昨日、七戸先生の「土地家屋調査士講義ノート」(2010.日本加除出版)を久しぶりに読み直しました。調査士会・連合会の総会が近くなり、役員改選もある時期に、「土地家屋調査士とは?」「調査士会とは?」ということを、いわば「原点に帰って」考えてみたくて読んでみたものです。
まずは、「調査士の歴史」について、七戸先生も指摘されるように「正史」がないなかで、ていねいになぞって紹介していただいていることについて、とてもありがたく思いました。正直、「昔のこと」にはあまり興味のない私ですが、「昔のこと」が「今のこと」でもある、というのは今問題になっている「歴史認識問題」にも明らかなことですので、こういう姿勢は改めなくてはいけませんね。
読んでみてあらためて思ったのは、台帳事務を担うべきものとして誕生した土地家屋調査士が、その誕生直後に「台帳事務の登記への一元化」によって、登記事務の一翼を担うことになった、という「数奇な運命」です。アメリカで生まれたけれど5歳で日本に引き取られて日本人として育った、みたいな話で(違うか?)、自らのアイデンティティに悩むことになるもは仕方のないことなのか、と改めて思いました。
さて、そのアイデンティティですが、七戸先生は、「司法書士がもっぱら『民』側の業務に軸足を置いた」のに対して、「土地家屋調査士は、むしろ『官』側の業務」を重視してきており、そこから「気質の違い」が出ているのではないか、というような指摘をされています。たしかに半分は当たっているな、と思わされる指摘です。「官」の立場に立っているかのような感覚が、土地家屋調査士会の「気質」を形成している現実があるように思え、それこそが今克服するべきものとしてある、と思うからです。
しかし、残りの半分には違うのではないか、という感覚があります。司法書士にしても「民」の権利保護を「官」の手続きに乗せる、という業務に軸足はあったように思えますし、土地家屋調査士についても同じです。調査士の場合でも、あくまでも「民」からの依頼による業務が主力(おそらくは90%以上)でしょう。その上で、違いは「軸足じゃない方の足」の問題だと思えます。司法書士が、登記業務以外の裁判関係や民事的な業務にもある程度は体重をかけてきたのに対して、調査士は、そのような部分がほとんどなく、逆に「14条地図や公嘱登記といった『官』の業務」に少し傾いた、というぐらいの違いじゃないかと思います。あくまでも「軸足じゃない方の足」の置き場所の問題です。
この問題はこの問題でたしかに大事な問題だと思うのですが、私はやはり「軸足」の方に主要な問題があるように思います。調査士が「官」のやるべきことを代わりにやってきた、ということを、七戸先生がその時々の国会審議の内容などを紹介しながら明らかにしてくれていますが、本来「行政事務」としてなされることが「民」の手続きを実施する中で行われる、という形がとられてきた、というところに特異性があるように私は思います。
そこでやるべきことは「官」としての手続きなの?「民」のためのものなの?という問題です。
その中で調査士がまた特異な役割を担ってきた、ということが「アイデンティティの分裂」の原因なのですね。私は、こうした歴史の中で、調査士に「お手伝い」的な感覚が残されてきた、というところに問題があるのではないか、と思っています。「出生」の問題と言うより「育ち方」の問題ですね。
「日陰者」の生活は、それでも「実入り」が確保されれば、別に問題ではなく、かえって「責任」がない分、気楽でいいや、という感じだったのかな、と思えまして、そうだとすると、今、私たちが目指すもの、力を注ぐべきことは何なのか?ということも明らかになっていくのではないか、と思えました。
そのようなことを考えさせてくれた「土地家屋調査士講義ノート」に改めて感謝、です。
まずは、「調査士の歴史」について、七戸先生も指摘されるように「正史」がないなかで、ていねいになぞって紹介していただいていることについて、とてもありがたく思いました。正直、「昔のこと」にはあまり興味のない私ですが、「昔のこと」が「今のこと」でもある、というのは今問題になっている「歴史認識問題」にも明らかなことですので、こういう姿勢は改めなくてはいけませんね。
読んでみてあらためて思ったのは、台帳事務を担うべきものとして誕生した土地家屋調査士が、その誕生直後に「台帳事務の登記への一元化」によって、登記事務の一翼を担うことになった、という「数奇な運命」です。アメリカで生まれたけれど5歳で日本に引き取られて日本人として育った、みたいな話で(違うか?)、自らのアイデンティティに悩むことになるもは仕方のないことなのか、と改めて思いました。
さて、そのアイデンティティですが、七戸先生は、「司法書士がもっぱら『民』側の業務に軸足を置いた」のに対して、「土地家屋調査士は、むしろ『官』側の業務」を重視してきており、そこから「気質の違い」が出ているのではないか、というような指摘をされています。たしかに半分は当たっているな、と思わされる指摘です。「官」の立場に立っているかのような感覚が、土地家屋調査士会の「気質」を形成している現実があるように思え、それこそが今克服するべきものとしてある、と思うからです。
しかし、残りの半分には違うのではないか、という感覚があります。司法書士にしても「民」の権利保護を「官」の手続きに乗せる、という業務に軸足はあったように思えますし、土地家屋調査士についても同じです。調査士の場合でも、あくまでも「民」からの依頼による業務が主力(おそらくは90%以上)でしょう。その上で、違いは「軸足じゃない方の足」の問題だと思えます。司法書士が、登記業務以外の裁判関係や民事的な業務にもある程度は体重をかけてきたのに対して、調査士は、そのような部分がほとんどなく、逆に「14条地図や公嘱登記といった『官』の業務」に少し傾いた、というぐらいの違いじゃないかと思います。あくまでも「軸足じゃない方の足」の置き場所の問題です。
この問題はこの問題でたしかに大事な問題だと思うのですが、私はやはり「軸足」の方に主要な問題があるように思います。調査士が「官」のやるべきことを代わりにやってきた、ということを、七戸先生がその時々の国会審議の内容などを紹介しながら明らかにしてくれていますが、本来「行政事務」としてなされることが「民」の手続きを実施する中で行われる、という形がとられてきた、というところに特異性があるように私は思います。
そこでやるべきことは「官」としての手続きなの?「民」のためのものなの?という問題です。
その中で調査士がまた特異な役割を担ってきた、ということが「アイデンティティの分裂」の原因なのですね。私は、こうした歴史の中で、調査士に「お手伝い」的な感覚が残されてきた、というところに問題があるのではないか、と思っています。「出生」の問題と言うより「育ち方」の問題ですね。
「日陰者」の生活は、それでも「実入り」が確保されれば、別に問題ではなく、かえって「責任」がない分、気楽でいいや、という感じだったのかな、と思えまして、そうだとすると、今、私たちが目指すもの、力を注ぐべきことは何なのか?ということも明らかになっていくのではないか、と思えました。
そのようなことを考えさせてくれた「土地家屋調査士講義ノート」に改めて感謝、です。