大分の土地家屋調査士ブログ

「土地家屋調査士の業務と制度」を中心に、それに広い意味で関連する様々なことについて一人の人間として思うところを書きます。

27日の常任理事会報告

2011-07-31 10:18:57 | 調査士会
27日に開かれた常任理事会の報告をします。

まずは、「会議時間短縮化計画」の報告。今回も「成功」と言えるものではなく、予定時間を1時間15分超過してしまいました。見通しの甘さを反省、です。ただ、まとまりがない冗長な会議故に時間がかかった、ということではなく、議題が多く、それぞれ論議の必要な事柄であるが故の長時間化であった、と思っており、充実した会議であった、とも言えるのではないか、と思い、自分自身を慰めてもいます。

新しい執行部ができたばかりで、会議を行うにあたっての基礎的なところでの共通認識がまだできていない、というところがあり、そこを確認してから進めて行くので、その分余計に時間がかかる、ということがあるようです。近い将来には、この問題は解決され、中長期的な会務運営にプラスになるようにできれば、と思っています。

議題の多さ、は、これまで取り組むべき課題に取り組まずに済ませてきた「負の遺産」の解消という課題によります。
その一つは、「年計報告未提出(提出遅延)」の問題です。あたりまえのことをあたりまえにやっていく、ということができず、会としてもそれを放置してきてしまった、ということを、痛切に反省しなければなりません。そういう観点から、一つの「けじめ」をつけて新たな出発をきれるようにして行きたいと思います。

同様の問題として、「登録事項証明」の問題もあります。官公署の業務について、「調査士業務」という独自の領域を確立して行く努力を行っている中にあって、「調査士業務」を測量会社でもできるかのようにする者が調査士の中にもいて、それへの「お墨付き」を調査士会自身が与えて来た、ということがあるように思え、そこからの脱却を早急に行わなければならない、と思っています。とりあえず、そのスタートをきることにしました。

また、「非調査士」による地積測量図が反復継続してつくられていて登記処理されている、という事実が発覚しましたので、それへの対応を、法務局への申し入れとして行なうようにしました。

このような目の前の課題を確実に処理しながら、「研修の充実」等の前向きな課題に取り組んでいけるよう、体制を作って行きたいと思います。

以上、27日の常任理事会の、ほんの概要として、報告しておきます。

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土地家屋調査士の日―地籍問題研究会

2011-07-29 06:29:22 | 調査士会

今度の日曜日の7月31日は、先日の日調連総会で「土地家屋調査士の日」とされた日ですが、この日東京で「地籍問題研究会」の第1回研究会が開かれます。

第1回研究会は、3月に予定されていたものが、東日本大震災の影響で延期されていたものですが、内容的にも「東日本大震災と測量」「緊急報告―東日本大震災と登記・境界・地図」と題された二つのシンポジウムも加えられました。

私も、正直なところ3月の研究会には行かないで済ますつもりだったのですが、この加えられたテーマに関する話はどうしても聴きたいと思って行くことにしました。どのような話を聞けるのか、楽しみにしています。内容は、またこの場で報告させていただきたいと思いますし、「再開する」と言っておいて、なかなかできずにいる「地震に伴う地殻変動と境界」の問題についても、より確かな発言ができるようになるかな、と期待しています。

その関連で言うと・・・・、コメントを下さった小野さんが、最初のコメントの時、「制度論(法律論)と技術論(数理論)と心理論とは区別して考えることが必要」ということが言われていました。このうちの「心理論」というのは何なのかよくわかりませんが、いずれにしろ区別すべき論理レベルがある、というのは確かなのだろうな、と思いつつ、「区別と連関」ということを考えていました。

しかし、「技術論」として論じられる問題については、「技術」という切り口で見る前に、まず「事実」という問題として見るべきなのではないかな、と思えてきました。「技術論」と「事実論」、滑舌のあまりよくない私では、口で言ったのでは区別のつかないような違いですが、考えを進めて行く出発点としての違いがあるように思えます。

たとえば原発問題で、原子力安全委員会の斑目委員長が、浜岡原発訴訟で、「すべての問題を考慮したら設計できなくなる」ということを言っていましたが、ここには一定の「見切り」を付ける、という判断が働いています。この判断をも含めたものが「技術論」として言われているように思えます。しかし、はたしてその判断は「技術」的になされるものなのだろうか?と思えます。「技術」自体が社会的な現実である以上、「制度」や、あるいは「経済」というものの影響を受けながら考えなければならないことになります。いくら「世界一のスパコン」を求めても、国の財政状況が苦しくなれば「二番でもいいか」という判断だってあり得るわけです。「絶対安全」の「絶対」は科学的にはあり得ないとしても、「政治的判断」から「絶対」と言ってみたりもするわけです。これは、善し悪しの問題ではなく「現実」だと思うので、「技術論」の前段階の「事実論」ということを考える必要があるのではないか、という気がします。

ここで、「地籍問題研究会」に戻ります。この「地籍問題研究会」は、昨年創設されたものですが、私は、調査士の仕事の中でみえてくるものと、研究者の研究との間に橋を架けてつなぐ、という役割をもつものだと理解しています。境界問題の「事実」を踏まえた上での「研究」がなされなければならず、その「研究」成果によって、現実の境界問題(の解決)によい作用がなされるようにする、ということが「目的」なのだと思います。第1回の研究会が、その課題に答える実り多いものになることを期待して、楽しみです。

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悲観と楽観

2011-07-27 06:15:42 | インポート

「現状を悲観的に問題視して解決案を考え、未来を楽観的に夢抱き戦略を準備。成功の一つのアプローチです。」

二三日前のソフトバンク孫正義社長のツィッターにあった言葉です。

私は、孫さん等の「ベンチャー経営者」に関心がなかったし、好きか嫌いか、と言えば嫌いな方だったのですが、震災・原発事故以来の発言・行動を見て考え直して、今は、孫さんは、私が唯一ツイートしている(という言い方でいいのかな?)対象です。

「現状を悲観的にとらえると、未来も悲観的になる」のは、あたりまえの考え方ではあります。そして、「未来への悲観的考え」は、現状への対処の意欲を失わせます。そして、現状への対処をやめたことを正当化する理屈として、「現状」にある可能性の低い「よい方向への転換」を「願望」ではなくて「現実」であるかのようにとらえて、自分自身を暗示にかけます。

・・・こういう思考パターンが私たちにもあるのではないか、という気がします。そしてそれは、おそらくは「没落へのアプローチ」なのでしょう。考えさせられました。

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今週の予定―常任理事会

2011-07-26 06:03:35 | 調査士会

遅くなりましたが、今週の予定。

明日27日、第4回常任理事会です。

新執行部になってから実質的に2回目の常任理事会で、各部が本格的に動き出してから初めての常任理事会、ということになります。

今回こそ、計画的な議事進行で予定時間内の会議終了を目指したいと思います。そのためには、これまでの調査士会の会議が行き当たりばったりに進んでいたことを反省して、内容に応じた審議時間、ということを常に考えながら進めて行かなければ、と思っています。さて、どうなるか?

会でやることには、財務的に「固定支出」「事業支出」があるように、「否が応でもやらなければならないこと」と「前向きにやっていくこと」があります。これまでは、そのような区別がしっかりと意識されないまま、すべてをごっちゃに議論して、進めてきたような気がします。その結果、「前向きにやって行くこと」についてのコンセンサスが得られずに進んでいくことができないばかりか、「否が応でもやらなければならないこと」、言わば会としての存立根拠に関わることすら十分におこなうことができない、という事態さえ招いてしまっていました。

具体的には、対内的には「年計報告未提出者への対応」、対外的には「非調査士測量図への対応」という問題があります。これらは、本来は調査士会として「否が応でもやらなければならないこと」ですが、結果的に放置されて来てしまいました。当面は「滞貨一掃」、やらなければならないことにはしっかりと対処していく、ということを、執行部の基本的姿勢として確立して行きたいと思います。

また「前向きにやっていくこと」についても、その必要性についての吟味が必要です。前にも書いたかもしれませんが、「何が何でもやらなければならないこと」、「基本的にやるべきこと」、「やれたらいいな、と思うこと」、という区別をして、今、目の前にある課題はそれのどれにあたるのか、ということを考えながら進めて行くことが必要だと思います。冒頭に言った会議の時間のことで言えば、「やれたらいいな」の問題での議論で空転しているうちに時間がなくなり、何を話したのかわからないままに会議が終わってしまう、というようなことではいけないわけです。

・・・ということで、いろいろな課題を抱えた常任理事会です。それらの整理をきちんとつけられるようにしたいと思います。

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「質」の問題は「量」で解決できない

2011-07-23 09:33:32 | インポート

車の中でラジオを聴いてきたら、次の歌詞から始まる歌がありました。

♪♪ 「愛してる」の言葉じゃ 足りないくらい君が好き

       「愛してる」の言葉を 100万回君に贈ろう♪♪

・・・・というものです。

どう思います?

いえいえ、「そんな時代もあったなぁ・・」とか「そんなのも時間の問題さ」、といった感想を聞いてるのではありません。問題は「方法論」の問題です(・・・と言うほどの問題か?ですが・・・)

「「愛してる」の言葉じゃ足りない」というのは言わば「質」の問題です。月並みな「愛してる」という言葉では、言いつくせないものがある、ということです。こういうとき、普通は、その気持ちをより表現できるような表現方法を求めるものです。

その簡単な方法は「愛してる」に修飾語をつけることですね。「死ぬほど愛してる」とか、「骨まで愛してる」とか(?)、です。また、「君は星だ月だ太陽だ」みたいにまったく違う表現を使う、と言う方法もあります(「もう少しいい例えを使え!」との批判は甘んじて受けます)。

ところが、この歌詞では、「質」的に「足りない」ということを言ったそのすぐ後に、その「足りない」ものを「100万回」繰り返す、という解決方法をとっています。言わば、「質」が問題になっている時に「量」で問題を解決しようとしているのです。

これって、おかしい、と私は思います。「質」の問題は、あくまでも「質」の問題として正面から向き合わなければならない、と思います。それを「量」の問題にして、「枯葉も山の賑わい」的に、足りないものを大量投入して、あたかも問題が解決されたかのようにしてしまうのはおかしい、と思うわけです。

話は変わります。

私たち土地家屋調査士が業務の対象としている表示に関する登記においては、登記官の「実質的審査権」というものがあるものとされています。この「実質的審査」の質が、不動産登記法が改正され、筆界特定制度も創設された後の今、問われているのだと、私は思っています。「実質的審査」が、文字通り「実質」を備えたものとして、正しく行使されることが、登記制度への国民の信頼を確保するために必要なのであり、私たち土地家屋調査士も、「93条調査報告書」等を通じて、この登記官による実質的審査の迅速で適正な行使を支えて行かなければなりません。

この「登記官による審査」をめぐっては、そのあり方を根底から問うような深刻な事態が3年前にありました。岐阜における「コモンヒルズ北山事件」と言われるものです。この事件では、土地開発業者が、担保権の実行を阻害するために、有担保地に隣接する無担保地の地積を4000倍に「地積更正」することとした、ということで、登記の処理にあたった登記官を含めて多くの関係者が逮捕・起訴され、有罪判決を受けました。

これを受けて、登記官による「実質的審査」のあり方が問われました。筆界の認定を、申請人・隣接土地所有者における「筆界確認」「合意」にのみ基づいて行うような「形式的審査」の手法によるのではダメで、まさに「実質」を持った審査を行わなければいけない、ということが、この事件を受けて教訓化し、方針化すべきことなのではないか、と私は思っています。

もう一度繰り返しますが、ここで問われたのは「実質的審査」の「質」の問題だと思うのです。この「質」の問題に正面から取り組み、「質」を確保するための改善・進歩を追求することが、私たち土地家屋調査士を含めての課題なのだと思うのです。

ですから、ここでも問題を「量の問題」に還元してはいけない、と思います。「実地調査」を100万回やれば「質」の問題が解決される、というわけではなく、あくまでも「質の問題」を課題にして、それに取り組むことによって、はじめて問題の根本的な解決へ近づけるのではないか、と思うのです。

ちなみに冒頭に紹介した曲では、後の方で

♪♪ 他には何もいらない 本気でそう言えるほど

  僕の中にはいつだって 君がいるんだよ ♪♪

等、「愛してる」という表現以外の「質」を追求した表現もなされておりました。そういう思いがいつまで続くのか?ということは別問題として・・・。

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