大分単身赴任日誌

前期高齢者の考えたことを、単身赴任状況だからこそ言えるものとして言ってみます。

読んだ本―「人口減少時代の土地問題」(吉原祥子著:中公新書)

2017-07-30 11:06:03 | 日記
帯に「持ち主がわからない土地が九州の面積を超えている」
とあるように、「所有者不明土地」問題をテーマとしたものです。
私たち土地家屋調査士にとっても「必読」の本だと思います。是非、読んでいただきたいと思います。

「所有者不明土地」問題については、近年ようやくその重要性が認識されるようになった問題であり、「全国の私有地の約2割はすでに所有者の把握が難しくなっている」と言われています。
なぜこのような問題が起き、そして放置されてきてしまったのか、ということについて、著者は
「現在の日本の土地制度は、・・地価高騰や乱開発など『過剰利用』への対応が中心であり、過疎化や人口減少に対応した制度になっていない。『所有者不明化』は、こうした社会の変化と現行制度のはざまで広がってきた問題である。」
としています。
「日本の土地制度」そのものが問題になるわけですから、問題は多岐にわたるわけですが、私たち土地家屋調査士にかかわる問題としては、次のようなことが指摘されています。
「1960年の登記簿と台帳の一元化は、日本の土地制度の大きな分岐点になった。それは、土地所有者の把握を国が行わなくなったからである。」「こうした登記簿と台帳の一元化は、それまで土地台帳が独立して担ってきた土地の物理的現状の把握という公的な役割が、私的な権利を保護するための登記制度に吸収された過程だったともいえる。」土地の測量の意味も、国の税務の基礎情報の把握という公的なものから、個人の権利の客体(対象)を明確にするためのものに大きく変わった。」「半世紀以上前の登記簿と台帳の一元化は、いまの『所有者不明化』問題にもつながる大きな分岐点だった。

この「登記簿と台帳の一元化」こそが、「不動産の表示に関する登記」という領域をつくったものであり、それによって土地家屋調査士の存在と業務が大きな転換を遂げて今日に至っているわけですので、自らの存立基盤そのものを顧みる視点をも含んて、このような指摘を受け止める必要があります。

所有者不明土地問題は、日本の土地制度そのもののもたらす問題ですので、その解決のためには多岐にわたる問題点を解決していかなければなりません。私たち土地家屋調査士は、土地にかかわる専門家の一人としてその一翼をになっていかなければならないわけですが、同時に「所有者不明」に起因して現実に生じる具体的な問題に対して、現実的な解決の方策を、自分たちの固有の業務領域においても目指していかなければなりません。
「土地境界問題」が、そのような領域の問題になります。
本書で紹介されている石川県小松市の調査によると、森林所有者7367人に調査票を発送したところ950人(12.9%)には郵便が届かず差出人戻りになり(所有者不明)、回答のあった2554人のうち「所有している森林の場所がわからさい」とする回答が570人(23%)もあった、ということです。
所有している森林自他がどこにあるのかわからないわけですから、その「境界」がどこにあるのか、わかるはずもありません。森林自体の所在はわかるにしても、その境界がどこであるのか、ということについての認識がない人はさらに多いことでしょう。
このような土地についての境界を確認しようとするときに、「所有者の立ち合いを求める」ということに意味があるとは言いにくいでしょう。これまでの隣接者との「立会」に頼った「境界確認」のありかたを根本的に見直す必要があるのだと思いますし、実務家としてその具体的なあり方を提言する必要があるのだと思います。
・・ということは、「所有者者不明」に起因する「境界確認不能化」という事態に対して、「固定資産税情報を利用しての隣接地所有者の探索可能化」という方策ぐらいしか思い浮かばなかったわが業界の認識の程度というものを問い直す必要がある、ということでもあるのだと思います。

最後に、所有者不明土地問題が実に根の深い多岐にわたる問題であることが示されれば示されるほど、出口がどこにあるのかがわからず、絶望的な気分にもなってしまうのですが、それに対して本書で「先進諸外国」でのありかたが示されていることが参考になります。よく「実証実験」ということが言われますが、よその国でわが国と違う制度をとっておこなわれていることは「壮大な実証実験」なのであり、そこからさまざまなことを引き出しうる可能性を持つものなのだと思います。先日の日調連総会で、「諸外国の研究は不要」というような意見が出され、気分的にそれに賛成する向きも強くある、ということのようなので、「やはりそのようなことはない」ということで、蛇足的に思ったところです。

連載9 

2017-07-22 14:19:55 | 日記
だいぶ間が空いてしまいました。


前回、いわゆる「原始筆界」と言われるものについては、それが実在したものとは考えられない、ということ。しかし、だからと言って「筆界」が存在しないということではなく、それは具体的な設定行為によって設定され、存在するものとしてある、ということを述べ、最後に「次の問題は、「筆界」は具体的にどのようなものとしてあるのか?それはどのようなものとして実際の土地境界問題の解決に役立つのか?・・・という問題になります。」と書きましたので、その問題について考えてみることにします。


「筆界」が存在する、というのは、それが「設定」されたものであるからなわけですが、「筆界の設定がなされた」というとき、これを二つのレベルで考えることができます。

一つは、「筆界の設定」を行う、ということ自体です。たとえば、一つの土地を二つに分筆した場合「筆界の設定」が行われたことになります。その分筆によって「筆界」が実在するようになったわけですので、「筆界の設定」がなされたことになるわけです。耕地整理・区画整理においても、それまであった土地の区画をいったんないものとしたうえで、新たに区画を設定するわけであり、そこにおいて「筆界の設定」がなされたことになります。

もう一つは、その「筆界」を第三者にもわかるように表示する、ということです。この表示にはいろいろなものがあります。たとえば耕地整理・区画整理の場合は、「筆界の設定」と「その表示」とが不可分一体のものとしてあります。それに対して、古い時代に行われた分筆については、「土地を分筆し、それによって筆界が形成された」ということと、それを第三者にもわかるように表示(公示)する、ということは直接的に結びつくものとしてあるわけではありません。分筆した時から、正確な図面が作成されるわけでもなく、公図への分筆線の書き込みがなされるにしても、その正確性は確かなものではないものとしてあります。ましてや、現在に至っては、ほとんどその資料(分筆申告図)を見ることはできないでしょうし、もしも見たとしてもその図面では、どこがどこなのかさっぱりわからない(現地復元性がない)ということになってしまうのだと思います。今の時代に、境界標が設置されて地積測量図で公共座標の表示がなされる分筆とは全く違うものであるわけです。
このような「表示」のレベルに違いがあるために、レベルの低いものについては、そもそも「分筆による筆界の設定」ということ自体を言えるのか?という疑問も出てきたりもするわけです。
しかし、このような低レベルな表示しかない場合であっても、少なくともそれによって区画が分割され、その間に「筆界」が存在するようになったことは確かなのであり、その分筆線を生み出したものとしての「筆界の設定」がなされた、ということには違いがないことになります。

以上のように「筆界の設定」ということを考えたのは、「設定されたものは存在する」「存在するものはどこにあるのか解明できる」というように結びついていくからです。
もちろん、この解明のための手順については、様々な形があります。つい最近、区画整理で設定された筆界であれば、現地の境界標識も数値データを含む図面もしっかりとしたものとしてあるので、すぐに筆界の位置を解明できるでしょう。言わば「一工程」、しかも技術的な工程のみで明らかにすることができるわけです。
これに対して、古い時代に分筆された位置を明らかにするためには、何工程もの工程を必要とすることになります。それは技術的な分野のことだけで済むのではなく、法的な関係についての理解の上での「推定」(合理的推論)をも必要とすることになります。

このような検討・分析というの、結構手間のかかるものです。
また、このような分筆を経ている土地の場合、通常はこの「確認」「分筆がなぜ行われたのか」「分筆後土地利用がどのように行われたのか」といった事柄が不明瞭になってしまっている場合というのはさほど多いわけではなく、隣接する両土地所有者間で認識が共有されている場合が多い、ということが言えます。そしてそうだとすれば、わざわざ手間暇をかけて検討分析するよりも、隣接土地所有者と立ち会って確認ができるのであればそれでいいではないか、ということになるわけです。これが、当然の成り行き、と言うべきものです。

このようなことから、設定行為のあった筆界についても「立会によって確認する」ということが、「通常の姿」になっていきます。
これは、現象的にはいわゆる「原始筆界」の場合と同じかたちになります。「筆界」の確認をするために、「立会」を行う、という形です。そこから、その理由についても寶金先生が次のように言うように理解されます。
「目に見えない存在であるところの筆界を探す手掛かりは、不動産登記法14条1項に定める地図あるいはその淵源とも言うべき公図、さらには地積測量図等あるいは古くは一筆限図であるが、現地で筆界を一義的に指し示すことのできる地図や地積測量図等はむしろ極めてまれであろう。/ そこで、筆界を探す必要があるときは、成立時においては表裏一体であった所有権界が現地で現在どこにあると認識されているかを調査すべきこととなる。」(「境界の理論と実務」(日本加除出版 2009 )P.160)

「現地で筆界を一義的に指し示すことのできる」資料が少ないので、言わば「本来的な方法ではないが、仕方ないので便宜的な方法として所有者同士での協議によって筆界を探すことにしている」というような理由付けです。
これは、今述べた「設定筆界」に関することとしては当たっている、ということが言えます。
しかし、いわゆる「原始筆界」については、事情が異なるものとして理解すべきです。なぜなら、そもそも「原始筆界」なるものは、一つ一つの現場において(言わばミクロ的に)みるなら存在(実在)するものではない、というところが「設定筆界」とは異なるからです。もともと存在しないものについて「便宜」も何もあったものではなく、言わば本質的に求められる方法として「両土地所有者による確認」がなされるべきものとしてあったわけであり、この基本的なところが「設定筆界」とは異なるわけです。

それに対して、「設定筆界」の場合は、どこに筆界が設定されたのか?という過去における事実があるわけですから、筆界の現地における位置を明らかにするためには、これが究明されるべきものとしてあります。それが、「所有者同士の認識の一致」という積極的条件と資料の不備という消極的条件が重なることによって十分に究明されずに、寶金先生の言われるような形で便宜的な方法によって代替されてきた、ということになります。

このように本来的には違う「原始筆界」と「設定筆界」について、結果的には同じように「立会で確認」をする」という方法がとられてきました。繰り返しになりますが、なぜそうなったのか?と言うと「それでよかったから」、ということになります。それによって「筆界」の確認ができたもとになったし、さらに言えばより高次な目的である「所有権界の確認」も、「筆界」という手段を使わなくてもショートカットで実現することができてしまうわけですから、「それでよかった」と言えてしまうわけです。

しかし、このような「本来は異なるものが同じ方法で解決される」という現実は、物事の本質を明らかでなくさせてしまうことになってしまったように思えます。そして、「現実」が変わっていく中で、それに応じた対応が一定とられてきたにもかかわらず、それが有効に機能することなく、対応を遅らせてしまったように思えてしまいます。

次回は、その辺を見るようにしたいと思います。

連載8 「原始筆界」の不在と「筆界」の実在

2017-07-10 13:33:13 | 日記
大分県を含む北部九州で大きな水害がありました(今も継続中です)。
今日テレビで、被災された朝倉市の方が「筑後川の水位を気にしていたら、裏の方から浸水してきた」ということを言っておられました。どのような方向から、どのような形で災害が来るのか予断を許さないところがある、ということを思い知らされます。被災された方にお見舞い申し上げるとともに、まずはより早い復旧を祈ります。


「境界」に関する「連載」を続けます。

これまで述べてきたことを一言でまとめてみると・・・・「原始筆界は存在しない」ということになります。
「原始筆界」といわれるものが「設定」された歴史的事実がないわけですから、そのようなものが存在する、と考えることはできないことになるわけです。
では、そのうえで次の疑問が出てくるのではないか、と思います。
「原始筆界」が存在しないのであれば「筆界」そのものも存在しない、ということになるのか?
という疑問です。
そうではなく、「原始筆界」ということとは関係なく「筆界」の存在を考える、ということが大事なのだと思います。
それは、二つの意味で言えることです。

一つは、歴史的な経過の問題です。「原始筆界」は存在しないのだとしても、分筆を行えば少なくともその分筆をした線は設定されることになります。また、耕地整理や区画整理が行われれば、「筆界」は再編成的に設定されることになります。また、分筆などの際に「原始的な所有権界」を確認して図面化などをして公示するようにしたものについては、「筆界の設定」がなされたものと同視しうる、ということになります。そして、そのような事例が積み重ねられていけば、個別具体的には「設定」や「確認」のなされていないものについても、同様の判断基準によって判断しうる、ということにもなっていきます。このような歴史的な事実の経過を経て、「筆界」というものが形成されてきた、と言えるでしょう。

もう一つは、「政策的判断」とも言うべきものです。「原始筆界」が具体的に存在する、ということ、すなわち「明治初年に国家が筆界を設定した」ということは、歴史的な事実としては存在はしないけれど、国民が土地に関する近代的な所有権を有することになっている以上、その元々の限界線というものがあると考えるしかない、ということになります。そのように考えたほうが物事がうまく回っていく、という功利主義的な考え方とも言えますが、「そうするしかない」というのが(少なくとも初期には)正直なところではないか、と思います。

このようなものとして、「筆界」に関する現実が形成されていきます。一方で、「筆界」というのが実際には「設定」されていないにもかかわらず「設定されて存在する」かのようにしておく、ということにされるとともに、他方においてその中で実際に「設定」された「筆界」も生まれてくるわけです。
この辺のことについて七戸教授は、「この世の中で真実に従っている部分は、実はほとんどないのであって、世の中の大半は、間違った認識に基づいて動いている。それゆえ、われわれは、何が真実か、という問題と、世の中がどう動いているのかという問題を分けて考えなければならない。」(「土地家屋調査士講義ノート」311)と言っていて、その気持ちはよくわかる気がするのですが、そもそも社会的な問題について「真実」なるものがあるのか、という問題がありますし、「瓢箪から駒」「嘘から出た実」ということもあります。いくら「嘘」だといったとしても、それが「実」だとして百年も続いていたら、それはもうすでに「真実」になっている、と言えるのでしょう。特に、後から正真正銘の現実が後を追いかけてきている場合には、そう言うしかないものになっている、ということになります。

そのようなものとして、「筆界」は実在するものとしてある(ようになっている)わけですので、次の問題は、それは具体的にどのようなものとしてあるのか?それはどのようなものとして実際の土地境界問題の解決に役立つのか?・・・という問題になります。次回以降の課題です。