのように進んでいるのか、私はまったく承知するところではないのですが、一連の動きとして一歩(数歩?)前を進んでいるのは間違いないようです。ですので、それとの比較で考えてみます。

日司連の「改正大綱」の内容については、(正直言って私にはよくわからないながら)ある司法書士の方の意見では、「司法書士の弁護士化」を目指す「ないものねだりをしている駄々っ子」のようなものだ、と言われていますが、なるほど、と思わされるところもあります。

・・・が、それはともかく、司法書士の「改正大綱」は、そのように言われる面をも含めて方向性がはっきりとしています。「司法書士の弁護士化」へ向けて前へ進もうとしています。そこでは、新たに得るものもたくさん挙げていますが、主体的に努力すべきことがらもあげられています。内容はともかく、方向性ははっきりとしているのです。

それに対して「調査士法改正検討PT」の中間報告の方は、何ともはっきりとしません。なんとなく「今の調査士法って何か問題ありますかね?」と訊かれたから考えてみた、細かいことを言えばいろいろあるけど、特に考え付かなかった、・・・・というようなゆるーい雰囲気です。

その中でも、私の呆れたのは

 将来の展望として、筆界に関する訴訟関係業務についての構想があることについては、これらについて調査士の業務とすると認められたときには、法の改正が必要となります。」

というくだりです。「筆界に関する訴訟業務」を調査士が担えるようにした方がいいから、そのために調査士法の改正を検討して実現しようよ、というのが基本的なスタンスとしてあるのかと思ったら、そういうわけではないようです。だったら何故、「調査士法改正検討PT」なんて作ったの?

また、驚いたのは「虚偽の調査、測量の禁止」の条項を「削除してはという意見で一致した」ということです。なるほどたしかに、「禁止」規定や、その裏にある「罰則」規定で「公正な調査、測量」を担保しようなどという志の低い考え方はやめようよ、という考え方がありうる、ということは(一種の極論として)理解できないわけではありません。しかし、法律で「禁止」「罰則」を設けていることは、一般的には「禁止」にあたらないことが行われていることを示すものであり、否定すべきものとは私には思えません。他に積極的な提言の見られない中で、ここだけ突出して積極的に「一致」してしまう、というのは理解できないところです。

「ちゃんと勉強するから、あのおもちゃを買ってよ!」と要求する駄々っ子に比べて、「別にほしいものはないけど宿題をちょっと減らしてよ」というような子供を、世間は「いい子」と呼ぶのでしょうか?

その他にも、たくさん問題がありますが、要するに「戦略的構想の欠如」がもたらしているもののように思えます。「今までと同じように今後もあるだろう」、というのは、人間誰しも持ちがちな感覚ですが、そうしているうちに時代の荒波にのみ込まれていってしまうものです。だからこそ、自分たちのあり方を見つめなおすものとして、自分たちを根拠づけている法律を見直す必要がある、・・・ということなのだと思いますが、なかなか現実はそのようにはいってくれない・・・。

 


読んだ本ー「議論のレッスン」(福澤一吉著 NHK出版生活人新書)

2012-12-21 09:12:06 | 本と雑誌

この本の初めの章は、「議論の現状」と題されていて、「どこか変だよ日本人の議論」と言われています。

これは、私もよく感じることです。そもそも、異なる考え方があるからそれをぶつける議論をすることによって双方とも新しい発見を得られるようになったり、その上で共通の認識に至れたりできたりするわけなのですが、日本の社会ではそういうこと自体があまり好まれないようです。他人の意見に正面から反対すること自体が失礼だと感じられてしまうのか、当たり障りのない表現をしている間に何が論じられているのかわからなくなってしまったりします。

だから、本来的な「議論」のために必要な条件さえ満たさない形でしか「議論」が行われない、ということがよくあります。イライラさせられてしまうところです。そして、それを越えて「議論」を行おうとすると、「あいつは俺に敵対した」とか、「生意気だ」「失礼だ」とか言われてもしまいます。私もそんなことで、ずいぶんと「敵」を作ってきてしまったように思ってます(まぁ、本当に「失礼」だったりすることもあるかもしれませんが・・・)。

そういう現状から脱け出して、「しっかりとした議論を行える風土」というものを作ることが大事だと思います。そんなことを思いながら読みました。

本書では、「最低限の議論スキルとして、次の2点をクリアすること」が挙げられています。
「①発言者の主張が明示されている」「②発言者の主張がなぜ主張として成り立つかを根拠なり証拠なりを提示している」の二つです。・・・どうでしょう?私たちの周りで行われている「議論」が、この条件を満たしているのか?ということを考えてみるといいでしょう。それだけで議論が生産的になる・・・・のではないか、と思います。

本書を読んで思ったのは、「議論」についての本ですが「文章読本」としての役割もあるのではないか、ということです。

よく「調査士は文章を書くのが苦手」と言われて、「どうしたら文章を書けるようになるのか」ということが問題になるのですが、なかなかうまい回答を得ることができずにいました。「文章読本」的な本では「帯に短し襷に流し」の感がどうしても残ってしまいます。

考えてみると私たちが必要とする文章というのは、詩でも小説でもなくて何事かを論証しようとする文章です。私たちが仕事の上で文章を書かなければならないときは、具体的に誰か相手がいるわけではなくても、あることがらを、それに対する反証を覆しながら論証するために文章を書くわけですから、それ自体「議論」をしていることになります。したがって、「議論の仕方」を意識しながら文章を書く、ということが、「文章の書き方」としても有効になるでしょう。


日調連「調査士法改正検討PT中間報告」

2012-12-20 06:15:07 | 調査士会

日調連の「調査士法改正PT」の「中間報告」が昨日、各会に送られてきました。

大分会では、この「中間報告」を全会員にメールで送るとともに、意見を寄せていただくようにお願いをしました。是非、自分自身の問題として考えてみてください。

正直言って、この「中間報告」を見て、私はキレました。こんなことをやっていてはダメです。

まず、なぜ半年間も、これが公開されてこなかったのでしょう?まったくわけがわかりません。「調査士法改正」というような、全調査士に関わるような問題に関しては、「衆智を結集して」検討を行うべきなのだと思います。

今は、激動の時期です。明治維新前に、長い幕藩体制のもとで特権にあぐらをかいていた「上士」たちが有効に機能しない中で「改革」の力になったのは下層武士や、武士でもない庶民でした。調査士の世界でも同じようなことがあるのだと私は思っています。だから、これまでのように限られた少数の人間で何事かを決めて行こう、という考えは捨てた方がいいのだと思います。「衆智を結集」する、ということこそが、考えるべきことの第一です。具体的に言えば、「中間報告」をまず公表して、それに対する意見を求めて、寄せられた意見によって検討内容を磨き上げて行く、ということをするべきだった、と思います。

そういう検討の過程をたどろうとしない、というのは、内容以前の問題として「決定的にダメ」です。これは基本的な姿勢の問題です。

なぜこうなるのか?・・・それは、内容を見ると納得させられます。「問題意識」というものが、ほぼまったく、と言っていいほどに感じられません。「調査士法改正」を問題にするのであれば、「法を改正しなければならない切実な現実がある」ということなのだと思います。今の法では、現実の問題に的確に対処できない、という社会的事実があるからこそ、その現実を変えるための「法改正」が問題になる、ということであるはずなのです(そういう社会的事実を「立法事実」と言います)。

ところが、そういう問題意識が感じられないのです。だから、「中間報告」を出してから半年間も「内部」での「検討」をした(?)うえで、「検討途中のものです」という限定の注釈をつけてようやく「公開」する、というようなこともできてしまうわけです。

繰り返しますが、こんなことでは、まったくダメです。あまりにも遅く、あまりにも浅く、あまりにも軽い、と言わざるをえません。

・・・さてその上で、私たちはどうして行かなければならないのか?ということを、真剣に考えていかなければなりません。緊急性のある問題には迅速に対応でき、大きな問題にはじっくりと検討を深めていく、ということができるようにしていかなければなりません。それは、閉鎖的にではなく、みんなが考えていかなければならない問題です。


今週の予定ー理事会

2012-12-18 06:18:14 | 調査士会

今年も残り2週間。今週が実質的な動きのある最後の週になるものと思います。

今年の締め括りに、21日(金曜日)理事会を開催します。

「理事会」というのは、公式には会の執行機関であるとともに「総会」に次ぐ決定権を持つ機関であるわけですが、実際には年に数回しか会議を開けないので、日常的なことは「常任理事会」に委ねざるを得ないようになっています。これは致し方ないとも言えることだと思いますが、それだけに甘んじているわけにも行きません。「全支部」「全会員」レベルでの活発な活動、ということを課題とする中では「理事会の充実」ということを大事な課題にするべきなのだと思われます。

そのようなものとして、「今年の活動実績を見つめ直して、その上で来年の事業計画を立てる」という一連のサイクルの前段部分の検討を今回の理事会で行うことにしたい、と思っています。

なんらかの事業を行っていくにあたっては、「PDCA」ということが言われます。Planを立てて、それを実行(Do)して、Checkを行って、それをActionに結び付けていく、という一連の流れです。・・・が。これまでの調査士会の事業執行の中で、これらの一つ一つの過程が、しっかりと踏んでこられたのか、というと、なかなかうまくいってなかったところもあるように思えます。

そのような反省を含めて真剣な検討とその上に立った活発な議論を行う場としての「理事会」にできれば、と思っています。