大分単身赴任日誌

前期高齢者の考えたことを、単身赴任状況だからこそ言えるものとして言ってみます。

「土地家屋調査士講義ノート」(七戸克彦著:2010.)を読んで

2015-04-30 14:36:43 | 日記
昨日、七戸先生の「土地家屋調査士講義ノート」(2010.日本加除出版)を久しぶりに読み直しました。調査士会・連合会の総会が近くなり、役員改選もある時期に、「土地家屋調査士とは?」「調査士会とは?」ということを、いわば「原点に帰って」考えてみたくて読んでみたものです。

まずは、「調査士の歴史」について、七戸先生も指摘されるように「正史」がないなかで、ていねいになぞって紹介していただいていることについて、とてもありがたく思いました。正直、「昔のこと」にはあまり興味のない私ですが、「昔のこと」が「今のこと」でもある、というのは今問題になっている「歴史認識問題」にも明らかなことですので、こういう姿勢は改めなくてはいけませんね。

読んでみてあらためて思ったのは、台帳事務を担うべきものとして誕生した土地家屋調査士が、その誕生直後に「台帳事務の登記への一元化」によって、登記事務の一翼を担うことになった、という「数奇な運命」です。アメリカで生まれたけれど5歳で日本に引き取られて日本人として育った、みたいな話で(違うか?)、自らのアイデンティティに悩むことになるもは仕方のないことなのか、と改めて思いました。

さて、そのアイデンティティですが、七戸先生は、「司法書士がもっぱら『民』側の業務に軸足を置いた」のに対して、「土地家屋調査士は、むしろ『官』側の業務」を重視してきており、そこから「気質の違い」が出ているのではないか、というような指摘をされています。たしかに半分は当たっているな、と思わされる指摘です。「官」の立場に立っているかのような感覚が、土地家屋調査士会の「気質」を形成している現実があるように思え、それこそが今克服するべきものとしてある、と思うからです。

しかし、残りの半分には違うのではないか、という感覚があります。司法書士にしても「民」の権利保護を「官」の手続きに乗せる、という業務に軸足はあったように思えますし、土地家屋調査士についても同じです。調査士の場合でも、あくまでも「民」からの依頼による業務が主力(おそらくは90%以上)でしょう。その上で、違いは「軸足じゃない方の足」の問題だと思えます。司法書士が、登記業務以外の裁判関係や民事的な業務にもある程度は体重をかけてきたのに対して、調査士は、そのような部分がほとんどなく、逆に「14条地図や公嘱登記といった『官』の業務」に少し傾いた、というぐらいの違いじゃないかと思います。あくまでも「軸足じゃない方の足」の置き場所の問題です。

この問題はこの問題でたしかに大事な問題だと思うのですが、私はやはり「軸足」の方に主要な問題があるように思います。調査士が「官」のやるべきことを代わりにやってきた、ということを、七戸先生がその時々の国会審議の内容などを紹介しながら明らかにしてくれていますが、本来「行政事務」としてなされることが「民」の手続きを実施する中で行われる、という形がとられてきた、というところに特異性があるように私は思います。
そこでやるべきことは「官」としての手続きなの?「民」のためのものなの?という問題です。
その中で調査士がまた特異な役割を担ってきた、ということが「アイデンティティの分裂」の原因なのですね。私は、こうした歴史の中で、調査士に「お手伝い」的な感覚が残されてきた、というところに問題があるのではないか、と思っています。「出生」の問題と言うより「育ち方」の問題ですね。
「日陰者」の生活は、それでも「実入り」が確保されれば、別に問題ではなく、かえって「責任」がない分、気楽でいいや、という感じだったのかな、と思えまして、そうだとすると、今、私たちが目指すもの、力を注ぐべきことは何なのか?ということも明らかになっていくのではないか、と思えました。
そのようなことを考えさせてくれた「土地家屋調査士講義ノート」に改めて感謝、です。

今週の予定

2015-04-27 15:19:00 | 日記
今週の予定

4.28(火) 6月から「資格者代理人がするオンラインによる表示に関する登記の申請における法定外添付情報の原本提示」に関する取り扱いに変更がある、ということで、大分地方法務局との打ち合わせを行います。内容的なことについては、打合せ後に総会の機会などを通じて詳しく伝達するようにしようと思います。

世間は「ゴールデンウィーク」に突入、ということですが、私もこれが終わると世間並みにしばらく「会務予定なし」の「ゴールデン」な週を過ごすことになります。

せっかくの「ゴールデンウィーク」なのですが、膝の痛みがひどくなりました。先週の日調連理事会を終えて大分に帰った時には、足を引きずらないと歩けないような状態でした。
土曜日に整形外科に行き(開いててよかった。です)診てもらったところ、やはり、加齢による軟骨のすり減り=「変形性膝関節症」ということでした。これから6週間、週1の注射を受ける、ということで1回目を終えました。とにかく、完治へ向けておとなしくしているようにします。

読んだ本―「日本はなぜ、『基地』と『原発』をとめられないのか」(矢部宏司著。)

2015-04-26 11:40:13 | 日記
本書のタイトルは、本当に「なぜ?」と思わされることです。世論調査をすれば「脱原発」が多数派なのに政権与党はそれと反対の道を進み、国民はそれを支持するかのような投票行動をとっています。沖縄の人々は「基地」に反対の意思を明確に示しているのに、政府はそれを無視する道を「粛々と」進み、沖縄以外の国民は、ここでもまたそれを支持するかのような態度をとっています。本当に、なぜ21世紀の「先進国」で「民主主義国」である日本では、こういうことがあるのだろう??と思います。

この問いへの答えは本当の意味では出ないものなのかと思いますが、本書は、この疑問にかなりの部分で「答え」に接近している、と言えるでしょう。それは、帯にあるように「戦後70年の謎を解く」作業の報告でもあります。

このようなことをやっている本書の著者は、戦後史専門の学者でも政治学の学者でもありません。大学を出た後、博報堂勤務を経て「小さな出版社を作って美術や歴史など、自分の好きな本ばかり作ってきた、そういうきわめて個人主義的な人間」なのだそうです。
本書を読んでみると、「そのような人がよく本書のようなものを書いたな」と思わされるとともに、逆にそのような人だからこそ、あれやこれやの「しがらみ」にとらわれることなく書けたのだろう、とも思わされます。その意味で勉強になりました。

たとえば「憲法」について、次のように言います。

「つまり、『日本国憲法の真実』を極限まで簡略化すると、
 ①占領軍が密室で書いて、受け入れを強要した。
 ②その内容の多く(特に人権条項)は、日本人にはとても書けない良いものだった。」
とします。
そして、
「②の内容を非常に高く評価し、そのため①の歴史的事実を全否定してきたのがいわゆる左派の人たち」であり、
「①の事実を強調することで、②の内容を全否定し、変更しようとする・・・のが右派です。」
とします。

どちらもダメ、という訳です。そして、「内容がよかったからそれでいいじゃないか」というのは
「そういう議論は、憲法に関しては完全なまちがいです。近代憲法というのは、いくら内容が良くても、権力者からあたえられるものではないからです。」
とします。
これは、なにも「精神論」ではありません。単なる「原則論」でもありません。憲法成立の歴史が、今日まで「負の歴史」を引きずることになってしまっている「現実」から、そのように言われていることです。
「この点を70年近くもごまかしてきたことが、現在のような惨状をもたらした最大の原因になっているのです。・・・最近の『法治国家崩壊』とでもいうべき日本の状況を生んでいるのは、ひとことで言えば、
『自分で憲法を書いていないから、誰も憲法判断できない』
『憲法を書いた社会勢力[当時の制定勢力]が存在しないから、政府が憲法違反をしても、だれもそれに抵抗することができない』
という、全く信じられないくらい低レベルな話だからです。」
といわけです。

このような構造を著者は「安保村」と言います。「原発村」と同じ構造で、はるかに大規模な「『日米安保推進派』の利益共同体」を指して言うのですが、それこそが「戦後70年」を支配する基調であり、「すべてはそこから見ればわかる」というわけです。これが「戦後70年の謎」であり、本書のタイトル―「日本はなぜ、『基地』と『原発』をとめられないのか」への「答え」ということになります。
ではどうするのか?・・・・そこまで行って、初めて本当の「答え」になるのでしょうが・・・。


読んだ本ー「国家の攻防/興亡ー領土、紛争、戦争のインテリジェンス 佐藤優著、角川新書)

2015-04-22 09:42:19 | 本と雑誌


「本書は、月刊誌『エルネオス』に現在も連載されている『佐藤優の情報照射「一片一条」(2006.11~2015.1)を取捨選択の上、再編集し、加筆修正したもの」だそうです。では、「月刊誌エルネオス」って何だ?ということになります。聞いたことのない雑誌ですもんね。これは、「一般の書店では販売されていない会員制情報誌」だそうです。
本書は、この雑誌への連載のうち、ロシア関係のテーマを集めたものです。

ロシアについて、私はほとんど知識がないので、初めて知ることが多く、興味深いものでした。まえがきで、著者が「ウクライナ危機の解決が『イスラム国』対策につながる」と言っているように、まったく違う地域での違う問題のように思えることが実はつながっていて、その中で極めて重要な位置を占めるのがロシアであることは、「クリミア併合」に明らかですので、私たちにとっても、大事な問題として 考えていかなければならないのでしょう。

著者は、ものすごい勢いで本を出していて、私も「愛読者」の一人ですが、著者の書いているものについては、①「読書」関係のもの、②「政治・インテリジェンス」に関する一般理論的なもの、③世界情勢の分析に関するもの、④現実の政治方針に関するもの、というように分類すると、番号の若い順番に面白く、納得もさせられる、という感じがします。かねがね、その風貌に似あわず、もともと「外務官僚」などには向かない「学究肌」の人なのかな、と思っています。

本書を読んでもその印象は変わりません。そもそも現実の政治問題を中心に論じているものですが、具体的な政治方針的なことについてはよくわからない部分も多いのですが、次のような構造がいいな、とおもいます。

まず、「今後の国際関係を見る場合の基本となる哲学」が言われます。全体としての趨勢に対する洞察です。
「2008年は2007年に比して国際関係に帝国主義の色彩が強まる」

といいます。これは、2008年の年頭に書かれているのでこういう言い方になっていますが、もっと長いスパンで言われていることとしてとらえられるものであり、ロシアの「クリミア併合」にみられる「ロシアは帝国主義の論理で動いている」こと、世界がそれと無関係でいられず、それに引きずられずにいられないこと、を明らかにしているのだと思います。
この趨勢への洞察の上で、個々の事柄を見ると、そうでないときに見えなかったものが見えてきます。たとえば
2008年に、プーチン(当時は首相)が、豚インフルエンザについて記者会見で
「予防措置が甘くなってはいけない。冬に向け、ワクチン生産など予防措置を準備するよう関係各省に指示している。」
と発言したことについて、著者は、
「ほとんどの新聞が重視しなかったが、この発言は不気味だ。」
とします。
「ロシアは、生物兵器研究の先進国である。インフルエンザを含む新型の感染症については、生物兵器の観点からの開発、さらに新型の感染症に対する防御策を研究しているということだ。」

・・・なのだそうです。
「プーチン首相はインテリジェンスの専門家だ。こういう場で意味のないことは言わない。」
のでそう読み解くべき、というわけです。この読み解きが正しいのか、深読み過ぎなのか、私には判断がつきませんが、一般的にはなるほど、と思わされます。大きな方向性が見えていると、そうでない人が見れば何でもないようなことにも大きな意味のあることがわかる、というのは、私たちの身近な問題でもよくあることです。
もちろん、逆に「大きな方向」について見誤ってしまっていると、個別の事象に関する分析もトンチンカンなものになってしまいます。これも身近によくあることです。

今週の予定

2015-04-20 08:48:14 | 日記
今週の予定

4.23-24(木・金)日調連理事会。 今年度の第1回の理事会ですが、総会前の最後の総会であり、ということは現執行部での最後の理事会ということになります。締め括りをきちんとできるようにしたいと思いますが、会務自体には連続することも多くあるので、切れ目のない運営にも心を配らなければ、と思います。

4.24(金)には、所属支部である大分支部の総会があります。日調連理事会の後なので時間的に総会議事にはほぼ間に合わないのですが、懇親会だけには参加できれば、と思っています。  


話は変わって・・・・、ひざの痛みから「しばらく走らない」ことにしたので、膝への負担の少ないプールに行って見ました。プ水中歩行をするのが基本なのですが、プールに入ると泳ぎたくなるので、ちょっとだけ、と思って泳いでみました。・・・しかし、左腕を上げたらそれだけで激痛!走れないだけで泳ぎもできなくなっています。年をとるというのは、大変なことだ・・・。