大分単身赴任日誌

前期高齢者の考えたことを、単身赴任状況だからこそ言えるものとして言ってみます。

入管法改正案衆院通過

2018-11-28 07:36:00 | 日記
衆議院で、外国人労働者の受け入れ拡大に向けた入管法の改正案が強行採決されました。
これまでも数多の「強行採決」があり、国会での審議というのは対立のある中でいつかの時点では結論をださなければいけないものだということであればいたしかたのない面もあるのだとは思いますが、今回の強行採決というのは、かなりのものだという気がします(もっとも最近はこの手が多いようですが)。
今日時点で採決しなければならないのは、今国会中に成立させたいからであり、それは来年の参議院選挙をにらんでのことだ、ということなども言われていますが、公式には「人手不足が深刻だから急がなければならない」ということとして言われています。「人手不足で倒産する企業も出ている中、喫緊の課題だ」などという言い方もされています。
しかし、「人手不足」は、昨日今日突然にやってきたことではなく、すでにその趨勢にあることは以前からわかりきっていたことです。その中で、外国人の受け入れが不可避なことは、「技能実習生」「留学生」といった形で現実の問題として進行していたこととしてもとっくに明らかになっていたことです。それなのに、遅きに失した法案(しかも極めて不備)提出をしたうえで「喫緊だ」「緊急だ」と騒ぐというのは、責任ある姿勢だとは言えないでしょう。
なぜこうなるのか?と言うと、「移民政策をとるわけではない」という頑なな姿勢に根本原因があるように思えます。2年ほど前に、シリアからの難民受け入れが問題になっていた時に、たしか国連総会に出席した安倍首相が、外国の記者からのシリア難民に関する質問を受けて、唐突に「日本は移民政策をとるつもりはない」ということを滔々と話し始めたのを聞いて「世界を驚かせた」ものですが、人道的問題としての難民問題が取り上げられているときにも「移民政策」を論じ始めるくらいに、安倍首相やその国粋主義的な支持層にとって「移民」問題はセンシティブな問題だということなのでしょう。
「移民政策ではない」とする、ということは「必要な労働力(人材)の需要を満たすためのもの」だということになるのだと思いますが、他方では「労働力需給の調整弁として導入するわけではない」とも言われます。じゃぁ何なんだろう?
このわかりにくさの原因の一つが、「法律の条文に書き込まずに、詳細は省令に委ねている」ということにあると言えるのでしょう。この「省令への委任(の行きすぎ)」は、わが業界(不動産登記の世界)においてもみられることで、「法」を空文化してしまうものです。もう少し丁寧な制度設計をして、それを「法律」に書き込んで、それに関する論議を行って成案を得る、という道筋を踏むべきなのにな、ということをあらためて思います。

そんな中で、国会中継を聴いていてびっくりしたことがあったので、紹介しておきます(移動中などにラジオで聴く程度なのでほんの部分的な話になりますが)。
技能実習生制度が様々な問題を持っている、ということを安倍首相もが認めた(上で、だからこそ新しい制度が必要だ、とした)上で、山下法務大臣が次のように言っていました。
「制度全体のファクトの問題として申し上げます。すなわち29年技能実習で在留していた前年末の在留者数22万 新規入国者が12万 その中で失踪された方が7089人、そうすると少なくとも9割をはるかに超える技能実習生の方々が技能実習計画に基づいて日本での実習にいそしみ、それを見守る方々がおられるという制度なんです。」
ここで、何故「制度全体のファクト」という言葉が出てくるんだろう?というのが、とっても不思議でした。
技能実習生制度に多くの問題のある事実があることについては、まさに「ファクト」の問題として広く(安倍首相も)認めている、というのに、何故今更のように「制度全体のファクト」として「9割以上」で順調、なんていうことを言うのでしょう。
しかも、その「全体としてのファクト」というのは、7000人以上の失踪が出ている、ということです。これは、かなり大きな数字としてとらえるべきものだと思うのですが、「9割以上」ということによって「全体のファクト」だと言いはるというのは、かなり強引です。たしかに、「9割以上が国立大学に合格した」というのであれば「立派」だということになりますが、「9割以上が墜落せずに目的地に着いた(2%以上は墜落した)」というのであれば大問題になるところです。
最近、「政治」に関する昔の本を読んでいて出会った次のごく当たり前の指摘は、今でも妥当する本当のことなのだとあらためて思わされました。
「政治においては、ある事実が変更不可能であるとか、ある傾向が不可抗力であるといった考えは、一般には、これらの事実や傾向を変えたり食い止めたりすることに何の欲求も利益もない、という事情を反映するものである。」
また、同じ本には次のようなものもありました。
「真実とは、相矛盾する経験を、実用的な立場からある特定の目的ないし当面の都合に合わせて認識するということに他ならない」。

なるほど、「政治」における「真実」「事実」というのは、そのようなものとして考えるべきなのか、ということです。「納得」しました(「承服」はできないまでも)。

「国際地籍シンポジウム」

2018-11-18 20:50:12 | 日記


今週、福岡で「国際地籍シンポジウム」が福岡で開催される、ということで、私も出席(聴講)する予定でいます。
この「国際地籍シンポジウム」は、日調連が「日本代表」として参加して今年は「当番国」として「主催」するものですが、日調連の総会や全国会長会議の議事録などを見ると、はなはだ否定的な意見が多く出されているもので、その意味であまり評判の芳しからぬもの、と言うべきものなのでしょう。
しかし、それらの場で言われている否定的な意見を見ると、その見識の低さ(「下劣さ」とも言いたいところです)に驚かされます。
たとえば、今年の日調連総会の議事録を見ると、次のような「意見」が出されています。
「十数年前から私は同じことを申し上げておりますけれども、台湾と韓国から何を学ぶことがあるのか。彼らからの発表を受けて我々日調連、それから土地家屋調査士、当時は1万8000人、現在は1万6600人がその国際地籍シンポジウムの成果によって何かプラスになったことがあるか、具体的に一つでも・・言ってみてください。」
「国際地籍シンポジウムに2000万投ずるのであれば、是非とも空き家問題とかブロック塀がどうだとか、これを全国の1万6000人の会員に、例えば、出張旅費を出して、それぞれの調査を我々土地家屋調査士がやったらどうですか。」
「韓国人と台湾人の通訳に250万円使う。予算書を見てください。事業を行っていく上においてはこのお金を他に回すべきじゃないですか。」
・・・というような「意見」です(同じ人のものですが)。

「台湾と韓国から何を学ぶことがあるのか」とか「韓国人と台湾人の通訳に」とかの発言の背後には、旧宗主国民としての差別意識も感じられ、そこに「下劣さ」を感じずにはいられないのですが、それはさておき、あまりにも短期的・直接的なものの考え方に驚かされます。
そもそも、日調連のような全国組織が行う一つ一つの施策が、「1万6600人の土地家屋調査士」に直接的に「何かプラスにな」ることなど、まず「ない」と思うべきです。
そもそも、日調連の施策を行うべきかどうかの判断基準を、「1万6600人の土地家屋調査士に何かプラスになるかどうか」ということに置くこと自体が間違っています。
もしも問うのであれば、「国際地籍シンポジウムは、日本の不動産登記制度(地籍制度、土地政策等々)に役立っているのか」というように課題設定するべきです。この問いに答えられないのであれば「やめるべき」ということになるのでしょうが、そうではなく「土地家屋調査士」という「1万6600人」程度の人数の一職種にとっての利益だけを考えるようでは、その「1万6600人」は社会にとって有用なものではないものとして、見捨てられ切り捨てられていくしかない、と言うべきでしょう。
日調連が「国際地籍シンポジウムに2000万投ずる」ことを問題にしていますが、もしもそのように「2000万」等の金額を問題にするのであれば、問題にするべき使途は他にもたくさんあるのであり、その中で殊更に「国際地籍シンポジウム」を槍玉に挙げるのは、土地家屋調査士の目を「世界」にではなく、身内の細かい利益に向けさせたいが故のことのようにしか思えません。「空き家問題とかブロック塀」に取り組むのであれば、何も「国際地籍シンポジウム」から持ってもなくても他の財源を見出して取り組めばいいだけの話です。

その上で、「台湾と韓国から何を学ぶことがあるのか」と言うと、実にいろいろなことを「具体的」にあげることはできるでしょう。日本の植民地支配下で「地籍制度」の原型をつくりながら、戦後日本とは全く違った形での「地籍制度」を創っていった韓国・台湾からは、さまざまなことを「学ぶ」ことができるはずです。その気さえあれば。
それは、「土地家屋調査士が」というような狭い了見からのことではなく、「不動産登記制度が」、「地籍制度が」、「土地政策が」と言ったようなことです。
この「国際地籍シンポジウム」を開催し、韓国・台湾における参加機関との関係を保持しているとことが、「1万6600人の土地家屋調査士」のために直接的に利益を与えるものではないとしても、「不動産登記制度」等に役立つところがあるのだとすれば、それはまわりまわって土地家屋調査士の役にもたつ、ということになる、と考えるべきなのです(現に、その狭い了見での話に付き合えば、そのような「現実的効果」もあることは見ておくべきことです)。

だから問われるべきは「不動産登記制度」等社会的に有意義かどうか?ということです。そして、おそらくはどんな学会などにしても、その開催が「直接的」に何かの役に立つ、ということはあまりないはずです。そんな風に直接的・短期的にではなく、長期的に考えるべきなのです。

もちろん、現在の「国際地籍シンポジウム」が、このような長期的な観点から本当に有意義なものとしてあるのかどうか?ということについては、それとして考えるべきところがあるかもしれません(あるでしょう)。形骸化していて、それぞれの参加国の問題意識にずれが生じていて、長期的に考えてもあまり意味のないものになってしまっているのではないか、というような問題というのは確かに考えるべきこととしてあるようには思えます。
しかしそれは、あくまでもそのような問題なのであって、「土地家屋調査士にプラスになっているのか」というようなケチな話ではありません。

そのような事を考えつつ、今週福岡での「国際地籍シンポジウム」に参加してみて、見極め、考えていきたいと思っています。

「長期相続登記等未了土地解消作業」の情報がながされないこと

2018-11-05 19:32:15 | 日記
先週「ギックリ腰」をやりました。月曜(10月29日)の朝に「魔女の一撃」に襲われたので、先週はほぼ「寝たきり」で過ごしました。。
その前の週、小学校1年生くらいの男の子が、私の置いていたプラスチック杭を見つけて「ちょうだい」と言ってきたのに対して、「仕事で使うものだからあげられないよ」と言ったところ、すごくビックリした顔で「仕事してるの?」と訊かれ、「そうだよ」と答えたら、「えっ?おじいちゃんなのに?」と言われていささかショックを受けていたのですが、寝たきりでいたり、起き上がっても腰を曲げてなんとかかんとか動いている姿は、まさしく「おじいちゃん」のものです。落ち込みました。

そんな中の10月30日に行政書士会からの連絡メールで、法務局の入札公告についての情報がありました。業務は「長期相続登記等未了土地解消作業一式」です。
「法務局の相続に関する業務について何故行政書士会?」と疑問を抱きつつ入札公告(10月25日)の中身を見てみると、入札資格が「弁護士若しくは弁護士法人又は司法書士若しくは司法書士法人その他これらに準ずる者」となっていて、その「準ずる者」というのは「戸籍法第10条の2第3項に掲げられた土地家屋調査士、税理士、社会保険労務士、弁理士、海事代理士及び行政書士並びにこれらの法人」だということですので、この入札資格を持つ者として、行政書士会からの連絡があった、ということがわかりました。とりあえずは納得。
行政書士会からの連絡があったので土地家屋調査士会からもあるだろう、と思っていたら、いつまでたってもありません。どうしたことか?と大分会に訊いてみたところ「日調連からそんな連絡は来ていない」ということです。何故だ?
この「長期相続登記等未了土地解消作業」についての入札は大分地方法務局だけで行われるものではなく、10月25日以降全国で順次入札公告の出されているものです
(http://houmukyoku.moj.go.jp/homu/ZenkokuNyuusatsu.html)。
それなのに、何故情報は流されないのか?
日調連は「所有者不明土地問題」を「一丁目一番地」としている(と言っている)のですから、この「所有者不明土地問題」に関する当面の中心課題である「長期相続登記未了」問題に関する業務にも積極的に関与するはずであり、そのような観点から全国各会・会員に対して積極的な参加を訴える、のではないかと思ったのですが、そういうことはないようで、そもそも情報の伝達自体を行わなかったようです。これはどういうことなのでしょうか?

考えてみると、「(弁護士・)司法書士」を主要ターゲットにした業務発注(入札)というのは前例のないもので、「法務省競争参加資格」を有する者というのはほとんどなかったのでしょうから、そもそも入札公告に至るまでの間に周到な準備がなされていたはずで、そういうところから「最低必要人数」が発注法務局によって「20名」を軸にしながら「15名」だったり「22名」だったりとバラバラ、という事態もうまれているようです。「
要するに、土地家屋調査士などの「準ずる者」が出る幕ではない、ということなのかと思えます。このことがよくわかっているから、日調連としては入札情報を流すこともしなかったのかな、というのがこの「謎」への私の憶測による「答え」になりました。

しかし、そのうえで、これが今の「土地家屋調査士(界)」のダメなところだな、と思うのです。
たしかに、相続登記に関することは司法書士の業務領域に属することです。土地家屋調査士の「全員」がこの業務を行うにふさわしい存在だとは確かに言えないところがあります。しかし、「法律関連専門職」の一角を占める者、という自覚をもって業務に当たっている土地家屋調査士もいるのであり、そのような土地家屋調査士が「長期相続登記未了」問題をはじめとする所有者不明土地問題の解決に貢献しうる、ということも一方の現実としてあるのであり、それをはじめから放棄してしまう姿勢というのは、責任ある資格者団体の姿勢としてははなはだよろしくないと思うのです。
そもそも、「長期相続登記未了」や、それを大きな要因とする「所有者不明土地問題」というのは、これまでの登記制度の「欠陥」が明らかになった事態としてあります。だから、これまでの不動産登記制度の枠組をただ守っているだけなのでは、この問題そのものの解決が図られないことになってしまう、という性格の問題としてあるのです。
「相続登記は司法書士の専管業務」という考え方は、その一つの現れとしてあります。「未来につなぐ相続登記」を、いくら推進しようとしても、「相続登記を行うためには司法書士に多額の費用を支払う必要がある」という状態が続いているのであれば、それが実際に進むことは望みえない、と言うべきでしょう。
そういう現状に対して、たとえば昨年新たに導入された「法定相続情報証明制度」も、銀行等の提出先が多数に及ぶ場合の負担の軽減になるとともに、数次相続が発生していて相続人が多数になる場合には相続人の確定・探索に手間と費用がかかるのに対して相続人の確定・探索を行うための間口を広げる意義を持っていた、ととらえることも必要なのでしょう。
そのような流れのなかで、「長期相続登記等未了土地解消作業の実施予定者に、司法書士だけでなく「準ずる者」も含まれるようになっていることについては、直接的な実態としては「枯れ木も山の賑わい」的な本来的にはお呼びではないものとして設定されたのだとしても、本質的には、この職責を担うべき者の間口を広げなければやっていけない、という社会的現実の大きな底流があるのだ、と受け止めて、それに応じて責任を果たせるように考えるべきなのだと思います。
そのためには、現状では足りないところの多い「能力」を補う、等の施策が必要になるのでしょうが、そのようなことをも含めて引き受けていく姿勢を示す必要があるのだと思います。業務(入札)情報を共有化する、ということは、そのような姿勢の「はじめの一歩」(「一丁目一番地」?)なのであり、それをなしえない、というのははじめから自ら「失格」を宣言してしまうようなものです。

余談ですが、それに対して、いくらお呼びでない邪魔者であったとしても行政書士会が業務情報を流す、というのはなかなか面白い現象です。よく言えば積極的、意欲的であり、悪く言えば「自分のものは自分のもの、他人のものも自分のもの」という図々しさ、あつかましさです。できないことまで「できる」と強弁することがいいことだとは思いませんが、できそうなことまで「できない」としてしまう土地家屋調査士会の「奥ゆかしさ」と好対照です。ちょうどいい「中庸」を求めるというのは難しいものなのだと嘆息、です。