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大分単身赴任日誌

前期高齢者の考えたことを、単身赴任状況だからこそ言えるものとして言ってみます。

「表示に関する登記における筆界確認情報の取扱いに関する指針(第2案)」への意見募集

2021-12-27 19:19:57 | 日記
久しぶりの(実に半年ぶり)、そして今年最後のブログ更新になります。
しばらくお休みしていたのは、それまで主なテーマとしていた”土地家屋調査士ネタ“について、書くほどのことがなくなってしまったからです。この状況は今も変わりはしないのですが、「『表示に関する登記における筆界確認情報の取扱いに関する指針(第2案)』に関する意見募集」というものがなされているので、これまでの行きがかり上、少しは書いておかなければ、ということで久しぶりに書くことにしました。
「今後の予定」については、本稿末尾に書くようにします。

上記「意見募集」に際しては、前回の「意見募集」で寄せられた意見への「回答」的なものも付されていて、なかなか丁寧な対応です(少なくとも形式的には)。
土地家屋調査士から寄せられた「意見」の中には、
「全般的に、筆界確認の簡易化の影響としては、93条但書調査書の重みが増大することになり、実質的には調査士の責任が過大となると考えられる。」

なんてものもあります。
なんとも情けない話です。「調査士の責任が過大」って、どういう意味でしょう?「調査士の責任が重くなる」というのであれば、まだわかるのですが、「過大」というのは否定的な評価を含んだものです。
こういうことを言う人は、反面「調査士の権限を拡大しろ」的なことをも言います。「権限は大きく、責任は小さく」という考え方です。「業界エゴ」の考え方ですね。しかし、一般的に言って「権限と責任」は正比例の関係にあるものとしてとらえるべきです。大きな権限は大きな責任を伴うべきなのです。
このような情けない「意見」を公然という人は少ないと思いますが(甘い?)、私が日調連の役員などをしてきた経験からすると、このような「考え方」というのは、土地家屋調査士業界における支配的な考え方だと思えてしまうのが、悲しいところです。

本題に戻ります。
「表示に関する登記における筆界確認情報の取扱いに関する指針(第2案)」への意見募集は、「指針案」「用語集」「フローチャート」の3つに対するものとして行われています。
「指針案」については、基本的に「第1案」を踏襲しているものですので私としては、これまで縷縷書いてきたような疑問・批判を多く感じていますが、それについてはさておくこととして、ざざっと見たところ「第1案」から「解説」部分を丁寧にしており、その意味では「改善」されたものになっている、と言えると思います。繰り返しますが、それでもとっても不足であったり、間違っていて根本的に問題だと思うのですが・・・今回は、「フローチャートの問題点」ということに絞って書くことにしたいと思います。

いろいろと指摘しておきたいことがあるのですが、ぐちゃぐちゃした話になってしまうので、具体的な問題について絞って見ることにします。
フローチャート②―1は、「指針案」の第2-4-(1)に対応したものです。
この中で、青枠で囲われて「筆界が明確であるとはいえない」とされて、黒枠の「筆界確認情報の作成主体となれる者がいないか?フローチャート③へ」と進むところがあります。「地積測量図・判決書図面-境界標あり-公差の範囲外」「地積測量図・判決書図面-境界標なし」の形で進んで来ると行きつくところです。
しかし、このように進んでくると、必ず「筆界が明確であるとはいえない」ということになるのか?と言うと、そうではありません。「指針案」自体においても次のように言われています。
「本指針で例示する事例以外でも,登記官が筆界を認定することができる事案は存在する。」第1-4-解説。P.4)

ということです。「登記官が筆界を認定することができる」ということは、「筆界が明確であるとはいえ」る、ということです。
たとえば、具体的には、「第2-4-(1)の解説4」では、地積測量図でも
「対象となる土地の付近一帯の土地に現地復元性のある地積測量図があり,それらの各土地の位置関係を全体的に考慮した検証が可能な場合などにおいては,イの適用手法に準じて取り扱うことも考えられる」

とされています。つまり、14条1項地図のように「画地調整して導き出した復元点」をもって「筆界であることが明確」として取り扱うこともできる場合がある、ということです。私は、この「地図」と「地積測量図」を区別する論理には、およそ納得していませんが、それはともかくとして、決してフローチャートの言うように一概に「筆界が明確であるとはいえない」とされてしまうべきでないことは、「指針案」でも言われていることであるわけです。
もっと明確なのは、「判決書図面」について、です。今回加えられた解説では、次のように言われています。
「境界確定訴訟の判決があった場合は,判決に示された点が筆界点になるのであるから,判決書図面に表現された筆界点を現地において復元することができるのであれば,判決書図面のみをもって登記官が筆界を確認することができると考えられる。」(「第2-4-(1)の解説5」

ごくごく当然の指摘です。ですから
「本指針では,一般的に復元が可能な代表的な例として,オ及びカの類型を挙げた。実際にはオ及びカ以外にも判決書図面のみをもって登記官が筆界を確認することができる事案は十分あると考えられる。」(同)

ということになります。ですから「フローチャート」で、「判決書図面-復元基礎情報あり」から下りてきた先に「筆界が明確であるとはいえない」などというものは、あってはならないのです。「判決書図面のみをもって登記官が筆界を確認することができる事案は十分ある」わけですから、登記官はしっかりとその作業をしなければなりません。安直に「フローチャート」のように「筆界が明確であるとはいえない」という「結論」を出すようにしてはいけないのです。
もう一度繰り返します。「指針案」の「第2-4」の「適用手法(筆界が明確であると認められるための地域別の要件)」において「ア」~「カ」として挙げられているものは、「解説」によれば「一般的に復元が可能な代表的な例」の「類型」を挙げたものに過ぎないのであり、まさしく「本指針で例示する事例」なのであり(事例列挙)、これ以外の場合は「「筆界が明確であるとはいえない」とするもの(限定列挙)ではない、ということが「指針案」では(特に第2案で手厚くなった「解説」では)言われています。(そうであれば、もっと多くの例示をするべきだと私は思いますし、そもそも誤解を生むような例示をすることの意味を理解しえないのですが、それは措いておくものとして)。
ですから、ここで「例示」されたもの以外のものについて、直ちに「筆界が明確であるとはいえない」という「結論」を出してしまってはいけないのです。せいぜい「直ちに筆界が明確であるとはいえないので、他の検討を要する」ということで、さらに続いていくものでなければなりません。

以上は、この「フローチャート」が、安直に「筆界が明確であるとはいえない」と結論付けてしまっていることについて言いましたが、この「フローチャート」には、まったく逆に安直に「筆界が明確であることが明確」だと結論付けてしまう誤りもあります。
「地積測量図・判決書図面-境界標あり-表示点と指示点とが公差の範囲内」と進んでくると「当該指示点が筆界であることが明確」と言うところに行き着くのです。
ここで言う「指示点」というのは、「境界標の表面にされた刻印等によって、当該境界標が指し示す点」だとされています(「用語集」14)。また、「表示点」というのは「筆界点を座標値等の数値情報(距離、角度等)に基づき、測量機器を使用して単に現地に表した点」(同7)だとされています。(以前にも書いたように、この勝手な「用語定義」は、意味のない、いたずらに混乱を招くだけの不要な概念操作だと私は思っていますが、それはさておき。)
たとえて言うとこういうことになります。「甲2」地域では「筆界点の位置誤差」の公差は20㎝ですから、地積測量図に「X=100.000,Y=50.000」と記載のある筆界点を「現地に表し」てみたら、その近く(X=100.190,Y=50.000)の位置に「指示点」があった、とすると(要するに19㎝離れたところに境界標があったとすると)、これは「公差の範囲内」にある可能性が高い(他の規準を含めて)ので、境界標の位置を「筆界が明確であることが明確」だ、とするべきである、ということを「フローチャート」は、言っていることになります。
これは、「指針案」自体が、「境界標の指示点の位置と現況工作物等が示す位置との関係や周辺土地の現況を踏まえて,当該指示点をもって筆界点と認定することに強い疑念が生じる場合は,直ちに筆界点と認定することなく,境界標の設置者,設置経緯等の背景事情,筆界が創設された経緯,地形,境界標以外の現況工作物の位置等を総合的に勘案した上で判断する必要がある。」(第2―4-(1)の注12。P.12)としていることにも反します。
このように短絡的な「結論」に導いてしまうような「フローチャート」と言うのはよろしくないと思います。百歩譲っていっても、「指針案」自体の記述からすると、「フローチャート」的に言えば「公差の範囲内」の次に「指示点をもって筆界点と認定することに疑念があるか?」という選択肢を設けて、「ない」であれば「当該指示点が筆界であることが明確」としても差し支えないことになるのでしょうが、「ある」であればそういうことにはならない、ということを明記しておくべきなのだと思います。そのような検討を進めていくことこそが必要だと思うのですが、そうなっておらず、過剰に単純化してしまっている「フローチャート」というもの自体に問題があるように思えてなりません。

ということで、私としては、さまざまな問題があるものと思いつつ、上記の「フローチャートの問題点」に絞って、「意見」として次のものを上げようと思っています。

青枠で「筆界が明確であるとはいえない」として、黒枠の「筆界確認情報の作成主体となれる者がいないか?」へ進むこととしている部分は、不相当であると考える。
理由=この箇所に至る上の諸選択肢の場合でも「筆界が明確である」と言える場合もあるのに、「筆界が明確であるとはいえない」としてしまうこと、その結果として「筆界確認情報が必要」であるかのように決めつけてしまうことは不相当である。「筆界が明確である」と言える場合もあることについては、「指針案」において「対象となる土地の付近一帯の土地に現地復元性のある地積測量図があり,それらの各土地の位置関係を全体的に考慮した検証が可能な場合などにおいては,イの適用手法に準じて取り扱うことも考えられる」(第2-4-(1)の解説4。P.14)、「判決書図面に表現された筆界点を現地において復元することができるのであれば、判決書図面のみをもって登記官が筆界を確認することができると考えられる」(同解説5)と言われているところである。


「地図」「地積測量図」から「境界標あり」-「公差の範囲内」でおりてきたものについて「当該指示点が筆界であることが明確」とするのは不相当である。
理由=これらの場合、「当該指示点が筆界である」としてしまっているが、必ずしもそうなるべきでないことは、第2―4-(1)の注12(P.12)において「当該指示点をもって筆界点と認定することに強い疑念が生じる場合」もあることが指摘されているところであり、必ずしも「当該指示点が筆界であることが明確」である、ということになるわけではない。たとえ「公差の範囲内」(甲2で20㎝、乙1では75㎝もある)であろうと、「表示点」と「指示点」とに相違がある場合には、どちらが筆界を示すものなのか?という検討が必要なのであり、一方的に「指示点」だと決めつけてしまうべきものではない。



最後に、本ブログの今後について。
以上をもって”土地家屋調査士ネタ”を扱うものとしては、「最後の投稿」にしようと思います。正直、この今回の「筆界認定の在り方検討」をめぐる問題を見て、わが業界(「土地家屋調査士業界」ということだけでなく「土地境界問題業界」「表示に関する登記業等々)のレベルの低さ、ということを痛感しました。こんな低水準の話をグダグダ書いていかなければいけない自分、というのを、とても情けなく思います。
他方、自分自身の問題として、今回のものを書きながら、しばらく文章を書いてこなかった自分自身の能力の劣化、ということも痛感しました。
・・・ということから、”業界ネタ”を主としたブログについては、これをもって終わり、ということにして、来年からは、純粋に個人的な「老化防止策」としてあれこれを書く、というものにしていこうかと思っています。”業界ネタ”を中心とする本ブログを、それがゆえに読んでいただいていただいた方には、今後「期待」?にお答えできない、ということになろうかと思います。申し訳ありませんが、これまでお読みいただき、ありがとうございました。

「昭和」への大後退ー筆界管理の基本的な考え方について

2021-07-08 14:33:00 | 日記
「筆界認定の在り方の関する検討会」を主催した「金融財政事情研究会」から「『筆界の調査・認定の在り方に関する検討報告書』の解説」という小冊子が発刊され、日調連からも周知のための「お知らせ」がなされています。「検討報告書」本体だけでなく、検討会の資料も掲載されているもので、内容の理解のために欠かせないものと言えるでしょう。これを読んでみて、前回までに書いたことに付け加えること、やや修正すべきことがあるように思いましたので、以下書くようにします。


前回まで「筆界の調査・認定の在り方に関する検討報告書」について長々と書きました。長いわりに意を尽くせないものだったのですが、さらに考えの浅い部分もあったか、と反省する部分もあります。
「検討報告書」に対する私の考えとして書いたのは、「基本的な考え方を整理した『本文』と、その考え方に基づいてより実務的に代表的なケースを類型的に整理した『資料』に分かれている」とされる「検討報告書」について、「本文」はいいけれど「資料」はよろしくない、というものです。その上で、「資料」部分の問題をさまざま挙げました。
しかし、「資料」が「本文」の「基本的な考え方」に「基づいて」いるものであることからすると、単に「資料」だけが問題で「本文」はよろしいのだ、というのも変な話です。
考えてみると、このようなことになるのは、「本文」における「基本的な考え方」というのが、何についての「基本的な考え方」であるのか?ということによるのだと思えてきました。それが、「筆界認定の在り方」自体に関するものなのであれば、このようなことにはならないはずです。そうではなく、問題が「筆界確認情報」の取り扱い方、ということに限定されてしまっているので、その限定の中においては「筆界確認情報の提供を不要とするべき」ケースを多くする、という「基本的な考え方」はよろしい、ということになるのですが、もっと広く「筆界認定の在り方」自体に関するものとして考えると問題がある、ということになるわけです。
また、「筆界認定の在り方」という問題は、筆界認定を行った上でそれを管理していく、ということまでを含んで考えるべきだと思えますので、「筆界管理の在り方」の問題としてあります。
そのように「筆界認定の在り方」「筆界管理の在り方」の問題として考えてみると、「筆界確認情報」をめぐる問題というのは、主に何に依拠して筆界を認定し管理していくのか?という問題(の一部)である、ということになります。
「筆界確認情報」を「筆界認定の有力な証拠として取り扱っている」ということは、「証拠」を「人証(ひと)」「物証(もの)」「書証(情報)」と分けるなら、「人証」を重視している、ということです。そして、「検討報告書」では、その「人証」たる(筆界確認)「情報のみに依拠することは必ずしも相当でな」い、としています。ここまではよいのです。
では、その上でどうするのか?というのが問題です。「人証」への過度の依存をやめる、ということは、今までより以上に「物証」「書証」を含めた考慮が必要になる、ということです。これは、まさに「総合考慮」として行わなければならないのですが、「検討報告書」ではそのバランスがおかしくなっているように思えます。
端的には、本文の「第2」の「4」として「付言(永続性のある境界標の設置について)」が置かれていることに見られます。「付言」というのは、手元にある辞書を見ると「言い終わった後で、付け加えて言うこと」とあります(「明鏡国語辞典」)。まさに、言い終わった後で付け加えて言っていることなのですが、それまでの論調と断絶したところで「蛇足」になっているように思えてなりません。
その重視ぶりは、次のように言われています。
「境界標は、その設置によって、現地において目視することのできない筆界の位置をその境界標を現認する人々に対して現地に表現し、権利の客体となる土地の区画を明確化させることができるものである。/そのため、筆界点としての正しい位置に永続性のある境界標を正確に設置することによって、後日の境界紛争や工作物の越境に伴う紛争等の発生を未然に防止する効果を期待することができる。このほか、別添資料において検討したとおり、登記官が筆界の調査・認定を行う際にも物証として重要な判断資料となり得るものであり、例えば、隣接土地の所有権の登記名義人の所在を把握することができず、そのため筆界確認情報の提供等がない場合であっても、現地に境界標が存することによって登記官が筆界の認定を行うことが可能となるケースも生じるなど、不動産取引の前提となる筆界関係登記の申請について、より円滑な処理を実現することができるものと考えられる。」

このように、「筆界管理」のためにも、「筆界認定」のためにも「境界標」が重要であることを強調してやみません。
しかし、「筆界管理」ということで言えば、現地における「境界標」の重要性もさることながら「地図」(不登法14条1項地図)や「地積測量図」の情報内容を豊富化することによって行っていく、ということもあるわけですし、むしろこれまでこの「情報」面こそが重視されてきたのだと思えます。
そのことは、「検討報告書」の「資料」第1-1の補足説明で説かれている地積測量図の変遷にも明らかです。
すなわち、地積測量図に記載するべき事項について、次のような変遷があります。1977年(昭和52年)からは「土地ノ筆界ニ境界標或ル時ハ之ヲ記載スベシ」として境界標の記載がうたわれ、1993年(平成5年)からはこれにくわえて「境界標ナキトキハ適宜ノ筆界点ト近傍ノ恒久的地物トノ位置関係ヲ記載スベシ」として「位置関係」を距離・角度で記載すべきものとなりました。これは実質的には座標値(任意座標)を記載することと変わりません。そして、2005年(平成17年)からは「基本三角点等に基づく測量の成果による筆界点の座標値」の記載を基本として、最低でも任意座標値が記載されることとなりました。この変遷はすなわち、境界標が設置されることが望ましいことは変わらないにしても、境界標がない場合でもこれらの「情報」を蓄積することによって筆界点の位置を特定できるようにしよう、としてきているわけです。「物」に頼るだけではなく、「情報」でも十分やっていけるだろう、という方向に変化してきた、ということなのだと思います。
しかし、「検討報告書」ではこのような変遷、「情報」による筆界関係の安定化への努力の歴史に反するかのように、「情報」の意義を低く見て、「境界標」を偏重する傾向が見えます。2021年から1977年への40数年の後退、元号で言えば「令和から昭和への大後退」がなされようとしていのです。
・・・こう言うと、「何を大げさなことを言ってるんだ?そんなことあるはずないだろう」と思われる方がいるかもしれません。しかし、そんなことないのです。実際に、よく見てみると「40数年の大後退」を見て取れるはずです。見てみましょう。

先に紹介したように「市街地地域」で「筆界が明らかであると認められるための要件」として
「ウ 登記所に筆界の復元基礎情報といい得る図面情報が記録された地積測量図の備付けがある場合において、当該情報に基づく表示点の位置に対して、公差の範囲内に境界標の指示点が現地に存するときの当該指示点」

というものが挙げられています。これは、山林・原野地域では「当該情報に基づく表示点」として、境界標に関する記述がなく、そのまま「筆界が明らかであると認められる」とされているのに対して、市街地地域については「表示点の評価を厳密にする」ものとして、境界標の位置を筆界と認めるべきものとしているものです。
このような「結論」は、①「情報」によって筆界認定できるケースでも「境界標がない」という理由で「筆界認定できない」ということにしてしまうことになり、「筆界確認情報に頼らない筆界認定」という基本的方向性を実現できなくするもの、であるとともに②「情報」の示す位置ではなくて「境界標の位置」を筆界だと認定してしまうように決めつけてしまい、誤った筆界認定をすることになってしまう危険性を有するとともに、そこにつけ込んでの不正を誘発しかねないもの、としておかしいものです。このおかしさは、このような「結論」に至った「理由」を見ると、さらにはっきりとします。
長くなりますが、「検討会資料2」(「解説」冊子P68-69)から引用します。
土地の区画が明確であるといえる場合については次のA案又はB案の考え方があるが、どのように考えるか。
●一筆地の図面情報
[筆界に関する現況が存しない場合]
【A:土地の区画は明確であるとする案】
復元点は許容される公差(測量誤差)の範囲内に復元されていることから、復元点を筆界として認定することができる。
【B:土地の区画は明確であるとまではいえないとする案】
復元点は許容される公差(測量誤差)の範囲内に復元できるにとどまるものであることから、復元点を筆界として認定することは困難である。
[境界標が設置されている場合]
【A:土地の区画は明確であるとする案】
境界標の指示点が筆界点であると強く推認することができるため、他の筆界に関する現況や筆界確認情報を考慮するまでもなく、境界標の指示点を筆界として認定することができる。
【B:土地の区画は明確であるとまではいえないとする案】
許容される公差(測量誤差)の範囲内であるとはいえ、復元点の位置と厳密に一致していない状況においては、筆界確認情報及び境界標以外の筆界に関する現況等を考慮して筆界の位置を判断する必要があり、境界標の指示点を筆界として認定することは困難である。

この「A案又はB案」の検討がなされた後に、上記「ウ」が「結論」として出された、ということになります。すなわち、[筆界に関する現況が存しない場合]については「B案」、[境界標が設置されている場合]については「A案」を採用した、ということです。
私は、そもそもこの「A案」「B案」の設定そのものがおかしいとは思うのですが、それを言い出すと長くなるので、この設定の上で考えてもなおおかしい、ということを書くようにします。
まず、[筆界に関する現況が存しない場合]について「B案」を退ける理由として「復元点は許容される公差(測量誤差)の範囲内に復元できるにとどまるものであることから」と言われています。そんなことを言い出したら、そもそも地積測量図等の(図面)情報には筆界の現地特定機能(「点・線」としての特定機能)というものは成立しえない、ということになってしまいます。常に「許容される公差(測量誤差)の範囲内に復元できるにとどまるもの」でしかない、ということになってしまうのです。ここには、当該資料の正確性に関する検討・評価もなにもありません。確かに古い資料の中には「許容される公差(測量誤差)の範囲内」でしかない(あるいは「範囲外」のおそれも含めて)と判断せざるを得ないものもあるかもしれません。あるいは、新しいものでも不良調査士の作成したものや、官公署が測量業者に作成させた地積測量図に同様のものがあるかもしれません。しかし、少なくとも新しいものの多くは「点・線」での特定機能を有するものと評価・判断しうるものだと思います。そのようなものを作成して登記所に備え付け、蓄積していくことによって安定的な筆界管理ができるようにしよう、と法務省も調査士も努力を続けてきたのだと思います。そのようなものとして1993(平成5)年からは「境界標ナキトキハ適宜ノ筆界点ト近傍ノ恒久的地物トノ位置関係ヲ記載スベシ」として、境界標の設置がない場合においても情報として筆界点の位置を記録して明らかにする、という方策が追加的にとられるようになったわけです。それなのに、「情報」の「復元」というのは「公差(測量誤差)の範囲内に復元できるにとどまる」としてしまうというのは、この意義を否定してしまうものです。1993(平成5)年改正の否定、1977(昭和57)年への回帰、の考え方です。

一方、[境界標が設置されている場合]について「A案」を採用した理由ですが、「境界標の指示点が筆界点であると強く推認することができるため」と言われています。しかし、一体どうして「強く推認される」のでしょうか?まったく根拠はありません。勝手に決めつけているだけです。
この決めつけは、次のような言い方を見るとより顕著です。
それは「5 地積測量図に記録された境界標の種類と同種ではない境界標が設置されている場合等について」の検討を行っている部分です。
この場合について、結論としては「そのため、地積測量図に記録された境界標の種類と実際に設置された境界標の種類とが同一であることは要件とはしていない」としていて、その結論自体は妥当だと思うのですが、理由として言われていることはおかしい、と言わざるを得ないものです。次のように言われています。。
地積測量図に記録された境界標の種類と同種ではない境界標が設置されている場合とは、当初に設置された境界標が何らかの事情で取り除かれたため新たな境界標を設置したケース等が考えられ、地積測量図に記録されていない境界標が現地に存する場合とは、筆界関係登記の申請時には境界標が設置されていなかったため当該申請に併せて提供された地積測量図に境界標の記録はないが、その後に境界標を設置したケース等が考えられる。いずれの場合にも境界標の設置誤差や設置位置の誤りを考慮する必要はあるものの、表示点の公差(位置誤差)の範囲内に境界標の指示点が存している場合には、境界標の指示点が筆界点であるとする一定の推認力が働くと考えられ、境界標の指示点が筆界点であることを否定する資料がないときには指示点をもって筆界と認定することは可能であると考えられる。

ここでは、先に「強く推認される」と言われていたものが「一定の推認力が働く」というようにややトーンダウンしてはいるものの、結論としては同じように「推認」できるものとしています。しかし、「情報」(地積測量図の座標値)が「X=50.000,Y=100.000」となっているので、その位置に境界標を設置しようとして、「その後に境界標を設置した」位置が「X=50.040,Y=99.960」となっている場合、X方向に4㎝、Y方向に-4㎝(北西方向に5.6㎝)の「境界標の設置誤差や設置位置の誤り」があった、ということになる(ちなみにこれだけの誤差は、「筆界点の位置誤差」についての「甲1」での公差、「甲2」での平均二乗誤差内です)わけで、他に理解のしようはないように思えます。それなのに、何故「境界標の指示点が筆界点であるとする一定の推認力が働く」と言えるのか、さっぱり訳が分かりません。このような場合には、地積測量図の示す位置(50.000,100.000)が筆界点である、と判断するのが基本でしょう。もっともその上で「境界標の指示点(50.04,99.96)が筆界点である」という判断を(新たに)する、ということがあってはいけないわけではないとは思います。それは、まさに「検討」の上での「判断」としてなされるべきものであって、そのようにするべきものとして決めつけるのは間違いです。ましてや「境界標の指示点が筆界点であるとする一定の推認力が働く」という全く根拠のない面妖な「理由」をくっつけるべきではありません。

先に「本文」の「付言」で見たように、確かに「「境界標は、その設置によって、現地において目視することのできない筆界の位置をその境界標を現認する人々に対して現地に表現し、権利の客体となる土地の区画を明確化させることができるものである。」と言うことができます。ですから、「杭を残して悔いを残さず」と言って境界標の設置を促進させようとすることには、現実の社会経済活動の円滑な推進のために意義がある、と言えます。
しかし、それを必須のものと考えることはありません。この社会には「筆界を明らかにする業務の専門家」がおり、不動産登記制度における情報の蓄積が図られているわけですから、たとえ「境界標ナキトキ」においてもその情報によって「筆界の安定」は実現できる、と言うことに努力するべきだし、強調するべきだと思うのです。
また、「検討報告書」の先の解説の後の個所では、
「境界標は、隣接関係にある土地の所有者の一方によって隣接土地の所有者の確認を得ないまま設置されるケースや、一方の所有者によって勝手に移設されるケースもあることは常に念頭に置いておく必要がある」

という指摘もなされています。そのようなこともある「境界標」について無前提に「強く推認される」とか「一定の推認力が働く」と決めつけてしまい、他方で地積測量図などの数値情報について「公差(測量誤差)の範囲内に復元できるにとどまるもの」だと貶めてしまうのは、とても正しい態度だとは思えません。根拠なき半世紀の後退と言うべきものだと思います。

「筆界の調査・認定の在り方に関する検討報告書」について⑥(とりあえず完)

2021-06-23 08:51:57 | 日記
これまで5回にわたって「筆界の調査・認定の在り方に関する検討報告書」特にその「資料」部分について批判的にみてきました。
長々と書いてきたのは、この「資料」部分に基づいて「筆界認定」を行うようにしたのではとんでもないことになってしまう、と思うからです。日調連から6月4日に出された「お知らせ」によれば、「登記実務における筆界確認情報の取扱いにつきましては、現段階では令和4年度からの運用を目途とすること」とされているそうです。
来年4月からどのように変わるのか?
「検討報告書(本文)」が示すように「筆界関係登記の申請に際して幅広く筆界確認情報の提供を求める登記実務上の取り扱いについては、現在の社会情勢を踏まえつつ合理的な範囲に絞り込む」「筆界に関する登記所保管資料や筆界に関する現況等に鑑みれば筆界は明確であると言いうる場合にまで、一律に筆界確認情報の提供を求めることには、少なくとも不動産登記の審査の観点からは合理的な理由に乏しいと言わざるを得ないと考えられるため、筆界確認情報の提供等を不要とするべき」という方針が実際に貫かれることを期待しています。
しかし他方、「資料」部分に示される「筆界が明確であると認められるための要件について」を見ると、「筆界は明確であると言いうる場合」と判断されるものは、現状よりも多くなるとはとても思えません。むしろ少なくなってしまうのではないか、後退してしまうのではないか、とさえ危惧されます。
そのようなことは、登記制度そのものが「現在の社会情勢」に適合しない、取り残されたものになってしまうことを意味すると思えます。また、「資料」の内容を見ると、「筆界認定の実務」についての基本的な理解の部分における誤解があるようにも思えます。そこで、実務家として指摘するべきことはしておかなければいけない、と思い、非常に基本的なことにまで立ち返っての長々しいものを書いてきたわけです。
さて、その上で。
では、どのように「筆界が明確であると認められるための要件について」考えるべきなのか、ということについて、私が起案するとしたら、どんな風に起案するのか、というものを書いて見ます。これについても未整理なものであることには変わりないのですが、このようなものをベースにして、さらに「筆界を明らかにする業務の専門」性を集めた集合知により具体的に詰めていければ、と思って提起するものです。


筆界認定というのは、過去において設定・認定された筆界について、当該筆界に関する土地にかかる登記手続を行うのにあたって、その位置を明らかにするものとして認定し、登記手続の中で公示する作用である。
現在では、筆界は「二以上の点及びこれらを結ぶ直線」(点・線)(不登法123条1号)として存在するものとされている。地租改正の過程で設定されたいわゆる原始筆界は、「点・線」の形ではなく幅を持つものであったと考えられるが、今日では原始筆界についても「点・線」として認定することとなる。この原始筆界の中でも、すでに境界確定訴訟の確定判決を得て「点・線」のかたちで確定しているものや登記制度の歴史の中で「点・線」のかたちで認定され公示されているものがある。また、分筆によって創設されたり、区画整理などによって再編成されたものも「点・線」のかたちで設定され公示されている。
このように、過去において「点・線」での設定、認定のされた筆界については、その設定、認定された結果を表示する資料が作成され、その多くは公開(公示)されている。したがって、その資料によって筆界の位置を特定することができるのであれば、それによって「筆界認定」をなしうるということになる。これが、「筆界認定」の基本である。
しかしながら、従来は、筆界の位置を「点・線」の形で特定するに足る資料は必ずしも多くなかった。このため、筆界について最もよく知る蓋然性の高い土地所有者から「筆界確認情報」を得て、それによって「筆界認定」を行ってきた、という歴史的経緯がある。
しかし、その「土地所有者が最も筆界について知るであろう」という期待は、社会情勢の変化の中で成り立たなくなってきている。所有者不明土地の増大はそれを示すものである。他方、筆界の位置を「点・線」の形で特定するに足る資料は増加しており、技術的な進化も相まって、必ずしも「筆界確認情報」に頼らなくても、本来の形で「筆界認定」をなしうる可能性が拡がってきている。
そのような状況を受けて、「筆界認定」の在り方を再検討する必要がある。

〔結論〕
筆界に関する登記手続を行うなかでの筆界認定は、下記のようにして行うべきものとしてある。
1.〈本則〉過去において筆界を設定・認定したことを表示した現地特定機能を有する資料(情報)に表示された筆界は、所要の検証を経て、筆界が明らかであるものとして認定することができる。
2.〈補助的措置〉過去において筆界を設定・認定したことを表示した現地特定機能を有する資料(情報)が十分に存在しない場合には、公図、現地の状況等踏まえて、相互に隣接する土地の所有者の筆界位置に関する認識の一致を示す情報(「筆界確認情報」)を得て、筆界の位置を認定することができる。

〔詳細〕
「1.」について
(1)資料(情報)について
1)過去において筆界を設定・認定したことを表示した資料(情報)とは何か
 筆界が明らかであると認められるのは、過去において筆界を設定・認定した事実があるからである。この過去における筆界設定・認定の際には、筆界の位置を表示する資料が作成されている。
 具体的には次のものがある
①境界確定訴訟の確定判決
②筆界特定書
③不登法14条1項地図
④地積測量図
 これらの資料は、その性格から正しい(筆界の正しい位置を表示している)ことの蓋然性が認められるものとしてある(信頼性ある資料)。
 したがって、これらの資料によって筆界の位置が「点・線」として特定しうる場合には、基本的にこれらの資料に表示された筆界は明らかなものと認めることができる。
2)現地特定機能を有する資料(情報)はどのようなものとしてあるか
 筆界が明らかであると認められるのは、当該資料に基づいて筆界の位置が「点・線」のかたちで特定することができる場合である。当該資料の現地特定機能が必要となる。
 資料の現地特定機能は、資料の形式により強弱があるものと言える。
①当該資料単独で筆界の位置を「点・線」として特定しうる資料=公共座標(世界測地系)の座標値によって表示されている資料(例示)
イ) 座標値の種別が「測量成果」である14条1項地図(不登規則14条1項、2項)
ロ) 2005年以降の地積測量図(不登規則77条1項7号本則)
②現地に測量の基点が現存していることによって筆界の位置を「点・線」として特定しうる資料=任意座標や位置関係を距離・角度によって表示している資料(例示)
イ) 1993年以降の地積測量図(不登規則77条1項7号括弧書き)
③資料の数値情報としては「点・線」として特定できず一定の幅をもたざるをえないが、図面情報や現地の境界標、工作物などの状況と合わせることによって「点・線」としての特定が可能となる資料(例示)
イ) 座標種別が「図解法」である14条1項地図。当該座標値の現地指示点に対して一定の範囲内に境界標や筆界を徴表する工作物が存在する場合(「一定の範囲」について、地域、当該資料の作成時期に応じて基準を設ける必要があるだろう。以下同。)
ロ) 三斜の地積測量図の表示する図(形)、地積、距離などの数値と一定の範囲内で合致する位置に境界標や筆界を徴表する工作物が存在する場合

(2)検証
資料に表示された筆界の位置については、所要の検証を行うべきものとしてある。
この検証は、資料の性格から、筆界の正しい位置を表示していることの蓋然性が認められる、ということの上で行うものである。正しい蓋然性が高いとはいえ、絶対に正しいと言えるわけではないので検証が必要になる、ということである。そのようなものであることから、この検証は資料に表示された筆界の位置が誤っていないことを確認する、という性格を持つものであり、正しさを積極的に証明しなければならない、というものではない。具体的には次のことがなされるべきである。
① 他の資料との対照
イ) 公図との対照
ロ) 当該一筆の土地と隣接する土地に関する資料との対照
相違のある場合、それが許容範囲内であるか否か。否である場合、どちらを採用すべきか。
② 現地復元-現地の状況との対照
イ) 境界標 資料の表示点(復元点)と現地の境界標とが一致すればその位置をもって筆界と判断できる。一致しない位置に境界標のある場合、許容しうる程度の相違か?資料の表示点と現地の境界標のどちらの位置が正しいのか?などを、筆界の性格(原始筆界、創設筆界)、資料の性格、境界標設置の経緯、現地の地域特性等を踏まえて判断する必要がある
Ex. 次のような諸ケースについて「筆界認定」のありかたを類型化・整理する必要がある
資料の表示と現地の境界標位置が相違する場合
 資料表示が先で現地境界標が後=資料表示が正が原則だが〈創設筆界・原始筆界〉〈市街地
地域・山林・原野地域〉〈資料作成時期、作成者等〉により判断する必要もあり
 現地境界標が先で資料表示は後=測量の誤りの可能性・・・etc.
ロ) 工作物 工作物自体は筆界の位置を表示することを主目的として設置されたものとは限らないが、当事者の筆界認識に基づいて工作物が築造・設置されている場合が多い。このような工作物は、筆界を徴表するものと言える。資料の表示点(復元点)と工作物の位置が合致する場合には、その位置をもって筆界と判断できる。一致しない場合の判断は、境界標の場合に準ずる判断。

「2」について
 筆界は、筆界特定手続に関する規定の中で「登記記録、地図又は地図に準ずる図面及び登記簿の附属書類の内容、対象土地及び関係土地の地形、地目、面積及び形状並びに工作物、囲障又は境界標の有無その他の状況及びこれらの設置の経緯その他の事情を総合的に考慮」してその位置を特定するものとされている(不登法143条1項)。しかし、「1」のような資料が存在しない場合、筆界の位置を一定の幅を持つものから「点・線」へと絞り込むことには、一般に多大な時間と経費を要する作業が必要となる。
土地の一般的な利用と取引という社会・経済的な要求にこたえる必要のある一般的な登記手続においては、より簡便な方法で筆界位置の特定をなしうるのであれば、それを採る必要がある。そのようなものとして、その土地の歴史的経緯を最もよく知りうる立場にあるとともに筆界の位置に最も大きな利害関係を有する者である、相隣接する土地所有者の筆界位置に関する認識の一致がある場合には、その認識(「筆界確認情報」)に依拠して筆界の位置を認定することができるものとすることが適当であり、現にこれまでそのように取り扱われてきた。
この場合、筆界の位置についてはあくまでも「相隣者間において境界を定めた事実があっても,これによって,その一筆の土地の境界自体は変動しない」(昭和31年12月28日当裁判所第二小法廷判決)ものであることを踏まえて、上記諸事項により一定の幅に絞り込んだうえで、その範囲内において土地所有者の認識の一致のあることが必要である。
なお、筆界特定制度13年余の知見によって、高精度の公図や現地地物の存在によって「1」の資料がない場合においても筆界の位置を「点・線」に絞り込める場合のあることも明らかになっていると思われるので、そのような場合には知見を活かした筆界認定をおこなうべきである。

・・・以上です。われながら出来のいいものとは言い難いのですが(もっと詰めるべきことを保留にしていたり、必要以上に説明的になっていたり…)「筆界認定の在り方」を考えるうえでとりあえず必要だと思うことを挙げてみたものです。

以上で6回にわたって書いてきた「『筆界の調査・認定の在り方に関する検討報告書』について」をとりあえず終わります。「とりあえず」と未練たらしいことを言うのは、「きんざい」から「『筆界の調査・認定の在り方に関する検討報告書』の解説」という冊子が発行されて、より詳しく考えることができるようになったからです。A6判の小さい活字の冊子で、老人には読むことだけでも苦しいものですが、ざっと目を通して見て「新しい発見」もありましたので、それについて書くことにしようか、とも思っているところです。

「筆界の調査・認定の在り方に関する検討報告書」について⑤

2021-06-18 11:11:29 | 日記
4)「エ」について
エ 筆界特定登記官による筆界特定がされている場合において、当該筆界特定に係る筆界特定書及び筆界特定図面に記録された特定点を当該図面等の情報に基づき復元した復元点


この「エ」の内容については異論がありません。他の「ア」「イ」「ウ」「オ」については内容的に疑問だらけであるのに対して、この「エ」については、ここで実質的に言われていることについて異論がないわけです。しかし、細かいことにこだわるように思われるかもしれませんが、このような表現がなされることには疑問があります。、その背景にある基本的な考え方が問題であると思う(ですのでけっして「細かいこと」ではない、と思う)からです。
なぜ「筆界」として認定すべきものを「筆界特定書及び筆界特定図面に記録された特定点」と単純に言わずに、「特定点を当該図面等の情報に基づき復元した復元点」というのだろうか?・・・という疑問です。
このような言い方をする背景には、「筆界というのは現地で認定するものだ」という考え方があるように思えます。しかしそう考えるべきなのでしょうか?私はそうではなく「情報として認定するものだ」と考えるべきだと思います。その「情報」を「現地」において確認するとしても、あくまでも確認すべきものは「情報」として考えるべきだ、と思うのです。
前回述べた「現地」と「情報」との関係の問題です。「現地」において設定されたり確認された筆界は、それを示す「情報」とされることによって「認定」され、その「情報」が公示されます。これにより「筆界が明らか」な状態が作られるわけです。この「情報」がいつでも「現地」に戻すことができるものである場合には、単に観念的な「情報」であるだけでなく、「現地」性をも持つものとして「情報=現地」ととらえられます。その意味で「筆界は情報として認定されるもの」だと考えていいのであり、「現地で認定する」ということにこだわる必要はない、ということです。
今述べた「情報を現地に戻すことのできる」ということについて、一般に「現地復元性」という言葉が使われます。「現地に戻す」ことのできる性格ですから「現地復元性」と呼ぶことに何の間違いもないのですが、それが「何のためのものなのか」ということを考えると「現地指示性」「現地特定性」というような用語の方がいいのかもしれないと思います。この点について、「現地復元性」ということが言われるようになった頃、たとえば次のようなことが言われています。
「ある一定の資料によって、ここが筆界点なんだと認識することができる場合に、その資料には現地復元性又は現地指示性があるといってます」(有馬厚彦「詳論不動産表示登記総論」866で引用されている枇杷田泰介「地図のはなし」)

「地図の機能が十分に発揮される限り、現地において、当該土地の形質が、たとえば開発行為等の人為的原因や水害等の自然的原因によってまったく変更されるに至ったような場合でも、地図によって、その土地の筆界は正しく復元されうるはずである、ということができる。地図に、このような能力までを期待した場合、それを一般に、現地復元能力と呼んでいる。逆に言えば、現地復元能力を有する地図であって、初めて、法の期待する現地特定機能を果たすことができるということになる。」(同書P865)


「何のためか」と言うと「ここが筆界点なんだと認識することができる」ようにすることだ、ということが示されています。期待されているものは「現地特定機能」であるわけです。
このことから、「現地特定機能」を持つ情報は(少なくとも「筆界」を管理する公的機関(登記官)や「筆界を明らかにする業務の専門家」たる土地家屋調査士においては)それ自体として「現地」と同一視してもいい、と考えるべきです。法的にもそのように設定されていると言えます。
たとえば、と言うかこの項のテーマであるわけですが、「筆界特定」については、前回述べたように「筆界の現地における位置を特定すること」であるという定義規定がなされているわけですが、にもかかわらず「筆界特定」の内容としては、現地に標識を設置することは含まれておらず、「筆界特定書を作成」すること(不登法143条)のみで終わっている、というのが不動産登記法での規定です。このことについて土地家屋調査士の間では、「境界標を設置すべきであり不十分ではないか?」という疑問や批判が広くありますが、私はそのようには考えません。もちろん、筆界特定手続によって現地に標識を設置した方が、申請人・関係人等にとってわかりやすいものになる、とは言えるでしょう。できるものなら設置しておいた方が「より良い」と言えます。しかし、それをしないからといって「筆界の現地における位置を特定」できないわけではないのです。「筆界特定書」「図面」(不登法143条2項、不登規則231条5項)において「基本三角点等に基づく測量の成果による筆界点の座標値」として筆界特定する、ということを明らかにしたことによって「現地特定機能」は十分にあるのであり「筆界の現地における位置を特定」したことになる、というように法的に設定されているわけです。
このことからすると「筆界が明らかであると認められる」のは、ストレートに「筆界特定点」と言えばいい、ということになります。これがごく単純な普通の理解だと思います。ところが、「検討報告書(資料)」ではそのようになっておらず、「筆界特定点を当該図面等の情報に基づき復元した復元点」というようにあくまでも「現地」に戻して、「現地」においてでなければ「筆界が明らかであると認」めることができない、と考えているわけで、ここがおかしいのです。

5)「カ」について
再掲します
カ 判決書図面に囲障、側溝等の工作物の描画があり、それら囲障等に沿って筆界点が存するなど図面上において筆界点の位置が図示されている場合において、当該図面の作成当時の工作物が現況と同一であると認められ、現地において図面に図示された筆界点の位置を確認することができるときにおける当該位置の点

これについては異論がありません。
その上で、この項は重要なことを示していると思いますので、そのことについて書きたいと思います。
この「カ」は、「判決書図面」に関する二つの要件のうちの一つです。」もう一つの「オ」では「判決書図面に復元基礎情報といい得る図面情報が記録されている場合」についてのことが言われていました。それに対して、この「カ」は、判決書図面に「復元基礎情報」は記録されていない場合のことが言われているわけですが、そのような場合であっても、図面に記載されている内容(①)と現地の状況(②)とを合わせることによって「筆界が明らかであると認められる」場合もある、ということが、ここでは言われているわけです(「合わせ技一本」)。
図面には「復元基礎情報」がないわけですから「囲障、側溝等の工作物の描画」があってもそれだけで「筆界復元」ができるわけではありません。しかしそれらに沿って「境界(筆界)」があるものと判示されており、現地に図示された工作物そのものが残っている場合には、その「工作物に沿った位置」をもって「筆界が明らかであると認められる」ということです。
これは、ごく当たり前のことだと思われるものですが、「現地復元」だとか「復元基礎情報」ということについて、もう一度考え直させられる問題だと言えるのではないでしょうか。
先に見たように(連載②冒頭)、「検討報告書(資料)」では「現地復元性について」ということで次のように言われていました。
1 現地復元性について
「以下の(1)から(3)までに掲げるいずれかの情報が図面に記録されている場合には、理論上図面に図示された筆界を現地に復元することが可能であると考えられる。ただし、(2)及び(3)に掲げる場合には、近傍の恒久的地物又は測量の基点となる点が現地に現存していることが条件となる。
(1)筆界を構成する各筆界点についての測量成果による世界測地系の座標値
(2)筆界を構成する各筆界点についての測量成果による任意座標系の座標値及び当該座標値を得るために行った測量の基点の情報又は2点以上の各筆界点に対する複数の近傍に存する恒久的な地物との位置関係の情報
(3)筆界を構成する各筆界点についての座標値の情報が記録されていない場合における、各筆界点に対する複数の近傍に存する恒久的な地物との位置関係の情報」

この「理論上図面に図示された筆界を現地に復元することが可能である」情報のことを「復元基礎情報」と言っているのです。しかし、今「カ」について見たように「復元基礎情報」がなくても「筆界が明らかであると認められる」場合があるわけです。それは「図面情報」と「現地情報」を合わせてみることによって可能になる、ということです。そういう観点から見てみると、この「復元基礎情報」についても、(2)及び(3)の場合は「近傍の恒久的地物又は測量の基点となる点が現地に現存していることが条件とな」っていたのでした。ここでも「現地情報」が条件として前提にされていたわけです。これは、「カ」のように「囲障、側溝等の工作物」という「現地情報」の存在を前提としていることとは、「程度の違い」があるだけで、本質的には違わないものだと言えます。
そして、このことは「判決書図面」だけに限られるものではありません。古い時期の三斜の地積測量図であってもブロック塀や側溝の描画があり、それに沿って分筆をしたことの示されているようなものは数多くあります。このような場合にも「筆界が明らかであると認められ」て然るべきなのではないか、と考えられます。
ですから、「現地復元」ということを、あまり狭く考えてはいけないのだと思います。「現地復元」と言うと、どうも先の有馬氏著書のように「当該土地の形質が、たとえば開発行為等の人為的原因や水害等の自然的原因によってまったく変更されるに至ったような場合でも」筆界は正しく復元されうる、ことを指すかのように捉えられがちなのですが、問題は筆界に関する図面情報によって筆界の現地における位置を指示・特定することができるかどうか、ということにこそある、ととらえるべきです。それが「ある一定の資料によって、ここが筆界点なんだと認識することができる」機能であり、「法の期待する現地特定機能」であるわけです。ですから、用語としては「現地復元性」という用語よりも「現地指示性」とか「現地特定性」という用語を使用した方がいいように思えます。
そして(繰り返しになりますが)、「現地指示性」「現地特定性」として考えるときには、この性格(この機能を持つ性格)というのは、どんな図面であっても多かれ少なかれ持っている、ということになります。問題はそれがどれだけ高いものかどうか、ということとしてあることになります。公共座標値であれば、理論的にはそれだけがあれば現地の位置を特定することができるので、「現地指示性」「現地特定性」は非常に高い、ということになります。三斜の地積測量図で底辺と高さの数値しか書いてないようなものは、それだけでは非常に低いものと言わざるを得ませんが、工作物が描画されていて、それらが現地に現存するものと一致しているのであれば、その工作物の位置が筆界だと判断しうるわけですから現地特定機能を果たしうる、ということになります。基準点や恒久的地物の存在如何によって左右される任意座標などは、その中間にあるもの、と言えるわけです。
このように、「カ」は、「復元基礎情報」がないけれど「筆界が明らかであると認められる」ケースもあるのだ、ということを示しているものとして、大きな意義を持つ項目だと言えます。その上で、「判決書図面」の場合には、それの作成された時点で存在した工作物が現存することが条件となるが、地積測量図の場合はどうなのか?地積測量図の中の原始筆界と創設筆界での要件の違いはどうなるのか?というようなことに、さらに広げて考える必要があるのだと思います。

以上、「検討報告書(資料)」において、「筆界が明確であると認められる要件」として挙げられているものについて批判的に考えてきました。
次回は、それを踏まえて「筆界が明確であると認められる要件」として私はどのようなものを考えるのか、ということを書いて終わるようにしたいと思っています。
(「筆界の調査・認定の在り方に関する検討報告書」について、「登記情報」誌715号所載の「概要」を素材に以上の検討を行っていますが、「解説」の書籍が6月22日に発売された、とのことです。明後日入手予定なので、その後もう少し正確な読取ができるかもしれません。)


「筆界の調査・認定の在り方に関する検討報告書」について④

2021-06-16 09:51:06 | 日記
3)「イ」について
「イ」について。再掲します。
「イ 登記所に座標値の種別が測量成果である14条1項地図の備付けがある場合において、上記アの指示点が現地に存しないときにあっては、申請土地の筆界点の座標値を基礎として、地図に記録されている各土地の位置関係及び現況を踏まえて画地調整した点」

これからこの条項に対する論評をしようとしているのですが、正直言って、私にはこの項の意味するところがさっぱり分かっていません。自分なりの読み方・理解はそれなりにあるのですが、その内容が合っているのかどうか確信を持てません。あまりにも不合理で、こんなことをまともに言うということがあるだろうか?と思ってしまうのです・・・が、そんなことはいくら言っても始まらないので前へ進みましょう。
上記文章の中で言われている「上記アの指示点」というのは、「(14条1項地図の)申請土地の筆界点の座標値に基づき測量により現地に表した点の位置に対して,公差(位置誤差)の範囲内」にある「境界標の指示点」のことです。すなわち、「筆界点の座標値に基づき測量により現地に表した点」の近くに「境界標」がある場合にはその境界標を「筆界」と認めるけれど、ない場合には「山林・原野地域」においてそうするようにその「現地に表した点」を「筆界」と認める、というのではなく、「申請土地の筆界点の座標値を基礎として、地図に記録されている各土地の位置関係及び現況を踏まえて画地調整した点」を筆界と認めるべき、としているわけです。
では、「申請土地の筆界点の座標値を基礎として、地図に記録されている各土地の位置関係及び現況を踏まえて画地調整した点」というのは何なのか?これが、さっぱりわからないのです。
わざわざ「座標値に基づき測量により現地に表した点」と区別して「画地調整した点」だと言っているということは、「画地調整点」というのは「筆界点の座標値に基づき測量により現地に表した点」とは異なる位置のものだ、ということなのでしょう。しかし、そのようなことは想定されることなのでしょうか?
そもそも「筆界が明確であると認められる」というのは、「現地復元性を備えた信頼性ある資料」によって、筆界の現地における位置が明確に指示・特定されていることを言います。その位置は、その資料の情報(数値情報=座標値)として、一度公的な認証を受けて広く社会に対して公示されているものです。ですから、それをそのまま「筆界」と見ることによって「筆界が明確であると認められる」ということになるべきはずのものです。
ところが、敢えてそれとは異なる位置の点を「筆界」として認めるようにしろ、ということをこの「イ」は言っているのです。これが私にとっては「まともに言われることなのか?」と疑問に思わざるを得ないことです。もしも、信頼性のある公示資料と異なる位置を「筆界」と認める、というのであれば(こういうことは、いかに「信頼性のある公示資料」とはいえ100%間違いがないという訳ではないので、ありうることではあるのですが)、このようなときにこそ「筆界特定手続」等の手続を踏むようにするとか、既存資料の問題点をきちんと説明したうえで「筆界確認情報」を得るようにする、という丁寧な措置が必要なのではないでしょうか。
ここでは、なにやら「画地調整」というもっともらしい作業をかませることによって高尚なことがなされているかのごとき雰囲気が醸し出されているのですが、とんでもない的外れなのだと私は思います。
ここで言われている「画地調整」というのは、「土地の位置の特定又は筆界点の復元を行う場合に、基礎測量を実施して、当該測量成果と各種資料との照合・点検を行った上で、土地の面積及び各辺の距離の調整計算を行う復元型」の「画地調整」のことだとされています。たしかに、このような「画地調整」を行うことは「筆界認定」にあたって重要なことです。しかし、「座標値の種別が測量成果である14条1項地図の備付けがある場合」というのは、当該地図作成の時点においてすでにこのような「画地調整」が行われている、ということなのであり、その上で「筆界認定」がなされている、ということであるはずです。そして、その「筆界認定」された位置が「筆界点の座標値等の数値情報(距離,角度等)」として記録・公示されているのです。ですから、その数値情報をそのまま現地に「表した(復元)」した位置と「画地調整した」位置とが相違する、ということを想定すること自体があってはならないことなのです(繰り返しますが、いくら「あってはならないこと」でもあることはあります。そのときは現にあったことを否定するべきなのではなく、より丁寧な手続きをとることが必要になるのです。)

なぜこういうことになってしまうのか?よくわからないながら推測に推測を重ねると、次のような問題があるのか、と思えてきます。
「筆界認定」ということ自体に関する考え方の問題です。
「筆界が明らかであると認められる」と判断することが「筆界認定」です。これは「筆界の現地における位置を特定すること」とも言えます。
この「筆界の現地における位置を特定すること」というのは「筆界特定」に関する不動産登記法の定義規定の中に出てくる言葉です(「123条 2号 筆界特定 1筆の土地及びこれに隣接する他の土地について、この章の定めるところにより筆界の現地における位置を特定すること(…)をいう。」)
すなわち、「不動産登記法第6章 筆界特定」の規定に基づいて「筆界の現地における位置を特定すること」が「筆界特定」であるわけで、表示に関する登記の中で「筆界の現地における位置を特定すること」が「筆界認定」だと言えるでしょう。
では、「筆界の現地における位置を特定」したもの、というのはどのような形で表現されるものなのでしょうか。二つの形がある、と言えます。一つは、現地に物理的な形で「筆界」を認識できるようにすることであり、具体的には「標識」を設置するという方法です。そしてもう一つは、筆界の現地における位置を「情報」として記録する、という方法です。「筆界認定」というのは、この「情報」として記録する、ということ、しかもそれを「公的」なものとして行い、誰でも知ることのできるよう公開(公示)する、というところまでを含んだものとして考えるべきものだと思います。
現地において「標識」を設置する方法というのは、誰の目にも明らかな方法として非常にわかりやすいものであり、その意味での利点を有しているということができます。しかし、弱点もあります。とりあえず二つを挙げますと、一つは、現地の「標識」自体は、それが「公的」なものなのか「私的」なものなのか判断できるものではない、ということです。もう一つは、現地の標識はいつ亡失してしまってもおかしくないものとしてある、ということです。そのような性格を持つものであるがゆえに、「永久標識」を設置するように努めることが強調されるのですが、現在ではどんなに大きなコンクリート杭を根巻きして設置したとしても重機などで簡単に除去されてしまいます。現地に真の意味での「永久標識」「永続性ある境界標」を設置することは無理なことなのです。
そこに、もう一つの方法、「情報」として記録する、という方法の重要性があります。今日では「基本三角点等に基づく測量の成果による筆界点の座標値」として記録することとなっていて、これにより「筆界の現地における位置」は、たとえ境界標がすべて失われるようなことがあっても現地に復元しうるものとして特定しうる(明らかだと認められる)ものとなっています。そしてこの「情報」についてはその性格から、それが私的なものなのか公的なものなのか明らかです。また、永久性・永続性も明らかです。弱点としては、現地で誰にでもすぐにわかるものではない、ということがありますが、これは副次的な問題だと言えるでしょう。
このように、認定された筆界を「情報」化するわけですが、近年になるまでその「情報」を現地に一義的に(ピンポイントで)復元する、ということはできませんでした。更正図の公図がいくら「精度のいいもの」だとしてもピンポイントで表示しているわけではありませんし、古い時期の国調地籍図(の14条1項地図)も「図解法」によるもので同様です。「現地→情報」という回路をとっても「情報→現地」の回路をとることができなかったのです。現地への「標識」の設置は、「情報」におけるこの弱点を補う意味があったのだと、今日ではとらえ返すことができます。これに対して「座標種別が測量成果である14条1項地図」は、ピンポイントでの現地復元が可能な情報としてあります。ここに至って、「標識」に必ずしも頼らなくとも「現地」と「情報」との相互通行が可能になったのです。それにより「現地→情報→現地」という一つの循環がなされるようになりました。このような「情報」化は「現地」に標識を設置するのと同様の効果を有するものだととらえるべきなのだと思います。
この意義、すなわち〈登記制度が蓄積している情報によって筆界は明確になっている〉ということこそ強調すべきことなのだと私は思います。ところが「検討報告書(資料)」では、登記制度の蓄積している情報によっては、必ずしも現地の位置を一義的に特定することはできない、としてしまっているかのようです。というのは、「筆界点の座標値等の数値情報(距離,角度等)等に基づき,測量機器を使用して単に現地に表」すのでは、「本来の筆界点の位置を現地に再現」すること」はできなくて、「筆界点の座標値等の数値情報(距離,角度等)を基礎としつつ,各種資料や現況等の分析及び検討を行」わなければ「本来の筆界点の位置を現地に再現」することはできないのだ、というようにいたずらに問題を混乱させてしまっているのです。これは、「筆界確認情報に依存しない筆界認定」にまったく逆行するものだと言わなければならない、と思います。

このようなことを言う「検討報告書(資料)」の意図は、おそらく「広範囲の図面情報」たる14条1項地図の場合には、「一筆地の図面情報」である地積測量図、判決書図面よりも信頼性が高い、ということを言いたくて、必ずしも境界標の設置状況を考慮する必要がなく、この「イ」の「画地調整」でも「筆界認定」できるのだ、と言いたかったのかと思われます。14条1項地図の場合には「一定の範囲の各土地の座標値と現地の状況との位置関係を全体として照合、分析を行い、現地における元々の筆界点の位置を画地調整して導き出すことにより、一定の範囲の整合性が確保される」から必ずしも境界標の設置状況を考慮する必要がないのだ、という考え方です。しかし、今括弧書きの中で言ったことというのは、先にも述べたように、その14条1項地図を作成する際の筆界認定に当たって行われた(はずの)ことなのであり、今更その成果品たる14条1項地図を前にして行われなければならないことではないのです。「現地→情報→現地」という循環で言えば、第一の「現地→情報」の段階で「画地調整」はなされるものであり、第二の「情報→現地」の段階で行われるべきものではないのです。しつこいようですが、あらためて言っておきたいと思います。

なお、さらに想像をたくましくすると、この「画地調整」というのは、「すべての筆界点についての座標値が一定方向に一定距離だけずれているような場合」が想定されているのかもしれません(古い国調で基準点そのものがずれている場合、ありえることです)。その場合、たしかに「筆界点の座標値等の数値情報(距離,角度等)等に基づき、測量機器を使用して単に現地に表した」のでは不合理な結果を生み出してしまうでしょう。この場合、「画地調整」をする必要があるし、「画地調整」をすれば十分だ、ということになるかもしれません。しかし、そのようなケースというのはどれくらいあるのでしょう?例外中の例外と言うべきものでしょう。そんな例外中の例外のことをわざわざ6つ(「ア」から「カ」)しかない「要件」の中に入れる必要があるとは思えません。そうではなく、基本はあくまでも「筆界点の座標値等の数値情報(距離,角度等)等に基づき、測量機器を使用して単に現地に表した」点を「現地復元性を備えた信頼性ある資料」を現地に復元したものとして「筆界」と認定できる(資料についての要件)という点に置いて、その上で無条件にではなく所要の検証を行う必要がある(検証についての要件)、としておくべきなのだと思います。

以上、本来なら改めて論ずる必要もない当たり前のことを長々と言っていて、私自身空しくなっているのですが、とても基本的な問題をもはらんでいる、ということなのだと思いますのでもう少し続けます。次回は、「エ」の筆界特定に関することとして、また今回と同じようなことを言うようにしなければいけないと思っています。