大分単身赴任日誌

前期高齢者の考えたことを、単身赴任状況だからこそ言えるものとして言ってみます。

「筆界の調査・認定の在り方に関する検討報告書」について③

2021-06-07 16:12:22 | 日記
2)(1)-「ア」「ウ」(14条1項地図、地積測量図)
今述べた「オ」のほかにも、「ア」「ウ」において「境界標」の存在が、「筆界が明確であると認められる」条件にされています。再掲します。
「ア 登記所に座標値の種別が測量成果である14条1項地図の備付けがある場合において,申請土地の筆界点の座標値に基づき測量により現地に表した点の位置に対して,公差(位置誤差)の範囲内に境界標の指示点が現地に存するときの当該指示点」

「ウ 登記所に筆界の復元基礎情報といい得る図面情報が記録された地積測量図の備付けがある場合において,当該情報に基づき測量により現地に表した点の位置に対して,公差(位置誤差)の範囲内に境界標の指示点が現地に存するときの当該指示点」


「ア」は「14条1項地図」の場合、「ウ」は「地積測量図」の場合です。この二種の図面の場合、「市街地地域」において「筆界が明確であると認められる」ためには図面情報を現地復元した位置に対して、公差(位置誤差)の範囲内に境界標が現地に存することが必要条件だとされていて、しかも「座標値」ではなく「境界標」の方を「筆界」点として認めるべき、としています。(「14条1項地図」については、他に「イ」の要件もあるが、これについては後述。また、この「資料」編では「現地復元」ということに関して独特の用語解釈をしているのですが、問題が混乱するだけなのでこれについても後述することとして、ここでは通常の語句解釈の上で論じることにします。)
しかし、「14条1項地図」にしろ「地積測量図」にしろ、そこにおいて筆界点の座標値として表示されているものや、それらを結んだ線というものは、それらの図面が作成されたり、その地積測量図に基づく登記手続が履践された時点において一度「筆界」として「創設」されたり「認定」されたものです。そしてそれは図面が登記所に備え付けられて公開される、という形で「筆界」として公示されているものです。そのようなものを、後の時点で当該筆界に係る登記手続きをするときに既定の「筆界」として認定して爾後の手続を進める、というのはごくごく普通のことなのであり、これに、一体どんな問題があるのでしょうか?私にはわかりません。
もちろん、このような「認定」は無条件になされていいものではありません。それは「調査・認定」としてなされるべきものとしてあります。具体的には、当該資料を他の資料(公図、近傍土地の地積測量図等)と比較対照することや、現地復元して現地の状況(境界標、工作物、地形、占有状況)と照らし合わせて見たりします。その上で、当該資料に誤りのないことを確認する、ということを行うわけです。これは、現地復元の結果、近くに境界標があるかどうか、ということのみによって決めつけるべきことではありません。より広く検証すべきものとしてあります。しかし、その結果、誤りのないことを確認できるのであれば、今回もその「14条1項地図」、「地積測量図」の「座標値」が「筆界」を示すものだと「認定」して然るべきものです。

現実的に考えても、1993年(平成5年)以降の地積測量図には「近傍の恒久的地物との位置関係」が、2005年(平成17年)以降の地積測量図には座標値が記載されることになっているのであり、「筆界の復元基礎情報といい得る図面情報が記録された地積測量図」は既に30年近い歴史を持っており、多くの地積測量図が蓄積されてきています。また、「登記所備付地図作成作業」や地籍調査なども進められ、「座標値の種別が測量成果である14条1項地図」が数多く備え付けられるようになっています。
他方、この30年近い年月の間に「境界標」については亡失してしまったものも多くあるでしょう。もしもそのような亡失のあった場合には、地積測量図、14条1項地図があっても、「筆界が明確である」と言えない(「筆界」は不明であるとされる)、というようなことがあるとすれば、それははなはだ不相当だと言うべきでしょう。そうではなく、登記所に「復元性のある図面」等が備え付けられていてそれに基づいて筆界を復元することができるのであれば、たとえ「境界標」が亡失してしまっても「筆界が明確である」と取り扱われる、ということが必要なのだと思います。そうであってこそ、登記所、登記制度が地図・地積測量図等として「筆界情報」を蓄積していることに意義があるのであり、登記所、登記制度の存在意義が発揮されるのだと言うべきです。

なお、先に述べたように、「山林・原野地域」の場合には、「市街地地域」と違って、
「イ 登記所に筆界の復元基礎情報といい得る図面情報が記録された地積測量図の備付けがある場合における,当該情報に基づき測量により現地に表した点」

を「筆界」点と認定するべきものとしています。。
山林・原野地域の場合には、境界標のない場合でも地積測量図によって「筆界が明確である」とできるが、市街地域ではできない、ということです。
その理由については、「山林・原野地域」の側についての説明として「現代において、土地利用の需要という点では、他の地域種別の土地と比較すれば高いとは言えないことも多く、・・・表示点の評価を厳密なものとすると、かえって高コストとなり、土地利用の状況等から考えて現実的なものではなくなると考えられる」からだ、とされています。つまり、筆界を「境界標の指示点」だ、とするのは、「表示点の評価を厳密なもの」にすることなのだ、とされているわけです。しかし、もしも本当に「表示点の評価を厳密なもの」にする、と言うのであれば、文字通り「厳密な評価」をするべきです。測量図の表示する位置と境界標の指示する位置が異なる場合に、「正しい筆界」がどちらであるのか?あるいはまたどちらでもないのか?中間なのか?片方により寄った位置なのか?等々、まさに「厳密な評価」を行うべきなのです。それは、当該資料(地積測量図)の信用性、精度についての評価、境界標設置の経緯をふまえたその設置の正確性の評価等々として行われるべきです。しかし、「報告書(資料)」はそのようなことはせず、「公差(あるいは平均二乗誤差)の範囲内」であれば「境界標の指示点」の方を「正しい筆界」だと見るべき、としてしまっています。これは「新たな現況主義」とも言うべきものであり、「誤った筆界認定」を誘発してしまう考え方です。なんら「厳密」なものではありません。極端に言えば、地積測量図に示された筆界の境界標が亡失してしまっている土地について、それをあらかじめ「復元」して境界標を設置して登記申請をしようとする場合には「2cm(甲1地域の「筆界点の位置誤差」の平均二乗誤差)」ずれた位置に設置してしまっても、それが「筆界」だと判断される、ということになってしまうのです。
また「市街地地域」の側からの説明としては「市街地地域においては、他の地域種別の地域と比較して筆界に関する現況を考慮する必要性は高く、更に表示点と筆界に関する現況が示す位置との関係を十分に検証した上で筆界の調査・認定をする必要があると考えられる」という理由が考えられているようです。しかし、これは特に「市街地地域」特有のことではなく、どの地域でも変わらないことです。ただ、実際に境界標等の「筆界に関する現況(地物)」が存在する割合の違い、ということはあるでしょうから、それに応じた「検証」を「十分」に行えばいいのであり、あらかじめ「市街地地域では境界標、山林原野地域では境界標がなくてもOK」というような決め方をする必要は全くない、と言うべきでしょう。
また、「境界標」については、別の個所で言われているように、「境界標の設置者、設置経緯等の背景事情、筆界が創設された経緯、境界標以外の筆界に関する現況等を総合的に勘案したうえで判断する必要がある」ものなのであり、そのような「判断」をすっ飛ばして「境界標の指示点」の方を「筆界」と判断すべきだとするような「要件」の提示をするべきではありません。

このような混乱が生じてしまう理由として、「資料」編での「要件」の示し方が、「資料に関する要件」の中に「検討に関する要件」をもごっちゃに混ぜ込んでしまう形になっている、ということがあるように思えます。「資料に関する要件」と「検討に関する要件」とを区別して示すことを考えるべきなのだろうと思います。
そのようなものとしてこの項は、シンプルに「14条1項地図・既提出の地積測量図に基づいて復元が可能な場合」ということでいいのであり、それ以上の具体的なことはまさにその事案に応じて「総合的に勘案したうえで判断する」ということにするべきなのであり、そのような「総合的判断」の過程をしっかりと踏むこと(踏むようにしておくこと)を別に定める必要がある、ということなのだと思います。


以上、「市街地地域」においては、「14条1項地図」「地積測量図」や「判決書図面」さえも、その示す位置に「境界標」等がなければ「筆界」と認めることはできない、という「検討報告書・資料」の考え方(あるいは「ア」「ウ」のような表現の仕方)について見てきました。
しつこいくらいに縷縷述べてきたことを改めて繰り返しますが、どう考えてもこれはおかしいのです。〈倒錯の世界〉とも言うべきものです。
「筆界」というのは、「筆界は,国家が行政作用により定めた公法上のものであって,関係する土地の所有者がその合意によって処分することができないもの」(本文第2-1)です(なお、厳密に言うとこのように言い切れるものではない、と思うのですが、それを言い出すと話がよりややこしくなるので、ここでは「公的なもの」という意味でとっておきます。)。そして、その「行政作用により定め」る、もしくはそれに準ずる手続の結果として作成されたものとして「14条1項地図」「地積測量図」「筆界特定図面」「判決書図面」があります。
ですから、これらの図面が「復元基礎情報」としての機能を持つようなものとしてあるのであれば、それ等の図面(情報)が示すもの(位置)をそのまま「筆界」だと認めるべきものなのだと思います。これが本筋の「筆界認定」のあり方なのです。
ところが、「筆界の調査・認定は、現地復元性を備えた信頼性のある資料が存在する場合を除き、相当な困難性を伴う作業である。」(第2-2)と言われるように、「現地復元性を備えた信頼性のある資料」が必ずしも多くなかったので、「困難性」を抱えてきたのでした。そこで、この「困難性」を打開するために「筆界確認情報」を求めて、それによって「筆界認定」をしてきた、という構造なのだと思います。それが、これまで「実務上」行われてきたことであったわけで、「本道」を進めないから「脇道」を進んでいたのです。ところが、その「脇道」の方もどんどん道が狭くなり、草木も生い茂るようになってしまいましたし(所有者不明土地の多発、土地所有者の境界認識の希薄化)、振り返って「本道」の方を見てみたら道も広くなっているし進みやすくなっている(現地復元性のある信頼性のある資料の増加、技術的進歩)ので、「脇道」に固執することはなく「本道」を進むようにしよう、と考えるべきなのだと思います。

こんなに単純明快なことがどうしてすっきりと明らかにできないのだろう?というのが私の捨てがたい疑問です。たとえ話ついでにもう1つ。柔道に詳しいわけではないので、もしかしたらとんでもなく見当違いなのかもしれませんが・・・。
「現地復元性を備えた信頼性のある資料」にもとづく「筆界認定」というのは、柔道で言うと「投げ技」のようなものだと思います。「14条1項地図」は大外刈り、「地積測量図」は払い腰、「筆界特定図面」は一本背負い、「判決書図面」巴投げのような投げ技だ、というようなたとえです。投げが決まって相手の背中が畳にベタっと着けば、それだけで「一本」が決まって勝ちになる、のと同じように「現地復元性を備えた信頼性のある資料」があり、かつ所要の条件を備えた場合にはそれだけで「筆界認定」ができる、というものだろう、ということです。これらの技がきれいに決まれば、それだけで「一本」に成り、「勝ち」になるように、わけです。
柔道には、このような「投げ技」以外にも「寝技」というものがあります。このあたりから私の乏しい「柔道知識」だけではあやしくなるので、ネットで調べてみました。
「一般的には両者が互いに組み合って相手を綺麗に投げ、一本を取るのが柔道の王道ですが、柔道で勝利する方法はそれだけではありません。相手を倒し押さえ込みで勝つ方法や、さらに倒した相手を絞め技や関節技で倒す方法もあります。こうしたどちらか一方の相手が下になり攻防を行うことを寝技といい、この強さに特化した選手もいます。現在でも高専柔道と言う寝技に特化して発展した柔道スタイルもあり、 立ち技と同じぐらい重要視されています。」(https://sposhiru.com/34d2778f-0ccc-4d9b-a608-40ca88811693)
とのことです。
この言い方に倣うと、つぎのようになるでしょうか。
「現地復元性を備えた信頼性のある資料にもとづく筆界認定」というのが「筆界認定の王道」ですが、筆界認定の方法はそれだけではありません。土地所有者、隣地所有者の筆界認識を確認する「筆界確認情報」によって筆界認定する方法もあります。「現地復元性を備えた信頼性のある資料」の存在が少なかったという歴史的経緯もあり、「筆界確認情報」に特化した筆界認定の方法を「登記実務における通常スタイル」と考える向きもあり、「現地復元性を備えた信頼性のある資料にもとづく筆界認定」と同じくらい(さらに言えば、それ以上に)重要視されています。
このような現実があった中で、今、それを見直そうとしているわけです。あまりにも「寝技」重視、「筆界確認情報」重視が行き過ぎてしまったのでそれを見直そう、という「基本的な考え方」をとることにしました。では、具体的にどうなるのか?それが問題です。
私は、まず必要なことは「投げ技」がきれいに決まった場合には、それだけで「一本」であることを明確にする、ということなのだと思います。ごくあたりまえのことです。これまでは、投げが決まっても、なお寝技に持ち込まなければ「一本」と「認定」しなかった(この方が異常なことです)のを改めて、「柔道の王道」、基本・本筋に立ち返って、投げ技がきれいに決まったら「一本」だのだ、ということを明らかにし、実践するべきなのです。「現地復元性を備えた信頼性のある資料が存在する場合」には、それ(のみ)をもって「筆界認定」できる、ということを明らかにし、実践する、ということです。
これが「基本的な考え方」です。この「基本的考え方」をそのまま現実に摘要すればいいのだと思うのですが、「検討報告書(資料)」ではそのように行きません。「筆界特定図面」はそれだけで「筆界が明らかである」と言えるものだが、「14条1項地図」「地積測量図」「判決書図面」はそれだけではだめで「公差の範囲内に境界標の指示点」がなければだめだ、とするわけです。これは、一本背負いのときにはそれだけで「一本」とみとめるけれど、大外刈り、払い腰、巴投げのときには、投げが決まっただけでは「一本」にならず、投げた後で投げたことを会場にアピールしないと「一本」とは認めない、みたいなことです。
私には、これはおよそ考え難いものです。もちろん、本当に投げがきれいに決まっているのか?というのはきちんと判定しなければならないことです。「一本」というのは、「①『相手を制し』ながら相当な②『強さ』と③『速さ』をもって、④『背中が大きく畳につくように』投げたとき」に判定されるものだそうなので、この4基準に該当するのかどうか、ということはきちんと判定されなければなりません。しかし、それ以外のこと(「⑤投げたことの会場へのアピール」みたいな)を判定基準にするべきではないのです。「筆界認定」についても「現地復元性を備えた信頼性のある資料」が本当に筆界を正しく表示する「信頼性」のあるもので、それによって「現地復元」ができて誤りのないことを確証しうるものとしてあるのか、という点において判断がなされるべきなのであり、それ以外の「要件」を差し挟むべきものではありません。
「検討報告書・資料」で示されているものが、このような「一本の要件を満たしても一本勝ちと認めない」というような「問題以前の問題」のところで止まってしまっている、のはとても残念なことです。
また、「きれいに決まった投げ技を一本と認めよう」というだけでは、「寝技」中心の現状を改善するための今後の方向性を考えるにあたっては、あまり有効な方策であるとも思えません。さらに必要なのは、「一本」にはいたらない「技あり」や「有効」のようなものもきれいに拾って、「合わせ技一本」をも認定できるようにすること(単独の資料では「筆界認定」に至りえないが、いくつかの資料を合わせ読めば「筆界認定」しうるようなケースを類型的に明らかにすること)なのだと思う、・・・のですが、これについては後で考えるようにして、次回は「イ」について考えることにしたいと思います。

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