私の最近の土地関係の仕事は、高齢者(80歳以上)からの依頼のものが圧倒的に多くなっています。これは私が事業系の仕事をほとんどしない(依頼がない)、ということにもよりますが、やはり社会の高齢化が進んでいることの反映なのだろう、ということを痛感します。
高齢者からの依頼、と言ってもその中身は一様ではありません。近い将来の介護に備えて二世帯住宅をつくるために土地を分割する、といった目的のためのものも中にはあります。・・が、やはり多いのは、「土地を引きつぐ子供のために境界をはっきりとさせておきたい」という、特に具体的な目的があるわけではないけれど、この際だから土地をしっかりとしたものにしておきたい、というものです。
このようなことを受けて、いくつかのことを考えました。まず第一は、多くの土地の現状というのは「境界がはっきりした状態にあるわけではない」ということです。これは日常的に境界を明らかにするための仕事をしている私たちにとっては当たり前と言えば当たり前のことですが、考えてみると面白いことで、それは第二のこととかかわりがあります。すなわち、第二に、そのように「はっきりしたものではない」にもかかわらず、それによって大きな問題(紛争)が生じるわけでもなく、これまではやってこれた、ということです。日本の土地境界制度の特質というのは、ここから考えるべきなのではないか、と思います。そして第三に、今まではそうであったにもかかわらず、多くの土地所有者が「代替わり」を前にして「今後は今までのようには行かなくなるのではないか」と思っている、ということです。「自分が死ぬ前に」ということで、境界をはっきりさせ、それを記録することによって子孫に紛争の種を残さないようにしなければ、と思っているわけです。
これは、「必ずしもはっきりとはしていないけれどそれなりに安定してきた土地境界関係」が崩れようとしている、ということであり、土地を所有しているお年寄りはそのことをひしひしと感じている、ということを意味するのだと思います。次の世代の人々の多くは、引き継ぐべき土地を離れて生活しています。位置的には近くにいるとしても土地と日常的に関わることは格段に少なくなってきています。土地境界に対する認識が、親の世代に比べて格段に薄いものになっているわけです。隣接する土地の中には、すでに売払われていて旧来の土地境界に関する認識を共有するということがまったくなくなっているものもあります。・・・こういう状況の中で、「境界認識を持っている自分がいるうちに境界をはっきりさせておかなければ」と考えるわけです。
土地所有者がそれなりに確かな境界認識を持っていた、そしてそれらが決定的に相違することなく「本来の境界」に収斂しうるものであった・・・という全体としての環境が崩れていく中で、土地境界に関わる業務をしている私たちとしては、まだ境界認識が残っている現在において境界の確認をして紛争予防に努める、ということを進めて行くのが大事であることはもちろんですが、それだけでなく「隣接する両土地所有者がたしかな境界認識を持たない」という場合でも、正当で公正な境界を明らかにできるような専門家としての役割を果たせるようにしていくことが必要なのだと思います。そのためには、自分たち自身の能力を高めていくことと、それを発揮できる枠組みをつくっていくことが必要なのだ、と改めて思っています。
高齢者からの依頼、と言ってもその中身は一様ではありません。近い将来の介護に備えて二世帯住宅をつくるために土地を分割する、といった目的のためのものも中にはあります。・・が、やはり多いのは、「土地を引きつぐ子供のために境界をはっきりとさせておきたい」という、特に具体的な目的があるわけではないけれど、この際だから土地をしっかりとしたものにしておきたい、というものです。
このようなことを受けて、いくつかのことを考えました。まず第一は、多くの土地の現状というのは「境界がはっきりした状態にあるわけではない」ということです。これは日常的に境界を明らかにするための仕事をしている私たちにとっては当たり前と言えば当たり前のことですが、考えてみると面白いことで、それは第二のこととかかわりがあります。すなわち、第二に、そのように「はっきりしたものではない」にもかかわらず、それによって大きな問題(紛争)が生じるわけでもなく、これまではやってこれた、ということです。日本の土地境界制度の特質というのは、ここから考えるべきなのではないか、と思います。そして第三に、今まではそうであったにもかかわらず、多くの土地所有者が「代替わり」を前にして「今後は今までのようには行かなくなるのではないか」と思っている、ということです。「自分が死ぬ前に」ということで、境界をはっきりさせ、それを記録することによって子孫に紛争の種を残さないようにしなければ、と思っているわけです。
これは、「必ずしもはっきりとはしていないけれどそれなりに安定してきた土地境界関係」が崩れようとしている、ということであり、土地を所有しているお年寄りはそのことをひしひしと感じている、ということを意味するのだと思います。次の世代の人々の多くは、引き継ぐべき土地を離れて生活しています。位置的には近くにいるとしても土地と日常的に関わることは格段に少なくなってきています。土地境界に対する認識が、親の世代に比べて格段に薄いものになっているわけです。隣接する土地の中には、すでに売払われていて旧来の土地境界に関する認識を共有するということがまったくなくなっているものもあります。・・・こういう状況の中で、「境界認識を持っている自分がいるうちに境界をはっきりさせておかなければ」と考えるわけです。
土地所有者がそれなりに確かな境界認識を持っていた、そしてそれらが決定的に相違することなく「本来の境界」に収斂しうるものであった・・・という全体としての環境が崩れていく中で、土地境界に関わる業務をしている私たちとしては、まだ境界認識が残っている現在において境界の確認をして紛争予防に努める、ということを進めて行くのが大事であることはもちろんですが、それだけでなく「隣接する両土地所有者がたしかな境界認識を持たない」という場合でも、正当で公正な境界を明らかにできるような専門家としての役割を果たせるようにしていくことが必要なのだと思います。そのためには、自分たち自身の能力を高めていくことと、それを発揮できる枠組みをつくっていくことが必要なのだ、と改めて思っています。