前回(4月5日)「調査士会」の現状について「なぜそういうことになってしまうのか?それをどう克服すべきなのか?」という課題について、断続的に書いていく、としてから、結構時間がたってしまいました。ようやく始めます。
初めに「調査士会」という組織について考えます。
まずは、直接は関係のないことですが、新聞を読んでいて「同じ構造だな」と思ったものがあったので、まずその紹介から。
・・・ということで、本題に。
調査士会というのは、そもそもどういう組織なのか、それが歴史的に時代の中でどう考えられてきたのか、ということを考えます。
「調査士会は、法律で定められたことだけをやっていればいい」と言う人がいます。このように言われたとき、「法律で定められたこと」というのは何だと考えるのか、ということが問題になります。
こういうことを言う人にとっては、「登録事務」、「法務省からの連絡事項の伝達」、「特別研修」といったところが「法律で定められたこと」だということになるのでしょう。確かに、「調査士会」というものが出来たばかりのときに考えられた「調査士会の役割」というのは、こうしたものであったのかもしれません(その頃に「特別研修」はありませんが・・)。
調査士法の定めている調査士会の役割というのは、「会員の品位を保持し、その業務の改善進歩を図るため、会員の指導及び連絡に関する事務を行うことを目的とする」ものだとされています。
この目的というのは、純粋に「公益的」なものです。それは、調査士会の成員である土地家屋調査士の利益のためのものでも、土地家屋調査士を管轄する役所(法務省)の利益のためのものでもなく、あくまでも「公の利益」のためのものであるわけです。
とは言え、現実の問題としては、調査士法が定められ、調査士会が発足した当初においては、この「公益のため」ということは、「官庁のため」ということと、ほぼ同じ意味でとらえられていたのだと思います。「会員の指導・連絡」というのは、法務省の指示を伝達したり、連絡事項を伝えたりすることであり、それをもって「すべて」と考える考え方です。ですから独自の「業務の改善進歩」へ向けての活動などは「余計な事」だと考えられ、するべきではない、という考え方が支配的になります。このような考え方を「第一期型」と呼ぶことにします。この考え方自体は、少ないとはいえ残っているものだと言えるでしょう。
ところが、組織というのは自己運動していくものです。特に、一定の人間集団を成員としているわけですので、「成員の利益のため」という志向性をもつようになります。この「成員の利益のため」ということが全面化していくと、「利益団体」化ということになります。そして、その実現のために外部へ向けて力を尽くすようになると「圧力団体」化します。これは、成員の利益を脅かすような動きに対しては「抵抗勢力」として現れます。このようになったものを「第二期型」とします。この考え方は現在も根強くある考え方です。
しかし、あまり露骨に「利益団体」化してしまうと、本来の趣旨との乖離が問題とされるようになります。これは、基本的な「哲学」の問題としてもそうですが、それだけではありません。「時代」ということがあります。社会全体が「今までどおりはやっていけない」時代に入り、「改革」が問題になってくる中にあっては「現実論」としても露骨な利益団体化は社会からの反発を受けて、かえってマイナスになります。そのような状況下では、「変らずに生きてゆくためには、自分が変らねばならない」として、社会の変化に対応して社会的な存在意義を明らかにしなければならない、ということになります。十数年前からの規制改革、司法制度改革の時代の中における調査士会の変化は、このような社会的環境によっていた、と言えるでしょう。「第三期型」のものです。
ここでは、「公益」の中身が問われます。所管庁の言う通りに動いていたらそれが「公益」になる、ということではなく、調査士業務というもの自体が、どのようなものとして社会に役立つものになるのか、ということが問われるわけです。そのようなものに変わっていかなければならない、ということが、課題となるわけです。
この時期というのは、「変わっていかなければならない時期」ですから、「過渡期」であり、それ自体として一つの「期」として見るべきものではない、というのが本来的な見方でしょう。しかし、現実の問題として、この過渡期はかなりの長い年月に及んでいますし、「変わった後」の期が、現実の問題としてまだ来ていないところでは、ひとつの「期」として見いいのではないかと思えます。
では、なぜこの「第三期」で止まってしまっているのでしょうか。日本の政治が「55年体制の崩壊」以後に新たな政治体制を確立しえていないこと、日本の経済がバブル崩壊以降新しい経済構造を確立し得ていないことを受けて、要するに全社会的な「改革」の流れが紆余曲折の袋小路に入って小休止的状態にあることが、背景にあって、調査士会の世界もその反映によって歩みを停滞させている、と言えるのでしょう。
この中で、ただ「止まっている」だけでなく、「次」に進めないのなら昔のように戻ってもいいのではないか、という考え方が出てきているし、現実はそのようになってしまっている、というのが現在の問題です。「次」が見えない中で「何もしないでもいいだろう」という感覚や、「自分たちの利益の追求」という昔の姿への志向性もでてきて、それらが錯綜する中で、「何をしていいのかわからないから止まっている」という形になっているのが現状、と言えるでしょう。そしてそれは、結局のところ「第一期」に戻るのと同じような形になってしまいます。
「第一期」的なありかたというのは、基本的にすでに歴史的な役割を終えてしまったものです。これにしがみついていたのでは、社会的な役割を果たせず、社会において不要なものだとされて行ってしまうことになります。
・・・今日はここまで。
初めに「調査士会」という組織について考えます。
まずは、直接は関係のないことですが、新聞を読んでいて「同じ構造だな」と思ったものがあったので、まずその紹介から。
「異次元緩和では経済の好循環を生みだせなかった。それがはっきりしてきたのに当局は政策をやめようとしない。それは当面この状態が最も心地良いからではないか――。
当局者たちが、将来リスクに目をつぶって目先の安定を求め、「とりあえず現状維持で」という気分になっていないとは限らない。
財務省や日銀の関係者に、その疑問をぶつけてみた。全員が「一刻も早く出口を迎える方がいいに決まっている」と言って否定した。ただ、何人かはこんな言い方で付け加えた。「一人一人はそう思っている。ただ、組織としては結果的に今の状態が楽だという気分になりかけている」(朝日新聞4.12朝刊「波聞風問」)
「将来リスクに目をつぶって目先の安定を求め」る傾向、特に目先の安定を求めてはいけないと「一人一人はそう思っている」にもかかわらず「組織としては結果的に今の状態が楽だという気分にな」ってしまうような傾向、というのが、私たちにもあるのではないか、・・・ということです。当局者たちが、将来リスクに目をつぶって目先の安定を求め、「とりあえず現状維持で」という気分になっていないとは限らない。
財務省や日銀の関係者に、その疑問をぶつけてみた。全員が「一刻も早く出口を迎える方がいいに決まっている」と言って否定した。ただ、何人かはこんな言い方で付け加えた。「一人一人はそう思っている。ただ、組織としては結果的に今の状態が楽だという気分になりかけている」(朝日新聞4.12朝刊「波聞風問」)
・・・ということで、本題に。
調査士会というのは、そもそもどういう組織なのか、それが歴史的に時代の中でどう考えられてきたのか、ということを考えます。
「調査士会は、法律で定められたことだけをやっていればいい」と言う人がいます。このように言われたとき、「法律で定められたこと」というのは何だと考えるのか、ということが問題になります。
こういうことを言う人にとっては、「登録事務」、「法務省からの連絡事項の伝達」、「特別研修」といったところが「法律で定められたこと」だということになるのでしょう。確かに、「調査士会」というものが出来たばかりのときに考えられた「調査士会の役割」というのは、こうしたものであったのかもしれません(その頃に「特別研修」はありませんが・・)。
調査士法の定めている調査士会の役割というのは、「会員の品位を保持し、その業務の改善進歩を図るため、会員の指導及び連絡に関する事務を行うことを目的とする」ものだとされています。
この目的というのは、純粋に「公益的」なものです。それは、調査士会の成員である土地家屋調査士の利益のためのものでも、土地家屋調査士を管轄する役所(法務省)の利益のためのものでもなく、あくまでも「公の利益」のためのものであるわけです。
とは言え、現実の問題としては、調査士法が定められ、調査士会が発足した当初においては、この「公益のため」ということは、「官庁のため」ということと、ほぼ同じ意味でとらえられていたのだと思います。「会員の指導・連絡」というのは、法務省の指示を伝達したり、連絡事項を伝えたりすることであり、それをもって「すべて」と考える考え方です。ですから独自の「業務の改善進歩」へ向けての活動などは「余計な事」だと考えられ、するべきではない、という考え方が支配的になります。このような考え方を「第一期型」と呼ぶことにします。この考え方自体は、少ないとはいえ残っているものだと言えるでしょう。
ところが、組織というのは自己運動していくものです。特に、一定の人間集団を成員としているわけですので、「成員の利益のため」という志向性をもつようになります。この「成員の利益のため」ということが全面化していくと、「利益団体」化ということになります。そして、その実現のために外部へ向けて力を尽くすようになると「圧力団体」化します。これは、成員の利益を脅かすような動きに対しては「抵抗勢力」として現れます。このようになったものを「第二期型」とします。この考え方は現在も根強くある考え方です。
しかし、あまり露骨に「利益団体」化してしまうと、本来の趣旨との乖離が問題とされるようになります。これは、基本的な「哲学」の問題としてもそうですが、それだけではありません。「時代」ということがあります。社会全体が「今までどおりはやっていけない」時代に入り、「改革」が問題になってくる中にあっては「現実論」としても露骨な利益団体化は社会からの反発を受けて、かえってマイナスになります。そのような状況下では、「変らずに生きてゆくためには、自分が変らねばならない」として、社会の変化に対応して社会的な存在意義を明らかにしなければならない、ということになります。十数年前からの規制改革、司法制度改革の時代の中における調査士会の変化は、このような社会的環境によっていた、と言えるでしょう。「第三期型」のものです。
ここでは、「公益」の中身が問われます。所管庁の言う通りに動いていたらそれが「公益」になる、ということではなく、調査士業務というもの自体が、どのようなものとして社会に役立つものになるのか、ということが問われるわけです。そのようなものに変わっていかなければならない、ということが、課題となるわけです。
この時期というのは、「変わっていかなければならない時期」ですから、「過渡期」であり、それ自体として一つの「期」として見るべきものではない、というのが本来的な見方でしょう。しかし、現実の問題として、この過渡期はかなりの長い年月に及んでいますし、「変わった後」の期が、現実の問題としてまだ来ていないところでは、ひとつの「期」として見いいのではないかと思えます。
では、なぜこの「第三期」で止まってしまっているのでしょうか。日本の政治が「55年体制の崩壊」以後に新たな政治体制を確立しえていないこと、日本の経済がバブル崩壊以降新しい経済構造を確立し得ていないことを受けて、要するに全社会的な「改革」の流れが紆余曲折の袋小路に入って小休止的状態にあることが、背景にあって、調査士会の世界もその反映によって歩みを停滞させている、と言えるのでしょう。
この中で、ただ「止まっている」だけでなく、「次」に進めないのなら昔のように戻ってもいいのではないか、という考え方が出てきているし、現実はそのようになってしまっている、というのが現在の問題です。「次」が見えない中で「何もしないでもいいだろう」という感覚や、「自分たちの利益の追求」という昔の姿への志向性もでてきて、それらが錯綜する中で、「何をしていいのかわからないから止まっている」という形になっているのが現状、と言えるでしょう。そしてそれは、結局のところ「第一期」に戻るのと同じような形になってしまいます。
「第一期」的なありかたというのは、基本的にすでに歴史的な役割を終えてしまったものです。これにしがみついていたのでは、社会的な役割を果たせず、社会において不要なものだとされて行ってしまうことになります。
・・・今日はここまで。