大分単身赴任日誌

前期高齢者の考えたことを、単身赴任状況だからこそ言えるものとして言ってみます。

読んだ本―「反論が苦手な人の議論トレーニング」(吉岡友治著:ちくま新書)

2014-10-27 09:32:19 | 日記
「意見書」などの文章をうまい具合に書けるようにするにはどうすればいい?・・・という相談をよく受けます。研修会のテーマとしても、よく与えられるものです。

しかし、これはとても難しいことで、なかなかいい答えを出せずにいます。

「文章を書く」というのが、直接的な課題ですから、「文章読本」的な本を何冊も読みましたが、「これ!」と思うものはありません。「考えの道筋に沿って書けばいい」というようなことも言われますが、そのためには、「考えの道筋」が、しっかりとしたものでなければなりません。これ自身が難しいことで、「論理的な考え方」に関する本などを読んでみたりもします。

本書もその中のひとつとして読みました。「議論」というのは、感覚としては複数人間の中ですることのように考えるのが普通ですが、たとえば筆界特定の意見書というのは、一人で書くものだとしても、「筆界の位置についてある一定の主張を持つ申請人」がいて、それに必ずしも賛同しない他の関係者がいる、という条件の中で、それらのある部分に賛成したり、逆に反対したりしながら、自分の意見を固めて、それを展開するものですので、性格としては「議論」的なものです。このことを意識化するものとして、有意義な本でした。

この「議論」というものが、うまい具合に展開できないところに、問題があります。本書で指摘されている「相対主義」の考え方です。

「『人それぞれ、いろいろな考え方がある』のだから、そこに優劣をつけても仕方ない。それぞれの人格が人格と言うだけで無条件に尊重されるように、それぞれの意見は意見であるだけで、無条件に尊重される。」
という考え方が、最近の学生などの若い人たちの間にある、と言われています。

「互いに比べて『より妥当な主張』を検討する中で、付随する問題が発見されて、元の問題は多面的に、あるいは深く掘り下げられる。」
・・・という形がとられるべきなのに、それができない構造です。だからこそ「議論」を意識することが必要、ということなのでしょう。

「文章を書く」ということに関して言うと、次のような指摘が参考になるのではないか、と思いました。

「論理的な展開とは、たった一つのメッセージを、理由・説明・例示・比喩・対比などのさまざまな手段を使って伝達しようとする試み」である、との指摘です。

これは、「文章を読む」ときに踏まえておくべきこと、として言われていたものですが、「書く」場合にも、このことを意識するのは有意義です。「理由」を書いて、これだけで十分に伝わると思えればそこで終わりにしてもいいわけですし、もう少し厚く言わないと伝わらない、と思えば、例示・対比等の他の手段を使うようにする、という方法です。それぞれの手段の役割、ということを考えておくと、それぞれのものが簡潔になるのではないか、と思います。「文章の書き方」として、意識しておくといいことかと思います。


今週の予定

2014-10-25 17:05:54 | 日記
このブログについて。  このブログは、OCNの「ブログ人」を使っていたのですが、OCNが「ブログ人」のサービスを11月末で終了してしまうのだそうです。

そのため、この「gooブログ」に「引っ越し」をしました。どうも、操作に慣れないので、これまで以上に面倒になりそうなのですが、引き続きよろしくお願いいたします。

今週の予定、です。


10.29(水) 日弁連の「民事裁判手続きに関する委員会」との間で、筆界特定制度に関する打合せを行います。

10.29-30(水・木)  日調連中間監査

10.30-31(木・金) 日調連理事会



読んだ本―「金正恩の正体―北朝鮮 権力をめぐる死闘」(近藤大介著:平凡社新書)

2014-10-01 07:22:32 | インポート

サブタイトルが示すように、北朝鮮における「権力をめぐる死闘」の様子が活写された本です。

あまりにも生々しく描かれているので、「見てきたような・・・」という感じさえも受けてしまうのですが、「北朝鮮の労働党幹部たちと脱北者たち、それに中国、韓国、日本、アメリカ、フランス、ドイツ、ロシアなどの外交官や、訪朝経験のある同業のジャーナリスト、研究者たち」などへの取材によって積み上げた「事実」と、その上での根拠ある「推測」によって成り立っているもの、ということなのだと思います。

私も本書によって多くの蒙を啓かれました。

一つは、昨年末の「ナンバー2」と言われた張成沢の粛清・虐殺についてです。それまでも何回かの「失脚」が報じられていたことは知っていたのですが、北朝鮮の権力トップ層における対立が本書で紹介されているような構造で、非常な厳しさを持っている、ということについて、初めて驚きとともに知りました。また、その厳しさの割に、非常に低水準でなものであることを、情けなさとともに知り、驚きを禁じ得ません。このような国の国民は、本当に不幸だと思います。

もう一つは、張成沢の粛清・虐殺とも関わることですが、中国の北朝鮮に対する姿勢が、私の思っていたものよりずっと厳しいものである、ということです。所詮は、自分たちの利害の上で考えられているに過ぎないことなのだと思いますが、「危機」が進行すると、それまで「味方」であった者までもが離反していく、という構造は非常に興味深いものです。

もっとも本書については、このように対象(北朝鮮)に対する事実認識を積み上げてしっかりできているのだとしても、その対象に対する自分たちの対応方針を立てる、ということは難しいことなのだ、ということを考えさせられます。著者は、

「現在、安倍晋三政権は、そんな隣国の『特異な指導者』と、長年の懸案事項である拉致問題を解決し、国交正常化を果たそうとしている。」と分析して、「いまこのタイミングに日本が対北朝鮮外交を復活させたのは賢明であった。」と評価しています。

「北朝鮮においては外交もまた『死闘』である。敵国・韓国とそのバックに控えるアメリカの圧力に怯えるだけでなく、長く最大の後見役だった中国との関係悪化で北朝鮮は激震。ついに日本との国交正常化に活路を見出そうと舵を切った。」

というように状況を分析しているわけですから、国際的な孤立状態に陥っている北朝鮮に「だからこそつけ入ろう」ということなのでしょうが、それは「助け舟をだす」ということでもあるわけです。、そうしていくことが「賢明」だとするのは、私には理解できないところです。