大分単身赴任日誌

前期高齢者の考えたことを、単身赴任状況だからこそ言えるものとして言ってみます。

大分県土地家屋調査士会の総会を終わって①

2019-05-30 20:35:06 | 日記
先週末、大分県土地家屋調査士会の総会がありました。
総会自体は「無事」終了したわけですが、この「無事」という言葉にも示されるように、「総会」というのは、なんとも頼りなく、どんな意味があるのだろう?と空しい思いを抱かせるものとして終わるのが常のような気がします。
これは、私自身が会長としていわば総会を「主宰」していた時にも感じたことです。その時には、「できるだけ多くの意見がでるようにして、丁寧に議論するようにしよう」と思って総会に臨んだのですが、それが十分になしえた、と思うことはありませんでした。何しろ一年分の問題をわずか数時間の「総会日程」の中に押し込む、ということに難しさを感じざるをえません。そして、そういうことを繰り返していくうちに形骸化していってしまう、ということについて、反省的にとらえ返さざるをえません。

今回の総会でも、たしかに毎回変わらずに、そもそも問題になるようなことではないことをさも大問題であるかのように取り上げて発言する人(以下「Fさん」と言うことにします)がいて、そのレベルに執行部も他の参加者も流されて行ってしまう、ということがあるように思えます。これは、いたしかたない面もあるとはいえ、やはり、反省すべきことでしょう。一見つまらない発言のなかにも、そこから何事かを拾って前進的な要素にすることもできるはずなのに、私としてもそういうことに思いが至らなかったことを反省しなければならない、と思うわけです。

今回の総会でも、そのように「拾う」べきことが少なくとも二つはありました。

一つは、「法務局と調査士会執行部との癒着」ということが、Fさんから言われていたことです。
これは、そもそも「調査士会執行部が、法務省の委託事業(地図作成作業)を不当に自分たちだけで受託した」という言いがかりのような主張がなされることに対して、「地図作成の入札が不調に終わったうえで、なんとか事業実施できるように法務局と調査士会執行部が協議して内容を詰めていった」ということが明らかにされていく中で、「それでは法務局と調査士会執行部との癒着だろう」と言うような意味合いで言われたものです。
ですからこれは、「癒着」と言うよりも、「密接な連携」と言うべきものとしてある、ということになります。
「癒着」と言うと悪いことのように聞こえるけれど、「密接な連携」と言えばよいことのようになるわけですが、そのうえで私の思うのは、この「密接な連携」は、果たして本当にいいことなのか?こういう関係性でいいのだろうか?ということです。ここをもう少し掘り下げる議論ができればいいのにな、と思いました。
と言うのは、この「密接な連携」について「癒着」だととらえる、というのは、その「癒着」だか「密接な連携」だかによって「利益」を享受するのが誰なのか?ということが重要な問題だと思うからです。ここをもう少し掘り下げて議論できればいいのにな、と思うわけです。
上記の発言をしたFさんにおいては、これによって「利益」を享受するのは「調査士会執行部(の個々の人)」だと思われているようです。「調査士会執行部(の個々の人)」の「利益」のために、「法務局」をいいように使っている、という、「悪徳代官」に対する「越後屋」のような構図です。
しかし、実態はそのようなものではないでしょう。逆に、「調査士会執行部」は「法務局」の「利益」のためにいいように使われている、というのが実態だと言うべきでしょう。
そもそも、法務局が発注した地図作成作業について、入札では落札者が出なかった、ということがこの事態の前提です。入札での落札者はなかったけれど、地図作成作業はなんとかやりとげなければならない、・・・ここに「法務局の利益」はありました。これは、行政機関として(「官僚機構として」と言った方がいいのかもしれませんが)、譲ることのできないものです。この「利益」に「調査士会」が対応したわけです。
この構図は、あくまでも「法務局」が「利益」の享受者である、というものです。そして、それに「貢献」するものとして「調査士会(執行部)」があった、というものです。そのようなものとして「密接な関係」(もしくは「癒着」)はあった、ということになります。

ですから、この「癒着」もしくは「密接な関係」について、「調査士会(執行部)」を倫理的な意味において非難する、というFさんの主張は、まったくもって見当はずれなものであるというしかありません。
しかし、もっと冷静な、いわば「政策論」的なところから見ると、このような「調査士会(執行部)」の「献身」というのは、はたして妥当なものなのかどうか?ということが問われなければならないように思えるのです。
確かに「法務局」「法務省」という「官庁」は、その存在の本質的な定義において「公益」を実現すべき存在としてあります。ですから、個別的な検証をしない、という立場をとるのであれば、この「公益」を実現すべき存在に対して協力し献身するということは、そのまま「公益」につくすことなのだ、ということになります。
ところが、「官庁」が、個別具体的な問題に対して「公益」を追求し、それを代表する存在としてあるのか?と言うと、それは必ずしもそういうものではありません。「森友学園事件」に見られるように、「官庁」が「私益」の走狗となってしまうことでさえあるわけです。そして、もっと一般的にあるとされているのは「省益」です。その役所(法務省、厚労省、財務省…等の「省」)の「利益」のために、その省の成員は努力すべきものとされているわけです。
そのようなことの上で、「調査士会(執行部)」が「法務局」に対して「癒着」ともいわれるような「密接な連携」をもって「協力」することの是非、ということが、本当は論議されるべきこととしてあったのではないか、と(今になって)思うのです。
そしてこのことは、そもそも「何故、地図作成作業の入札は不調になったのか?」ということを問うような問題としてあります。
それは、私たちも「私益」の追求に汲々としていた、ということなのでしょう。「公益社団法人」を名乗る公嘱協会においても、その旗印とするところとは裏腹に「儲からない仕事はしない」ということが当然のこととされているようです。
こういう矛盾を問い返す機会として「総会」があるはずなのに、とことん「私益」しか問題にしないFさんに引きずられて、そのような問い返しをしないまま総会を「無事」に終わらせてしまった、というのは、やはり私(達)の「総会」に向かう姿勢が甘すぎたことによるのではないか、と思えるわけです。反省、です。

・・・ということで今回はおしまい。「もう一つ」の論点(「政治連盟」に関すること)については、次回に書くようにします。



久しぶりに

2019-05-20 20:03:05 | 日記
このブログをやっていると、毎週月曜日に「閲覧状況」などを教えてくれるメールが来ます。しばらく更新していないのに一定数の方が見てくれているようで、ありがたいことだと思います。
更新をしていなかったのは、書きたいことがなかったから、ということではなく、その都度いろいろと言いたいこと、書きたいことはあるものの、「それを書くことの意味がどれほどあるのか?」と考えると億劫になってしまう、ということによります。でも、考えてみれば、もともと「効果」を考えて行動していたわけではないので、何も遠慮する必要はない、ということになります。自分自身の「退化防止のために書いていけばよいのではないか、ということで、・・・以下、書きます。

もう一つ、このブログの更新を最後にしたのは、多分先月の下旬だったのだと思います。先月の下旬からですので、かれこれ1か月が過ぎようとしています。普段であれば、この「1か月」はそれだけの意味しか持ちませんが、この「1か月」というのは、「改元」のあった1か月、ということで、このまま私がブログの更新をしなかったら、私のブログは「平成」で終わり、「新しい時代」を迎えなかった、というようなことになってしまわないとも限りません。
そんなことは許しがたい、と思うのです。
大体、「改元」があったことによって「新しい時代」が来た、みたいなことがよく言われていますが、私にはその意味がまったく分かりません。明治維新があったら、敗戦があったら、であれば、たしかに「時代」が変わった、と言えるでしょう。また、勝手に区切ったものとは言え、ずっとまえから世界全体で見ていた「21世紀」が来た、ということで「新しい時代」を感じる、ということもあるでしょう。
しかし、天皇が「退位」して新しい天皇が「即位」するということをもって「改元」がなされた、ということをもって「新しい時代になった」などということはありえないな、と思うのです。
「時代」を、そして「時間」を、そのようなことに支配されてしまってはいけないぞ、と思うのです。

そんなことを思いながら雑多な本を読んでいるのですが、最近読んだ本の中で
「陶淵明はかつての同僚劉裕が立てた宗王朝に、強い違和感を抱き続け、自らの著述にけっして宗の年号を用いなかった。」(井波律子「中国の隠者」)
ということを知りました。なるほど、別に私にとって「新しい元号」は、別に「かつての同僚」がつくったものであるわけではありませんが、「強い違和感を抱」いていることに変わりはないので、「決して用いない」ということについては、陶淵明の真似をさせていただこうと思っています。
たとえば、登記申請や、それに伴う添付書類について、「元号」での表記はやめて「2019年」という表記を使うことにしました。もちろん、これについても、そもそも「キリスト生誕」の根拠が確かなものなのか?もしも確かだとしてもそれに依る根拠は何なのか?というような疑問・問題はあるのですが、それを言い出すとそもそも「年号」というものが成り立たなくなってしまうので、「グローバルスタンダード」の長いものに巻かれることにした次第です。

なお、登記申請などに関する「年号」の取り扱い、というのは、次のようになっているのだそうです。

<元号法の施行に伴う登記及び供託事務の取扱いについて>(昭和五十四年七月五日付け法務省民三第三、八八四号法務局民事行政(第一、第二)部長、地方法務局長あて民事局第三課長、 民事局第四課長依命通知)
(依命通知)元号法(昭和五十四年法律第四十三号) が昭和五十四年六月十二日から施行されたが、右法律の施行後における登記及び供託に関する事務については、左記により取り扱うのが相当であるので、この旨貴管下登記官及び供託官に周知方取り計らわれたく、命により通知する。

一 不動産登記関係
登記の申請書及びその添付書面中、日付けの記載として西暦を用いても差し支えないが、登記簿に日付けを記入するときは、 すべて元号を用いること。
二 商業法人登記関係
(1)甲号事件の取扱いは一と同様である。なお、登記事項が登記用紙と同一の用紙に記載され、 日付けの記載として西暦が用いられている場合において、これを登記用紙として用いるときは、商業登記規則第四十八条に定める方法により、 日付けの記載を元号を用いて書き改めるものとする。
(2)提出された印鑑紙中日付けの記載として西暦を用いている場合でも、そのまま受理して差し支えない。
(3)各種の証明の申請書及び証明を請求する事項を記載した書面等中、 日付けの記載として西暦を用いている場合であっても、これが登記簿の記載と実質的に一致するときにはそのまま証明して差し支えない。
つまり、登記申請や添付書類の記載に当たって「西暦」を用いても何ら差し支えない(ただし、登記されるときには「元号」に書き換えられる)ということです。それでいいのかな?とも思いますが、とにかくそのようなことです。(と言っていたら、「補正通知」で「元号を使ってください」というものが入っていました。一応、上記の旨をお伝えしてみようと思っています。)