大分単身赴任日誌

前期高齢者の考えたことを、単身赴任状況だからこそ言えるものとして言ってみます。

「縄延び」について…②

2019-03-27 11:23:42 | 日記
前回、新井先生が、「甲乙地主ノ境界及一己ノ所有ニシテ地所接続スルトモ毎筆ノ境界ハ双方凡五勺ツゝ(即一間の二十分の一)除却シテ丈量スヘシ」と規定する「地租改正事務局出張官心得書(明治9年9月18日地租改正事務局関東府県出張官ヘ達)」を挙げておられることを紹介し、「明治9年9月18日の「達」の意味するところ、そこで「除却」するものとされていたのは「9㎝」よりもはるかに大きかったことについては、その他の詳しい説明とともに後述することとします」としていましたので、そのことについてまず書きます。

地租改正事業の中での「丈量」の対象は、初期においては
「耕地ヲ丈量スルハ畔際ヨリ打詰ト心得ヘキ事」(明治8年7月8日「地租改正条例細目)第三条)
とされていました。「丈量」は、あくまでも「畔際ヨリ打詰」で行っていた、すなわち「畔部分は測っていなかった」ということになります。これはまさに、新井先生が言われるように「公簿地籍が地租徴収の目的の下で測量された成果に基づくことに起因している」ものです。地租改正事業の中での「反別」(面積)の丈量は、その結果に「反当り収穫量」を乗じてその土地の「総収穫量」を計算し、それによって「地価」を算出し、さらにそれによって「地租」額を算定するためのものでした。したがって、「反別」は、あくまでも「収穫可能地」の面積を出すものに過ぎず、「畔」は含まれていなかったわけです。

ところが、これは明治9年11月には、次のように変わります。
「畦畔之儀、改租丈量之際、其歩数ヲ除キ候ハ収穫調査ノ都合ニヨリ候儀ニテ、右ハ該田畑ニ離ルべカラザルモノニ付、官民有地ヲ不論其本地ノ地種ヘ編入シ 券状面外書ニ歩数登記候儀ト可相心得 此旨相達候事。 但地租改正之際既畦畔ヲ算セズ丈量済之分ハ漸次本文之通改正候様可致事」(明治9年11月13日内務省達乙第130号)
まさに「畦畔の歩数を除」いていたのは「収穫量調査の都合」によるものであった、ということが示されています。そのうえで、畦畔は「該田畑ニ離ルべカラザルモノ」として、今後は調査(丈量)の対象とする、とされているわけです。これにより、以降は、畦畔については「券状面外書ニ歩数登記」されるようになりました。「外書」「外畦畔」です。
大分県においては、この内務省達乙第130号の出された明治9年11月には、すでに地租改正事業が完了していましたので、これにもとづく「外畦畔」はほとんど存在しないのですが、全国的には数多くあります。では、この「外書」によって、「公簿面積を出す際に測った土地の範囲は、今日の実測面積が対象としている一筆の土地全部ではなく、その一部分に過ぎない」状態は解消されて、「本地」と「外畦畔」を合算したものが「一筆の土地」とイコールになったのか?ということが問題になるわけですが、これについては、後で見ることにして、その前に、「地租改正事務局出張官心得書(明治9年9月18日地租改正事務局関東府県出張官ヘ達)」についてみることにします。
新井先生は、この「心得書」のうちの「第2項」である「甲乙地主ノ境界及一己ノ所有ニシテ地所接続スルトモ毎筆ノ境界ハ双方凡五勺ツゝ(即一間の二十分の一)除却シテ丈量スヘシ」を挙げておられますが、そのほかには次のようなものがあります。「畠地は大小の別なく一筆内に自己に作道、小畔を設るともその歩数は該地段別より除却すへからす」「崖髙の地にして其崖鍬入に必需の地は該地段別に合量すへし」といったものです。すなわちこれは、「畦畔は丈量しない」としていたそれまでの方針では、さまざまな不都合があるのでこれを改めて、丈量対象を増やしていくことを示す「達」であった、ということが言えます。ただし、これによっても「田」についての「畔際より」が改められているわけではないので、「田」については「畦畔」を含まずに行うことについては変わりがなかった、と考えられます。ですから、「畔」について、少なく見積もっても「30㎝」ほどは「筆界」よりも内側の位置になると思われますので、たとえば「20メートル四方の田」であれば、一筆の土地としては「20×20=400㎡」であるところ、「19.4×19.4=376㎡」というように5%強の「減少」が見られることになります。そしてこれは、一筆の土地が数枚の田で構成されている場合や、傾斜地にあって畦畔が大きい場合にはさらに大きなものになります。「公簿面積が実測面積より3割も小さい」ということが出来する所以です。

しかし、明治9年11月の内務省達乙第130号で畦畔を「其本地ノ地種ヘ編入シ券状面外書」するようになり、さらにその後には
「従来外書きにある用悪水路、井溝、ため池及び畦畔は異動の都度本地に量入すべし」(「地租事務取扱心得」明治42年9月22日東京税務監督局長訓55号16条)
ということになって、やがて最終的には明治35年の「登記簿・台帳一元化」の際に
「外畦畔、石塚または崖地等・・の地積が外歩として記載されている土岐は、本地の地積とこれらのものの地積とを合算して地積欄に記載するものとする」(「登記簿・台帳一元化実施要領」昭和35年4月1日民事甲第685号民事局通達 第27、4項)
という形ですべて「本地に合算」されるようになりますので、明治9年11月以降の地租改正事業成果によるものは、「外書」を合わせれば「丈量範囲」と「一筆地」とが合致されるようになったのではないか、従ってそのような地域においても「縄延び」があるのであればその理由は何か?ということが問題になります。

このことについて、「登記研究」誌の834号から837号までの4号にわたってなされた「十字法による丈量-検証結果報告」(寛塾)が興味深い事実を示してくれています。
これは、「地租改正事業における丈量(測量)は、徳川時代から行われていた十字法によったものが多数であった。」ということから、「十字法とは具体的にどのようなものか、そして十字法はどの程度の精度を得られるのか」ということを、単に頭で想像するだけでなく、「当時使用していた間縄、間竿,四方縄、十字器を復元して作成し、これらを用いて、明治時代から地形の変更がないと思われる土地を選定して、十字法を用いて丈量し、その成果を土地台帳の面積と近代測量の成果とを比較」(834号)する検証実験です。
検証実験の結論的な報告としては、次のように言われています(837号)。
「地租改正当時の・・測量方法(である)十字法の方法によって測量し、この結果を土地台帳の地積と比較すること」を行った結果
① 「本地についての測量結果は・・・当初の予想に反して、精度のいい数字であった」
② しかし「畦畔についての測量結果は、土地台帳の外畦畔の記載に比べて大幅に相違があった」ということが確認された、というものです。
すなわち、実測面積と台帳地籍との違い(「縄延び」)の主な原因は「畦畔の取り扱い方」にある、ということが確認された、ということになります。
具体的には、「外畦畔」がたしかに「丈量」されているものの、「外畦畔」として丈量されているのは、今日の理解で「畦畔」とみられる部分の全体ではなく、「人間が田んぼの間を歩く幅の部分の「あぜ」という機能の部分だけを算入」して「傾斜部分(法面部分)を地積に算入していなかった」のではないか、ということです。
「畦畔も本地に編入」「本地の地積に合算」した、と言っても、それはやはり一筆の土地の全部ではなく、「丈量の対象範囲の相違」は、程度の差はあれ、あいかわらず続いた、ということです。

「検証結果報告」では、この事実を受けての考察もなされています。
そこでは、まず従来の「定説」を次のように繰り返して確認します。
「縄延び現象が全国的に認められるのは、測量技術の問題のほかに、課税のための測量であるため、節税目的で面積の過少申告を容認していた、と説明されています。」「面積の過少申告の方法として、間延びした間縄で測った、間延びした間縄で測れば、実際の面積よりも小さい面積を得ることができる。そこで、「縄延び」した検泡を使用した結果、公簿面積が現況面積より小さい現象を「縄延び」と称しているのではないか、と私は思っているんですけども…」
と「従来定説」を繰り返すわけですが、そのうえで、
「しかし、今回の検証実験の結果を見ると、公簿面積と実測面積の違いは、この縄延び現象(A)のほか、外畦畔の簡便な測量成果(B)が極めて大きく起因しているというふうに評価するのが正しいのではないか」
と指摘され、「そうですね。と認めています。
まさに「測定範囲の相違」が「縄延び」の主な原因である、ということです。
しかし、イマイチ、すっきりしないところもあります。
もちろん、この奈良県という一地方におけるほんの数筆の一事例をもって、最終的な結論を導き出すわけにはいかない、というのは当然のことではあるのですが、それにしても少なくともこの検証結果から導き出される結論はよりはっきりとさせておいたほうがいいように思えます。
と言うのは、上記引用の中の「(A)」「(B)」は私が付したものですが、ここでは「間延びした間縄で測る節税のためのゴマカシ」=(A) と 「一筆地全部を図るわけではない測定範囲の相違」=(B)という二つのことが言われているわけで、その「どっちもあり」という結論であるかのように見えます。
しかし、先に述べた検証結果の①「本地についての測量結果は・・・当初の予想に反して、精度のいい数字であった」ということは、Aの「間延び間縄」説を否定するものとしてあります。Aは、少なくともこの検証結果では否定されているのだ、ということをはっきりとさせておくべきでしょう。

・・・以上、なんかしつこく細かいことをグジグジほじくりだしているみたいな話に思えてしまうかもしれませんが、この辺の曖昧さというのは、現実問題として次のような問題に発展していくので、はっきりさせておいたほうがいいように思えるのです。
先の引用文の続きで次のように言われます。
「そうすると、登記実務の中で、地積の更正の登記を申請する場合には、まず土地台帳を見て、土地台帳に外畦畔の記載があるか否か確認することは非常に重要である、ということができますね。すなわち、土地台帳に外畦畔の記載があり、かつ、現地の境界に畦畔がある場合における縄延びは、狭義の縄延び現象のほか広義の縄延び(外畦畔の簡便な測量による。)現象の結果、大幅に地積が増加する可能性がある。」
というものです。
ここでは、「外畦畔の記載がある」場合に(限って)「外畦畔の簡便な測量による」「広義の縄延び」もあることを考えるべき、とされているのですが、たとえば私の今いる大分県のように、そもそも明治9年11月以前に地租改正事業の丈量作業の終了している地方においては、「外畦畔」を測って「外書」するということ自体を行っていないので、「外畦畔の記載」はないわけですが、その場合のほうが登記地積と実測面積の違いはより大きなものになります。ですから、上記のような理解をしていると、現実問題に関する判断の際に結論を180度逆にしてしまう危険がある、ということになるわけで、注意をしておかなければならないと考えた次第です。
(なお、上記検証報告全体としては、
「土地台帳に外畦畔の記載はないが、現地の境界に畦畔がある場合は、一般的には、本地の面積にこの畦畔も含まれていると推察されるのですが、地域によっては、本地の面積は水張部分のみを計上し、この畦畔については外畦畔の記載を省略した取り扱いも考えられなくはないのです。この場合も、大幅な地積更正が認められることになります。」
と指摘して、正しい理解が示されています。)

「縄延び」について・・・誤った「定説」を覆し正すことは「専門家」の責任・・・①

2019-03-22 13:48:02 | 日記
私たち土地家屋調査士の業務領域、特に境界問題においては、「定説にはなっているが実は誤っている」というものが多いように思えます。
以下書いていく「縄延び」に関することについてもそうですし、「公図」をめぐってもいくつかそのようなものを挙げることができます。
何故そうなるのか?
私の考える答えは、その領域における「専門家らしい専門家の不在」ということになります。要するに「境界問題の専門家」であるはずの土地家屋調査士の不甲斐なさ、ということになります。
もう少し詳しく言うと、この「定説にはなっているが実は誤っている」説というのは、境界確定訴訟の判決などで言われたものが多いように思えるのですが、この境界確定訴訟において判決を書いている裁判官というのは境界問題に詳しいわけでも、それを研究しているわけでもなく、それ以前に同様の裁判官が書いた判決文を参考にしながら、手探り状態で、その事案にあてはまるようなものを探し出して述べているに過ぎないものが少なくないように思えます。
いわば素人の説です。
そして、本来専門家であるはずの土地家屋調査士が、その素人の説の誤りを批判せず、それどころかあたかも「権威あるもの」のように押し戴くかのようにしてしまうので、いつまでたっても誤りがただされることなく続いて行ってしまう、ということになってしまうわけです。
いい加減でこのような状態からは脱しなければならないと思う、ということで、最新号の「登記研究」誌に載っている新井克己先生の「縄延び」に関する論稿を取り上げたいと思います。

まずその前に、筆者の新井先生について。
新井先生は、横浜地方法務局長などを務められた方で、大著「公図と境界」(H17.テイハン)の著者でもあり、我が国の土地境界問題の第一人者の一人であり、一般的に信頼できる先生で、私も常々勉強させていただいている方です。
以下に取り上げる文章は、「登記研究」誌で連載されている「Q&A不動産表示登記」の中の一節であり、この連載はもう「34」回目ということです。「不動産表示登記」に関する全体像を示してくださるものとして、私も毎号勉強になるなと感謝しつつ読ませていただいています。
そう思っていたら、日調連会報「土地家屋調査士」でも、今年の1月号から新井先生の「土地の表示に関する登記の沿革」という連載が始まりました。「表示に関する登記の専門家」を自称する者が、このタイトルの連載を外部の方にしていただく、というのも如何なものかとは思いますが、裏返して言えば新井先生がそれだけ信頼を得ている方であるということを示している、と言うことかとも思います。
そのように常々お世話になっている信頼のおける先生なのではありますが、以下に取り上げる「地積・縄延び」に関する記述については、いかがなものかと思わざるを得ません。
もちろん、新井先生は全く個人的に新奇な「独自の見解」を述べられているわけではなく、「定説」となっていることをを述べておられるわけですが、この「定説」自体が違っているのではないか、と思えるのです。そして、このような「誤った定説」を覆して正しい理解に近づいていくことこそが「専門家」としての責任なのではないか、と思いますので、そのような観点から以下書かせていただきます。

 「登記研究」誌852号(H31.2)の 「Q&A不動産表示登記(34)」で、「登記地積・縄延び」に関して新井先生は次のように述べておられます。

① 「明治初期実施の地租改正事業あるいは明治中期実施の全国地押調査事業における測量の方法は、十字法または三斜法であった。したがって、その測量成果を近代測量の成果と比較すれば、差異が生じるから、公簿地籍と実測面積との間に差異が生ずることは当然である。
しかし、公簿地籍と実測面積との差異が、測量技術のみに起因するのであれば、その差異は、公簿面積が実測面積より増加する現象と減少する現象が発生するはずであるにもかかわらず、公簿面積が実測面積よりも少ないのが一般的であるから、縄延びの発生原因を測量技術の問題としてのみ捉えることはできない。」

② 「縄延びは、公簿地籍が地租徴収の目的の下で測量された成果に基づくことに起因しているのである。」
③ 「すなわち、明治期に、旧幕時代の石高制による物納貢租の納税制度を廃止し、地価を課税標準とする金納定額の地租制度を採用するため、全国の各土地について地押、丈量(測量)の調査を行い、土地の丈量は人民が行ったものを、官吏が検査するという方法を採ったため、反別(面積)を過少申告すれば、その分だけ地租の納付を減額することができるところから、測量の際に各種の節税対策が講じられたことが考えられるのである。例えば、一間の距離を真の一間の距離より長く目盛った間縄を用いて測れば、一間より短い測量成果を得ることができるとして、間延びをした間縄を用いて測量したり、あるいは距離を測る場合、境界に立って、間縄を持った手を伸ばして距離を測れば、その延ばした手の長さ分だけ短い測量成果を得ることができる。」

①の問題意識、②の総括的結論については、そのとおりであると思います。ここまでは問題ない。しかし、③の「節税目的の過少申告」説というのは、私はまったくの間違いであると思っています。
この「節税目的の過少申告」主犯説の誤りは次の2点において指摘しえます。
まず第一は、「証拠不十分」です。いや「不十分」と言うよりも「皆無」と言うべきでしょう。「節税目的で面積を過少に測った」ということを示す「証拠」は何一つ挙げられていません。これは、「証拠に基づく判断」なのではなく、「単なる推理」にすぎないのです。①の問題意識に沿って、この問題への「合理的」と思われる理由を頭の中で考えたときに思いつかれたのが、この「節税目的の過少申告」という「ゴマカシ」を犯人だとする考え方であり、それに過ぎない、ということです。

もう一つ(第2)は、「真犯人の存在」です。「公簿面積が実測面積よりも少ないのが一般的」になった主な理由は、「公簿面積を出す際に測った土地の範囲は、今日の実測面積が対象としている一筆の土地全部ではなく、その一部分に過ぎないから」であり、ここに「真犯人」がいる、とすべきです。
実は、この点については、新井先生自身が、先の引用のすぐ後で、次のように述べておられます。
「地租改正事務局出張官心得書(明治9年9月18日地租改正事務局関東府県出張官ヘ達)第2項は、「甲乙地主ノ境界及一己ノ所有ニシテ地所接続スルトモ毎筆ノ境界ハ双方凡五勺ツゝ(即一間の二十分の一)除却シテ丈量スヘシ」と規定している。したがって、境界から、1間=6尺(60寸)の20分の1(約9センチ)後退して丈量していることになるから、その分だけ面積が少なくなる。これは、旧幕時代における検地の畔際引として、「畔幅壱尺、畦際左右壱尺づゝを除却するを法とす」とされていたことが踏襲されたのものであろうか。」

このように、地租改正当時に「丈量」の対象としていたのは、少なくとも今日のように「筆界まで」の範囲なのではなかったわけです。(明治9年9月18日の「達」の意味するところ、そこで「除却」するものとされていたのは「9㎝」よりもはるかに大きかったことについては、その他の詳しい説明とともに後日に回します。)

さて、今、二つの理由を挙げました。詳しいことは後日述べるようにいたしますが、第一の「証拠不十分」については簡単な話ですので、今日済ませておくようにしましょう。
この「節税目的過少申告」説が、初めにどのようにして出されたのかは、よくわかりませんが(根拠のないうわさ話の出所というものは、わかり難いものです)、比較的初期には、次のような形で言われていました。
裁判官の著した「境界確定訴訟」についてのある程度まとまった論考である村松俊夫著「境界確定の訴」(1972年初版発行)では、次のような言い方がなされています。、
「明治6年・・・当時の測量は技術が発達していなかったし、ほかの事情もあった故か、田舎では「縄延び」と言っているが、実測面積が公簿上の面積の十数倍というところも少なくない。」
と言って、「ほかの事情もあった故か」というところに注を付して

「明治6年に地価台帳を作成したのは、税を徴収するためにされたのであるから、国民としてはできるだけ面積を狭くしておくほうが都合がよかったことも、その不正確さの一原因をなしているといわれている。したがってまた明治政府に勢力を有していた地方では比較的ルーズに、それに反して勢力を有していない地方では比較的厳格に作成されたということが言われているが、そのようなことがもっとはっきりされれば、境界確定の訴の心理にも役立つことが多いと考える。」(31)


このように初期においては、「いわれている」「もっとはっきりされれば」というように、断定するどころか、あくまでも「いわれている」ことを紹介しているにすぎず、「はっきり」しているわけではない、とする随分と控えめな、自信のない言い方がなされていたわけで、あくまでも「推理」にすぎないことが明らかなような言い方で言われていました。
もしもその後「そのようなことがもっとはっきりされれば」、この「説」は補強され確かなものになっていったはずなのですが、事実としてはなんら「はっきり」されることはなかった、ということになります。つまり、この「推理」、「仮説」は証拠をもって証明されることがなかったわけです。およそ近代以降の科学的方法というのは、「仮説」を証拠をもって証明していくものとしてあるわけですから、この「節税目的過少申告説」というものは、「実証されなかった仮説」に過ぎないものとしてゴミ箱に捨てられるべきものとしてある、ということになります。
しかし、そうならずに、逆に「推理」にすぎなかったものが「断定」に変ってしまい、「仮説」に過ぎなかったものが「定説」になってしまっている、という現実があるわけです。「境界問題」が「科学」としての実質を持たぬまま無責任な世間話の世界にとどまってしまっているわけで、大変嘆かわしい憂うべき状態にある、と言わざるをえません。

・・・ということで、だいぶ長くなってしまいましたので、今日のところはこれで終わり、次回、「公簿面積を出す際に測った土地の範囲は、今日の実測面積が対象としている一筆の土地全部ではなく、その一部分に過ぎない」ということについて、地租改正事務局出張官心得書」等の地租改正時の取り扱いを踏まえて、大分の地租改正時の資料や「登記研究」誌834~837に連載された奈良県での検証結果・・・等を紹介しつつ、もう少し詳しく書くようにしたいと思います。
また、さらに回を改めて、この「縄延び=節税目的過少申告説」の持つ意味や影響などについても考えていければ、と思っています。

「司法書士法及び土地家屋調査士法の一部を改正する法律案」の国会上程

2019-03-13 21:47:22 | 日記

「司法書士法及び土地家屋調査士法の一部を改正する法律案」が、政府(法務省)提案として現在開催中の通常国会に上程された、ということです。
この改正案の内容は、①「使命」の明確化、②懲戒手続きの適正・合理化(懲戒権者を法務大臣井、除斥期間を新設、戒告処分における聴聞を保障、清算法人の懲戒)、③一人法人の可能化、を内容とするもの、ということです。
司法書士会(日司連)が、「司法書士法改正大綱」としてまとめていたもののうちの主要なものが、「土地家屋調査士法との束ね法」として国会上程にまで至った、ということなのでしょう。
私は、従来「司法書士法改正大綱」について、その社会的な必要性をほとんど認めることができず、意義のあるものだとは思ってきませんでしたし、それが土地家屋調査士にも連動して適用される必要があるとも思っていません。「地位の向上」を目指す「個別利害」を動機とする、このような「法改正」は不要であり、このようなものが「政府提案」の形で出されること自体に、既得権益的個別利害の集大成を「政治」の基礎とする現代日本の「政治」の腐敗の表れがあるのだとさえ思っています。

しかし、この改正案を見ているとなかなか面白いところがあります。この改正案を提案するに至った「理由」が次のように言われています。
「近時の司法書士制度及び土地家屋調査士制度を取り巻く状況の変化を踏まえ、司法書士及び土地家屋調査士について、それぞれ、その専門職者としての使命を明らかにする規定を設けるとともに、懲戒権者を法務局または地方法務局の長から法務大臣に改める等の懲戒手続きに関する規定の見直しを行うほか、社員が一人の司法書士及び土地家屋調査士法人の設立を可能とする等の措置を講ずる。」


「法改正」というのは、そもそも従来の「法」は、それはそれとして正しいものだった、ということを前提にしながら行われるのが一般的です。では正しかったものをなぜ改める必要があるのか?ということが問題になるわけで、その答えは大体において「とりまく状況の変化」に求められることになります。
では、今回の改正案というのは、どのような「とりまく状況の変化」が、具体的にどのような「改正」にむすびつくものとしてあるのか?と言うと、イマイチ明らかではありません。③の「一人法人の可能化」は、「状況の変化」によって求められるようになった、と言えるのかもしれませんが、それを必要とするほどの「状況」になっているのか、というと疑問ですし、②の「懲戒手続きの適正・合理化」に至っては、「これまでの懲戒手続きが不適正・不合理だった」というわけでもないのだとすると、どのような「変化」があったのかほぼまったくわかりません。
そして、①の「使命の明確化」というのは、これまでの司法書士法・土地家屋調査士法の第一条が「目的」規定だったのに対して、弁護士法や税理士法では「使命」規定なので、それに合わせることが「地位向上」につながる、というようなところから出ているに過ぎないものであるように思えるのですが、そんなことを言うわけにもいかないので、それなりに新しい「使命」を「とりまく状況の変化」とつながるようなものとして言うようになっているようです。ここのところが面白い。
そこでは、(司法書士についてはともかくとして)土地家屋調査士の「使命」として
「土地家屋調査士は、不動産の表示に関する登記及び土地の筆界を明らかにする業務の専門家として、不動産に関する権利の明確化に寄与し、もって国民生活の安定と向上に資することを使命とする。」
という形で「使命」を規定することになっっています。
これは、現法が、「不動産の表示に関する登記手続の円滑な実施に資し、もつて不動産に係る国民の権利の明確化に寄与することを目的とする」としていたことに比べて、「登記手続きの円滑化」という媒介を外して、より直接的に「国民生活」と結びつかせるものになっている、と言えるものでしょう。
このような形になる、ということが面白いですし、これはこれで、意義のあるものだと受け止めることができるのでしょう。その反面として、「登記手続」という行政事務との連関性が薄められたことについての意味をとらえて、「自助努力」の必要性が高まる、という面も考える必要があるのだと思いますが。
そして、その「意義」は、「不動産の表示に関する登記及び土地の筆界を明らかにする業務の専門家」とされているわけですから、その「業務」をより具体化することによってさらに明らかにする必要のあるものとしてある、ということなのだと思います。すなわち、「第一条」だけでなく、「第三条 業務」の内容として「土地の筆界を明らかにする業務」を具体化する必要がある、ということです。そうしなければ「使命」を果たすことができないわけですから。

この「改正案」が今国会で成立に至るのかどうかはまだわかりませんが、もし成立するのだとしても「これで終わり」ということではなく、さらに「その次」を見据えることが必要であるように思えます。それを支える「自助努力」(今決定的に欠けているもの)を基礎にして。


読んだ本・・・「統計学は最強の学問である」西内啓

2019-03-01 20:24:05 | 日記
2013年出版の本ですので、もう8年前の本ということになります。
出版されたころに買っていたのですが、途中まで読んでほっぽり投げていたものを、引っ張り出してきて読んでみました。
なぜ今更読んだかというと、言わなくてもわかるような話ですが、「統計不正問題」が大きな問題になっているからです。国会での質疑を聞いていると、根本厚労大臣という人は「統計問題」をわかっていないんだろうな、と思わされます。的外れの答えばっかりします。・・と言っても、そう思うのは「統計問題」がさっぱりわからない自分に引き寄せて考えるからかもしれません。
では、なぜ8年前には、本を買ったものの読まなかったのか?と言うと、そもそも「最強の学問」などという問題の立て方自体が気に食わない、ということがありました。じゃぁ買わなきゃいいじゃない、というところですが、やっぱり少しは「統計学」への知識を持っておかなくてはいけないな、と思ったのでしょうね。そのうえで、やっぱり受け付けなかった、ということなのです。
そもそものところから言えば、「学問」に「最強」なんてものがあるのか?ということになります。「学問」というのは「強さ」を競うようなもんじゃないだろう、ということです。・・・こういう考え方、感じ方というのは、最近読んだ別の本によれば「70年代に絶滅した『教養世代』」(「劣化するオッサン社会の処方箋」山口周:光文社新書)の考え方・感じ方だということになって、「90年代に勃興した『実学世代』」からすると、「学問」に「最強」を求めるのは当たり前、ということになるのかもしれません。いやな時代です。

それはともかく、「統計学が最強」とする著者の説くところは次のようなことです。
「おそらく我々がすべきことの多くは、すでに文献やデータの上では明らかなのである。・・・やるべきことが明らかなのであれば、私たちがすべきことはいかに速くそうした真実を探し当て、理解し、自らが実践するとともに、その知恵を周りに普及していくことだろう。統計学の素晴らしいところはこうした「最善」への道を最も速く確実に示してくれるところではないかと思う。」
「最も速く」ということを求める、すなわち直線的・直接的に求める、というところにが賛成しかねるところです。これは私が「教養世代」の残滓をまとっているから、という面もあるのでしょうが、それだけではないように思います。
それは、著者も次のように言っているところの問題です。
「統計学は数学的な理論に基づいて組み立てられているものの、その数理的性質を現実に適用した時には必ずいくつかの仮定や、仮定の扱いに関する現実的な判断が必要になる。またそうした現実的な判断は、分野ごとの哲学、目的、伝統や、扱おうとしているデータの性質によって左右されるのである。」

著者の言っていることは、ここでももっと直接的なことなのだと思われますが、「最善の解」を求めるのはある程度の長さを持った過程のこととして考えるべきことなのであり、「数理的」なものに還元してしまうわけにはいかない、というのは確かなことなのでしょう。
最近の「統計不正」を見ても、直近の問題意識、短期的な意味での「最善」を求める、というところから「統計」を弄んでいるように思えます。たとえば、雇用保険・労災保険の負担を軽減させるための「全数調査回避」や、アベノミクス効果を演出するための統計手法の操作、といったことが、とても優秀な官僚たちの知恵を絞った方策として行われたのではないか、と思えるわけです。
そのようなことを含めて、著者が8年前に指摘していた「日本全体での統計リテラシー不足」ということが今も問題だ、ということなのでしょう。まぁ、「統計リテラシー不足」の最たるものとして偉そうなことは言えないのですけれど・・・。