大分単身赴任日誌

前期高齢者の考えたことを、単身赴任状況だからこそ言えるものとして言ってみます。

「調測要領改定案」への意見②・・・各論「筆界調査・認定」

2013-03-27 10:06:01 | 調査士会

「調測要領改定案」について、先に(3.25)、全体として「規程」については「倫理規程」との関係で考えるべきなのであり、それなしに「要領」を「規程」化しようとすると元々「要領」として独自に持つべきものがなくなってしまうのではないか、という趣旨のことを書きました。もう少し具体的に書くようにします。



「筆界認定」についてです。



私は、この「筆界認定」ということが、土地家屋調査士の業務における中心課題であり、調査士の「専門性」が発揮されるべき主な場面だと思っています。ですから、この「筆界認定」をするための能力を鍛え上げていくことが必要であり、そのための具体的な方法が示されるべきであり、そのようなものとしての「要領」が作り上げられるべきなのだと思います。しつこいようですが、ここが「調査士」を「調査士」たらしめている所以のところであり、「測量士」等と決定的に区別されるところなのだ、ということが繰り返し確認されなければならないのだと思うのです。



その「筆界認定」にかかるところが、あまりにも淡泊です。



「改定案」において、直接的に「筆界認定」が言われているのは、46条です。

「第46条 調査士は、その職責をもって筆界を認定しなければならない。」

以上。・・・です。



まず、この条項の「意義」を確認しておくと、「筆界の認定」ということが正面から取り上げられているところにあります。それを「調査士の職責」の問題だ、としているのは、これまでのものと比べて飛躍的と言うべき前進であり、非常に重要な所だと思います。・・・・しかし、それだけに、もう少し内容を持ったものとして言わないと、何が何だか分からなくなり、ただの自己満足に終わってしまいます(同じように「筆界認定は自分たちの重要な職責だ」と宣言しながら実質的なことを何もしない誰かのように・・・)。



こういうところに「規程」化したときの具体性の欠如、という問題が出てきてしまっているように思えます。この言い方は、「倫理規程」的な言い方ですよね。もう少し具体性を持った「要領」的な詳しさが必要なのではないか、と思えるのです。



現行の「調測要領」では、39条、40条が、この内容にかかるものになっています。

(筆界の確認)



39条 筆界の確認は基礎測量又はこれに類する測量の成果を基礎として、次の各号により行うものとする。



(1) 既存の地積の測量図、登記所備付けの地図及びその他の数値資料が存する場合において、現地における境界標又はこれに代わるべき構築物等により土地の区画が明確であって、位置及び形状がそれぞれの資料のもつ精度に応じた誤差の限度内であり、かつ、当事者間でそれらの境界標等を土地の境界として認めているときは、これをもって筆界と判断して差し支えない



(2) 前号の資料が存しない場合において、現地の状況が境界標又はこれに代わるべき構築物等により土地の区画が明確であり、既存資料、現地精通者の証言等により対象地の位置、形状、周辺地との関係が矛盾なく確認され、かつ、当事者間に異議がないときは、その区画をもって筆界と判断して差し支えない



  なお、土地の形状及び面積が登記所備付けの地図等又は登記簿上の地積と相違しているときは、委託者に対し地図訂正又は地積更正等の必要性があることを助言するものとする。



(3) 第38条・第40条又は第50条に基づき確認されたものは、筆界として差し支えない



2 前項により筆界が確認されたときは、後日の紛争防止と登記申請書に添付するため別紙11又は12の様式を参考とした確認書を作成する。





(筆界確認の協議)



40条 土地の筆界が明らかでない場合には、当事者に対して筆界及び所有権の及ぶ範囲の確認を求め、協議をさせるものとする。この場合において、第39条による調査結果及び第50条による復元資料を示し、調査士の見解を利害関係者に示し、恣意的に筆界が定められることのないようにしなければならない。



  2 前項の規定により当事者が筆界を確認したとき、又は不調の場合においても、その立会状況、立会者名及び経過を調査記録書等に明記するものとする。



  3 前条第2項の規定は、第1項の規定により筆界が確認された場合に準用する。



というものです。私は、この現行調測要領の39条、40条の内容について以前に批判的な文章を書いて問題提起したことがあります。この内容は、「かなりいい線行ってるけど、最後に超えるべきものを越えられずにいる」もののように思えるからです。

それでも、ここでの規定の仕方は具体性を持っている、と言えます。この具体性を保持しながら、この条項で言っていることの限界を超える内容を提示することこそが、私たちに問われていることなのだと思います。

それは、一言で言えば「筆界確認」ではなく「筆界認定」のあり方を明瞭に示すことです。

今回の「改定案」は「筆界認定」という「課題」は示しました。「筆界認定」をしなければならない、ということを「義務規定」として示したのは、繰り返しますが大きな前進です。でも、その具体的ななかみを示すにはいたっていません。<o:p></o:p>



これは、「要領」を「規程」化することの問題(弊害)なのではないか、と思えます。確かに「規程」として改定案46条のことを言うことは必要なのです。しかし、だからと言って現行調測要領39・40条で言われているような内容をなくしてしまっていいとは思えません。確かに「規程」において「手取り足取り」的なことを言うのはおかしい、という考え方もわかります。そうであればこそ、「規程」化するべきものと「要領」的に残し発展させるべきものを、全体としてとらえて分別して明らかにすることが、なされなければならないことだと思えます。



 



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「調査測量実施要領改定案」への意見①-総論

2013-03-25 08:34:13 | 調査士会

年度末の週です。・・・今週の会務予定は特にありません。

そこで、・・・という訳でもありませんが、3月21日に日調連から各会に送られた「調測要領改定案」について、何回かに分けて私の意見を書きます。

まずは、「総論」。

「調測要領」の改定が問題になった背景には、直接的には「筆界特定代理関係業務」や「ADR代理関係業務」のような、これまでと違う業務領域が新たにできたことによって、それらの業務に関する基本的規律を明らかにする必要がある、ということがあります。それは、より本質的には、土地家屋調査士の業務そのものに求められているものがこれまでと変わってきている、という大きな社会情勢の変化、ということがある、ということなのかとも思いますが、あくまで直接的な「立法事実」としては、「新規業務への対応」ということになるのだと思われます。

その意味での「必要性」は、確かに確認しうるのですが、その課題は、はたして「調測要領の改訂」という形で行われるべきものなのか?ということが、一つの問題としてあります。

直接的なこととして言えば、たとえば筆界特定代理関係業務に関するものというのは、「調査測量」に関するものとしてとらえるべきなのか?ということです。もちろん、私たち調査士が筆界特定関係の業務に携わる、というのは、「調査測量」がその基礎にあるからこそ成り立つのであって、筆界特定関係業務における「調査測量」の重要性を軽視することはできません。しかし、「新たな業務領域」として問題になるのは、むしろ「代理関係業務」である、という面においてだと考えるべきでしょう。この分野については、調査士法などの法令による規定を基礎に、「倫理規程」でも取り上げられています。それと区別されて「調査測量要領」において課題とするべきものがあるのか?ということが問題になります。先日読んだ「民法改正を考える」(3.20のブログで紹介)の中で、「民法典」というものの改正ではなく、個別法の改正の積み上げでも足りるのではないか、という意見もある、ということが紹介されていましたが、この問題についても同様で、「筆界特定関係業務要領」等の個別要領を「調測要領」と別につくる、という形で対応するのでもいいのではないか、という意見も成り立ちうるのだと思います。

なぜ、こういう、今更ながら、みたいなことを言うか、というと、今回の「改定案」のひとつのポイントは、「将来制定を見込んでいる執務規程」につなげる意味合いがある、とされているからです。ここに問題がある、と私は思います。

この「執務規程」という耳慣れないものをどのように考えるのか、ということが問題になります。調査士が業務を執り行うに当たって遵守すべき規程、ということになるのだと思います。業務に関する「要領」ではなく、守るべき規律であることを明確にすべき、ということなのでしょう。そのようなものとして、今回の「改定案」では、「義務規定」と「努力義務規定」の区別が設けられています。 しかし、もしそうであるなら、何故「執務規程」は「調測要領」の延長線に構想されるべきものとなるのか?ということが問われなければなりません。もう少し違う道を考えて、「規程」は「規程」として、「要領」は「要領」として整理してまとめて行く方向を基本的なものとして考えることができるのではないか、と思えるのです。

弁護士(日弁連)は、「職務基本規程」 というものを設けています。これは、

「日弁連では、弁護士を取り巻く社会の変化に対応して、弁護士の倫理的基盤を確立強化し、職務上の行為規範の整備をはかるため、会員に対する拘束力のなかった従前の「弁護士倫理」(1992年臨時総会決議)に代わるものとして、会規「弁護士職務基本規程」を2004年11月10日の臨時総会で採択しました(2005年4月1日に施行)。」 (日弁連ホームページより)

というものです。つまり、総会決議であり拘束力のないものであった「弁護士倫理」に代えて「職務上の行為規範」を拘束力のある「会規」である「弁護士職務基本規程」を制定した、ということです。

同様の考え方をするなら、土地家屋調査士の世界においても、「倫理規程」を「職務基本規程」にする、という道筋が考えられるように思えます。これが筋ではないか、と思うのです。そうではなく、「倫理規程」と別のものであるところの「執務規程」を、「調査測量実施要領」の延長線上に構想する、という道筋を選択するのがどのような意味を持つのか、私にはよくわからないところです。

このことは、後で個別的な条項について述べることになりますが、「規程」にすると「要領」として持っていた具体性が失われる、ということがあるのではないか、と危惧されるところからも気になることです。「規程」には「規程」の、「要領」には「要領」の独自の性格と内容があるのではないか、と思えますので、それをゴッチャにしてしまい、その後で「義務規定」と「努力義務規定」に振り分ける、というやり方は、あまり適当ではないのでは、と思えるのです。・・・・後日、具体的な条項に即して、このことはあらためて描くようにします。・・・・今日は以上。

 


「調査測量実施要領改定案」

2013-03-22 08:13:51 | 調査士会

昨日、日調連から「調査測量実施要領改定案」が送られてきました。7月までに各会の意見を集約して最終的な検討を進める、ということですので、大分会としては、昨日「案」を会員宛に送るとともに、6月末までに意見を寄せていただくようお願いをしました。

「調査測量実施要領」は、調査士自身が自分たちの業務をどのようなものとして、どのような水準のものにするのか、ということを定めるものです。その内容をどのようなものにするのか、という課題は、調査士にとって「最重要の課題」と言っても決して過言ではないものです。是非、全国の調査士の叡智を結集して、よりよい「要領」を作って行くようにしたいと思います。会員の皆様の真剣な検討と積極的な意見提出をお願いいたします。

私自身としても、大分会における検討作業を進めるとともに、このブログでも少しずつ意見をまとめていくようにしたいと思っています。・・・きょうのところは、「予告編」ということで・・・。


読んだ本ー「民法改正を考える」(大村敦志著 岩波新書)

2013-03-20 20:11:54 | 本と雑誌

民法改正についての本です。

しかし、具体的な法改正の内容について書かれたもの、というわけではありません。

具体的な法改正の内容については、先日の法制審議会民法部会の「中間試案のたたき台」(2月19日)に関する新聞報道の方が詳しいくらいです。本書には、具体的な改正内容についての解説ではなく、「なぜ改正する必要があるのか?」ということに関して「社会の構成原理としての民法典を根源的に考察する」(ともに「帯」での記載)ものとして書かれています。

「何故民法を改正する必要があるのか?」というのは、たしかに難しい問題です。一般に法律を制定したり改正したりするときには「立法事実」が問題にされます。「立法」をわざわざ行うほどの必要性が社会的な事実としてどのようなものとしてあるのか?ということが問われるわけです。

その点では、「民法」というのは、一般的な法律ですので、「これ!」という具体的なものを指摘しがたい、ということが言えるでしょう。たとえば、本書の中で言われていることですが、「成年年齢の引き下げ」という改正内容がが強力な支持が得られずにいる理由として「立法における実益思考」ということが言われています。「この立法がないと明らかな不利益が生じる、あるいは、この立法がなされると明らかに利益が生じる」ということが明確にないと、「立法」に向かいにくい、ということで、これはまさに「民法改正」という課題に当てはまるものです。

これに対して本書では、「理念思考」の必要性が言われています。確かに、日本の民法は、明治時代に日本が近代化していく中で、それに対応するべく、大変な苦労の上で作り上げられたものであり、立派なものであるわけですが、それから100年以上が経過し、しかも戦後の大変革を経ています。そのような変化を受けて、「基本理念」のところに手をつけずに行くことがそれでいいのか、というのが問題です。

このことは、東日本大震災を受けて、さまざまな個別法の検討が必要な時期において、民法全体の改正などという「不要不急」のことに力を割いている場合なのか、という問題としても提起されています。これについては、関東大震災からの復興過程で、「『変災時における変例』に対応するだけでなく『法律思想の改造』を意識する必要がある」、と説かれたことが、今においてもあてはまる、とされています。たしかに、震災後の行政等の対応のあり方を見ていると、法律にどんなことが書かれているのか、ということよりも、法律で決められていることがどういう理念に基づいて、どういう趣旨であるのか、ということを考えて具体的な対応策をとることができるということの方が問題なのだろうと思わされます。そのためには「理念思考」の必要がある、ということなのでしょう。

それでは、本書において、民法は、どのようなものとして改正される必要がある、とされているのでしょうか。

それは、「民法を『私法』ではなく『市民的権利の法』としてとらえる」「『一般法』ではなく『市民社会の基本法』としてとらえる」ものとして言われています。

より具体的には、「『債権』という発想から『契約』という発想への転換」「財産から人身・人格へ」の転換ということが言われています。これまでの民法の「総則・物権・債権・親族・相続」の5篇編成は、「財産権」中心の編成であり、「中心は物(財産)であり、人はいわば財産流通の担い手に過ぎない」構造になっている、として、これを「人の法」に転換させていかなければならない、というものです。その中で、「契約」という人と人との関係で自由に定められるものに関するルールの明確化が求められている、とされています。

民法の改正は、すでに現実に動き出そうとしているものです。その具体的な内容は、これまで「判例法」として積み上げられてきたものを法文として整理するにすぎないのでしょうから、「専門家」にとっての直接的な影響は少ないのかもしれません。しかし、本書で示されているような、理念的な転換があるのだとすると、それがさまざまな分野で今後どのように展開してくのか、ということに注意を払う必要があるようです。これはたとえば「土地境界紛争の解決」という私たちにとっての課題を考える時にも、基本的な所で考えられなければならないものなのです「から、しっかりと勉強しなければならない、ということになります。


W.B.C.・・・・日本敗退

2013-03-19 06:41:00 | インポート

W.B.C.の準決勝、日本チームは、プエルト・リコ(この名前、私は勝手になんとなく「プエル・トリコ」なのだと思っていたら、切れるところが違いました。お恥ずかしい。)に負けちゃいました。残念でした。



私は、元々「W.B.C.」には、ほとんど関心がないので(「野球」という競技がそもそもあまり好きでない上に、「W.B.C.」の怪しげなシステムが気に入らない、ということで・・・・何かにつけ気にいらないことが多い人間だな、と思いつつ・・・)、あまりショックでもないのですが、にぎやかなお祭りが終わってしまったようで、さみしい感じはありますね。



「W.B.C.」というと思い出すのは、第1回の「ADR認定調査士特別研修」です。



第1回の「ADR認定調査士特別研修」の基礎研修の日が、ちょうどこれも第1回のW.B.C.の決勝の日でした。当時、基礎研修は、「インターネット・ライブ中継」の方法で行われていたので、東京で行われる講義を、わざわざ福岡の会場まで行って福岡の会場で九州全体の受講者と一緒に視聴しました。ごくごく一般的な内容の講義を、このように制約の大きい方法で行わなければならない意味がさっぱりわかりませんでした(またもや不平不満)。その中で「インターネット・ライブ中継」の方法がとられていることで唯一ありがたかったのは、講義の途中で講師の先生がW.B.C.決勝戦の結果(日本チームの優勝)を教えてくれたことでした。「インターネットライブ中継」以外の方法だったら、休憩時間まで結果を知ることができないところでした。

この「ありがたみ」に対する「ライブ中継」受講にかかる負担は、結構大きかったように思えます。それがトラウマになったのかな?W.B.C.に対する関心も薄れたのは・・・(と、ひとのせいにする)。



その後、「ADR特別研修」の基礎研修は「DVD講義」の形で行われるようになったんですよね。おかげさまで、今年も大分の会員は大分の会場で受講することができました。ところが、「5人」の受講生が集まらなかった会の方は、他県にまで出向いてDVDの視聴をしなければならなかったようです。こういうことは、不要で過大な負担であるように思えてなりません。



「ADR特別研修」については、自分たちだけで決められることではないので、大変な所があるのでしょうが、公的な資格取得につながる研修であることを踏まえつつ、実情に即した開催方法を実現するための努力というものが必要なのだと思います。相応のしっかりとした取り組みが必要なのだろう、と思うところです。「WBC」じゃなくて「ADR」の話になっちゃいましたが・・・。